第23話 新メンバーと読み合わせ

「で、わたしはなにをやるわけ」

 晴美は待ってました、といった表情をしているので、一安心した。

「そりゃお前」

「ニーナか」

「なわけ……」

 言葉に詰まった。晴美は目を輝かせて、俺の次の言葉を待っていた。

「別にいいわよ。わたしの年じゃニーナ、ってわけにもいかないからね」

 と口ではいっているものの、残念そうである。いくつになっても女優は女優か。

「まだ滝村先生と相談中。演出はまかせる、なんていっておいて、なんだかんだいろいろ口出しするつもりみたいだ」

 俺はごまかした。

「当たり前でしょう。滝村先生にそこまで親身になってもらえるなんて、ありがたいじゃないの」

 晴美が承諾するのならば、晴美、麗奈、和田、三浦さんに吉田は決定だ。平嶋さんは日曜のクラスには出席してくれているけれど、平日の稽古に出ることは難しいだろう。片岡さんはちょい役ならば承諾してくれるかもしれない。そして志村裕子。彼女がなぜ出ても得にならない芝居に出る気になったのか。親子と男性の新メンバーはどうなのだろうか。

 

 稽古初日は日曜日の基礎クラスからだった。八月のあいだは、平日夜に週二回、徐々に回数を増やして、本番一ヶ月前から週四回おこなうことが決まった。晴美は六時に会社を終えてからの参加なので、七時には市民会館に来るという。

 顔合わせとなった八月最初の日曜日、早めに部屋に入ると、真夏だというのにダブルのスーツを着込み、山高帽を被った小太りの男がいた。

「はじめまして……」

 おそるおそる声をかけると、男が俺を見た。

「市民劇団の方ですか」

「はい」

「三十分前なのに誰もいなくてね、ずいぶんのんびりした劇団なんですね」

 柔らかい口調だが、確実に非難されている。

「すみません……」

 俺は謝り、距離を置いて座った。なんでこんな日に限って片岡さんがいてくれないんだ。頭を掻きながら、鞄から芳賀に事前に渡された名簿を出す。

「ええと、本田さんですか」

「はい」

 男は本田剛さん、四十二歳(厄年)だ。なぜか年齢の横に厄年、と書かれている。ユーモアのつもりなのか、注意しろということなのか。市内在住で、職業は俳優、とのこと。

「演出を担当します境です」

 俺が名乗ると、本田さんは嘘くさい媚びた笑顔を浮かべた。

「演出の先生ですか」

 先生、と見ず知らずの年上の男にいわれ、俺は緊張した。

「いえ、あ、はい」

 なんだかおろおろしてしまった。先生というよりは、これじゃ下手な役者だ。

「わたくし、おため市にですね、ぜひ貢献したいと思っておりまして、わたくしのような人間になにができるだろうか、と考え、やはり芝居でですね、文化を発信して……」

 スイッチが入ってしまったのか、本田さんがとくとくと語りだし、俺は相づちを返すことしかできなかった。誰か早く来てくれ、と俺は本田さんの話を聞き流しながら願った。

 本田さんはテレビドラマなどで活躍されている(と自分で「活躍」とまでいっているが、俺はこの人をテレビで見たことがない)そうで、生まれも育ちもこの街(であることに誇りを持っているの)だそうだ。忙しいながらも、演劇で街おこし(と市ではいっているらしい)ということで、舞台には出たことはないが、ニューヨークのアクターズスタジオのリー・ストラスバーグのメソッドを学んだことがある(そうである。本場で学んだわけではないであろう)とのこと。話の途中で片岡さんが入ってきたので、紹介して話を終わらそうとしたものの、今度は片岡さん相手に一からまた語りだす始末だった。

「全員揃ったときに、改めてお願いします」

 俺は本田さんを止めた。本田さんは最後まで話したそうだった。顔寄せの自己紹介は一人二分までよすることに決めた。

 メンバーが続々と集まりはじめた。小学生の男の子を連れた女が入ってきた。

「駒場美保子と申します」

 母親が挨拶をしたが、横の息子はずっとゲーム機から目を離さなかった。この親子、『みごとな女』を観にきていた、と俺は思い出した。芳賀のメモによるとお母さんの美保子さんは三十二歳、息子の拓也くんは七歳である。

「ほら、拓也」

 美保子さんが息子の肩を揺すると、男の子は一瞬あたりを見渡してから、無言で首を振った。挨拶のつもりらしい。

 始まる寸前に、晴美がやってきた。実は俺たちは一緒の電車に乗ってやってきたのだが、

「別々に行きましょう」

 と駅前で晴美が提案したのだった。

「どうでもいいんじゃないのそれ」

 市外から来ているのだ。偶然駅で会ったといえばいいだろう、と俺はいった。

「公私混同はいけないわ」

 あ、わたしたち、いまはもう付き合っているわけじゃないか。誰かさんの収入の問題で未だ同居しているわけだし、そこを勘づかれていちいち説明するのもいやじゃない、といって、反対側の出口に向かっていった。駅ビルを覗きたいだけだろうと思われる。

「どうぞよろしくお願いします」

 と晴美は相変わらず猫を被っている。稽古になると豹変するのが、男たちには魅力なのだろう。和田と三浦さんは晴美にでれでれだ。麗奈麗奈といっていたくせに、和田のやつ……誰でもいいのか。まあ面倒が起きなければいい。

 裕子は時間になっても現れなかった。

「あと一人くるはずなんですが、時間になったんで、はじめましょうか。今回から、十一月の文化祭に向けての稽古をはじめます。新しく入った皆さんもいるんで、それぞれ自己紹介をしましょうか。一人二分くらいで」

 とさりげなさを装い俺はいった。ちらりと本田さんを見て、みた。本田さんは下を向いて黙っていた。

 春から授業を受けているメンバー、そして晴美、片岡さんが挨拶をした。

「以前からここにはいたんですけど、休んでまして、先月からまた参加することになりました吉田です、よろしくお願いします」

 吉田が恥ずかしそうに自己紹介をした。

「それだけ?」

 麗奈がいった。

「それだけ、です」

 吉田はいった。

「じゃあ吉田さんの趣味はなんですか」

 麗奈が食い下がる。基礎トレーニングでも話題になった「趣味」を皆の前でいわせたいのだ。

「趣味は……、詩を書いてます」

 といった瞬間、吉田を知らない面々がびっくりして吉田を見た。麗奈はにやにやしている。

「え、詩って、あの詩」

 晴美が訊いた。

 吉田の体躯からは想像がつかない。

「はい、たぶん、その詩です」

「どんなの書いてるの?」

 晴美が年甲斐もなく甘えた声で吉田に訊ねる。絶対こいつ、馬鹿にしてるな、と俺は思った。あまりいじめないでやってくれ、ナイーブなんだから。

「じゃあ、好きな詩人とかいるんですか」

 平嶋さんまで調子に乗り出す。可愛がっている、と解釈しておこう。

「ええと……、谷川俊太郎さんとか」

 吉田のてっぺん。坊主頭から、顔、ださいジャージ姿と汚れたスニーカー。詩的要素は何一つ見当たらなかった。人というのは面白い。内側がどうなっているのかなんてわからないものだ。

 吉田の横にいた駒場親子の番になった。

「駒場です。息子の拓也が春まで、児童劇団に通っていたんですけど、見ているうちにわたしもしたくなっちゃって。こちらのお芝居を拝見させていただいて、これならわたしでもできるかな、って思えて、今日からよろしくお願いします」

 晴美と麗奈がむっとしているのを肌で感じ取った。「これならわたしでもできるかな」のところが地雷源なのだろう。はじめた当初は同じことをいっていたくせに、麗奈は露骨に腹を立てた顔をしていた。晴美は笑顔で頷いていた。そっちのほうが百倍怖い。

 拓也くんはやはりゲームから目を離さない。

「なんのゲームしてるの?」

 と晴美が優しく声をかけた、が確実に腹を立てている。

「妖怪ウォッチ」

 拓也くんが答えた。

「ちょっと妖怪お休みしない?」

「忙しいんで」

 拓也くんが素っ気ない返事をした。ぶち、と晴美の堪忍袋の緒が切れた音が聴こえた。幻聴で。

「そうかあ」

 晴美はいった。母である美保子さんは拓也くんを咎めるつもりはないらしい。

 あんな育て方をしていたら云々……。なんなのあの餓鬼は云々……。稽古終わりに晴美がいいそうなことが頭に浮かんだが、そんな恐ろしい未来に不安がっている場合ではない。

 駒場親子が席に座ると、本田さんが鼻をすすり、ん、ん、と喉を鳴らした。自己紹介が長くなったら止めなくては、と俺は身構える。

「わたくし、本田剛と……」

 本田さんが自己紹介しだしてすぐに、ドアが勢い良く開いた。

「すみません、特急乗ったと思ったら、快速でした」

 志村裕子だ。肩で息をしている。駅から市民会館、そして四階まで駆け上がってきた、といった風だ。

「なんかここ、不便ですよね、特急そんなないし」

 地元愛漲る本田さんの自己紹介を遮り、ぬけぬけと裕子はいいわけを始めた。

「あ、自己紹介中ですか? どうぞどうぞ」

 と裕子は雑に本田さんに勧め、空いている席に座る。

 テレビドラマだの地元愛だのリー・ストラスバーグだのと語ることなく、本田さんは不本意そうに短く自己紹介を終えた。

「志村裕子です。境先生と同じ劇団の研修生です。演技の勉強中です。六月のお芝居を観させていただいて、ぜひ境先生に稽古をつけていただきたくて、今回参加させていただきます。どうぞよろしくお願いします」

 裕子は深々と頭を下げた。絶対それ、嘘だろ、と俺は思ったが、黙っていた。

「これで全員揃いましたね。人数は足りないのですが、文化祭では皆さんに事前に台本のコピーをお渡ししておいた『かもめ』をすることになりました。今日のところは皆さん自由に読み合わせをしましょう」

 俺はいった。

「人が足りないので、芳賀さんと僕も、読みます」

 というと、芳賀が、わたしですか? と驚いて自分を指差した。

「お願いします」

 俺は頷いた。

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