最早届かない過去と熱量
「申し訳ないが、この辺りで妙な女性を見かけなかったか。チシャ猫に悪意を三割くらい足したような笑い方をする、珈琲にミルクを四つ入れるような女なんだが」
そのいやに目付きが悪く、しかし
嘘をついても仕方ないので、そのまま例の彼女のことを伝えた。おそらく貴方らしき男性を捜し回っていたこと。数日このアパートの一室で寝起きし、出掛けては貴方を探していたこと。つい三日程前に、街の西側にある工業地帯に向かってここを発ったことなど。
彼は黙って、砂糖をたっぷり(それでも少し顔をしかめていたから、彼としては一応遠慮はしていたのかもしれない)入れた珈琲を啜りながら話を聴いていたーーー珈琲が出せたのは、それこそ例の女性のおかげである。彼女が彼を捜して出掛けていたうちに、どこかで採集してきてくれたものだ。
「……それは、どうも。あいつが世話になったようで、申し訳ない。それにあいつの行先まで教えてくれて、非常に助かります」
「いえ、いいんですよ。こんな御時世なんですから助け合わないとーーーいや、こんな御時世になってようやく、助け合うことが出来るんですから」
彼女はそういって旨そうに珈琲を飲んだ。基本的に僕は口下手なので、接客は彼女に任せることになる。情けないことに。
しかし、と思う。
目の前の男性は、果たしてどういった人間なのだろうーーーそして彼を捜していた、あの女性も。この最早亡んだ世界で旅をする、この二人はいったい。
いったいどれだけの希望を。
「……失礼ですが、御二人はどうして旅をしているんですか?こんな世界で、どうしてわざわざ」
気がつけば疑問がそのまま、なんの捻りもなく口から出ていた。これだから口下手などと彼女に笑われるのだ、僕は。それでも、彼等が何なのかは知りたいとは思う。
死んだ世界で生きる男女。
死に損なった僕等と生きてゆく彼等。
僕等と似たり寄ったりの二人の、はじまりとーーー目指す結末を、知りたいと思ってしまったから。
彼女も男性も、突然口を開いた僕を少しきょとんとしている表情のままに見つめている。しばらくの気まずい沈黙のあとで、眉間に皺を寄せながら彼は答えた。
「考えてみたんだがーーーいや、自分でもどうしてか分からないんだ。強いていうなら、あいつが旅をして、世界がこうなる前にはできなかったことをしたいと言ったから、ってことになるんだが。いや、それでもわざわざどうして俺は付き合ってやってるんだろう?」
そう、自嘲気味に笑った。
「なんだろうな、俺とあいつは、いわゆる腐れ縁というやつでな。おそらくはあんたたち二人も似たようなもんなんだろ」
「えぇ、そう……ですね」
「だろうな。こんな世界で一緒に生きている奴同士なんてたいがいはそうだろうーーーだが、まぁ、俺たちの関係に比べれば余程健全で、
だから、まぁ。そのよしみで。
「いつか世界が終わるまでくらいは、一緒にいてやろうと思ってな」
*
そうして、彼は去って行った。「あいつが世話になった礼に」と、いくらかの資源を置いて。
「そうだ、しばらくはよく夜空を見ているといいーーー俺とあいつが合流したら、礼も兼ねてあんたたちに知らせてやるから。あいつの奇特さもついでにな」
なんて不思議な台詞を残して。
そしてーーー僕は見た。おそらくは彼女も見ただろう。
別れ際にひらひらと振った彼の右手、その指先が、月の光に透けているのを。
「それでも生きていくんだろうね、彼は。彼女と共にいるために」
彼の背中を見送りながら、彼女はぽつりと淋しそうに言って、僕の左手にその右手を滑り込ませた。
僕は何も出来ず、何も言えず、ただその手を握り返す。彼女も握り返してくる。
指先の肉のやわらかさを、血のめぐりを。互いに置いて逝かれないかを確認し合う、寂しくて不毛な行為。
それでもそうせずにはいられない。僕等はどう足掻こうとーーーたとえ今の関係を何千回と生まれ変わって繰り返したとしても、彼等のようにはなれないだろう。
彼等は死ぬまでふたりで生きていたくて。
僕等は死に損なったから、ふたりで生きているだけなのだから。
*
ところで、彼が去り際に残した意味深長な言葉の真意を僕等が知るのは、それからさらに三後のことになる。つまりは彼が亡霊アパートを去って行った三日後には、あのふたりは無事に再会出来たということなのだろう。
パン、という大きな音がして、ベッドに入っていた僕等は飛び起きたのだった。
「……銃声?」
つい意識が箪笥の上の包みーーー拳銃の方に行ってしまう。かつての暴動と略奪の再来とでもいうなら、それなりの抵抗はしなければならないだろう。
ところが彼女は違った。
僕が止める間もなく、するりと音のした方のカーテンを開けーーーおそらくはいつもの、なんの救いもない白い世界を見て。
笑った。
「……は、はは。っははは!成程、流石はあの
そう彼女が言っている間にも、続々と破裂音は聴こえてくるーーー奇妙な口笛のような音も。そしてカーテンの取り払われた窓からは、なんらかの炸裂光が真白な地平に反射していた。
「……花火、か」
夜空に咲く熱と光は、白い砂漠の一粒一粒にその姿を映すように煌めいていた。工業地帯には確かに花火工場もあったように思うが、射出に必要な機材までは揃っていないはずだーーーおそらくはこれこそがあの女性の「世界がこうなる前はできなかった」やりたいことで、彼の大荷物のなかに必要な一式が入っていたに違いない。
「……なんだか上位互換を見せつけられた感じがするなぁ」
拗ねた子どもみたいなことをいう僕に、彼女は笑って言った。
「私たちと同族にしちゃ、あのふたりに失礼だよーーー私も比べる気はないけれど」
綺麗だね、と彼女は笑った。
ほんとうに、と僕は答えた。
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