エピローグ
人工知能が眠るとき
彼は知らないけれど、ルドルフもしくはピースメーカーは、あらゆるデータを分解し再構築させた。たとえばすでにアクセス方法が消滅した千代田区七番町夕日坂、ネットワークのデータに流されたサイラスやその他の精神、そして、かつてワイマーク病と診断され戻らなくなった結果消えた精神、ウォーレン・ウォン・ワイマーク、また、然り。
彼はまだ知らないけれど。
ルドルフもしくはピースメーカーが消えて数ヶ月、世界は相変わらずだ。ピースメーカーの話題はすっかり熱を引いてしまい、誰もが日常に戻っていた。いや、正確に言えば、誰もが、というのは言い過ぎだ。いわゆるクラッカーと呼ばれる
「ふっざけんな! どこのシステムにも入れやしない! 商売上がったりだわコンチクショウめが」
ブツブツ呪文のように悪態をついてはネットのチャットルームに過激な言葉を次々投稿していく。ダイブだかなんだか知らないが、真央は現実世界でコンピュータをいじることにしか興味がない。めくるめくもう一つの世界体験、など、クソくらえ、である。所詮、どの世界でも金がモノを言うのだ。金以外に価値のあるものなどない、というのが真央の持論だ。
【完敗だわ。もう疲れたよ……やめます】
【これ作ったやつ変態かよ】
【いやいや。で、いつできるの? 解析】
ハッカー仲間たちが好き好きに発言している中、やはり成果を上げられたものはまだいないらしいと分かる。どうでもいい発言でさえ、真央の神経を逆なでした。
【これもピースメーカーの仕業かもね。だって、消えたと思ったら、これじゃん? ガバガバセキュリティのとこも侵入できなくなったし、アイツならやりかねん】
「知らねーよ。だからなんだよ。余計なことしやがってクソ人工知能が……」
ハッカーたちの発言に、誰にも届かないと分かりながらも悪態を吐く。薄暗い部屋であぐらをかいて椅子に座ったまま甘いコーヒを一気に飲み干した。
【こりゃあ、もう、ピースメーカーが完全におネムしてくれるまでお手上げですわ】
次々流れていく弱気な発言に、真央は今日何度めかわからない舌打ちをした。贔屓にしてもらっているクライアントからはクレームばかりだし、収入は激減だ。微かに残った良心が、そろそろ真面目に働くときが来たのだと精悍な顔つきで言ってくるが、死んでもお断りである。
【最近名前があがってきたWI《ウィー》って会社知ってる? 勝手に実装されてるそのセキュリティシステムってのをアップグレードしてくれるらしいよ】
【それおれもこの間知った。起業したの、まだハタチないガキらしいじゃん。絶対無理だろ】
ふと、気になる発言だった。真央はさっそく検索をかける。【WI】という会社は簡単にヒットした。ホームページを見てみると、最近起業したばかりのIT企業のようだった。取締役の名前、井村伊助、なんとも語呂がよい。だが、聞いたことのない名前だ。
真央はまた舌打ちする。
【宣伝かよ】
そう発言し、チャットルームを出る。まったく、くだらない。こっちは明日の生活がかかっているのだ。真央は背伸びをし、コンピュータの電源を落とした。
【宣伝かよ】
その発言を見た伊助は苦笑して、チャットルームから出た。どうやら、違法行為をして稼いでる人間たちはそれぞれ悲鳴を上げているようだった。自業自得だと笑い飛ばせないのは、伊助も似たような生活をしていたからだろう。今はこうして地道に自分の会社の宣伝をしているわけだが、効果があるかどうかは分からない。
「さて、と。なにから始めようかな……」
オフィスは自分のマンションの一室。ルドルフがいなくなって寂しくなったその場所は、きっとこれから賑やかになるはずだ。いや、そうしてみせる。伊助は息を吐き出し、休憩のため椅子から立ち上がった。
ポーン
そのとき、端末からメール受信音が響く。見ると、送り先がない。不思議に思いながら、いや、どこか案の定とも思いながら、メールを開く。
【きみのともだちだよ】
まったく、中途半端もいいとこだ。伊助は声に出して笑って、メールを閉じる。なにも言わず消えたくせに、存在だけは知らせてくる。どこかにいるだろうとは思っていたが、つまりウォンとはそういう男だ。
「心強いよ」
伊助のつぶやきに答えるものはもういない。不思議と悲しくはない。彼は今日も、未来に起こりうる様々なことを推測し、備えるための準備をする。ルドルフとともにあるもう一つの世界を誰からも壊されないように。
次に何が起こるかは誰にも分からないのだ。それはどのタイミングであってもおかしくはないし、数年、いや数百年後、それとも、人工知能が眠るときかもしれない。
(完)
人工知能が眠るとき ふるやまさ @mi_tchi
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