第3話 市民ホール

 次の週、市民文化会館へ向かう途中にある、おため市民ホールに入った。

 掲示板によると、民謡グループの発表会と落語の催しが近々あるらしい。

 あまりの広さに怖じ気づき、ギャラリーがあるのをみつけ駆け込んでしまった。市民有志による絵画展示をしていた。だいたいが風景画だった。おため市ののどかな風景が描かれている。どれもうまく描けていたが、とくにすばらしいとも思えなかった。絵心のない俺でも、それくらいのことはわかる。上手な絵と感動する絵の違いはなんなんだろうか、と別に深く追求するわけでもなく、俺は考えた。

「いかがですか?」

 声がして振りむくと、ピンクの派手なスーツを着たおばさんが立っていた。スーツが強烈すぎて、顔がまったく印象に残らなさそうだ。どうやら絵の前で考え事をしていたのを、真剣に鑑賞していると思ったらしい。

「ああ、そうですね……」

 俺は改めて目の前に飾ってある絵を眺めた。その絵は会場のなかで異質だった。かわいらしい天使が二人、楽しそうに空を飛んでいる。よくいえば、幻想的。ざっくりいったら、ファンシー。思わず他の飾られている作品を見回してしまった。なんだかこの作品だけ、空気感が違う。空気が読めていない、ともいえる。

「観ていて、なんだかほっとします」

 こんなに無邪気に楽しめた頃に戻りたい。

「作者は、大人のなかの子供、をイメージしたみたいですよ」

 おばさんはいった。どうとでもいえるよなあ、と俺は心のなかで思った。

 俺は他の絵を眺めるふりをしながら、ギャラリーを出た。

 ホールは二階にある。都心の劇場よりもでかく、見栄えに金がかかっている。エスカレーターが稼働しているので、上がってみた。途中で振り返り、一階を見下ろした。休日だというのに、人はまばらだった。駅前の混雑とは大違いだ。

「もったいないな」

 呟いたときに二階についてしまい、足がつんのめった。

 劇場は日曜日だというのになにも催しがないらしく、閉まっていた。入り口そばにあるラックに入っていたチラシによると、民謡、落語、一昔はやった歌手のコンサートなどしているらしい。一日いくらで借りることができるのだろうか。市民に開放されている公共施設だ。下北沢あたりの小劇場よりも格段に安いだろう。

 この町は都心への通勤も楽で、住むのに人気だ。たしか何人か、舞台仲間も近所に住んでいるはずだった。


 俺がDVDを観て思った疑問は解けた。芳賀以外、去年まで活動していたメンバーは全員辞めてしまっていた。もめ事があったに決まっているが、理由を訊ねた。

「去年の発表会で、風の又三郎の役をやっていた男いたでしょう」

 覚えている。たいしてうまくもない、それっぽい方言でぼそぼそしゃべっていた男だった。白々しく、酔った演技をしている男で、鼻持ちならない雰囲気を醸していた。別に男前でもない。よくいるナルシストに見えた。

「彼、吉田伸くんっていって、メンバーといつもいがみ合っていたんですよ。で、あの公演でメンバー全員辞めちゃったんです」

 芳賀は思い出して手に汗握ってきたらしく、顔が紅潮しだした。「その直後に吉田くんもやめちゃってね」

 自分は劇団の制作をつとめているし、なんとか周りをなだめ、考え直してくれるよう説得した。だが皆の怒りはおさまらず、新団体を作る、と去っていった。タオルで汗を拭きながら、芳賀は語った。

「では当時の皆さんはいま、新しい団体で活動しているんですか」

「噂によれば、今年の文化祭で旗揚げ公演をするそうです」

 なんでも市内在住の演出家に頼むそうだ。

「誰ですか、その人」

「柴崎耕作です」

 その名前を聞いたとき、びっくりしてしまい、マジで? と素っ頓狂な声をあげてしまった。俺にとって、もっとも聞きたくない名前だった。

「俳優会の……超有名人じゃないですか」

 俳優会はうちの劇団のライバル的存在だ。しかも俳優会のなかでも最長老の大演出家である柴崎耕作。滝村先生の天敵でもある。ことあるごとに、柴崎の野郎の演出はつまらねえ、と飲み会のたびに滝村先生はくだを巻いていた。「俳優会の養成所出たっていうやつがうちの入所試験にきたら、演技観る前に落とす」とまでいっていた。

 滝村久博と、柴崎耕作。ネームバリューでは確実に柴崎のほうに軍配があがる。滝村先生は劇団の公演からは退き、ここ十数年、養成所の発表会の演出をしているだけだ。

「柴崎さんって、俳優会でいまも公演やってますよね。なんでまた」

 市民劇団の演出なんてつまんないことを、と悪いが思った。

「地元の名士ですからね。暇なときにきて、ちょっと指導すればいいとでも思ってるんじゃないですか」

「それにしても、よくそんな情報知ってるんですね。まだ四月で、秋の文化祭までまだ時間があるでしょう」

 芳賀の事情通ぶりに驚く。

「いや、検索すりゃ一発ですよ。みんなツイッターとかブログでぺらぺら情報漏洩してますから」

 僕、エゴサーチが趣味なんで、情報収集得意なんで、と芳賀は誇らしげにいった。

 それはそれで、怖い。

 いまこの市民劇団には、芳賀と、基礎コースにいる四人のみ。メンバーは、今年になって市民ホールの掲示板などで呼びかけて集まり、舞台経験は全員まったくなし。

「滝村先生と文化祭はなにを上演する、とか話をされているんですか」

 ここに来る前に確認したところによると、あの豪華なホールのキャパは約五百人だった。はじめたばかりのメンバー四人でなにを上演するつもりなのか。

「滝村先生が旅行から帰ってらしてからすすめる予定です」

「旅行?」

 初耳だった。初回のレッスンを終えてから、いくら電話しても繋がらないわけだ。

「ええ、中国のほうに」

 旅行のことなど、まったく聞いていなかった。

「先生、休憩終わりましたよ」

 ジャージ姿の麗奈が教室のドアから顔を覗かせていった。

「ともかく、基礎コースお願いします」

 芳賀は顔の前で手を合わせた。

 授業の前半は、発声練習と滑舌の訓練をした。あめんぼあかいな……と声を出させると、麗奈は『ガラスの仮面』みたいだ、と喜んだ。

 主婦の平嶋真紀さんは、大きな声を出すのが苦手だ。無理せずゆっくりやればいい、気楽に大きな声をだせるようになる、と励ました。結婚したばかりで、いずれ生まれる子供に絵本の読み聞かせをしたいので入ったという。

 定年を迎え、趣味作りに参加している三浦正さんは、声に威厳が満ちている。見た目も落ち着いており、社会経験の足りない俳優には出せない貫禄がある。

 和田博文という三十過ぎの男は、なんでこの講座を受けたのかさっぱりわからない。理由を聞いてもはぐらかす。姿勢は悪く、猫背だ。発声練習をしているうちにどんどん頭が前傾していく。

「まず、きちんと立ちましょう」

 俺は和田の後ろにまわり、腰に手をあてながら、発声させた。

 基礎コースのメンバーは、こんなことでも面白いのか、楽しそうにやってくれる。少しは俺も講師としてやれているのではないか、と胸をなでおろす。

 休憩のあとに、コピーしておいた台本を渡した。

「なんかだっさいタイトル」

 麗奈は渡した台本に不満げだ。古めかしくてまったく興味を持てないのだろう。それにしてもださいとは何様だ、と思いつつ、俺はそうだよね、とにこやかに説明する。森本薫の『みごとな女』、一幕ものだ。皆と距離のある作品を選んだ。むやみに近いものよりも、想像力を駆使することができるはず、というねらいがあった。

「母親と娘、娘の幼なじみの男と、娘と結婚したいと思っている男の話です。短い時間のなかで、娘は恋をして、幼なじみの男が失恋します。じっくり読むと面白い話だよ」

 まずはセリフをあんまり深く考えずに読みましょう、と俺はいった。生徒たちは全員、変な顔をしている。

「自分のできる役がないですね……」

 三浦さんがつぶやく。登場する二人の男は二十三歳と三十三歳。三浦さんからすれば息子どころか孫の年齢に近い。

「森本薫は、『女の一生』って芝居が有名ですが、これ、主人公が少女からおばあさんになるまでの一代記なんですよ。で、主演の杉村春子は、ずっと主人公を演じていたわけですが、年寄りになっても娘役をやるわけですよ、キャ、とかいって」

 一同に笑いが漏れた。

「おかしいですよね、ばあさんが小娘の役とか。でもね、いい年の杉村春子が少女の演技をやってもね、違和感ないんですよ。演劇にとって実年齢はね、あんまり関係がないです。むしろ年をとればとるほど、やれる役の幅が広がる、と思ってください」

 俺が芝居をはじめた頃には杉村春子は亡くなっていたし、映像で観ただけだったが、さも知っている、というふうに俺はぺらぺらしゃべった。

「では、読み合わせしましょうか。この説明の部分、ト書きは僕が読みます」

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