第32話 許す

 芳賀が市民演劇協会の終演後にした稽古の動画をネットにアップしてくれた。

「和田くんと吉田くんにも動画を撮ってもらって、三カメラでやりましたからね、いいでしょう」

 誇らしげに芳賀はいった。確かにどさくさで即興だったとはいえ、なんだかやけに躍動感あるドキュメントになっている。

「拡散しておきましたからね。けっこう反応はいいです。地元のラジオとケーブルテレビにも、先生と出演者で出てもらって、市内のメディアを使ってアピールします」

 本領発揮といったところだろう。稽古のせいか五キロほど夏より痩せた、と芳賀はこぼしていた。まったく見た目は変わったように見えない。

「絶対に成功させましょう」

 俺はいった。いや、成功する。絶対に俺たちは賞を得る。そう願うことに罪は一切ない。そして叶うことを恐れている場合ではない。俺たちの作品が、いちばん面白い。

 芳賀は、頷いた。


 俺自身が演じるトリゴーリンが、一番遅れをとっている。俳優に「あせるな」といいながら、自分自身が焦っていた。晴美は黙っていた。『かもめ』が終わったら、俺は晴美の部屋から出て行くつもりだった。

 稽古は毎回通し稽古となっていた。平嶋さんが演出助手をしてくれている。俺が出ていて見落としているところを、平嶋さんはチェックしている。

「みんな、いい感じですね」

 平嶋さんの台本は全員の動きが詳細に赤ペンで書かれている。俺の持っている台本よりもかき込まれている。ノートには、セリフのいい間違いを毎回チェックして書き込んでくれていた。

「一人で台所にいるときとか、セリフを口走ってるときあるんですよ」

 平嶋さんは、皆をうらやましそうに眺めている。

「次、絶対出ましょう」

 俺はいった。平嶋さんが輝く役を、俺は与えたい。

「家族に、お芝居、絶対に観にきて、っていったんです。面白いからって。主人が折れて、お義母さんも、観にきてもいい、って」

 あのいじわるばあさんが、と俺は驚いた。平嶋さんの熱意が伝わったんだろうか。

「面白かった、って思ってくれたらわたしも次は堂々と出られます。だから、先生、どうぞよろしくお願いします」

 しのごのいわず、面白いものを作ればいい。ただそれだけだ。

 明日から本番までの一週間、せまい市民会館の稽古場から飛び出し、小学校の体育館を夜間に借りて、実寸で稽古をすることになった。全員の衣装も揃った。井上の助けを借りて、劇団の衣装倉庫から持ち出した。出演者たちは、「コスプレだ」などといいながら喜んでいる。

 舞台セットも決まった。イメージを書いた紙を広げた。舞台の上手奥から下手前まで、橋をかける。

「それ以外はなにもないよ。ただ、この一段上がった橋の部分が、動きます。」

 全員これには驚いていた。

「回転するんですか。これ」

 麗奈がいった。

「ぐるっとは回れないんだけど、斜めになったりまっすぐになったりする。一幕目の時は、はじまったときに客席から見て、舞台上手奥から下手前にサブロク板で作った橋がかかっている。二幕目は下手奥から上手前に。これで場所が変わっていることをあらわします。三幕の食堂のシーンのときは百八十度。つまり舞台と平行に置く。最後の四幕目は」

 俺はもう一枚皆の前に差し出した。

「客間を作ります」

「え、どうやって……」

 和田が訊いた。

「三幕と四幕の間に休憩をいれる。十五分のうちに、建てる」

「十五分で、僕ら素人がこんな大きな舞台のセットを作るんですか?」

 和田が、顔をしかめた。

「俺と吉田くん、そして手伝いにきてくれる井上の三人で、一気に作ります。他の男子はサブロク運びの力仕事、女子は小道具の配置を同時進行でお願いします。といっても、図面を見ればわかるように、大舞台全体を部屋に見たてるんじゃなくて、板を置いて、舞台の中心に部屋を作るだけ。本当は壁をつくりたいとこだけど、予算の都合で無理なので。四幕は部屋だけに照明がついて、舞台のなにもないところは暗闇にするから」

 全員、息を呑んだ。

「一人欠けても舞台は出来ないから。本気でやろう」

 全員が頷く。

「あと、一幕目と二幕目は、みんな客席の方から出てくるからね。みんな歩きながら、お客さんがすぐそばでじーっと見るから」

 そういうと、和田が、

「僕、しゃべりながら通路を歩くんですか」

 情けない顔をした。和田と裕子がトップバッターだ。

「面白いじゃないですか」

 和田の横で裕子がいった。

「そうかな……」

「頑張りましょ」

 そういわれ、和田は、しゃきっとして、頷いた。


「読み合わせしよう」

 家に帰り、晴美に声をかけた。

「珍しいわね」

「見えないかもしれないけど、緊張してるんだ」

 俺はおどけていった。

「見え見えよ」

 俺たちはセリフを言い合った。

「晴美、本番好きにやっていいぞ」

 俺はいった。

「お前を信じてるから」

 晴美は俺の顔をまじまじと眺めてから、吹き出した。

「なんだよ」

「滝村先生と同じこというから」

「あの人そんなこといってたのか」

「信じてるっていってくれた演出家、これで二人目。わたしにとって、財産よ、」

 ありがとう、と晴美はいった。でも、気軽に役者なんて信じちゃ駄目よ、と釘をさした。好き勝手にされて、めちゃくちゃにされるわよ。

「わたしのこと、しょうもない女だって思ってるでしょ」

「思ってないよ」

「めんどくさいし、すぐキレるし、態度悪いし。あげく、芝居をやめたくせに、井上くんに芝居でないか、っていわれたらほいほい出るっていいだすし」

 俺が『かもめ』を終えたらこの部屋から出ていこうとしていることに、気付いているのかもしれない。

「それは……、出たいなら、出るべきだろ」

 心底からの言葉だった。晴美が舞台に立つのは、俺にとっても嬉しいことだ。

「もうりゅうちゃんの芝居に出られることはないのかもしれない、と諦めてた。りゅうちゃんを信じてなかった。ごめんね」

 言葉に、思い切り胸を突かれた。

「俺が全然、駄目だったから」

「これからもりゅうちゃんの芝居に出るために、わたし、修行を積むよ。境先生に呼んでもらえるようにね。でも先生は演出つけてる女優のこと好きになるからねえ」

「なんだよいきなり」

「『アガタ』のとき、わたしじゃなくて、園山さんを選んだでしょ」

 真面目な顔で晴美はいった。園山、とは『アガタ』に主演した女優だった。べつになにもなかったというのに、勝手に腹を立てている。

「あれはお前が他の舞台出てたから」

 なにをいっているんだ。ぬれぎぬだ。俺は思わず吹き出した。

「目が恋してた。あんな目でわたし、見られたことなかったもん。しかもいい感じになりかけてたでしょ」

「なってねえよ。いつの話だよ、それ」

「まあいいわ。許す」

 許すもなにも、いいがかりだ。

「『かもめ』を成功させて、絶対に次につなげよう」

 晴美はそういい、俺は頷いた。

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