第6話 「父とも、思うぞ」


「頼朝殿、少し、宜しいですかな?」

「ああ、何だ?常胤つねたね殿」

「紹介をしたい者がおります」

「紹介?」

「ええ。胤頼たねより、彼を、此方へ」

「はい」

 父上の言葉に、兄上たちと共に並んでいた青年の傍へ近づく。

「……胤頼……」

「大丈夫ですって」

 自分よりも少し歳下の彼は、不安そうな表情を浮かべるものの、にこり、と笑いながら言えば、彼は恐る恐る前へと出てくる。

「……常胤殿、彼は…」

 そう言いかけた若が、父上の脇に跪いた彼を見て小さく息をのむ。

八幡太郎義家はちまんたろうよしいえ公殿が七男、源義隆よしたか公殿のご子息、毛利頼隆よりたか殿でございます。先の乱でお父上、義隆殿が義朝よしとも殿の身代わりとなりて命を捧げられました。生後わずか50日余りの頼隆殿も、捕らわれの身となりました。ですが、翌年、頼隆殿が我が城へといらしたのです」

「義隆殿といえば、父の…大叔父にあたるお方。お子が捕らえられたと聞いていたが…そうか…常胤殿のところに」

「はい。胤頼たねよりとも歳も近いこともあり、恐れ多くも我が子同然に今日まで拙宅で我が妻や、息子達とともに、頼隆殿の成長を見守って参りました」

「そうだったのか…頼隆、と言ったな」

「はい」

 若に名を呼ばれた、頼隆の肩が、ぴくりと動く。

「顔を、見せてくれるか」

 若の言葉に、少し戸惑ったのか、すぐには顔をあげずにいた頼隆に、父上が「頼隆殿」と優しい声で彼の名を呼ぶ。

 その声に、また恐る恐る、といった動作で顔をあげた頼隆に、若は「ほう」と驚くような言葉を零す。

「常胤殿の子息六人も美男子だが…頼隆殿は、また…何というのだろうな、少し、叔父上の面影を感じるような…」

「…ええと…」

 じ、と真っ直ぐに見つめる若の瞳に、頼隆は初めの内は居心地の悪そうな表情を浮かべたものの、少し経つと落ち着きを取り戻したらしく、若の顔を、じい、と見つめ返している。

 そんな頼隆の様子を見た父上は、一度、静かに目を伏せた後、「頼朝よりとも殿」と若の名を呼ぶ。

「頼隆殿は、確かに源氏の血筋の者。本日より、頼朝よりとも殿のお傍に置いていただきたく、お連れした次第でございます」

 父上のその言葉に、頼隆の瞳がほんの少しだけ揺れる。

『いつか、源氏が再建をする時には、そなたには帰るべき場所がある』

 これは、頼隆が小さな頃からずっと、父上が言って聞かせてきたこと。千葉の一族の中であれば彼の身に危険が及ぶことは極力避けては通れるけれども、彼が本来居るべき場所は、こちら側ではなく、若のいる、あちら側なのだ。

 父上も母上も、そして兄上達も、家の者たちさえも、まるで、オレ達と血の繋がった子のように、彼に接してきたし、自分だって、本当の弟のように、彼を思ってきた。それは、今でも変わらない。

 けれど、若が頼隆の名を呼んだ時、はっきりと分かった。

 頼隆の居るべき場所は、やはり、こちら側では、ないのだ。

「そうか。しかと、賜った。頼隆、こちらへ来なさい」

「…はい」

 するり、と若の元へと動く頼隆の鎧の色が、速度を落として空中に線を描いているかのように見える。

 そんなわけが無い、と小さく頭を振った先には、失くしたと思っていた父上との血の繋がりを見つけ嬉しそうに笑う若と、ほんの少しだけ、寂しそうな表情を浮かべる父上の姿が、目に写った。


「ところで…一つ訪ねても良いか?」

 祈願のため、寺に向かおうと支度をし始めた時、若が不思議そうな表情を浮かべて口を開く。

「この橋の名は、何と言う?今日のこの日に、覚えておきたい」

 そう言った若が、この小さな川にかかる、小さな橋を見たあと、オレ達を見渡す。

 こんな小さな橋に、名前などつけていないのでは…と思うものの、次兄が「胤頼、知っているか?」とこそりと問いかけてきたため、やはり皆知らないのでは…と疑問は確信に変わるが、若のあの表情を見る限りだと、何か答えたほうがいいのだろうな、と次兄を見返せば、次兄は「お前なら大丈夫だ」と言わんばかりの表情でオレの背中を押す。

「あー、若ー」

「何だ?胤頼」

 期待が見え隠れする表情に、どうするかなぁ、と思いつつも、ふと、一句が頭に浮かぶ。

「見えかくれ、八重の潮路を待つ橋や、渡りもあへず、帰る舟人」

「返答に和歌か。胤頼らしいな」

「あえて知らないことがあっても、風情でしょ?」

 見え隠れしていた期待は、萎むことなく、満足へと変わったらしい。

 クツクツ、と愉快そうに笑う若に、やれやれ、と一息ついていれば「こら、胤頼!」と長兄の焦ったような声が聞こえてくる。

「主人となった方になんという口の聞き方を…!」

 申し訳ありません…!と謝る長兄に、「いや、え、兄上?」と声をかければ「アッハッハッ!」と若の楽しそうな笑い声が響く。

「構わない。胤正たねまさ。いまさら胤頼に畏まられる方がこそばゆいものだ」

「頼朝公、あまり甘やかしては…!」

 ほらー、と言いそうになった言葉は、オレに対してのお小言体勢に入っている長兄の様子に口には出さず、心の中だけに収める。

「胤正。俺はお前に頼朝公と呼ばれるのもあまり好きでは無いぞ?」

「好き嫌いの問題ではありません…!」

「前のように若、と呼んでくれ」

「ですが…!」

「俺が、そうして欲しい」

 ふ、と息を吐いた彼の表情は、挙兵を決める前の、まだ少し幼さが残るような表情で、長兄は思わず言葉に詰まる。

「若、狡いッスよ。その表情」

「そうか?」

 オレの言った言葉に、にやり、と悪戯に成功したように笑う若を見て、長兄は、はぁ、と深く息を吐いたあと、小さく笑った。

「そうですよ。若」

 そう言った長兄に、「だからお前は好きなんだ、胤正」と嬉しそうに笑った若に、「そういうことは気軽に言うものではありません」と少し照れた様子で、兄上は答えた。


 挙兵祈願を終え、源頼朝公が、静かに天を仰ぐ。

 真っ青な、夏の空が、頭上にどこまでも広がっている。

「よし」

 短くそう呟き、前を向いた若の瞳の奥にある何かが変わったように見える。

 きっと、それは、一度目の挙兵で、決意をした時とは違う。

 敗戦し、心も、ボロボロになりながらも、安房に辿り着いた時とも、違うのだろう。

 一度目の挙兵の時も、安房に辿り着いた時も、オレは若の傍には居なかったから、本当に変わった、という確証なんてどこにもない。

 けれど、再会をした時の、繕ったような笑顔の奥にあったものは、影を潜めたように思え、小さく息を吐けば、ふと、若の傍に仕えていた父上が、若を真っ直ぐに見ながら、静かに頷いている。どうやら、父上も若の変化に気がついたらしい。

 三浦殿、安西殿。そして、父上とオレの五人の兄達が、若に付き従うと誓った。

 心を寄せる人間が増え、安房に着いた時とは比べ物にならないほど、兵の数も増えた。

 きっと若が、敗戦の痛みを少しずつでも乗り超え、自信を持ち始めるきっかけになっただろう。

「ああ、もう、大丈夫そうだな」と若の表情を見ながら、ぼんやりと考えた。


「頼朝公」

「なんだ?常胤殿」

 振り向いた若を、力を籠めた父上の瞳が、真っ直ぐに見つめる。

「我が一族が、頼朝公に加勢を決めたことは、すぐにでも近隣の国々にも知れ渡りましょう。ですが、この東国で、歯向かう者がいるのならば、我が一族が一掃して見せましょうぞ」

「おお。なんとも心強い言葉だ。頼りにしている」

「おまかせください」

 ふふ、と笑う父上を見て、若が、一瞬だけ、懐かしむような表情をした後、ニッ、と笑顔を浮かべる。

「よし、決めたぞ」

「どうされました?」

 不思議そうな表情を浮かべた父上を見て、若がさらに力強く頷く。

「これからは、常胤殿を、父上とも、兄上とも、思うことにする。構わぬか?」

 構わぬか、と問いかけてはいるものの、若のあの表情は、完全に自分の中では、決めている時の表情だ。選択の余地なんて、あってないようなものだろう。

 そもそも、この問いかけに、「否」と応える者など、いるわけがない。

「…誠に…有難き、お言葉、ですな」

 小さく、そう呟いた父上の声が、ほんの少しだけ震えていて、その父上を見た若は、満足そうな表情を浮かべている。


 伊豆国に居た頃、よくふざけて「若が大将になればいいのに」と何度も言っていた言葉が、ふいに頭をよぎる。

「現実に、なるんだなぁ」

「胤頼?どうした?」

 ぼそり、と呟いた言葉は、すぐ傍に居た長兄にだけ、聞こえていたらしく、兄上が不思議そうな表情をしている。

「いえ、ただ…これから始まるんだなぁ、と思って」

 父上の実直で、広く深い懐に受け入れられた若は、真っ直ぐに前を向きだした。

 その瞳に、もう迷いは無い。

「歴史が動く、その時、というのだろうな」

 兄上の、小さく呟いた言葉が、ざわめきの中で、やけにはっきりと聞こえた気がした。


 治承4年(1180年)9月17日

 この日、安房国、安西氏や下総国、千葉氏などに迎え入れられた、源頼朝は敗戦の痛手を胸に、房総半島の進軍を開始したのだった。




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