第12話 病院にて

 晴美に帰って報告すると、晴美はびっくりし、そして怒鳴りつけた。

「なんで病院にすぐ行かないの!」

「もう遅いから見舞いは明日にしようかなって」

 晴美に怒られ、劇団に連絡しなければいけないことを思い出した。

「まず行って、その目で先生を確認しなきゃだめでしょ!」

 ほんっとにぼーっとしてんだから! と晴美は目に涙まで浮かべて訴えた。

「明日会社休むわ、わたしも行く」

 こうしちゃいられない、と晴美は紙を取り出し、メモをしだした。

 晴美の取り乱しぶりを、ただ眺めていることしかできなかった。滝村先生の部屋のこと、そしてノートのことはいわなかった。

 楽屋裏は絶対に見てはいけない。俺は破った。

 次の日、晴美と連れ立って病院へ向かった。八人部屋の窓際のベッドで、滝村先生は眠っていた。

「おー、なにしにきた」

 滝村先生は、少しろれつがまわっていなかったが、晴美を見ると、手を伸ばし、晴美の手を握った。

「おひさしぶりです」

 晴美は目に涙を浮かべていた。死に際の対面じゃないんだから、と俺は思った。確かに滝村先生はいつもより弱々しく映ったが、目つきは鋭く、確かだった。

「すまないけどな、お茶買ってきてくれないか」

 と滝村先生はいい、はい、と晴美は病室から出て行った。

「あいつ帰ってくるまでに、これ、処分してきてくれや」

 と指をさしたベッドの下に、しびんがあった。

「晴美にこんなもん見せられねえ」

 俺は笑った。やっぱり滝村先生は最高にかっこいい。というか、こんなになってもそういうことを気にしてやがる。

「はいはい」

 俺は部屋を出た。これ、便所に流せばいいんだろうか、とうろうろしていたら、通りかかった看護婦さんに声をかけられ、しびんを渡した。

 病室に戻ると、晴美と滝村先生は手を握り合って談笑していた。滝村先生は、

「おい、もう少ししてから来いよ、せっかく晴美といちゃついてたのによ」

 と俺にいった。

「すみません」

 と俺は素直に謝った。滝村先生には絶対服従なのだ。劇団には連絡をしておいた、と俺はいった。滝村先生は、それには感心もなさそうに頷く。

「さすがだな、晴美。俺の気に入りのお茶をわかってる」

 滝村先生はペットボトルをかざしながらいった。

「わたしが買ってくるものは、みんな気に入ってくれるんでしょ」

 なんだかなあ、とふたりのやり取りを俺はぼうっと見ているだけだった。

「しばらくは安静だな。ガキどもをしつけてたら、血圧があがってまた倒れちまうから」

 劇団養成所の授業のことらしい。

「そんなこといわないでよ、先生」

 甘えた声で晴美がいう。親子、というよりこれでは恋人同士だ。

「まあしょうがねえや。おい、境、あれどうした、あれ」

「あれ、ですか?」

「演劇センター」

 俺は、いまみんなで発表会をしようとしている、と報告した。メンバーはやる気があり、回を追うごとに良くなっている、と。

「そうかそうか」

 滝村先生は少し首を動かした。

「お前、市民文化祭もそのままやれや」

 滝村先生は、晴美が買ってきたペットボトルの緑茶を一口飲んでいった。

「難解なのはやめとけ、お前頭でっかちで小難しいのやりたがるけどな、一応文化祭だから、暇な主婦が教養付けに、なんてのこのこやってきそうなやつを選べよ」

 あいかわらずな口の悪さだ。そんなことよりも、俺は呆気にとられ、どうしたらいいのかわからなくなってしまい、黙った。

「あれやりなよ、やりたがってたじゃない『血の婚礼』」

 晴美がいった。

「ちょっと待てよ、そんな……」

 俺が慌てていると、

「ロルカか……、まあいいんじゃねえか」

 と滝村先生が晴美に頷いた。さっき小難しいのやるな、といった口でなにをいう。俺がいったら絶対に怒るくせに、晴美の提案となればこれだ。

「おじいちゃん、元気?」

 そういって、のぞみが花を持って、小さい男の子を連れてやってきた。

「今日はにぎやかだな、おい」

 滝村先生が笑ってふたりを迎えた。

「久義、ちょっと待っててね、花活けてくるから」

 のぞみが出て行った。

「ひさよしくん……」

 晴美は男の子を覗き込んだ。滝村久博……久義?

「俺の子だ」

 滝村先生がさらりといった。

「ええっ!」

 俺と晴美は驚いて声を張り上げた。周りのベッドから、騒々しさに対する抗議の咳払いが起きた。

「嘘だ。信じるなよ。のぞみはな、俺の最後の恋人だな」

 と滝村先生は格好つけていった。本気なのか冗談なのかわからなかった。

「晴美とのぞみ、今の女と昔の女がはちあわせるなんて、ぞくぞくするねえ」

 滝村先生は笑いをこらえている。

 久義くんはというと、ちょこんと椅子に座って、大人たちが騒いでいるのを楽しそうに眺めていた。

「この子にな、菓子を食わせてやりたくて意地になって家まで帰ったんだがな、渡したら力尽きた」

 東京ばな奈のことだろう。空港で買ったと思われる。

「中国はな、良かったぞ。懐かしいやつにも会えた」

 滝村先生はいった。その目の先に、大陸をみていた。

「もう最後かもしれないからな」

「そんなこと……いわないでよ」

 晴美が先生の手をさする。

「おい、これに電話番号入れてくれ」

 と滝村先生は俺に携帯電話を渡した。

「電源を切るな、って息子にいわれちまった。だったら最新のやつに換えろ、っていったんだがな、若い奴らが持ってる板みたいな電話にしてくれ、って」

 スマホのことらしい。俺が携帯電話に自分の番号を入力していると、

「死んだら持ってたって電話できねえよなあ」

 滝村先生は苦笑いした。

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