第27話 配役

 配役が決定した。


アルカージナ 篠原晴美

トレープレフ 吉田伸

ソーリン 芳賀薫

ニーナ 早川麗奈

シャムラーエフ 本田剛

ポリーナ 駒場美保子

マーシャ 志村裕子

トリゴーリン 境隆司

ドールン 三浦正

メドヴェージェンコ 和田博文

ヤーコフ 小嶋久義 駒場拓也

料理人 片岡さつき

小間使い 小嶋のぞみ


 全員どよめいた。ニーナは読み合わせのとき、ここ数日裕子ばかりが担当していたので、裕子がやるものだとだと、みんな思っていただろう。最後までニーナをどちらにするか俺は決めかねた。裕子は下を向いていた。くやしさを隠そうとしない。麗奈はというと、変な顔をしていた。マーシャをやるつもりだったのだろう。和田はというと嬉しそうだ。ペットボトルのお茶を一気飲みした。煙たがられる関係とはいえ、裕子と夫婦役である。

 あらゆる役を、前回までシャッフルでやっていた男優陣も、悲喜こもごもといったところだ。吉田は自分の名前を呼ばれた途端、台本にかじりついた。いい男役の医師のドールン役の三浦さんは満足げだった。アルカージナの兄役、ソーリン役に決まった芳賀は、

「僕だと病気が糖尿病とか成人病に見えて、意味が変わっちゃうんじゃないかなあ……」

 と心配そうだった。皆からどっと笑いが起こった。

 本田さんにいたってはあからさまに不満げだった。

「あの、ヤーコフが二人ですけど、これってどういうことですか。一回だけだから、ダブルキャストってわけではないですよね」

 今回参加はできない、見学にだけきている平嶋さんが訊いた。

「二人で一人の役をやります」

「え、どういうこと?」

 全員が一斉にざわついた。

「ヤーコフは、久義くんと拓也くんのコンビで演じるってことです」

 当の本人たちも、まったく意味がわからないらしく、顔を見合わせている。

「いっしょだね!」

 久義がいうと、拓也が恥ずかしそうに頷いた。かわいいじゃないですか。

「『どうもありがとうございます、奥さま。道中ごぶじで! 何かとよくして頂きまして!』」

 早速片岡さんは、唯一となるセリフを探し出し、練習しだした。

「あら、残念、わたしセリフないわ」

 のぞみは台本をめくりながらいった。

「すみません」

 俺は謝った。

「あ、全然いいのよ。わたしお稽古なかなかこれないし。できるだけ顔をだすけど。逆にごめんなさいね」

「いいなあ」

 平嶋さんは、皆の顔を眺めながら、ぽつりといった。平嶋さんには、これる日に演出助手をしてもらうことになっていた。

 読み合わせが開始された。

 冒頭のマーシャとメドヴェージェンコだ。気合いの入っている和田に対して、裕子は動揺を隠せないまま、喋っている。キャスト変更をしたのは、どちらかといえば、裕子はマーシャのような湿ったタイプのほうが本人の思いとは裏腹にあっているのではないか、思ったからだった。

 全員役が決まったばかりで、なんとか自分との共通点を見いだそうとしているのか、緊張しながらの読み合わせとなった。

 稽古終わりに、美保子に声をかけられた。

「わたし、やれないです……」

 拓也の情操教育のためにここに参加しているのに、母親である自分がセリフの多い役を貰っても困るというのが本人の弁だった。拓也のことが心配だから、自分は出番の少ない役にしてもれないだろうか、という。

「読み合わせに参加していただいて、ぜひ駒場さんに出ていただきたいなと思ったんです」

 俺はいった。本気だった。これまでの読み合わせでも、拓也くんより美保子さんのほうがやる気満々なのだ。セリフを読んでいるあいだ、活き活きとしている。拓也の教育なんてきっと後付けで、自分が舞台をしたくてたまらないのだ。子供に自分のやりたいことをやらせたかったのかもしれない。

「お芝居がたのしいことを、親御さんの姿で見せてあげることが、いい方向に繋がるんじゃないでしょうか」

 さきほどの読み合わせで、拓也と久義が、お互い「せーのっ」といいながら、

「『若旦那、わっしらちょいと一浴びしてきます。』」

 という姿が、大人たちには微笑ましく映った。


「これから、って感じね」

 晴美は新宿に着いて、裕子と別れてからいった。

「まあな」

 キャスト発表を終えたことで、ひとつ肩の荷が降りたのは確かだった。とはいっても自分の演技含め、問題はこれから増える一方だろう。

「本田さんが気になるな」

「ふくれてさっさと帰っちゃったもんね。でも、シャムラーエフにぴったりだわ」

 俺たちは顔を見合わせて笑った。

「見たまんますぎて、面白くないけどね」

 晴美はいった。


 市民文化祭は、十一月の一ヶ月間実施される。参加団体の説明会に、俺と芳賀、晴美が参加することになった。

「お前らだけじゃむさ苦しいからな、晴美も連れていけ」

 と滝村先生が提案したのだ。晴美も滝村先生の命令とあらば、と意気込み、ばっちりメイクをしていた。さすが、化ける。

 十分前に余裕を持って到着したつもりが、会場となる市役所の会議室には、人が溢れんばかりだった。

「並んで座れませんねえ」

 もう一人分席が必要そうな身体の芳賀がいった。

「二つあいてるところに、座りなさいよ。後ろの席にわたし座るわ」

 さっさと晴美は席につき、ほら、ここ、と前の空いている席を指差した。俺と芳賀はそれに従った。

 会場は静かだった。誰も喋っていない。ただの説明会だろうに、真面目だなあ、と思いながらも、俺も黙っていた。

「先生、先生」

 声が聞こえた。どっかの団体が後からやってきて、席がなくて呼びあっているのだろう、と思ったら、

「境先生」

 とその声は俺の名を呼んだ。振り向くと、片岡さんだった。

「あれ、どうしたんですか」

 思わず立ち上がり、俺は遠くの席にいる片岡さんにいった。

「わたし、押し花サークル代表なんですよー」

 片岡さんの横にいる女性陣も立ち上がり、俺に挨拶をした。

「発表会良かったです。文化祭も楽しみ!」

 押し花サークルの皆さんが口々にいった。

「片岡さんにいい役つけてくださいね!」

「ちょっとやめてよ!」

 もう役は決まってるの! 手で口を隠しながら、片岡さんは恥ずかしそうにいった。

「ぜひまた観にきてください」

 俺は渾身の営業スマイルをした。

「さっそく客引きとは、軟派なのは劇団譲りなのかね」

 どこかで声がした。

 俺は声の主を探しそうと会場中を見回した。シャツの裾を晴美に引っ張られた。晴美が目配せする。その方向に、写真でしか見たことのない偉人がいた。

 柴崎耕作。俳優会の重鎮。受賞したことのない演劇賞を探す方が容易い。戦後演劇史に必ず登場する男。そして『アガタ』で実力の差を見せつけ、俺をこてんぱんにした男。想像以上に小さかった。左右にいる男たちが俺を蔑んだ目で見ていた。どちらかがさっきの言葉を吐いたのだろう。柴崎耕作はといえば、俺のことなど微塵も興味がないとでもいうように、ティッシュで鼻をかんだ。俺は頭を下げた。

「両隣にいるのが、うちの演劇センターを辞めた二人です」

 席に着くと芳賀が耳打ちした。

「なるほど」

「二人とも、自分の与えられた役にいつも不満だったんですよ。滝村先生もキャスティングについて多くを語らないし。だから自分たちで立ち上げたってわけです」

 俺は参加団体のページから、彼らの団体を見つけた。

 新おため市民演劇協会『かもめ』。うちと名前もそっくりだ。出演者のクレジットには、『(俳優会)』とついているメンバーばかり並んでいる。

「どういうことだ、これ」

「自分たちで立ち上げて、お偉いさんを連れてきたものの、使えないと思われたのか、メインは結局プロの役者ってことでしょうねえ」

 芳賀が肩をすくめる。

「スタッフも俳優会ばっかりだ」

 豪華すぎる。知っている名前ばかりだ。

「市民の参加費、全部俳優会に持っていかれて、あげく出られないって、どんな気持ちでしょうねえ」

 芳賀が俺に耳打ちした。この人、意外と黒いかもしれない。

 説明会は三十分ほどで終わった。一ヶ月間、様々な施設を安く解放し、市民サークルの発表の場をもうけること。ホールを使う、音楽、ダンス、演劇などはジャンルごとに賞を設ける。そして全ジャンル対象の、市長賞も決める。入賞したサークルは、来年度の公演の小屋代を補助する。以前に芳賀から訊いた説明と同じだった。市長の奥様がいま所属しているサークルが市長賞に輝く、との説明はなかったが。

 お開きになり、ぞろぞろと狭い会場から人々が出て行く。俺はジャケットの襟を正し、柴崎耕作のほうに出向いた。

「おため市民演劇センターで演出しています、境です」

 俺がいうと、柴崎耕作は、どうも、と口だけいった。

「同じ演目をやらせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いします」

 十年前の悲劇、ふたたびだ、と俺は思った。だが、十年前の俺じゃ、ない。

「滝村くんがやるとばかり思っていたんだけど、君、本当に劇団の演出部?」

 俺のことをまったく知らないらしい。十年前から変わっていなかった……むしろ退行している。

「下っ端です」

 そういうと、柴崎耕作の傍にいた男が鼻で笑った。

「お若いんですね」

 若くもねえぞこの野郎、と俺は思ったが、俺は作り笑顔を返した。

「先にこっちが『かもめ』をやるっていってたのに、後からそちらさんも『かもめ』って、悪意がありますね」

 もう一人の男がいった。

「そんなつもりは……」

 あるかもしれない。滝村先生の顔が浮かんだ。

「役者と演出が違えば、同じにはならないでしょう。同じ演目をやることが妨害なら、そもそもお家で文庫を読んでるほうがましじゃありませんか?」

 晴美が割ってはいってきた。

 いいこといった! と思いつつも、ここで喧嘩になるのはご免だ。

「おため市民演劇センターの篠原晴美です。すみません、なにか誤解されているみたいなので」

 まったくすみません、という態度でなく、晴美はいった。そして柴崎耕作と向き合った。

「お久しぶりです、柴崎先生」

「久しぶりだね」

 演劇史の偉人が晴美に笑顔を向けた。対等に会話をしている。

「君はいつも忙しいから、出てくれないかといわれても断わられていたけど、いまは暇なの?」

 こんなとこに出て、ということか。晴美は柴崎耕作と旧知の間柄とは知らなかった。

「お声をかけていただいたとき、地方公演で回っていることが多かったので……。その節は失礼しました」

 晴美が深々とお辞儀をした。

「もし良かったら、うちの芝居に出ないか。ニーナ役で」

 俺は仰天した。周りの嫌味な連中もびっくりしていた。

「先生、ニーナはうちの丸井さんが……」

「篠原くんのほうが僕のイメージするニーナにあっているんだけどねえ」

 大演出家が晴美に笑顔を向けた。晴美は一瞬止まり、そして笑顔になっていった。

「わたし、今回アルカージナをやります」

「ほう」

 そういって、柴崎耕作は俺と晴美を交互に眺めた。

「ぜひ観にきてください」

 晴美がいうと、わかりました、といって、柴崎耕作は去って行った。

「すごいですね、篠原さん」

 芳賀がいった。少々引き気味だ。

「昔、出ないかってお声がかかったとき、断わったの」

 晴美はさらりといった。本人からすれば自慢話でもなんでもないのだろうが、聞いたほうからすればおおごとだ。

「知らなかった」

 俺はいった。

「多分そのとき、先生お忙しかったんじゃないかしら?」

 素知らぬ顔で晴美はいった。多分俺たちが喧嘩でもして口をきかなかったときのことなんだろう。あるいは俺の、柴崎耕作へのトラウマを察したのかもしれない。

「柴崎さんにはわたしから招待状送っておきます。ぜひ観にきてください、って」

 くる、っていった以上きてもらわなくちゃ困るわ。いわないと忘れちゃいそうだし、あの人、と晴美はいった。

「でも、こっちも上演できるかどうかの瀬戸際なんだけどね」

 俺はため息を漏らした。晴美が俺の尻を思い切り叩いた。

 

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