第13話 市民劇団にいたひとびと

 平嶋さんが、授業を欠席した。芳賀のところにも、連絡はないらしい。真紀のセリフは、俺がかわりに口立てした。

「なんかおかしい」

 麗奈が笑う。

「声がいいですな」

 三浦さんにいわれ、俺は照れた。

「先生はなんで演出家になろうとしたんですか」

 麗奈に訊ねられ、どきりとした。正直に答えるのは憚られる。理由は、自分の演技は下手くそだったから、である。自分が演出に、ここまでのめり込むとは思わなかった。

「芝居に出るより、作る方が面白いんだよ、じつは」

 というのは、後付けの理由である。だが、本当ににその通りになった。いま、俺は楽しくて楽しくてしょうがない。

 全員息が合いはじめている。メンバーは年が離れているわりに仲が良い。信頼関係が芽生えてきたらしく、相手に安心して自分を委ねられるようになってきた。彼らは最初のころに比べ、大胆になりはじめていた。稽古を重ねれば、料金をとることのできる公演さえできそうだった。

 もしも本当に、文化祭で『血の婚礼』をするようならば、もっと人が必要だ。さて、どうするか。芳賀が『みごとな女』のちらしを作ってきた。文字だけのシンンプルなもので、色のついた紙にコピーしただけだが、渡されたとき、俺は胸躍った。

『演出・境隆司』

 と自分の名前が刷られているだけで、嬉しかった。研究所の自主公演から数えて、この『みごとな女』は三作目となる、俺の演出作品だ。

「先週から市民ホールに置いてもらっているんですけど、なくなっていたんで追加しました。無料だし、意外とお客さんがくるかもしれません」

 芳賀が汗を掻きながら、話した。

「これを見て、興味を持ってくれる人がいるといいんだけどなあ」

 俺がいうと、

「持たすんですよ、先生」

 と芳賀はいった。

 本番は、この市民文化会館の二部屋を借りる。部屋を仕切る壁は、取り外すせるので、ひとつ壁を外しておいて、隣の部屋を楽屋代わりにすることにした。

「劇団から黒布を持ってくるので、それで壁を作ります。真ん中奥に出入り口を作る。窓はあけっぱなし。夕方の開演だから、ちょうどよく夕陽が見えるようにします」

 俺は説明した。

「あの、あさ子のピアノはどうしましょう」

「市民文化会館の倉庫に、小さいピアノがあったので、それをここまで持ってきます」

「ここ四階なんですけど……」

 麗奈がいった。

「エレベーターないですけど……」

 和田も続いた。ピアノは、一階にある防音を施されている部屋でのみ、使用可能なのだ。

「みんなで持てば、大丈夫!」

 皆が、えー! と叫んだ。不平の声も息があっている。なかなかいい座組だ。

「力仕事はつきものですよ」

 ひるまず、俺はいった。

「照明はそのまま、部屋の蛍光灯を使います。そして、音響は、俺がパソコンとスピーカーを持ってくるんで」

「先生、車持ってるんですか」

 麗奈がいった。

「電車に乗ってきます」

「大丈夫ですか……」

「慣れてるから。大丈夫大丈夫」

 ちょうどここから近くの駅に、小道具をレンタルしている会社があり、荷物を運ぶのは慣れていた。本番直前に、新しく小道具が必要になる、なんてことはよくあることだった。

「テーブルと椅子は来週持ってきますんで、近所の芳賀に申し訳ないんですけど預かってもらいます」

「テーブルと椅子も電車……?」

「はい」

 全員俺を奇異の目で見たが、こんなこと、普通だ。

 結局、平嶋さんはやってこなかった。


 翌週、俺は茶色く塗っておいた材木をガムテープと縄でがんじがらめにして、持ってきた。

 ちょうど、押し花教室の片岡さんがいた。

「すごい荷物」

 せっかくなので、俺はチラシを渡した。

「わあ、絶対観に行きます」

 チラシを眺めながら、片岡さんはいった。珍しげにチラシを眺める片岡さんを見ているうちに、俺は思いついた。

「あのう、もしよかったら、手伝ってくれませんかね」

 どのくらいの人が来るかわからないし、人が足りないんです。スタッフは、僕とあと一人しかいないんで……、お金もないのでなにもお礼はできないんですが、と俺は説明した。

「いいですよ」

 俺の心配を、片岡さんは笑顔で打ち消してくれた。

「楽しいじゃないですか。それに、面白そうだし」

 俺は深く深く頭を下げた。

 しばらくして、芳賀がやってきた。

「本当に、持ってきたんですか、電車で」

「ちょっと待っててくださいね」

 俺はナグリと釘を鞄から取り出し、木材を組み立てた。

「すごい。まったくガタつかない」

 芳賀はテーブルと椅子に触れた。

「芳賀さんが座っても大丈夫ですよ、椅子」

 俺がいうと、芳賀はちょっと心外そうな顔をしつつも、おそるおそる座った。

「ほんとだ……」

「大工さんみたいですね」

 なにせこちとら、大道具作りを十年しているのだ。

 集まってきたメンバーは、テーブルと椅子を見て、驚いていた。

「このまま持ち帰るんですか?」

 麗奈が椅子に座り、テーブルに肘をついていった。

「いや、釘を抜いてばらばらにすればいいんだよ。稽古のたびに組み立てればいい」

「先生、家具も作れちゃうんじゃないですか。家とかも」

「できないよ」

 と俺は笑った。

 平嶋さんは今日もやってこない。俺は芳賀に、平嶋さんの電話番号を教えてもらった。本番まで一ヶ月を切ろうとしていた。

 さすがに申し訳ないので、俺は芳賀の家まで木材を半分持っていった。芳賀のマンションに、圧倒された。

「すごいですね……」

 玄関のセキュリティも万全。カードを通してドアが開くとそこはソファーがおかれている。奥にあるエレベーターの傍には、ばかでかい花瓶に生花が華やかに飾られていた。

「親がね、ちょっと」

 ちょっとどころではないだろうこれは。俺と晴美の暮らす部屋の数倍はある。ここに俺たちの荷物を全部持ってきても、まだがらがらだろう。

「お茶飲みますか」

 そういって広い部屋と彼の身体にふさわしい、大きな冷蔵庫を開けた。覗き見たると、食料が詰まっている。なにからなにまで、ため息をつくことすら忘れてしまうほどだ。

「そういえばお仕事、なにをやってらっしゃるんですか」

 俺はソファーに座った。ふかふかで、身体が底まで沈み込んでいく。麦茶をだされ、こりゃ極楽だ、と眠たくなった。

「なにもしてません」

 無職? フリーター? ニート? 親が金持ち? 俺は突っ込んで訊いていいか迷った。

「一度身体を壊しまして、仕事は辞めたんです」

 糖尿病? 高血圧? 太ったじゃなくて、壊した? やはりなにもいえなかった。

「学生のときに舞台をやってましてね、仕事がなくなって、ぼうっとしているときにちょうど市民劇団のチラシを見まして、参加しました」

「俳優さん、やってたんですか」

 俺はやっと、まともな質問が思い浮かんだ。

「学生の頃から五十キロ太ってしまってね、身体がついていかないんですよ。なんで、制作の手伝いをしはじめたんです。」

 五十キロって、人間一人ぶん増えているんだけど……。しかし倍になった体重への興味は置いておいて、俺は訊いた。

「他にも制作がいたんですか」

「新しい市民劇団作るのに、出て行っちゃいました。あれはこたえたなあ。僕が誘われなかったこともだけど。僕なんてなんの役にも立ってなかったのか、って。いっせいに示し合わせたみたいにやめちゃって。こんなことがあるんだなっていうか」

 滝村先生も新しい劇団でも演出を、と誘われたのだという。先生は断わった。

「なんでですか、って訊いたら『やってきたことを、なかったことにしてよそでまた始めるなんて、ファミコンみたいな感覚気にいらねえ』って。『ガキの喧嘩で辞めんな、思想の相違以外で辞めるなんて認めん』っていいました」

 結果、また劇団員は新しくなり、再スタートだが、これまでやってきた蓄積を消すのはしのびなかったんだろう、と芳賀は話した。

「一昨年まで、滝村先生と一緒に指導されてた、三笠さんというおじいさんがいたんですよ。病気を患っていらしたのに、元気に演出してました。奥さんが認知症で、部屋に一人にさせておけないから、って稽古に連れてきて、隣にちょこんて座らせておくんです。奥さん、ほとんどしゃべらないで、表情もないんだけど、でもたまに稽古していると、笑うときがあるんです。それがかわいくてねえ。若い頃は女優をされていたそうです。三笠先生が怒鳴ったりすると、奥さん、三笠さんの袖をひっぱったりするんです。で、二人で稽古が終わると手をつないで帰るんです、右手に杖持って、左手で奥さんの手を握って」

 俺は三笠という演出家を知らなかった。

「あの、基礎トレーニングのチラシの文章を書いたのが、三笠さんです」

 毎週日曜日、午後一時から五時まで。発声練習からはじまって、セリフを読み、自分と違う人物を演じてみることを体験してみませんか。年に一回、市民文化祭で発表会もしています。演劇で、人生を豊かに楽しみましょう。

「昔はね、いっぱいいたんですよ、参加者」

 芳賀は寂しそうな顔をした。

「三笠さんがいっていたんです。演劇は最高だって。芝居を観るのは楽しい。演技をすると自分を知ることができる。舞台に携わるということは、社会と関わることだ。演劇さえあれば、人生も、世の中も変えることができる、って」

 力強い言葉だった。俺もいつか、迷いなくそんなことがいえることができるだろうか。

「あの人、意地でも奥さんより長生きする、っていってたから、無念だったろうな、ってお亡くなりになったとき、思いました。お葬式のとき、三笠さんの杖を奥さんがずっと持っているんですよ。いつ三笠さんが、でかけるぞ、って声をかけてきてもいいように」

 いろんな老人たちが、この劇団の立ち上げ当初参加していた、という。彼らは作品を作りたいという野心を最後まで持っていた。市民劇団で、まともな俳優がほとんどいなかろうと、たいした舞台美術でなかろうと。

「境先生からすれば、こんなところで演出されるのは、プライドが許さないかもしれません。でも、どうかお願いします。僕もね、出来るだけ、いや出来る以上に頑張りますから、いま働いてないし、時間はあるんで」

 と芳賀は頭を下げた。この人はいくつなんだろうか、と思った。脂肪で肌が引っ張られているからか、皺一つない。俺より若いようにも年上のようにも見える、この肌つやのいい巨漢が、俺の前で身体を縮めていた。

「むしろ、呼んでいただいて、僕はありがたいです。秋の文化祭もあるし、よろしくお願いします。発表会成功させて、参加してくれる人を増やしましょう」

 俺はいった。

 マンションを出て、俺は駅に向かって歩いていた。商店街は閉まっており、明かりがあるのはファストフードとコンビニだけだった。

 コンビニに入ると、例の吉田がレジにいた。ふてくされた顔をしている。客におつりを渡すのがぞんざいで、客の若い男がてめえ嘗めてんのか、と怒鳴った。男は腹を立てて店から出て行った。俺はコーヒーをレジに持っていった。

「大変だね」

「どうすか劇団」

 ほぼ同時に俺たちはいった。

「いい感じだね」

「あんなんたいしたことないっすよ」

 また同時にいった。こいつ、人の話を聞く気がないな。これならいまの基礎クラスのメンバーの方がよっぽど人の話を聞いてしゃべってるぞ。俺はおつりを貰う。さきほどの失敗を気にして、ゆっくり吉田は俺に小銭を渡した。

「来月、芝居やるんだ、観においで」

 俺はリュックからチラシを出し、渡した。俺の後ろで、主婦が買い物かごをさげて順番を待っている。

「日曜はバイトあるんで」

 吉田はいった。断わる理由は別だろう。

「絶対に観にきてくれ、頼む! お客さんいないと寂しいから、吉田くん、サクラになってくれ」

 俺は大袈裟にいった。

「俺のこと知ってるんでしょ」

 吉田は俺の顔色を窺いながら、いった。

「知ってる」

「俺は嫌われてるから」

 イケメンがいえばさまになるが、吉田がいうとただのわがままにしか見えない。

「猫背になってるよ」

 俺はいった。吉田は困惑している様子だった。

 後ろの主婦が、あの、レジ、といった。

「絶対こいよ、たまには芝居観て息抜きしな」

 そういって俺は店を出た。

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