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「転校生が来るらしいよ」
その日は学校中が新しくやってくる彼の話題で持ち切りだった。こんな片田舎の辺鄙な町に、高等部二年の秋という微妙な時期に転向してくるというのは、実に珍しい。みんなそんなイレギュラーな事態に浮足立っていたのだろう。学校全体が遠足前のような奇妙な高揚感に包まれていた。
彼がやってくる前から、彼についての様々な噂が流れていた。かなりのイケメンであるとか、異国の血が流れているとか、頭がよくて前の学校では常に学年トップだったとか、そういう出処の知れないものばかりだったけれど、みんなの期待を煽るには十分だった。
僕は常々、母から「人を判断するときはその人の目を見なさい」と言われていたので、なるべくそういう噂を聞かないようにしていた。不確かな情報で会う前からイメージを固定するのはよくない。しかしそう思っていても、噂はしばしば風に流れて耳に入ってしまうことがあった。
「その子、ペンギンを殺しちゃったんだって」
どこかで聞いたその噂は、他のどれよりも僕の興味を引いた。彼に会って、話してみたいと思った。
ペンギン。その奇妙な見た目の変わった生き物は、この国の人にとっては、まさにパートナーと呼ぶにふさわしい動物だ。
僕たちは五歳になると、一人一匹ペンギンの雛を渡されるという風習があった。そのペンギンを育てながら、命の尊さを学び、よき友人としてともに成長していく。そして大人になる前にペンギンを死なせてしまった者は、生涯一人前に認められず、周りに疎まれて生きていくことを余儀なくされる。それがこの国に古くから伝わる習わしだった。
当然、僕もペンギンを一匹飼っている。習わし通り五歳の誕生日に我が家へやってきたから、かれこれ十年ちょっとの付き合いになる。名前はレヴィナスと言って、オスのオウサマペンギンだ。来てすぐの頃は僕の膝の高さほどしかなかったのに、今では胸元くらいまで大きくなった。比較的おとなしい性格ではあるものの、食欲旺盛で元気に過ごしてくれている。
僕はレヴィが大好きだった。月並みな言い方だけれど、彼はまさに家族同然だった。楽しいときも、悲しいときも、嬉しいときも、つらいときも、いつも彼が傍にいてくれた。言葉は発しないけれど、彼は僕と同じ気持ちを共有し、同じことを考えながら、一緒に生きてきたように思う。そういう意味では、家族というよりも、自分自身と言った方が正しいかもしれない。
個人差はあれど、大抵の人は自分のパートナーを愛している。おそらく見知らぬ転校生も、自分と生をともにしてきた相手に何らかの思い入れを持っていたはずだ。そんな相手を亡くした彼は、一体どんな思いで生きているのだろう。我ながら不謹慎だとは思うが、どうしてもそれが気になって仕方なかった。
感覚としては、家族を失うことと近いのだろうか。その経験も、年老いた祖母を一人亡くしたときくらいしかないので、あまり想像ができない。悲しみとか、喪失感とか、言葉では理解できるけれど、本質的な部分はもっと違うところにある気がする。
何より、先ほども言った通り、僕たちにとって彼らは家族というより自分自身に近い。だから家族を失うというより、臨死体験なんかの方が近いのではないか。いや、臨死というと死にかけた経験なのだから、実際の死を経験することとはまた異なる。
本来、自分の死を経験することはできない。「死」というもの自体が、他者によって確認されるものだからだ。しかし、彼はそれを体験している。自分の「死」を目の当たりにしているのだ。
どうしてこんなことを考えてしまっているのかと言えば、これには理由がある。ちょうど転校生が来るという噂が広まる一週間ほど前に、僕の家のポストに『招待状』が届いたのだ。
僕たちは一緒に育ったペンギンを、いつまでも飼い続けるわけではない。ペンギンを育てることはあくまでも大人になるための訓練であり、その目標が達成されてしまえば、パートナーとの生活は終わりを迎える。
普段は『妖精局』と呼ばれる件の習わしを管理する機関が、半年に一度ほどペンギンの健診に訪れる。健康チェックを行うとともに、成長度合いを確認してくれるのだ。
そして大体十五~十六歳ほどになると、妖精局からきちんとペンギンが育っているか、より詳しい調査が入る。そこで一定の条件を満たした者には、彼らから『招待状』が届く。これは半年以内に妖精局へペンギンを引き渡すように指示を促すものであり、こうして無事にペンギンを送り出せた者が、ようやく大人として社会に認められるのである。
一度送り出してしまえば、彼らとは二度と会うことはできない。これは人生において避けることのできない「別れ」を経験することが目的らしい。
僕が彼に話を聞きたいと思ったのは、その「別れ」というのがどういうものなのか、実際に経験する前に、知っておきたかったからだ。
これまで、僕より先に「別れ」を経験した友人に、何度もその話を聞かせてもらった。しかし誰もが胸を張り、周りよりも早く大人になったことを誇らしげに語る。僕はそこに違和感を覚えていた。
もし彼が本当に、普通とは違う形で「別れ」を経験したと言うなら、きっとまるで違う話を聞けるのではないかと期待していた。そこに僕が求めている答えがある気がしていたのだ。
僕は怖かった。何も知らないまま、いきなり激しい感情に揺り動かされることが。想像さえもできないことに直面することが、怖くて仕方なかった。だからせめて、彼がどんな気持ちでその「別れ」に立ち、どんな想いでこれまで生きてきたのかを聞いてみたかった。
話が広がって噂が盛り上がっていたところで、いよいよ担任教師から今日転校生がやってくることが告げられた。運のいいことに、彼はまさに僕のクラスに入るようだった。
みんな浮足立った様子で、教室中がざわついていた。先生はそれを軽くなだめながら、扉を開けて転校生を迎え入れる。
少し俯き気味で教壇へと上がる彼は、一瞬でクラス全員の視線を集めた。
限りなく白に近い銀髪が光を放ち、同じように真っ白く輝く細長い手足がすらりと伸びている。そんな美しい姿とは対照的に、服装は少し薄汚れたぼろきれのような服を身に纏っていて、もし彼の見た目が普通の少年だったなら、きっと物乞いか孤児にしか見えなかっただろう。
前髪が長いせいで、顔が陰になってよく見えなかった。全体的に色素が薄いことも相まって、ふと気を抜くとその姿を見失ってしまいそうになる。浮世離れした雰囲気を携えていて、明らかに僕らとは違う異質なものを感じた。
「じゃあ、まずは自己紹介を」
先生に促され、彼は黒板にゆっくりと自分の名前を書く。そして振り返って教室を見回したあと、静かに口を開いた。
「ニルス・オーラヴです。ここよりもっと北の、遠い町からやってきました。よろしくお願いします」
彼がそう言って頭を下げると、一拍おいてぱらぱらと拍手が沸いた。そのまま窓際の一番後ろの席をあてがわれ、まるで何事もなかったかのように椅子に座ると、それからはずっと晴れ渡る空を見つめていた。彼の瞳はその先に広がる青い空とは正反対で、薄暗い雲に覆われたように疎らな灰色に染まっていた。
授業の合間の休み時間には、ニルスの周りに学校中から人が集まってきた。みんな転校生どころか、町の外から来た人にさえ会ったことがないのだから、気になるのも当然だ。
授業開始のチャイムが鳴る度に、先生たちが困り顔でやってきて、何とか生徒たちを落ち着かせて、各自の教室へと戻す。しかし授業中も彼の近くに座る生徒たちが、こそこそと彼に話しかけていて、何度か先生に怒られていた。
「何ていう町から来たの?」
「北の方ってどんな感じ?」
「どれくらいそこに住んでいたの?」
「家族は? 兄弟は?」
「今までどんなところへ行ったの?」
あちこちから矢継ぎ早に飛んでくる質問に対し、彼は顔色一つ変えずに淡々と答えていた。僕は引っ込み思案な性格のせいで、直接彼と話すことはできなかったけれど、ずっと聞き耳を立てて彼の話を聞いていたので、おおよそ彼の素性を知ることができた。
彼は父の仕事の関係で、あちこちを転々として過ごしている。もういくつ目の町かも覚えていないほど色んな町を訪れ、一時は違う国に住んでいたこともあった。
彼の父は学者で、この国の歴史を研究しているのだと言う。
兄弟はおらず、母は早くに亡くなってしまっているので、今はその父と二人で暮らしている。亡き母は遠い異国の人で、髪や肌、瞳の色はその母から受け継いだものだった。僕はその国すら聞いたことがなく、彼自身も一度も訪れたことがないらしい。
「ニルスは本当に頭がいいね」
学校で一番頭のいいクリスが感心したように呟く。実際彼はとても物知りで、僕らが考えたこともないようなことまでたくさん知っていた。
「父さんの本が家にたくさんあるから、いつも暇つぶしにそれを読んでいたんだ」
当然のことながら、彼はこの国の歴史には特に詳しかった。教科書には載っていないことをたくさん知っていたし、その知識量には先生も驚くほどだった。
けれど運動はからっきしダメで、体育の授業では断トツのビリを走っていた。半袖短パンから伸びる手足は今にも折れてしまいそうなほど頼りなく、真っ白い肌は照り付ける日差しに溶けてしまいそうだった。そんな弱々しい彼の姿は見ているこっちが不安になった。
やがてそれから数週間が経つと、センセーショナルな盛り上がりも徐々に落ち着いてきて、普通の日常が戻ってきた。段々と新しいクラスメイトにもみんな慣れて、彼のことを日常の一部として受け入れ始める。
しかし、やはり彼には僕たちとは違う何かがあるように感じられた。それは異国的な見た目であるとか、変わった境遇であるとか、そういうこととは関係なしに、もっと彼の本質的な部分に関わることだ。僕はそんな不思議な魅力に惹かれ、彼を視界の端に追ってしまう。
僕は未だに彼とまともに会話をできていなかった。クラスのみんなはとっくに仲良く遊んでいるというのに、僕は挨拶さえもままならない。元々の僕の性格が原因の一つではあるのだが、それ以上に、彼を前にするとどうしても緊張してしまうのだ。頭の中で言葉がこんがらがって、上手く口から出てきてくれない。
彼の灰色の瞳を見ると、胸が高鳴り、気道が狭まって空気が肺に入っていかなくなる。恋なんじゃないかと錯覚するほど、動悸が激しくなる。それくらい、彼の纏う空気が僕を魅了した。
「あの、ずっと聞きたいことがあったんだけど……」
それからしばらくして、あるとき、誰かが唐突に彼に疑問を投げかけた。それは誰もが聞きたくても聞けなかったことであり、ずっとみんなの胸に詰まっていたものだった。
「ペンギンを死なせちゃったって本当なの?」
一瞬、ざわついていた教室がしんと静まり返り、空気が冷たく張り詰める。しかし当の本人は特に気にした様子もなく、先ほどまでと何ら変わらない口ぶりで答えた。
「ああ、本当だよ。セルマは僕が殺したんだ」
彼がそう言って頷くと、周囲にいた全員が少し後ずさりをする。ほんの数秒前までは、憧れのまなざしを向けていた者たちが、急に目の色を変え、忌むべき者を見るように眉間に皺を寄せて顔をしかめる。ひそひそと耳打ちで何かを話しながら、一人、また一人と、彼の傍から離れていった。
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