第15話 セリフは大きく、はっきりと!

 朝からあいにくの雨だった。夕景をバックに本番を行うはずだったが、さすがに天気までは演出できない。

 俺は劇団で黒布を借りた。濡らさないようにゴミ袋をかけた。リュックを背負い、大荷物を抱える俺の姿を見て、夜逃げでもするみたいね、と事務所のおばちゃんは笑った。

「綺麗に戻しますから、内緒で」

 俺はいった。音を立てないようにして事務所から出ると、奥にある階段のほうから、先輩? という声がした、面倒なのに見つかった。井上が駆け寄ってきた。お前研究生じゃないんだからうろうろしてんなよ。

「ん、もう出るとこ。じゃあな」

 さっさとずらかろう。

「僕もです、一緒に帰りましょう」

 これはまずいことになった。雨のなか、ゴミ袋を抱えながら井上と並んで歩いた。ご丁寧に井上が傘をさしてくれる。

「ところでザツグロ、何に使うんですか」

「いまから、市民劇団の発表会なんだよ」

 ええ! と井上は大声をあげた。俺はしっ! と人差し指を井上の唇の前にかざした。

「今から? 何時に、どこでですか」

 井上が質問を浴びせてきた。

「いや、市民会館って、よくあるだろ、公共施設。そこで、ちょっとね」

 なんとかはぐらかしたい。

「なんで教えてくれなかったんですか」

「そんなたいした……」

 たいしたもんじゃない、といいそうになって、俺は口をつぐんだ。たいした、みごとな芝居をいまからかますのだ。

「忙しいかなと思って」

 適当に俺はごまかした。

「僕もいっていいですか」

 来てほしくなかったが、いたしかたない。

「だったら舞台作るの手伝ってくれ」

 今日くらいは先輩風を吹かせても、罰はあたらないはずだ。

「じゃあ、若い子たちも呼びますよ」

「そこまで大袈裟には……」

 劇団員に見られるのはさすがに困る。俺の限りなくゼロの威厳が、余計下がるかもしれない。やっぱり、俺には自信が足りない。

「研修生の子でね、やる気のある子がいるんですけどね、その子に声かけて、来れる奴いたらくるように呼びかけますよ」

 井上はスマホをとりだした。

 ついに研修生に俺の素性がばれるのか。大道具のお兄さんから、演出家への華麗なる転身、となるだろうか。

 会館につき、教室に入ると、晴美がストレッチをしていた。

「晴美さん!」

 井上がいきなり笑顔になった。晴美はというと、どうも、とすました顔で会釈した。

「晴美さんも出るんですか」

「どうでしょうねえ」

 素っ気なく晴美はいった。

「うわあ、楽しみだなあ」

 井上らしからぬテンションだ。声がうわずっていた。

「悪いんだけど、そういうの終わってからにしてもらえない?」

 突き放した物言いだった。久しぶりの舞台で集中しようとしているんだろう。目がマジだ。全身殺気だっている。

 すみません、と井上は謝り、俺と一緒に舞台作りを始めた。

「なんで教えてくれなかったんですか」

 井上は手伝いながら俺にいった。

「楽しみだなあ、先輩の演出で、晴美さんが出るなんて、夫婦共作じゃないですか」

 俺は、しっ! と井上を睨む。俺と晴美のことは、この市民劇団では内緒なのだ。

「俺たちはもう付き合っていない」

 まわりを気にしながら、俺はいった。

「そうなんですか」

 井上は神妙な顔をした。。

「僕が知っている限りでも、百回以上やってますよね」

 そこまではやっていない。


 平嶋さん降板後の稽古で、俺は晴美を皆に紹介した。

「境さんにお話を伺って、ぜひ参加したいと思いました。どうぞよろしくお願いします」

 晴美は派手な顔をしているので、三浦さんと和田くんは、嬉しそうだった。麗奈は男たちの態度に少々不満げだった。

「真紀役で入っていただきます」

 俺はいった。

「平嶋さんは、どうしたんですか」

 気まずい質問をするのは、空気の読めない和田だ。

「しばらくお休みされるそうです」

 俺は答えた。

 全員が絶句した。晴美は完璧に演じきり、平嶋さんにつけていた動きまでやってのけたのだ。

「篠原さん、ここにいらっしゃる前に稽古されてたんですか」

 麗奈が訊いた。

「以前、やったことがあったんで、雰囲気はつかんでいたんです。境先生に、事前に教えていただいたので」

 晴美は謙遜した。稽古前日、恐ろしい形相で、俺がつけた動きに対してけちをつけ、納得のいく説明をしろと凄んだのだった。

「ここのシーン、こうしてみると面白いわね」

 などといって、別の所作をしてみせた。

「わあ、面白い、それ」

 麗奈の心をがっちり掴んだ晴美は、先生、どう思いますか、と俺に笑顔で訊ねた。

「いいんじゃないですかねえ、それ」

 と答える俺をみて晴美の口元が緩んだ。有無をいわさぬ雰囲気だ。晴美は全員の心を、登場して数十分で虜にしてしまったのだった。


「まあ、観てみてよ。面白いから」

 簡易の舞台セットが出来た。窓際に長机を二段にし、黒布で覆った。出入り口を作り、うまくいけば、西日の光がさっと射す、はずだったが、こればかりは致し方ない。

 隣の部屋を仕切るパネルを窓側一枚分外し、隣の部屋が楽屋代わりだ。

 井上も加わって、全員でピアノを四階まで運び込み、完成した。

 出演者たちが、出来上がった簡易舞台を観て、大はしゃぎした。

 そんななか、部屋の隅で暗い顔をしている人がいた。片岡さつきさんである。さつきさんは念仏のように同じ言葉をいい続けていた。

「あの方は……」

 井上が俺に耳打ちした。

「ん。あんまり気にしないでいて」

 俺はなんでもないように答えた。

 昨日、通し稽古を見学しに片岡さんがやってきた。皆さん立派ですねえ、なんていいながら、楽しそうに眺めていた。

「お茶どうぞ」

 そういって片岡さんは皆にお茶を淹れて振る舞ってくれた。

「お茶淹れるのがうまいんですねえ」

 感心した顔で、OLと女優の二足のわらじを履くこととなった晴美はいった。

「本番も飲みたいわ」

 麗奈たちも頷いた。

「いいですよ」

 片岡さんは嬉しそうに笑った。

「じゃ、女中さん役、決定ね」

 晴美はいった。全員が歓声をあげた。なにをいっているのかわからず、片岡さんは、え、なに、と慌てた。晴美が俺に目配せする。俺は咳払いをして、いった。

「舞台、出てください」

 片岡さんは絶句した。

 ちょっとしゃべるだけの役なのだが、片岡さんは心配でたまらないらしく、なにかあるたびに、セリフをぶつぶつしゃべっている。

 開演一時間前となった。

「では、よろしくお願いします」

 俺はいった。

「他にもっとなんかいってくれないんですか」

 麗奈がいった。

「えーと、じゃあ、セリフは大きく、はっきりといいましょう」

 そういうと、晴美が爆笑した。

「境先生、パクリはよくないですよ、パクリは」

「パクリなんですか」

 和田がすかさず訊いた。

「滝村先生のパクリです、それ」

 俺は頭を掻いて、そしていった。

「セリフは大きく、はっきりと、楽しみましょう」

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