第2話天の楽園?

 人が死んだ後、その魂は天に浮かぶ楽園へと運ばれる。

 そこに住まう神の下、争いのない完全な世界で終わりのない時を過ごす__


 母の入信していた宗教の教えが頭に浮かぶ。

 物心ついた時から聞かされ続けたその教えだが、正直なところ微塵たりとも信じていなかった。

 しかし、毎日律儀に祭壇の前で祈る母を、馬鹿らしいと一蹴することはできなかった。


 __何でこんなこと思い出すんだろ……

 __そうだ……俺、邪竜と戦って、それで……

 __……死んだんだ。


 まさしく恐怖と死、そして悪を体現したような存在の邪竜。

 その顎門が開くと同時に放たれた、眩くも全てを呑み込む暗闇の息吹。

 満身創痍の仲間を背後に、引くに引けぬ状況。

 死を覚悟し、愛用していた巨大な盾を荒れ果てた地に突き立て……

 そこからの記憶が曖昧だ。唯一浮かぶのは自身が慕っていた少女の泣き顔。

 自分は死んだのだ。

 受け入れるまで時間はそれほどかからなかった。

 そうだとすれば、


「ここは母さんの言ってた天の楽園か?」


 声が出る。

 体が死んだのであれば、魂だけの幽体のはずだが……そこら辺の原理はイマイチ分からない。生前も魔法は多く目にしてきたが、そこまで詳しくない。

 分からないことは置いておくとして、声が出るということは__


「天は随分と薄暗いんだな……」


 目を見開いた先は、天の楽園と呼ぶにしてはあまりに薄暗く、小汚かった。

 石畳とは異なる硬い材質の地面に臥していた青年__シギア・ガルディーはその身を起こす。

 左右を天に伸びる壁に挟まれたシギアは改めて周囲を見回す。

 太陽も月も見えない狭小な空は遠く、硬質な檻にでも閉じ込められた気分だ。

 道の脇には白い不透明な……


「何だこれ?」


 カサカサと薄っぺらい布? とも異なる謎の包み__と言うよりは口を締める紐のない袋を掴み上げる。

 見たことのない不思議な袋の中には、これまた訳の分からない透明で光沢のあるものが入っている。

 微かに漂う奇妙な香りに顔を顰めるシギア。

 今更だが、毒物である可能性が頭に浮かぶ。

 しかし、ここは天の楽園……死者の世界に毒なんてあるのか?


「訳が分からなくなってきた……」


 彼が母から聞いていた死後の世界とはあまりに様相が合わない。

 そもそも、死後の世界を見た者が生ける者にその光景を伝える手段など……


「あっ、降霊術とかあったな」


 あった。

 とはいえ、シギアの知る伝聞とは違いすぎる。

 白い袋を片手に立ち尽くす。


『どうかなさいましたか?』

「うぉああ!」


 優しく、それでいて澄んだ女性の声。

 唐突にかけられたその言葉に、情けない声をあげながら飛び退く。

 五メートル後方へとひとっ飛びしたシギアは、すぐさま身構える。

 いくら物思いに耽っていたとは言え、側まで近付かれて気が付かないほど不用心ではない。まして、仲間と旅をし、戦いを数多く経験してきたシギアは無意識のうちでも、人の生き物の気配を察知する程度の癖はついていた。

 しかし、彼の視線の先__そこに佇む女性はそんな警戒網を潜り抜けて来た。


『どうかなさいましたか?』


 最初にシギアへとかけた言葉と寸分違わない口調で女性が訊ねる。

 薄い緑色に染まる長い髪を背中に流し、柔らかな表情を浮かべた女性は純白の毛製の上着と長いスカートを身に纏い、随分と畏まった姿勢でこちらを見つめる。

 その姿にシギアは違和感を覚える。


『どうかなさいましたか?』


 三度目の問いかけ。

 シギアを見つめる女性の表情は変わらない。

 さすがのシギアも黙り続ける訳にもいかず。


「ここって、天の楽園ですか?」


 いきなりタメ口が混ざってしまったが、女性は気にする素振りを見せず、二人の間に数秒の沈黙が流れる。


『____精神障害の方ですか。精神科病院を紹介いたしましょうか?』

「酷くね!? 出会って間もない相手に言う言葉?」


 確かに天の楽園か? などと訊ねれば頭のおかしさを疑われるのは仕方ない。それでも、いきなり精神障害と言い切るとは。

 __ってか、セイシンカビョウインって何だ? 精神か病院?

 生前では聞いたことのない連語に戸惑うシギア。

 しかし、女性の反応を見ていると、どうやらここが死後の世界ということも怪しい。

 __なら、どうやってそれを確かめる?


『失礼ですが』

「はい!」

『服を着られることをお勧めいたします』

「はい? ……はいぃぃぃぃいいいい!?」


 確かめる以前の問題だった。



* * *



 小さく蹲るように身を縮めるシギアはできるだけ人に見つからないよう息を潜める。

 なにせ全裸だ。

 大事な部分を隠すものはカサカサした材質の袋ただ一つ。これ程まで心細い思いをしたのは初めてだった。


『お待たせいたしました、シギア・ガルディー様』


 恭しく腰を折り、優しげな声で“それ”は告げる。


「うぅ……ありがとう」


 半べそ状態のシギアは礼を述べると、目の前に差し出された衣服に飛び付く。

 下着の形状が彼の普段使用していたものとは異なっていたものの、問題なく着こなす。

 鼠色をした無地の服を上下に纏い、綺麗に揃えられた靴に足を差し込む。

 改めて“それ”に向き直ったシギアは、今一度改めて礼を述べた。


「本当に助かったよ。ありがとう」

『問題ありません』


 口角が上がり、笑顔を浮かべた“それ”。気付かなければ、まさに人間に思えてしまう程に自然だった。

 シギアが女性に抱いていた違和感。その正体は彼女の言動だった。

 『どうかなさいましたか?』という問いかけ。三度も繰り返され、その口調や声音が一切変化しない。張り付いた表情も一見すれば自然だが、会話をすれば作り物だと気付く。

 そう、目の前の女性__その正体は人の形を精巧に模した人形だった。

 そのことに気付いた時は随分と驚いた。

 人形を操る奇術なら見たことはあるが、これほどまで自然で人に近い人形は初めて目にした。まして、この自然な動きは術者の練度高さが伺える。


 女性型の人形から服を着ていないことを告げられたシギアだったが、最悪なことに手持ちは何もない。

 何故全裸なのかも分からず、とにかくカサカサした半透明の袋で大事な部位を隠した。

 ところが、なんと気の利くことか。女性型の人形が服を調達すると言い出してくれたのだ。

 『あいでぃー』とやらを求められたが、見ての通り何も持っていない。そう告げた彼に対し、人形の目が光った。

 思わず身構えたが、特に何も起こることはなかった。

 数刻黙り込んだ女性型の人形が腰から取り外した正方形の鏡が突如として輝き、シギアの顔を空中に映し出す。引き攣った自身の表情に思わず顔を顰めたシギアに構うことなく、次々と文字が宙に浮かび上がる。

 魔法のようで、一切魔力を感じないその現象に戸惑っていると、女性型の人形が名前を名乗るよう求める。その後も続く質問に答え続けていると、『簡易登録を終了しました。少々お待ちください』と言って女性型の人形はどこかへと去って行った。

 付いて行きたかったが、裸の状態で人前に出ることもできず、素直に従ったのだ。

 そして今に至る。


「それで……」

『料金はサービス料含め、9,200円となります』

「……だよね」


 当然、服がタダで貰える訳などなく、しっかりとした請求が来た。

 また、『さーびす』という知らない言葉を使われたが、『エン』というのが貨幣の呼び名だとも推測がつく。

 __さてどうしたものか。

 一文無しのシギアが金銭を払う手段など持ち合わせていない。


「ここはどうかツケにして!」


 情けないがこれしかない。

 シギアの能力であればこの人形から逃げることはできる。しかし、そんなことは勇者の従者としてその誇りが許さない。

 罵倒を浴びせられるかと思い、頭を下げたシギアだが、


『情報を総合し、シギア・ガルディー様の所持金がないことは推測していました。そのため、都市制度第三十五条四項に従い、一週間以内の支払いを命じます』

「へ?」

『尚、一週間を過ぎても未払いの場合、この都市での全権限が剥奪され、永久追放となりますのでご注意ください』

「はあ」

『最寄りのジョブセンターへシギア・ガルディー様の情報を転送しました。印刷完了__こちらの案内に従い、ジョブセンターで仕事を探すことを推奨いたします。それでは、失礼いたします』

「えっ、あっ! ちょっと!」


 女性型の人形はどこからともなく取り出した紙をシギアへと手渡すと、丁寧に一礼して背を向ける。

 そのまま立ち去ろうとする女性型人形にシギアは訊ねる。


「お名前は!?」

『私はライフサポートAI-G3-F427です』


 振り返り、もう一度恭しく礼をした女性型人形は再び背を向け、静かに歩き出した。


「……名前長いな」

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盾持ちの英雄じゃ世界は救えませんか? 雨蔦 @amatsuta

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