第7話 ナルシスト野郎

 帰りに駅前のコンビニに入り、缶コーヒーを買った。坊主頭の店員が俺をじろじろと眺めている。俺は怪訝な顔で店員を見返した。

「演劇センターの人ですか」 

 店員は俺に釣りを渡し、いった。

「大変でしょ、あそこ」

「なんで演劇センターってわかったんですか」

 不気味だったので、思わず敬語で話した。能天気な音楽が店内ではかかっている。蛍光灯の明かりが、不穏だ。店には数人の客がいた。

「ま、いろいろね」

 店員は曖昧に答え、薄気味悪く笑った。なんだお前、といい返そうとしたとき、俺の後ろに人が並んだので、諦め、そのまま店を出た。

「なんだあいつ」

 態度の悪い店員なんて腐る程いるが、あんな目で見られるのは初めてのことだった。缶コーヒーをあけ、一口飲んだ。

 駅のホームで電車を待っているとき、気づいた。あいつはトラブルメーカーでナルシスト野郎の吉田だ。髪の毛を剃っているから気づかなかった。

 俺のことを、演劇センターのホームページででも見たのかもしれない。芳賀が懸命に毎週更新しており、先日も、「もっと自然に笑ってください」と写真を撮られたばかりだった。

 グループで傲慢な態度をとり、皆にけむたがられた男。陰険な顔つきだった。いまはなにもしていないのだろうか。短いあいだだったが、実際に会ってみると、いけすかないというよりは気味が悪い。

 あんな小さな集まりでも、人間関係でつまづいてしまう。

 自分と重ね合わせるほどには好感を持てないのに、電車に乗っているあいだ、ずっと吉田の目が頭から離れなかった。


 翌週、吉田と会ったことを話すと、芳賀は顔をしかめた。

「駅前のコンビニでレジしてました」

「また仕事変えたのか」

 吉田は去年までスーパーで働いていたという。市民劇団の活動にのめり込み、会社勤めをしていたが、定時に仕事を終えることができず、稽古に参加できないからといって、会社を辞めてしまい、バイトを転々としていたそうだ。

「そんなにやる気あったんですか」

 俺は半分呆れながらも感心した。このご時世で会社を辞めるなんて、もったいない。

「学生時代からやってたらしいんですが。やる気は人一倍ありましたよ。でも市民劇団だしねえ。いろんな人がいて、よくぶつかり合ってました。女の子を泣かせたりね」

 映像で観た限り、たいした演技でもなかった。けれど、そんな話を聞いてしまっては、悪い奴とも思えなかった。

「まあ、いなくなっちゃった人ですから」

 何気ない一言に、俺はひっかかった。辞めてしまえば、そこで終わり。勿論そうなのだけれど、自分もまた、辞めてしまえばそういわれてしまう。人ごととは思えなかった。

 稽古終わりに、キャスティングを発表した。

 主人公、二十四歳のあさ子は麗奈だ。

「うえー、やっぱり」

 ババアな役、とでも思っているのかもしれない。そもそも登場人物に君の年頃の役があったかい、とマジレスするのもなんなので、配役発表を続けた。

 あさ子の母、真紀、四十七歳は、平嶋さん。

「わたしと名前が一緒」

 と平嶋さんはいった。気に入っているらしい。

 あさ子に片思いをしている収、二十三歳は和田。

 特になにもいわず、和田は神妙な顔で頷く。

 あさ子の見合い相手、弘、三十三歳に三浦さん。

「三十年下だ」

 三浦さんはまんざらでもなさそうな顔をした。

「女中さんはどうするんですか」

 麗奈が訊いた。一瞬だけ出てくる、家の女中がいる。

「これは、声だけで処理しようかな、って思ってます」

 俺はいった。

「来週から立ち稽古しますんで、そのつもりでいてください」

「台本持ってもいいですか」

 麗奈が訊いた。

「できるだけ持たないようにして。台本あると思うと安心してなかなか覚えられないから」

 嘗めてんじゃねえぞ、と喉からでかかった。なにせ始めたばかりだ。不安も多いだろう。

「覚えるこつ、とかないんですかねえ」

 和田が不安げに訊いた。

「人それぞれ、いろんなやり方があるから、次の稽古まで試してみてください。書いて覚えるとか、レコーダーに吹き込んでずっと聴く、みたいな人もいますけど。いろいろ試してみて」

 和田の困った顔はほぐれなかった。わからなくもない。こんな回答は求めていないのだろう。しかし誰にでも通用する方法なんてない。

 三浦さんはにやついている。台本を貰った当初は自分がやれる役がない、といって嘆いていたくせに大したもんだ。若い男を演じることが嬉しいのかもしれない。

 平嶋さんは、真剣な表情で台本を眺めていた。

 メジャーで部屋の寸法を測り、セットを考えなくてはならない。簡素な洋間という設定だ。完璧に作ることなどできやしない。出はけの入り口を作り、黒布で覆うしかない。

 部屋の奥の窓から見渡せる夕暮れの市街は、しんみりとさせられる。点々とつきはじめた街灯は、まだ所在無さげで、光はまだ、夕陽に気を使っているみたいだ。

 この景色をバックに芝居を上演するのは、素敵な気がした。

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