第28話 立ち稽古
立ち稽古が始まり、本田さんが本領発揮となった。皆の演技にあれこれけちをつけるようになったのだ。
「僕がこう動いたんだから、それおかしいんじゃないですかねえ」
偉そうにダメ出しをしだす。相手役はたまったものじゃない。おかしい、とはいいかたが悪い。
「どうですか、先生」
困った顔を作り、本田さんが俺に訊いてきた。
「本田さんは確かに自分の演技プランで動いているかもしれません。だけれど、志村さんもまた、彼女の演技プランがあるでしょう。稽古のときは、演技プランに固執しすぎないで、柔軟にしないと」
俺はいいかたに気をつけながら、答えた。
「僕が柔軟ではないってことですか」
ああ、そういうとこが柔軟でないってことなんだよ! と俺は口から出そうになったが、呑み込んだ。どんだけ頭が固いんだこの野郎、と思いながら。
「相手役ありきですから。お互い話しあうことも必要かもしれませんね」
そういうと、裕子が露骨に嫌な顔をした。こんなやつと話し合いなんてできるか、と思っているのだろう。
休憩時間のあいだ、外に出てタバコを吸っていると、裕子がやってきた。
「わたし、あの人と芝居したくありません」
そういって、火をつけ、顔を下げたまま煙をはいた。煙が立ち上って裕子の顔に被った。目に染みないだろうか、と俺は思った。
「なんなんですかあの人。ああしろこうしろって。わたしはこう思います、っていおうものなら、『何年やってんの? 僕は君がよちよち歩きの頃からやってたんだけど』なんて」
裕子は本田の物真似をしながらいった。誇張した部分が的確で、似ている。少し笑ってしまった。
「わたしあまりに辛くて、あの人の名前入力してネット検索しちゃいましたよ。そしたら全然ヒットしないし。どこのアクターズ・スタジオだよ、って。苦手な人間のことをググってるとか、自分が情けないんですけど」
裕子の指に挟んでいるタバコが、どんどん灰になっていく。やけどしてしまいやしないか心配になる。
「劇団だったらお互い気兼ねなくやりとりができるけど、寄せ集めだとそうはいかない。俺がああしろこうしろ、って決めるのもいいけど、まだ稽古始まったばかりだから、まずは全員自由に動いてくれて、そこから広げたいんだよ」
寄せ集め、と思わずいってしまった。
「わたし最近稽古に来るの辛いんです」
裕子はタバコの火を乱暴に消した。結局一度しか吸わなかった。
「ニーナじゃなかったこともショックだったし」
なるほど、そっちのことも彼女にとっては辛いことだったわけだ。
「志村さんはどちらかといえば、マーシャのほうが映えると思ってキャスティングしたんだ。君は華やかだから、逆に内面が煮えたぎっているようなタイプのほうがやりがいあるんじゃないかなって思ったんだけどね」
そういうと裕子は、失言したことに気づいたらしく謝り、稽古場に戻って行った。
役が気に入らないというのはともかく、本田さんのことは問題だな、と俺も思ってはいた。俺もまたタバコを吸っていなかったらしく、火が指まで届いてしまい、吸い殻を落としてしまった。俺は新しいタバコに火をつけた。
ガコン、と音がして、入り口を振り向くと、三浦さんが自動販売機からジュースを取り出していた。
「『真剣なものだけが美しい』ですね」
三浦さんはいった。ドールンのセリフだった。
「定年退職をして、なにもやることがなかったので、ボケ防止のためになにかやったほうがいいんじゃないかって、娘にいわれましてね。ここに入ったんですよ」
三浦さんはペットボトルのふたを開け、一口飲んだ。
「わたしはソーリンと違ってね、授業で先生に、声がいい、って褒めていただけました」
「本当に三浦さんの声はいいです。長年働いてらっしゃっただけあって、深みがあります」
「そんなこと、思いもしませんでしたから、嬉しかったなあ」
三浦さんは顔をほころばせた。
「妻はね、馬鹿みたいなことして、っていうんですけどね、次、観にくるそうです」
「そうですか」
「若い人たちと一緒になって、麗奈ちゃんや、ああ、拓也くんや久義くんなんて、孫くらいの年のみんなとああだこうだいいながらやるなんて、なかなかない経験です」
三浦さんはくすぐったそうな顔をした。
「なんだかねえ、この年で青春して、毎日おかしくてたまりません」
まあ、頑張りましょう、といって三浦さんは去っていった。
稽古場に戻ると、大変なことになっていた。裕子が泣いており、麗奈が背中をさすっている。本田さんと吉田、晴美が口論をしていた。
「おいおい、なにやってんだよ」
俺はびっくりして輪のなかに入った。
「先生、申し訳ありませんが、今回役を降りさせていただきます」
本田さん顔をゆがめ、いった。怒りで赤くなっている。
「とにかく、落ち着いてください、なにがあったんですか」
「裕子ちゃんに、ずっとああでもないこうでもない、って文句をつけていたの」
晴美もまた、眉を吊り上げている。
「傍で聞いていたけど、裕子ちゃんの意見をまるっきり聞こうともしないで」
喫煙所で裕子と別れてから十分もたっていないのにこのありさまだ。
「僕だけが悪者みたいですけどね、この子もまるっきり意見を聞こうともしないんですよ」
やってられんわ、といって、荷物をまとめ、本田さんは出て行った。大きな音をたててドアが閉まった。
「なんか……、あの人のこともわかるっちゃわかるんですよ。俺も去年まであんな感じだったし。なんでこいつらわかんねえんだ、って思ってたし」
俺と吉田、そして芳賀と和田の四人は牛丼屋のカウンターに並んでいた。
「人の振り見て我が振り直せ、っていうか、違うか。あー、これ駄目なパターンだ、って」
出来上がった牛丼が俺たちの前に運ばれていく。みそ汁を一口飲んでから、俺はいった。
「志村さんもこなくなっちゃったらどうしましょう」
和田が卵をかき混ぜながらつぶやく。裕子と芝居をすることが楽しくてたまらないのだ。
「いや、あの子は大丈夫だと思う。タフだし。でも本田さんと一緒に芝居をするのはしんどいだろうな」
吉田がいった。
「吉田さんは関係ないじゃないですか」
和田が牛丼を見つめたままいう。
「はあ?」
吉田が和田を睨んだ。ここで喧嘩をしないでくれよ、と俺は思った。これ以上、こじらせないでほしい。
「吉田さんは、麗奈ちゃんと付き合っているから、余裕なんでしょ」
和田の言葉に、全員が止まった。
「いや、いや、付き合ってません。付き合ってませんから」
吉田の目が泳いでいる。そして和田はというと身体がぶるぶる震えている。
「ずるいですよ……」
和田は丼に埋めるのではないかというほど、顔を近づけた。泣いているらしい。
「まあ、落ち着こう、和田くん。吉田くん、麗奈と付き合ってないっていってんじゃん。な?」
俺は吉田の背中をさすりながら、いった。
「僕にはもう裕子さんしかいないんだ……」
和田の言葉に俺と吉田が顔を見合わせる。結局、麗奈も裕子も好きなわけか。
「まだ裕子がいるならいいじゃん」
思わず俺はいってしまった。
「その裕子さんがこなくなったらどうするんですか」
「だから、それは大丈夫。安心しな」
裕子は滝村先生に爪痕を残すまでは絶対に辞めない。和田は納得しかねるようだった。鼻水を垂らしながら牛丼をかきこんだ。吉田のほうをみると呆然とした顔をしている。付き合っているのかどうか、怖くて訊けない。
「思ったんですけど」
俺たちを無視して食べていた羽賀さんがいった。完食したらしい。
「名字に田んぼが付いている男子メンバーは、全員難ありですね」
本田、吉田、和田。まったくうまくも面白くもない。
「男性キャスト、変更したりするんですか」
吉田が訊いた。
「いや、そのつもりはないよ」
俺はいった。
「本田さんでいく」
「できるんですか」
吉田はまだ牛丼に口をつけていない。食い気がうせたのかもしれない。さすがナイーブ。
「あの人、芝居出たいと思うんだよ。芸歴があるっていってたけど、多分今回がほぼ初めてなんじゃないかな」
「以前エキストラの事務所に所属してたようですけど、まったく活動してません」
一人だけ特盛、そして牛皿とサラダまでつけた芳賀が、食べながらいった。さすが芳賀、既にリサーチ済みな上、裕子より突っ込んだ検索をしているらしい。
「唯一ね、風邪薬のコマーシャルに出てたの発見しました」
芳賀は器用に右手に持つ箸の動きを止めず、左手でスマホを操作した。俺たちはスマホを覗き込んだ。
「どこ?」
赤い目をした和田がいった。
「わからん……」
俺もいった。
「このいっぱいいるサラリーマンのなかの一人で、端っこの、これこれ」
一瞬だけ、粗い動画のなかで、本田さんらしき人物を確認した。
「ちょうど見切れるとこにいたみたいでね、一瞬だけ映ってますね」
芳賀はいった。
「よく見つけましたね」
「暇なんで」
怖いなあ、と俺は思った。
「でもま、確かに芸歴だけは長いらしいですからね。こっちが折れるんですか」
芳賀は不満げだった。どちらかといえば、新しいキャストを見つけたほうがいいと思っているのだろう。
「別に芝居で稼いでいるわけないだろうから、なにやってんだろ。バイトしてんのかな」
「あの人そういうこと訊いてもはぐらかすからなあ『役者のプライベートなんて語る必要ないでしょう!』とかいわれたし」
吉田の本田さんの物真似は、ただがなっているだけで、あまり似てはいなかった。
「本田さんと一度会うしかないかな」
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