第24話 アルカージナは

 俺と晴美は、裕子と帰りの電車で一緒になった。

「志村さんは、なんでまた市民劇団に参加しようと思ったの?」

 率直に俺は訊いた。晴美は黙っていた。

「ええ……」

 そういって裕子はちらりと晴美を眺めた。

「気にしないでいいわよ、わたし耳塞いでるから」

 手で耳を覆い、おどけた表情で晴美はいった。怖すぎる。

「わたし、いま頑張りどころなんで」

「だって研修、もうじき卒業公演だろ」

 俺は晴美を気にしながらいった。

 篠原さんはわからないと思うんですけど、と裕子は前置きをして話しだした。

「わたし、絶対劇団員になりたいんです。高校生のときに観たお芝居に感動して、絶対文伯座に入るって決めたんですよ。で、運良く研修科に上がれて、うまくいったら来年準座員なんです」

「そう」

 聞かない、といっておきながら、晴美は相づちをうっている。

「でも同期のコとか、すごく華があって、うまいコが多くって」

「でも君、『冬物語』出てたじゃない」

「えーっ、すごいわねえ、アレ出てたんだ。評判だったわねえ。わたし観に行こうかと思ってたのよ、行かなかったけど」

 晴美が大袈裟にいった。嫌味にもほどがある。

「まあ、はい」

 裕子が照れた。

「よくはわからないけど、期待されているんじゃない? 裕子ちゃん」

 晴美は親しげに、裕子を下の名前で呼んだ。口を軽くさせようという魂胆だ。

「井上先生に期待して頂いているんですけど、井上先生って、若いしあんま昇格とかの発言権ないんですよ」

 ここだけの話、といって裕子は口の前で人差し指を立てた。晴美はにこやかに頷く。俳優部の連中が考えそうなことである。劇団で生き残り、役を掴むというのは大変だ。かといって別に演出部だってそこまで考えちゃいないのに。使いやすい役者、も勿論いることは確かだが、キャスティングは演出が思うところのイメージに合うかが大きい。

「滝村先生に印象づけようと思って。わたし、滝村先生が演出された研修科の芝居、『冬物語』の稽古と被って出てなかったし、ここで頑張ってる感をアピっておこうと思って」

 内緒ですよ、マジで、と裕子は何度もいった。この舞台は、いちおう、俺が演出するんであってだな、と言葉が喉からでかかったが、止めた。確かに、裕子の考えも悪くない。なにせ、滝村先生に裕子は何一つ強い印象を与えていない。

「今回の『かもめ』と卒業公演で、使えるやつって思われたいんですよね」

「大変ねえ、劇団っていろいろあるのねえ」

 晴美はぬけぬけといった。どうせすぐばれるだろうに。去年までそこの劇団にいたというのに。裕子も裕子だ。晴美に気づけよ、と俺は思った。

 新宿で裕子と別れ、電車に乗った途端、晴美は大きなため息をついた。

「て、いうか、あのコが高校のときに観て感動したって芝居、わたし出てたんですけど」

 そこからか、と俺は来たるべきマシンガンの連射に撃ち殺されないよう身構えた。

「ま、感動してくれていたみたいじゃん」

「浅知恵とはいえ、やる気はあるみたいね。どこまで続くかわからないけど」

「この際、どんな目的でもいいよ。文化祭さえうまくいってくれれば」

 俺はいった。

「あの子が入った三年前から、わたしも劇団では舞台に立ってなかったんだな、って改めて気づいたわ」

「売れっ子だったからだろ、外部によく出てた」

「劇団にいることに固執する意味が感じられなくなったのよ」

 それは(元)彼氏が不甲斐ないせいだからか、と訊きたかった。

「わたしの問題だけどね。どっちかっていうと」

 まるで言い訳をするみたいに、晴美はいった。多分俺が変な顔をしていたからだろう。

「とにかく、駒場親子の息子はそもそも『かもめ』には振る役がないし、ていうか無理矢理連れてこられただけよね。家で好きなだけゲームをやらせてやりゃいいのに」

 稽古終わりに美保子さんに俺は呼び止められた。

「拓也をよろしくお願いします」

 美保子さんは深々と俺に頭を下げた。拓也くんはというと、そんな母親の姿を無表情で眺めていた。

「この子、すごく元気な子なんです。でも学校でちょっといろいろありまして……。先生のお力で、どうか……」

 どうか、立派な俳優にしてください。どうか、元の溌剌とした姿に戻してください。どっちだろうか。どっちにしても難問だ。俺は、子供とどう接したらいいのかわからない。

「あと本田さんって、なんか一目見てめんどくさそうなタイプだな、って思ったし。キャストも足りないけど、どうするつもり?」

 黙っていた俺に晴美が続ける。

 本田さんもかなり問題だった。凝り固まっていそうだ。読み合わせをしなくても、くせだらけなのは想像がつく。

「まず、芳賀さんに出てもらう」

 まだ打診していなかったが、今日の読み合わせに参加してもらったところ、セリフまわしに癖もなく、きちんとしていた。

「なるほど、いいと思う」

 晴美はいった。

「あとはどうするの。男が足りないよね」

「そうだなあ」

 正直そこが悩みの種だ。参加希望者を待っていたら遅い。

「キャスティングはどうするつもりなの」

「トレープレフは吉田でいく」

 ぶっ、と晴美は噴き出した。

「そうね、あの図体に似合わず文学青年だものね」

「アルカージナは晴美」

 晴美は真剣な表情となった。そして、ありがとうございます、といった。

「いまんとこそんだけ」

 俺はいった。

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