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 実に驚いたことに、数えてみたらたった2日の出来事だった。ピースメーカーが現れ、ワイマーク病が一時的に流行し、秘密結社の情報がばら撒かれ、防衛省にて籠城事件が発生。それが2日。その全貌が明るみとなったSSOは世界中からの批判を一斉に浴び、だが、政府間での関わりもあったということもあり、すぐに解体することはなかった。今回の籠城事件の首謀者とされているヘレナ・ジャービスとその他数名は逮捕されたらしいが、SSOをこれからどう扱っていくのかは、まだ決定していない。それも含めて2日、たった2日、されど2日。世界は変わらない。

 日本は、今日も今日とて平和だ。



『無事終わった?』


 端末から聞こえる高尾の声に、伊助は返事とともに頷いた。心なしか、以前よりも声に抑揚があるように感じる。セキュリティシステムが実装されてから、高尾の感覚は確実に元に戻っているのだろう。それ以後の経過はどうなるか予想はつかないが、今の状況を高尾は心から喜んでいた。

 篠田と別れ、彼と接触することを手助けしてくれた高尾にどうなったか報告するため、伊助は近くのファストフード店に寄ったのだった。伊助の返事に、電話の向こうの高尾は笑う。


『それなら、よかった』

「色々ありがとうございました。高尾さんはあれから体調はどうなんですか?」

『俺? うーん、多分問題ないとは思うけど』


 感覚が戻っても戻らなくても、高尾の言葉が曖昧なことに変わりはない。本人が問題ないと言うのなら、そうなのだろう。伊助は小さく笑い、そして気がかりだったことをようやく尋ねた。


「結果的に高尾さんを巻き込むような形になってしまって、すみません。理由はどうであれ、ウォンはあなたの大事な日常を奪ってしまった」

『……ああ、実験のこと? いやぁ、危険があることは承知で参加したんだし、別になんとも思ってないよ。ただ、そうだなぁ』


 一旦途切れた高尾の言葉に、伊助はじっと耳を傾ける。黙って消えてしまった親友はあれから一度として伊助の前に現れなかった。黙って行ってしまったことも、再び現れないことも、彼の気持ちはなんとなくわかった。無事かどうかも分からないし、もしかすると完全に消えてしまったかもしれない。ウォンが高尾にしたことは彼の身勝手な目的のためであり、それに対し責めたい気持ちもあったけれど、今となっては消えてしまった親友を悪く言われるのは覚悟がいる。


『俺さ、病気の母親が居たんだよ。ずっと前に離婚して、女手ひとつで俺を育ててくれてたんだけど、成人してからはもうほとんど寝たきりで』


 突然話を始めた高尾に伊助は戸惑う。はぁ、と気の抜けた返事をして、そのまま待った。


『金もあんまりなかったし、実験に参加したら奨励金も出たから、正直助かったところの方が多いんだよね。結局、金が入って治療を始める前に、死んじゃったんだけど』


 ちくりと、胸に何かが刺さる。高尾は母親のために実験に参加し、たが、手に入った金はなんの意味もなさなかったのだ。


『いや、ごめん、暗い話じゃなくて。母親が死んだとき、俺はもう感情という感情がなかったから、悲しまなくて済んだんだ。本当に何も感じなかった。他人が聞けばそれも虚しい話なんだろうけどさ、俺は多分、それで幸せだったと思う。いまは確かに悲しいと感じるけど、一緒に過ごせる仕事仲間もいるから平気かな』


 だから、きみの友達に、ありがとうって言っといて。


 最後の言葉が頭の中に残響する。きっと、気を遣っているのだなとも思うし、もしそれが本当でも親友のやったことが許されるわけではない。ただ、あのおちゃらけた高尾にも過去に何かを抱えているのだという事実は、伊助にとって小さな勇気も抱かせる。

 何かを失っても人は前に進んでいける。高尾の気持ちを、伊助はなんとなく理解できた。ウォンも、ルドルフも消えてしまって、それでもどこか前を向いている気がしているのは、現実世界の広さとそこにいる他人をはっきり認識できるようになったからなのだろう。


『伊助くんはこれからどうするんだ? 野島から聞いたけど、SB入隊の誘いは断ったんだってね』

「なんというか……おれには荷が重いかなって」

『ま、SSOとも関わりがあったってことで俺たちSBも少し居心地悪い時期だしね。その方がいいかも。きみがピースメーカー誕生と関係しているってことも、今のところ俺と野島と春野くんしか知らないし』

「色々と気を遣ってもらってありがとうございます……」


 伊助がピースメーカーを作ったとカミングアウトすることを、高尾を含め野島、春野全員が反対した。信じてもらえるかどうかも定かではないが、危惧したのは伊助が何者かに利用されてしまうことだった。ピースメーカーによって出された損害は大きいが、彼らは伊助を友人として庇うことを選んだ。


『ピースメーカーも被害ばっかりあったって訳じゃないだろ。なんて言ったかな、ほら、セキュリティなんとか。それがどうなっていくのかは、まだ分からないけどさ』

「そうですね。だからおれ、セキュリティシステムについて詳しく解析してみようと思ってるんです。ルドルフ……ピースメーカーが守ろうとしたものを、守れるように」


 セキュリティシステムについては、少しずつではあるが世界に認知され始めていた。ダイブするのと同時に聞こえる謎の音声、勝手に書き換えられたプログラム、なんの目的がありどんな仕組みなのか完璧に理解できるものはいないだろうが、そのことについてネット上で様々な推測が飛びかっている。

 そのセキュリティシステムこそがピースメーカーであり、当然ピースメーカーの犯行声明はあれ以来ない。人々は、また3年前と同じく姿を隠しただけだろうと考えていた。核兵器の発射システムもそのままだ。ピースメーカーは今もまだ、彼らの頭の中に存在し続けている。


『へぇ、よく分からないけど、頑張りなよ。野島の家はいろんな奴の溜まり場だからさ、暇なら遊びにおいで』


 それをお前が言うのか、と、笑いそうになるが、伊助は素直に返事していた。実はすでに、次の週末みんなで食事をする約束をしている。おそらく高尾も参加者のはずだが、ぎりぎりまで誘うのを野島が躊躇しているのだろう。

 高尾との通話を終え、頼んでいたソフトドリンクを一気に飲み干した。今日は人と会う約束をしている。たった2日、されど2日。井村伊助の世界は少しずつ変化していた。




 約束の場所は都内のとある高校。放課後、大勢の生徒が校門から出ていくのを伊助は緊張気味に眺めていた。近づいていいものか、どうか。学校なんて久々に来たものだから、どうして良いのかまったく分からない。


「ちょっと」

「うわっ」


 突然真横から声をかけられ、伊助は情けなく肩を震わせる。あれ、前にもこんなことがあったなと思い首をかしげると、髪をポニーテールにした弥生が腕組みをして立っていた。


「や、弥生ちゃん、久しぶり……」


 引きつった不細工な伊助の笑みに、弥生は片眉を吊り上げた。


「元気そうじゃん」

「お、おかげさまで……」

「そんなとこでオドオドしてるから不審者かと思った。ほら、行くよ」


 ぶっきらぼうにそう言い、伊助の首に名札ストラップをさげてやる。見ると、来客用と印刷された紙が入っていた。さっさと歩いて行く弥生の後を慌てて追う。私服の伊助を、生徒たちは不思議そうに眺めていたが声をかけるものはいなかった。


【プログラミング部】


 案内された先はとある部室の前。扉に取り付けてある手書きのプレートは、伊助にとってそれだけでロマンあふれるものだ。目を輝かせている伊助に弥生はいつもの少年の笑みを浮かべ、扉をゆっくり開く。


「伊助くん! 無事だったんだね! よかったぁ……!」


 途端、響き渡ったのは聞き覚えのある高い声。目の前にぴょんぴょんと跳ねる四月一日がいた。なんの問題もなく動く足を見て、伊助はようやくいつものように笑った。


「四月一日さんも。足は平気?」

「うん!」


 嬉しそうに頷く彼女の後ろに、雰囲気のよく似た男子生徒が椅子に座っている。目が合うと、なぜか張り合うように背筋を伸ばして伊助を見上げてきた。


「あ、この人が百坂くんだよ」

「ああ、じゃあこのメンバーでルドルフを手伝ってくれたんだ」

「そうだよ、あれはこの先絶対忘れられない出来事だなぁ」


 弥生たちがルドルフとともにヘレナと戦ったこと、詳しい話は弥生に電話で聞いていた。何はともあれ彼らの活躍がなければ伊助はウォンと合流できたかどうかすら怪しい。その感謝を直接言いたかったのだ。


「みんなありがとう。ルドルフも、みんなと協力できたのが楽しかったみたい」

「ほんとに? 嬉しいな。でも、いなくなっちゃったなんて、寂しいね……」


 眉根を寄せ伊助を気遣うようにそっと手を触れた四月一日の優しさが伝わってくる。ルドルフがいなくなったことは弥生に話していたし、おそらく彼女がこの2人にも話したのだろう。


「うん。でも、たぶん、どこかにいる気がするから、おれは大丈夫」


 そう言って微笑む伊助に、弥生と四月一日も顔を見合わせて微笑んだ。ひとりだけ蚊帳の外の百坂は警戒心むき出しのまま伊助を観察している。


「せっかくここまで来たんだから、再会を祝してなにかやる?」

「お、弥生ちゃんいいこと言う。第二世界で仮想現実の演出バトルやろうよ」


 四月一日の提案に賛成したのは百坂だ。


「はい! じゃあぼく、イスケ氏に勝負を申し込むであります!」

「え、おれ?」

「いいじゃん、あたしも見てみたい」

「いいなぁ、じゃあ百坂くんの次はわたしだね」


 同い年たちの会話の中心に、自分がいる。それは随分久々の感覚で、感動すら湧いた。


「いいよ、やろう」


 伊助は笑って、準備を始める。

 こんなとき、ルドルフはなんと言うのだろう。そう思いながら、彼は今日も第二世界へダイブする。


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