第16話 気合

 三十分前、開場だ。四階なのに階段しかないことに文句を垂れながら、女子高生らしき集団がやってきた。麗奈の友達らしい。友達がきたことは、隣の部屋でもわかるだろう。緊張のピークかもしれない。

 誰の知り合いなのかはわからないが、小学生の男の子を連れたお母さんがやってきた。子供は、ゲーム機を離さず、ずっと画面から目を離さない。本番中はやめてくれるんだろうな、とガキに向けて念を送ったがまったく効いていない。

「あ、大道具さん!」

 と声をかけてきたのは志村裕子である。井上が呼んだのだ。

「今日はお手伝いですか?」

 と訊かれ、俺が困った顔をしていると、井上が割って入ってきた。

「境さんは大道具さんじゃなくって、僕の尊敬する先輩であり、演出家」

「ええ、まじっすか」

 大袈裟に謝る裕子を前にして、俺は緊張した。井上はともかく、血気盛んな研修生に、素人集団の芝居はどう目に映るのだろうか。

「勉強させてもらいます」

 裕子はかしこまった態度を作り、いった。それが怖いんだってば、と思った。

「人が集まってきたな」

 と、滝村先生が、のぞみと久義くんとを連れ立ってやってきた。裕子は緊張した顔で挨拶をした。

「ああ、観にきてくれたのか、ありがとうな」

 と滝村先生は裕子を軽くあしらい、席に座った。

「滝村先生もいらっしゃるなんて、本格的なんですね」

 裕子は滝村先生の背中を眺めながら、驚いていった。

「境先輩は滝村先生の愛弟子なんだよ」

 井上がそう説明すると、裕子は俺を上から下まで眺めた。

 平嶋さんが、おそるおそる入ってきた。

「ありがとうございます」

 俺は平嶋さんを笑顔で迎えた。

「本当にすみませんでした……。みんなのお芝居観たくて」

 下を向いたままの平嶋さんを、俺は席に誘う。

 楽屋の様子を見ようと部屋を出てみると、吉田が所在無さげに立っていた。

「これ、どんくらいで終わるんすか」

 挨拶もせず、吉田はいった。

「バイト抜けさせてもらったんで」

 一時間もかからないよ、と俺はいって、吉田を部屋へ招いた。入り口にいた芳賀が驚いた顔をした。

「ひさしぶりだね」

 芳賀がいうと、吉田は、首を少しだけ傾け、ども、といった。

 どんな確執があろうと関係ない。俺はただの雇われ演出家だ。そんなことは俺のいないところでやってくれれば良い。

 雨はやんだ。もしかしたら、終盤、と俺は心躍った。

 隣の部屋にいくと、ちょうど良かった、と三浦さんが俺を手招きした。

「円陣を組もうと話していたんですよ」

「早く早く」

 晴美が小声で俺を呼ぶ。俺も小さな円陣に加わった。

「せーの、セリフは大きく、はっきりと、楽しみましょうっ」

 三浦さんがいった。緊張しているようで、らしからぬうわずった勢いだ。

「セリフは大きくはっきりと、楽しみます」

 麗奈がいった。決意に燃えている。いい顔だ。

「セリフは大きくはっきりと、楽しめるかな……」

 不安げに和田はいった。

「セリフは大きくはっきりと、楽しんじゃいますっ」

 晴美が全員と目を合わせいった。一番芝居をしたいのは、こいつなんだ。

「セリフは大きくはっきりと……、『よし子様のお兄様がいらっしゃいましたけれど』」

 片岡さんが緊張丸出しでいった。

「せーのっ」

 おおっ! と俺以外の全員が大声を出した。

「隣にお客さんいるんだぞ」

 俺が小声で文句をたれる。

「気合いが伝わって、きっといい感じです、先生」

 晴美は小声でいった。

 

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