騙すと騙されるはどちらも罪か。

 歩きにくい足を半ば引きずるかのように進め、

 真っ直ぐ家に帰って血だらけ赤まみれのジーンズ姿をばっちゃん見せるわけにもいかず、一先ずは病院に寄ることにした。

 太ももの切創をどうにかせねばまずい状況だ。先の行為は捨て身だったが、命が惜しくないわけではない。少なくともばっちゃんを一人残すことだけは避けなければいけない。

 それに、いくつか試しておきたいこともある。


 とりあえず地元近くの病院にの状態で到着した。

 当然、少しばかり騒ぎになった。

「どうされたんですか!? 血だらけではないですか!」

 中年くらいであろう女性看護師が真っ先に近寄ってくる。他の待合室にいる人々もぎょっとしてこちらに目を向けている。

 ここまでは大体予想通り。ではお試し一度目。俺は口を開いた。

「ああ、これは衣装ですよ。血糊が付いているだけです。そこまで大事ではありませんのでご心配いりませんよ」

 辺りの騒めきはすっと消え、そして皆一様にはぁと溜息を吐いた。そこには安心、そして呆れの感情が込められているように見えた。目の前の看護師も『なんだ』というような顔でこちらに言葉を投げる。

「紛らわしい格好をしないでください。ひとまずこちらの書類に記入事項をお書きになってお待ちください」

 予測は当たり、一度目は通った。では二度目のお試し。

「あー実はこの時間にある先生と会う約束をしていたんですよね。今会えますか?」

「? どなたとご面会でしょうか」

「鎌田先生です」

「……少々お待ちください」

 そう言って一度立ち去ろうとする看護師を引き留める。

「待ってください。俺が来たらそのまま通して良いと鎌田先生から聞いているのですが」

「そうなんですか? かしこまりました。ではこちらへどうぞ。ご案内します」

 ……思っている以上にスムーズだ。一切疑われることもない。

 何故こんなことを始めたのか。ことの発端は数十分前に遡る。


 ※


 路地裏を奥に進む。俺の過ちから、今は少しでも距離を置きたかった。引きずるように動かす足に痛みがぶり返してきた。死と対峙していたのだから、その場はドーパミンやらなにやらで痛みの感覚は鈍っていただろうが、冷静になり始めるなり今度は痛覚を脳は自覚する。今回ばかりは無駄で邪魔な働きだ。休めと自身の正しい生体反応に八つ当たりをした。

 それでも自分の思考はまだ動転している。

 人を殺した。の感覚だ。

 たとえ自己防衛の為の行いだとしても、あの感覚は忘れることはできない。

「くっそ……」

 思わず独り言ちる中、心身共に限界に近付いた為に、そのまま路地裏の汚い壁に背をつけてずるずると伝うように座り込んだ。

 それでも思考はまとまらない。とにかく順序立てて事柄を思い起こそう。

 まず一つ目。言わずもがな、通り魔事件の異様な状況だ。

 目の前に人がいるにもかかわらず凶行を行ったのに、何故かそれを目撃した人はいない。いや、正確には視認、認識ができなかったのだ。俺以外の誰もがだ。

 二つ目はあの通り魔の発言。

 奴に一体どんな能力があるのかはわからない。そんな中で、奴との対話でヒントになりえる言葉があった。

『同じ持ちなんだろ?』

 免罪符。あの殺人鬼は事も無げにそう明言した。確か、16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書のことだ。

 端的に言えば、『これを持っていれば、罪が許される』という傍から聞けばとんでもないものである。

 無論、キリスト教にとってきちんと意味のあるものだろうが、今回は関係はないだろう。あの男が発した言葉がそのままの意味の筈はないだろう。だが、少なくとも奴の言い方から考えるなら、何かしらの物品を意味していると考えた方がいい。

 そして、三つ目。これが最も重要だ。

 殺傷事件を目撃された時に、その人に咄嗟に吐いた嘘。あまりにも稚拙で、誰も信用することなどないであろう言葉。それをあの人はすんなりと信用して立ち去った。

 映画の撮影だなんて自分でも信じない。それを何故あの人は信じたのか。

 全ての事柄を浮かべて組み立てられる推論は一つだ。どうにも考えにくいことではあるが。

 俺はゆっくりとジーンズのポケットのものを掴んだ。そのまま取り出したものを睨みつけるように眺めた。

 スマホのような真っ白い板。文字が浮かび上がったことを考えると、よく似たものではあるのだろうが。

 ブウンと音が聞こえる。また板には同じ文字が浮かぶ。


『あなたは『騙す』ことが赦される』


「騙す……」

 全ての事柄にこの板が思い当たった。

 何故あの出来事を俺だけが視認できたか。

 あの男の言っていた免罪符。

 俺の言葉に簡単に女性。

 ありえないと言える推論は、事実を基にするうえで邪魔になる。感情、常識を全てを捨てて、残された回答は一つ。

「これが、免罪符なのか……?」

 そう呟くが、誰が答えてくれるわけもない。

 結局あの後状況は変わることなく、しばらくしたのちに自分の引き起こした殺人現場に戻った。

 そうして俺は致命的なミスに気が付いた。





「死体がない……」




 先程俺が殺してしまった男の死体が無かった。

 確かに裏路地に血溜まりは残っていたが、そこから少量の血痕が裏路地の道の奥へと向かって点在している。

 あの位置では致命傷でもおかしくはないはずだが……。

 ふと、視界の端に何かが見えた。路地の壁際に目を遣ると、漫画雑誌が落ちていた。なんとなくしゃがんで手にとって見ると、中心部に何かが刺さったあとが残っている。

 どうやらあの時騙されたのは俺もだったらしい。

「チッ……用意周到な奴め」

 どうやら奴はまだ生きている。厄介なことになった。

 超常的現象に対しての回答が得られるかもしれないチャンスを、みすみす逃してしまった。

 それどころか、殺人鬼を野放し状態で行方もわからない。

 それに、奴は完全に自分に目をつけたことだろう。何時狙われるかわからない。

 最悪だな畜生。口の中から出てきそうになった言葉を抑えて、今後の行動について思考を巡らす。

(さてどうする。奴が俺を殺そうと考えるとしても、現在位置も、どんな超常現象で対峙するのかもわからない。原因は俺の持ってるこの板だろうが、使い方がわからなければどうしようもない。ならば……)

 俺はポケットに手を突っ込み、あの板を取り出しては、じっと見つめる。


 ※


「……いっつ!」

「すみません、結構沁みますが我慢してもらえると……」

 あれからすんなりと嘘の話がスムーズに通り、診察室にいた鎌田という医師から治療を受けているが、ジーンズの生地がしっかりしていたからか、それほど深く刺さっていたわけではなかった為、出血量は大したことはなかった。特に重要な血管なども傷付いているわけでもないらしく、止血と消毒だけで済むという話だ。

 治療しているおっちゃんの雰囲気は柔らかいが、治療はあまり容赦がない。当たり前ではあるが、見た限りは適格と言わざるを得ないから、文句も言えないし。

「しかし、なんだってこんな怪我を負ったんですか?」

 ずり落ちそうな丸眼鏡を指で戻しつつ、薄い頭を掻いては聞いてきた。

 今回は『治療』だけでなく『実験』の為にいる。あの免罪符が本当にあの現象に関わるのならば、俺は今のだろう。だから今俺が用意した脚本シナリオは、誰が聞いても疑いを持つであろう雑なクオリティに仕上げてみたが、果たして……。

「実は料理しようと誤って刺してしまったんですよ。包丁で」

 俺の言葉を聞いた鎌田は、思わず背を後ろに反らしては、神妙な顔でこちらを見て、外見の中でよく目立つ喉仏を動かした。

(くっそ、さすがに雑すぎたか!?)

 しかし、彼はその後心配そうに言った。

「それは……不運でしたね」

 そしてそのまま治療を続ける鎌田を余所に、あの免罪符の効力に内心動揺していたのだ。

(おいおいおい、マジかよ……)

 雑に仕上げたといった通り、というよりも、何も深く考えた内容ではない脚本シナリオだ。

 実際、突っ込みどころはいくつかある。

 料理中という状況で、まず足が怪我をする可能性はまず薄い。いや、けがの種類や状況にもよるだろうが、今回の傷は、料理中に起きた事故である可能性は間違いなくないと言える。

 ジーンズを履いている上から包丁を刺すのなら、ある程度力を入れなければ突き破ることは難しい。仮に手から落としてしまったとしてジーンズを突き破ったとしても、そこからさらに深く突き刺さるのは難しいだろう。ましてや、料理中は立って調理することが主だろう。足の甲に刺さるのならばともかく、椅子などに座って落としたなどのことが無ければ、太ももに突き刺さるなどありえない。

 だからこそさっきの話は嘘だとわかるのだが……。

「とはいえ、結構深めですので、安静にしておかないと駄目ですからね」

 全く疑っている様子がない。むしろ真摯に俺の言葉を信用しては、心配しているだけだ。これはもう間違いないだろう。だが最後にもう一つだけ実験してみることにする。これは絶対に免罪符の効力が働かなければ騙されるはずがない嘘だ。

 包帯が巻き終わって、鎌田は一息ついた。考え事を続けている間に、治療が終わったようだ。

「ではこれで終わりです。また痛んだりしたら痛み止めもありますので、また言ってください」

「わかりました」

 そのまま俺は診察室を後にした。

 待合席で待っていると自分の名前を呼ばれたので、受付へと向かう。

「では料金は、」

「あっ

 さて、どうくる?

 しばしの無言。そして。

「ああ、そうでしたね。失礼しました~」

 そう女性が苦笑しながら誤ってきた。嘘だろ?


 ※


 結果として、俺は金も支払わずに出てきてしまった。

 皆、俺の噓に疑問さえも抱かなかった。

 どう考えてもおかしいこの状況を理由付けるのは、間違いなく……。

「赦された……ということなのか?」

 誰に言うでもなく呟いた。

 ざわざわと騒がしい大通りで呟いた一言も、誰にも気にされずに過去に消える。

 これは間違いなく本物だ。

『免罪符』と呼んだこの板が、俺の嘘を赦した。

 いや、違うな。

 人を嘘をついて『騙した』ことが赦されたんだ。

 おそらくだが、奴もこの『免罪符』を持っている。

 でなければ、この状況を説明することができない。

 大通りの道端にある金属の棒のベンチに座り込み、今の状況を考える。

 結果として、いわば俺は大衆小説でいうところの能力者のようなものになったと考えよう。

 たまたま手にした道具で異能の力を手に入れ、また敵も同じような力を持って悪さをしている。

 はっ何処ぞのライトノベルでありがちな展開だな。

 俺は思わず苦笑してしまった。

 しかし、笑えない状況でもあるのは確かだ。

 現実に事件を起こして、人を……殺した奴がいる。

 そして、原因は訳のわからない異能の力を使って犯行に及んだ。

 それは誰にも犯行を視認できない。どんなに短絡的で雑な行動であったとしても、誰も気付かない。

 たとえ目の前にその殺人鬼がいたとしても、誰もそいつのことに気付けない。


 俺だけを除いて。


 いわばこれは俺の、意真諦慈の自惚れとエゴだ。

 俺にしかできない。俺がやるべきことだ。

 そう意気込んで自分勝手に行動しようとしている証拠だ。

 だが他にどうしようがあるだろう。

 正直に状況を話したところで信じてもらえないだろう。

 事件の証拠や証言をしたところで、犯人だけでなく凶器なども他の人が認識できていないことを考慮すれば、ありもしない物事をあると喚く狂人扱いにしかされないだろう。

 ならば、時間を掛けて、冷静に考えたとしても、俺は同じ答えを導き出すだろう。



「俺が、奴を止める」



 そう自分に言い聞かせるために、俺は言葉を口に出した。

 その時だ。














『気付いてよおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!』





 誰かの叫び声が、頭上から降り注がれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

免罪符 ミウ天 @miuten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ