第7話 長兄は心配性である


「では、兄上、後を宜しくお願いします。胤通たねみち兄さんも、気をつけて」

「オレはこの先は勝手知ったる場所に行くのだから心配要らないさ」

「分かってますけど…それでも怪我とか…」

 若との対面後、末弟の胤頼たねよりは、広常叔父との対面の用意のため、下総の国府へと、五番目の弟、胤通は直前まで居た鷺沼へ直ぐに戻るため、陣営を離れる。

「お前よりも武術に長けているから心配には及ばないさ。どちらかと言えば心配なのは、お前のほうだけどな。ね?胤正たねまさ兄さん」

「私にしてみれば、どちらも大切な弟だからどちらも心配だよ。ただ、強いて言えば、胤通は仮とはいえ急ぎで、陣や宿の設営に苦労をしないか、お前は皆と作業をしたがる節があるから、怪我をしたりしないか。胤頼は川を渡らなくてはならないし、水に濡れたりしたら風邪をひいたりしないか、それはこのあとは、お連れする若も、父上もだけれど」

 末弟の胤頼は、和田殿が交渉を続け、色良い返事がきた広常ひろつね叔父との対面の準備ため、下総国府近くの大日川と隅田川へと先に向かい、五番目の弟は、その後、若や私たちが鎌倉へ向かうまでの少しの間、体制を整えるための陣や、それに伴い必要になる宿の設営に、胤通が管理するの領、鷺沼へと準備のため、陣営を離れる。

 大事な兄弟のことだ。心配事など、次から次へと生まれてきても当然で、アレも、コレも、と口に出して言えば「ああああ、もう止めて止めて」と胤通が困ったような、照れたような表情をして私の言葉を止める。

「胤正兄さんの心配事は尽きることが無いから、もう止めて。聞いているオレが恥ずかしくなってきた」

 そう言った弟に、「すまん」と小さく謝れば、胤頼がふふ、と笑い声を零す。

「大丈夫ですよ。胤通兄さんも、オレも。それに、胤通兄さんの今回のお役目は、若に賛同する人たちが集う場を作る、っていう一大任務だし、胤通兄さんも怪我なんて、そんなヘマしないですって」

 ね?と問いかけた胤頼に、胤通が「ああ」と力強く頷く。

「聞けば、小山殿が、武蔵国や下野国まで声をかけに行き、良い返事が貰えたそうじゃないか。一時的に、とはいえ大勢の武将が集まる場を作れるなんて、楽しみで仕方がないさ」

 にこにこと本当に嬉しそうに、楽しそうに言う胤通に、「胤通兄さんらしい」と胤頼がクスクスと笑いながら答える。

「さて、胤通兄さん、そろそろ行きますか!」

 少し笑って満足したらしい胤頼が、胤通を見上げながら言う。

「ああ。そうだな。では、改めて、行って参ります。胤正兄さん」

「ああ。道中、気をつけて」

「はい」

 トン、と胤通の肩に手を置けば、胤通の表情が少し引き締まったように見える。

「胤頼も。十分に気をつけるんだよ」

「大丈夫ですって」

「心配くらいさせなさい」

 そう言って、末弟の頭を軽く撫でれば、「はーい」と笑い声を含んだ弟の声が聞こえる。

「行って参ります」

「向こうで待ってますね!」

「ああ。二人とも、気をつけて」

 ひらひら、と手を振り、馬に乗り走り出した二人の弟の背を、見えなくなるまで見送る。

「あれ?誰かと思えば、胤正たねまさ?こんな所で何してるのさ?」

 弟たちの背を見つめていた私の名が、聞き慣れた声に呼ばれ振り返れば、佐々木定綱さだつな殿が、不思議そうな顔をしながら私を見ている。

「おや、定綱じゃないですか。こちらへいつ戻られたのです?」

「今さっきさ。弟たちも一緒だよ」

 爽やかにそう答える彼、佐々木定綱とは、胤頼を介して付き合いがあり、彼もまた若が伊豆国にいる頃から若の側近として仕えている。彼には経高つねたか殿、盛綱もりつな殿、高綱たかつな殿、義清よしきよ殿と、三人の弟達が居て、彼らは佐々木四兄弟とも呼ばれており、彼の三人の弟も、私の弟たちと同様にとても良い子達だ。

 定綱殿の末弟、義清殿と胤頼の年の差が五歳ほどということもあり、顔を合わせれば、定綱殿は自分の弟のように、胤頼を可愛がってくれている。

 お互いに長兄ということもあり、初めて会った際に意気投合をし、今では「定綱さだつな」「胤正たねまさ」と呼び合うほどとなった。

「あれは…胤頼か?それと…何番目の弟くんだい?」

「ああ。あれは、五番目の弟。胤通たねみちだよ」

「あー、胤通くんか。なるほど。二人とも、出立してしまったかぁ。一足遅かったな」

「ふふ。そうだな。でも、胤頼はすぐに戻ってくるんじゃないかな?胤通も次の宿と陣営の準備だから、私達も時期にそちらに移る。直ぐに会えるさ」

「ああ、なるほど。確かにそう伝え聞いたいたなぁ。でも、残念。うちの弟たちが胤頼に会いたがっていたのだけどねぇ」

「おやおや。それはそれは。胤頼が喜ぶよ」

 ふふ、と思わず笑い声を零せば「本当に君は弟くん達が大好きだよな」と定綱が笑う。

「そりゃあね。定綱だってそうだろう?」

 佐々木四兄弟の長兄に、そう問いかければ、「そりゃあそうだ」と定綱もクスクスと笑い声を零す。

「兄上ー!どこですかぁー?」

 のんびりとした定綱よりも少し幼い声が、離れた場所から定綱を呼ぶ。

「定綱、呼ばれているな」

「ああ、呼ばれてるみたいだな」

 ふふ、と笑う彼の顔は、すっかり兄の顔に戻っている。

「こっちだー」

 彼を呼ぶ声に、そう答えた定綱に「先に若の元に戻っているよ」と肩を軽く叩きながら言えば、「すぐ行く」と定綱がひらひら、と片手を振って答え、声のした方向へ歩き出した。


「ただいま戻りました…と、どうなさったのです?皆さん難しい顔をして…」

「ああ。胤正か。遅かったな」

 胤通と胤頼を見送った後、側使いに呼わばれ、若の元へと戻れば、皆が難しい表情を浮かべて座っており、思わず首を傾げれば、若もまた、私を見て小さく首を傾げる。

「申し訳ありません。弟達の出立を見送っておりました」

「弟、達?」

「はい。胤頼と、五番目の弟、胤通でございます」

「何かあったのか?」

「あぁ、いえ。胤通は鷺沼の陣営準備のため、胤頼は、明後日の対面のための支度で離れただけですので、若が気に病むようなことではありませんよ。若の軍が国府へ到着し次第、またこちらへ戻ってくるそうです」

「そうか。手間をかけるな」

「これしきの事、手間になどなりません。それで……何かあったのですか?」

「いや、大した話では無いのだがな。鷺沼には、どれくらい人が集まりそうか、という話をしていたのだが、そういえば、と広常ひろつね殿が遅参の理由がふと気になってな」

「理由、ですか?和田殿が伺っているのでは?」

 首を傾げながら言った自分に「ええと」と盛長殿が口を開く。

「それが、小太郎、いえ、和田殿も理由までは伺えなかったと……ですので、親族である常胤つねたね殿であれば、何か思い当たるのではないかと……」

「そうでしたか。それで、皆さん、父上を見て難しい顔をしてらしたのですね」

 なるほど、と小さく頷きながら言えば、視線の先にいた父上がくすりと小さく笑う。

「若!常胤殿は若と共に参ると即決であったにも関わらず、広常殿は決断までに数日。動き出すにも数日、若との対面にもまた数日。やはり、わたしは一連の動きが少し遅いようにも思います」

 そう声を発したのは、一度目の挙兵の時も若と行動を共にしていた土肥どい殿で、一連の流れも把握している彼は、若をとても大切に思っており、広常叔父の遅参が許しがたいことらしい。

「んー……そうだなあ。常胤はどう思う?」

 土肥殿に熱く言われた若が、首を軽く傾げたあと、黙っている父上へと問いかける。

 困った顔をしている若の顔を見て、父上は目尻を少しだけ緩めたあと、静かに口を開く。

「そうですね…いくつか考えられることはありますが…広常が集めてくる兵の数はとても多い事でしょうし、指揮を取り纏めるまでに時間がかかった。あるいは、ギリギリまで、出立を悩んでいたか。元より、広常は物事には慎重な男でも有ります。悩み考えることも多かったのやもしれませんな」

 困ったような表情を浮かべながら父上の話を聞いていた若が「まぁ、そうだなぁ」と小さく呟いた時、「しかし…っ!」と土肥殿が抗議の声をあげるものの、父上は土肥殿の言葉に動じることなく、「頼朝公」と若の名を呼ぶ

「いずれにしろ、若、一つ助言が」

 父上の言った言葉に、若と土肥殿の動きがピタリ、と止まる。

「なんだ?」

「明後日、広常と相見えた時のことなのですが」

 その言葉に、「おう。聞かせてくれ」と若が父上をじっと見つめながら父上の言葉の続きを待つ。

「広常を、思い切り、怒鳴りつけてくだされ」

「…は??」

 にこり、と良い笑顔を浮かべながら言った父上に、若が、ぽかん、とした表情を浮かべて、固まった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終わりを迎える日 ー源頼朝に師父と呼ばれた男 渚乃雫 @Shizuku_N

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ