パンケーキ・ミックス

三津凛

第1話

女がみんな、パンケーキを好きなんて思うな。


祐里子さんの言った言葉を反芻しながら、約束の場所へ向かう。

通りを歩いていても、肉の焦げる香りが漂う。さすがに毎回焼肉屋というのも倦んでくるが、あの祐里子さんにパンケーキは似合わない。

私も、パンケーキをちまちま切り分けて喜んでいる女はあまり好きではなかった。


「原稿です」

私はmiffyがプリントされたクリアファイルから、クリップでまとめた原稿用紙を祐里子さんに差し出す。

「ご苦労様でした」

言葉だけは丁寧だ。だが祐里子さんが原稿用紙に走らせる視線は無造作に突っ込まれた折り込みチラシを一瞥するように冷たい。

私は少し背筋を硬くしてその様子を窺う。祐里子さんはふと視線をあげると、いつものように思いがけないことを言った。

「うさぎが好きなの?」

言いながら、もう原稿は用済みとばかりにファイルに仕舞う。

「えっ、あぁ…そうですね。フォルムが可愛いから」

「ふうん」

ちょっと意地悪そうに祐里子さんは微笑む。

「ねぇ知ってる?」

「何がですか」

祐里子さんはmiffyを眺めながら小さな声で言った。

「うさぎって、ヨーロッパだと淫欲の象徴なのよ」

それくらい知っている。確か売春婦のシンボルでもあったはずだ。

でも私は敢えて知らない振りをすることにした。

「へぇ、そうなんですか…」

「プロフィールに書いたら、全国のファンからうさぎグッズが届くかもよ」

「それはちょっと…」

私は照れるように頭を掻いた。祐里子さんは私をからかうのにも飽きたようで、不意に無表情になる。

「いつものコースでよかったわよね」

私は目をあげて、頷く。一見選択権がありそうで、実はない。

「よかったわよね」ではなくて、「いいでしょ」なのだ。

そう歳も変わらないし、私は多分そこそこ売れている方の作家なのに、祐里子さんはどこかの女王みたいに傍若無人だった。普通は作家の方が傲慢で傍若無人で、担当編集者がキリキリと気を遣うものなのに私と祐里子さんの場合はまるで逆だ。

私は甘えるように言ってやる。

「お腹すいたよ、祐里子さん」

祐里子さんは少し眉毛を動かして、小さく

「タラシ」

と呟く。

私は黙ったまま、祐里子さんが話すのを待った。

祐里子さんはずっと黙ったままにしていられるほど、静かな人ではない。

「女がみんな、パンケーキを好きなわけないじゃない、ねぇ?」

「またパンケーキを食べに連れて行かれたんですか」

「そう。腹立つわ」

私は繊細な輪郭線を撫でるように、祐里子さんを一瞥する。どちらかと言えば華やかな見た目だとは思う。ゴツい焼肉屋にいるよりも、パステルカラーのパンケーキ屋にいた方が絵になるし誘いたいだろうなと思った。

「それはこの前言ってた男ひとと違うんですか?」

「違うひと」

そこで肉が来て、ちょっと私たちは黙った。祐里子さんは冷たい顔で肉を焼き始める。斃たおれていく敵を見下ろす女スパイだな、と思った。

私が手を出す暇を与えず肉を網に乗せ続ける手つきは、多少は気を遣っているのかもしれない。

「まぁ、モテないよりかはモテた方がいいのかもしれないけどさ」

薄く笑いながら、祐里子さんが口を開く。

「そうですねぇ。羨ましいですよ」

「思ってないくせに」

刺すように言われる。私は特に否定もせず、肉が焼けるのを待つ。

「あぁ、それからこんなこともあったの、聞いて」

私は顔だけは熱心なオーディエンスの振りをして頷く。

基本的に祐里子さんの話は自慢と愚痴しかない。私の話を聞いてくれることは稀だ。

自慢と愚痴は"2大嫌われる話"だと思うが、私は祐里子さんに限ってそれは嫌いではなかった。こうも心に湧き上がっているものを自由闊達に喋り続けられるとさぞ気持ち良いだろうと思った。

「ねぇ、聞いてる?」

一瞬だけ、疑わしそうにじろりと見つめられる。

「聞いてますよ、その男がなんて言ったんでしたっけ?」

「それでそいつが…あ、あとこの前さ…」

女の話は1つの所にとどまることがない。気紛れな蝶々のように飛んでいったかと思えば、もうこちらに還ってくる。私も同じ女なのに、どうしてこうも複雑な生き物なんだろうと考えずにはいられない。

私は祐里子さんの話を聞きながら、無意識のうちに次は彼女のどの部分をモデルにしようか思案する。

半月分の出来事を、まるで日記に書き付けるように私に向かって祐里子さんは話し続ける。

ふと、きつい言葉遣いとは裏腹に綺麗に揃えて伸びている指に目がいった。薬指には指輪1つ、挟まっていない。女にとっては呪いにも似た薬指の指輪が、こんなに綺麗な指に挟まっていないのを私は感謝したい気持ちになった。手に収まるだけの幸福に祐里子さんがどっぷり浸かっていたら、私は彼女をモデルにしようなんて絶対思わなかっただろう。

「さ、肉が焼けた」

祐里子さんは会話をぶつ切りにして、熱心に肉を取り分け始める。

粗雑なようでいて、きめ細やかな所はやっぱり女性なのだと改めて思う。こうしてただ口をあけて食べさせてもらうのを待っているような自分の方がよっぽど性別不詳だと思った。

私のそんな視線を感じ取ったのか、急に祐里子さんは怒ったような顔つきになる。

「来月、うち主催のパーティーがあるんだけど来てくれる?」

私はゆっくりその言葉を反芻する。

「来てくれる?」じゃなくて、「来なさい」ってことなのだ。

私が頷いたのを鷹の目のように確認してから、また祐里子さんは好き勝手に話し始めた。


まるで政治だな。

毎年見ている光景だけれど、私は疲れてそう思った。

名物編集者には作家が群がり、気鋭の作家には出版社が群がる。そのどちらでもない私はちょっとよそゆきの顔を張り付けたまま、なるべく人を避けながら高い酒や料理を食べることばかりしていた。

早く帰りたいなあ。ぼんやり会場を眺めながら思う。

祐里子さんは私のことには目もくれず会場を飛び回っている。私と2人でいる時とは打って変わって、腰が低く必要以上に丁寧な物腰だ。

卑屈にも思えるその丁寧さに、私はどこか痛々しいものを感じた。戦利品として押収された女王みたいだった。

私の視線に勘付いたのか、人波の向こうから祐里子さんが振り返る。

軽く手を振ると、ほんの少し柔らかな顔付きになって駆け寄ってくる。

「食べたり飲んだりばっかりしちゃって」

向き合うと途端に嫌味を言われて脇を突かれる。

「祐里子さん、早く帰りたい」

小さく耳元で囁くと、祐里子さんは少し困ったように笑った。周りの目を気にした笑い方に、私は哀しくなった。

この人はこんな人じゃない。

「もういい歳でしょ、これくらい我慢しなさいよ」

ほんの少しだけ、傲慢な祐里子さんが顔を覗かせた。

私はその時ふと、祐里子さんをからかってみたくなった。

「今度の打ち合わせなんですけど、私行ってみたいところがあってそこでしませんか?」

祐里子さんは珍しそうに目を動かす。

答えを聞く前に、向こうの方で祐里子さんを呼ぶだみ声が聞こえて来て、私たちは同時にそちらを振り返る。

祐里子さんは微妙な顔付きになって早口で言う。

「じゃあちゃんとやりなさいよ」

「はーい…」

私は恨めしげに声のした方を眺めながら返事をする。

祐里子さんは一度だけこちらを振り返って駆けていく。

それがちょっと意外な気がして私はぬるくなったビールを飲んだ。


来てくれるかな。

普通、作家から指定があったら来るものだけどなんとなくすっぽかされそうな気もしていた。

私は目の前の生地は薄くてやたらクリームやイチゴやブルーベリーばかり重そうに乗せられたパンケーキにナイフを入れてみる。

来なければ来なかったで、それも今度のネタにしてやろうと思った。

むしろ来ないで欲しいとも私は願った。

可愛げのある傲慢さ。

危うい所にある2つの魅力が祐里子さんを嫌いになれない理由かもしれない。

一口薄いパンケーキを口に押し込んだ時、小気味よいヒールの音に私は顔をあげた。

「結構、嫌味なことしてくれるじゃない」

一瞬、私は残念だった。すっぽかされる体で頭の中で物語を考えていたのに、祐里子さんは誇り高い獣のように私の前に現れた。

鼻を鳴らして、祐里子さんは向かいの椅子に座る。

「ねぇ、知ってるんだから」

「…なにがですか?」

やっと甘ったるいパンケーキを飲み込んでから、私は言う。

「こそこそと、私をモデルに書いてるでしょ。分かってないとでも思った?この前のは主人公の飼ってる猫が私にそっくり」

「気付いてたんですか」

「途中からね」

私は上目遣いに祐里子さんを見る。その表情は大判のメニュー表の向こうに隠れて全く見えない。

「色々あるのね」

なんとなく、その声が弾んで聞こえる。

「怒ってないんですか?」

「なにが?パンケーキ屋に連れて来たこと?それとも小説の件?」

「あの、どっちもです…」

つくづく、力関係が逆転していると思う。祐里子さんが笑う。

もしかして、わざとこんなことをしているのだろうか。

「美味しそう。どれ食べようか迷っちゃうなぁ」

私の質問には答えずに、祐里子さんはパンケーキの写真ばかり眺めている。

思い切り嫌な顔をされると思ったら、意外なほど乗り気な祐里子さんに私は驚いた。

「あの、パンケーキ嫌いなんじゃないですか?」

「人のこといやらしいくらい観察してるのに、なにも分かってないのね」

口の端を切り上げて、祐里子さんが軽口を叩く。

「別に私は女がみんなパンケーキを好きだと思うな、って言っただけで私がパンケーキを嫌いなんて一言も言ってないわ」

私は俯いてナイフでクリームの山を突く。この人には敵わない。小説の中で復讐してやろうと誓った。

祐里子さんは傍を通りかかった店員に何か注文して、私の袖を軽く引っ張る。

「今日は先生の奢りね」

甘えた声で言われる。

こういう時だけ、先生か。本当に敵わない。

恨めしそうな私の視線を涼しく受け流して、祐里子さんは臆面もなく言ってのけた。


「私、甘いもの大好きなのよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パンケーキ・ミックス 三津凛 @mitsurin12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ