終章 Good night my friend
1
ずっと、夢を見ている。彼らは、終わらない夢を見ている。
ロボットと恋に落ちること。
人語を操る機械と会話すること。
なんでも願いを叶えるポケットをつくること。
夢は果てしなく続いている。だが、何も実現できてはいない。アンドロイドはまだ、電気羊の夢を見ない。人工知能は、眠らない。
さて。
物語の終盤。
伊助は自分の体力が大幅に落ちていることにいまさら気づいた。あっという間に高尾と要には抜かれ、また階段で息を切らしている。
「くそ……なんだこれ、全然走れない……。ピースメーカー、ウォンはどこにいる?」
『カメラ映像を確認するに、5階を移動しているようだ。もう少し。合流できるよう防火扉をいじろう』
「くそ、いま何階?」
『3階』
端末から響く無機質な声に天井を仰ぐ。自分の体が恋しいし、筋肉痛になったらこの子に申し訳ない。そもそも、こんなことに巻き込んでいる時点で申し訳ない。要が立ち止まって心配そうにこちらを見ている。みっともない姿で恥ずかしくなった。
「大丈夫ですか?」
「う、うん、なんとか」
汗をぬぐい、体に鞭打つ。自分より小さい要が涼しい顔をしているのだ。足を引っ張るわけには行かない。
階段を駆け上がり、ようやく目的地である5階にたどり着く。目の間を塞いでいた防火扉が突然開き、そのすぐ先に、見覚えのある姿を見つけた。
「ウォン!」
思わず大きな声が出る。自分の体で、ウォンは振り返った。目を細め、警戒心を顕にしているのが分かる。だが、すぐに分かったのだろう。彼は大きく目を見開き、そのまま駆け出した。
「伊助! どうしてここに……!」
「人の体勝手に持って行ってよく言うよ。大変だったんだからな」
「ごめん……きみを危ない目に合わせたくなかったから……」
自分の泣き出しそうな顔に、笑ってしまいそうになる。ウォンが小さな伊助の肩を抱き、しゃがみこんでいるその姿。初めて会ったときもウォンはこうやってしゃがみこんでいた。またこうして、現実世界で触れることが出来る、息が詰まるほど嬉しかった。
「……伊助って、伊助? こいつが? てか、なんで要とお前が一緒にいるんだよ」
「お前はいつも春野くんとしか一緒じゃないよな。あ、友達いないからか」
出会って早々野島と高尾のバトルが始まる。呆れ返った春野は肩をすくめ、要は苦笑いしている。全員集合だ。伊助の小さな体にも、力が沸いてくる。
「とにかく、どこかでダイブできませんか? おれ、確かめたいことがあって。それに、早く自分の体に戻りたいし」
高い声でハキハキと話す少年に、野島は少し驚いたようだった。それが伊助であると未だに半信半疑なのだろう。
「ええと、よく分かりませんが……この階なら2番会議室にダイブ機器を数台おいていたはずです」
春野がしどろもどろ答え、集団を案内する。防火扉がいくつかしまったままになっており、追っ手と思われる人間は見当たらなかった。会議室には問題なくたどり着く。中に入ると椅子型ダイブ機器が5台置いてあった。
「ちょっと待った。あの女がまた仕掛けてくるかもしれねぇし、オレも行くぜ」
「俺も」
さっさとダイブの準備をしていた伊助とウォンの隣に、野島と高尾も準備を始める。確かに、そうしてもらったほうがありがたい。伊助は頷き、そして春野を見上げる。
「春野さん、操作をお願いします。どこでもいいので普通のネットワーク上に飛ばしてください」
「分かりました。現実世界の見張りはおれと要さんが。みなさん、気をつけて」
目を閉じる前に、ウォンを見た。目があった。彼の瞳は、彼も同じく何かに気づいていることを伝えていた。
――ルドルフ。
彼もしくは彼女の名前を心の中で呼んで、伊助は目を閉じた。
目を開ける。自分の体だった。少しの間だったはずなのに、随分久しぶりの感覚だった。感覚が染み込んでくる。息を吐いてふと横を見て、伊助は絶句した。そこにはウォンが本来の姿で立っていたのだ。伊助よりも少し背の高い、黒い短髪の青年。年は彼がいなくなった時のままのようだった。野島や高尾より実年齢は上である彼は彼らと比べるとずっと童顔だ。いや、間違えた、童顔は野島とあまり変わらない。
「ウォン、そのままじゃ消えるだろ……!」
「心配しないで。数時間は平気だから。危なければ高尾くんの体を借りるし」
「ええー、勘弁」
形だけの笑顔のまま高尾は言う。意味の分からない野島はただひとり短い眉を寄せるだけだった。
「きみとあの子だけで話がしたいだろうなって思ったから」
ウォンの言葉に伊助は目を瞬いた。思わず笑ってしまう。やはり分かっていたのだなと。
「うん。ルドルフと二人で話がしたいんだ」
「ああ、行っておいで」
音もなく、目の前に扉が現れた。ウォンの計らいなのか、ピースメーカーの計らいなのか。伊助はその白い扉をゆっくり開く。
「……いいのか? さっきはふたりにさせるなって言っていただろ」
扉の向こうに消えていく伊助の背中を見ながら、野島はウォンに尋ねる。ウォンもまた、野島の方は見ずに小さく頷いた。
「ぼくの予想が正しければ、大丈夫。結局ところ、ぼくは彼の一番の理解者ではなかったのかもしれない」
眩しそうに目を細めるウォンに、野島は何も言わなかった。
扉の向こうにあったのは、四角い木製のテーブルと、向かい合うようにして二つ椅子が置いてあるだけの、小さな部屋だった。白を基調としていて、小窓からは爽やかな風が入ってくる。ああ、そうか、あっという間に夏が来るんだな、ふと、今の季節を思い出した。
伊助はゆっくりと椅子に腰掛け、目の前の空間を見つめる。
『もう会えなかったらどうしようって思ったよ』
無機質で、色のない、聴き慣れたその声。伊助は自然と微笑んだ。
「おれも。ルドルフ、いろいろ頑張ってくれてたみたいだな。やり方は少し乱暴だったけど」
『ネットにSSOの情報ばら撒いたことかな。でも、実はもっと活躍したんだ。後で話してあげるよ。なんだか、先に伊助が話したそうだから』
姿はない、触れたこともない。だが、確実にそこにいて、互いに想い合っている。それは容易に分かる。
「そう。お前に話したいことがあって。ずっと、忘れてたこと。いや、覚えてたとしても多分、話せなかったと思う」
『気になるね。なに?』
また、風が吹いた。誰がこの空間を作っているのだろう。子窓の外を眺めながら、伊助は口を開く。
「おれ、中学の時、篠田ってやつにいじめられてたんだよね。変な言いがかりつけられて、毎日殴られて。正直、きつかったよ。そんなときさ、河原君ってクラスメイトがいたんだけど、その子が急に『篠田の席で死んで一矢報いる』って言ったんだ。ビビるよ。すっげービビった」
ルドルフの反応はない。少し苦しくなりながらも、伊助は続けた。
「おれは、そんなことしても意味ないだろうなって、思った。でも河原くんは実行して、でもやっぱり篠田は全然平気な顔で笑ってたよ。思い出すと、気持ち悪くなるくらい、嫌な声だった。そんで、おれ、なんかムカついて……気づいたら篠田の動画とか写真とか、個人情報と一緒にネットにばらまいてた」
『わたしと同じことだ』
「そう。お前と一緒。でも、お前とは違う。おれは、それが悪いことだって知っていたから。もっと前の話なんだけど、ネットにいろいろ晒されたのが原因でおれの父さん、自殺したんだ。それを知ってて、やった。でもそれでも、おれはそれに対して後悔はしてないよ」
顔はないのに、ルドルフの顔を見ることができない。伊助は次第にうつむき、消え入りそうな声で、尋ねた。
「軽蔑するだろ。でも、お前には、知って欲しかった」
ルドルフは答えない。ただ、その沈黙は重いものではなかった。以前、ウォンに自分のしたことを告白したときとはまるで違う。あのときウォンは伊助に「悪くない」と言ってくれた。心強かった。
ルドルフは、なんと言うのだろう。
『伊助、分かるよ』
ようやく、ルドルフの声がする。伊助はゆっくりと顔を上げた。
『後悔しているんだね。分かるよ。その、河原くんを助けられなかったって、後悔している』
息をのんだ。
河原くんの、笑った顔が思い浮かぶ。泣きそうな顔や、苦しそうな顔を見ることのほうが多かったけれど、それでも、最後に見た顔よりずっとましだった。薄目を開け、どこも見つめてない黒目がぼんやり浮いていた、あの顔よりはずっとましだったのだ。
そう、ずっと後悔している。彼に手を差し伸べられなかったことを、助けてあげられなかったことを、ずっと後悔している。
「ルドルフ」
無意識に手が伸びる。触れられるものは何もない。それが初めて、苦しいと思った。
「ルドルフ、おれもお前が好きだよ」
息をするように簡単に、言葉が出ていった。誰かに想いを告げたことはないし、それよりなにより、彼もしくは彼女には実体がない。ただ、おかしいとは思わなかった。
「お前に触れることができたらなあって、これほど思ったことはないよ」
『そうだね、伊助。実はわたしは、ずっときみに触れたいと思っていたよ』
このまま時間が止まってしまえばいいのに。そんな非科学的なことを、子どもみたいなことを、伊助は心から願った。
「お前が危険なもんか。おれがよく知ってる」
カチ、と。時計の針の音が響いた。風が一瞬強く吹く。伊助は目を閉じて、息をゆっくり吐き出した。
『伊助、戻った。そうか、わたしがピースメーカーか。なんだ、ほんとにきみがわたしを作ったんだね。どおりで、我ながら優秀だと思ったよ』
今まさに、ルドルフとピースメーカーはひとつになった。記憶も能力も何もかも、彼もしくは彼女は完璧になった。
『ああ、あのひと、ウォンだったのか。思い切り喧嘩売ってしまったよ。でも、あのひとも大人げないよね。きっとわたしに嫉妬していたんだ』
「そうかな?」
『そうだよ。だから謝らない。でも伊助、わたしたち、本当に優秀だな。無意識にリバースを完成させていたんだから』
伊助は思わず声に出して笑った。やはり予想は正しかった、と。確かに伊助とウォンはヒーローを作ろうとした。だが、その本当の目的は潜在意識の奥深くに隠れていたらしい。
彼らが本当に作りたかったもの、それは、この世界で唯一の進化するセキュリティシステム。機密も、オリジナリティも、ビジネスも、そして、精神も、どんな悪意や攻撃からも守ってくれるセキュリティシステム。
「ウォンの開発したEND。そして、おれとお前が開発したリバース。それが最強のセキュリティシステムだったんだ」
『その通り。ウォンのENDは削除の前の段階でデータを分解する。わたしをピースメーカーから分解したようにね。そしてわたしたちのリバースでデータを、あらゆるプログラムを再構築する。これで攻撃不可能の独自プログラムの完成だ』
「まぁ、実際うまくいくかはまだわからないけどね」
『いや、たぶん大丈夫だよ。あのワタヌキとかいう子にリバースを使ったでしょう? あの子、そのあとでヘレナ・ジャービスのプログラムが効かないようになっていたから』
「ほんとに? というか、ワタヌキさんと会ったの? あのひと大丈夫そうだった?」
その質問を華麗に無視される。いつもどおりのルドルフで、伊助はほっとした。
『弥生ちゃんにも会ったよ。彼女たち、まあ、褒めてあげてもいいくらいには頑張っていたね。わたしとの連携もいい感じだった。ウォンが閉じ込められてた部屋の鍵を解除したんだよ』
「へえ、すごいな。見たかったよ」
じわじわと、胸の奥が痛くなる。もうその時が近いことを、ふたりは知っていた。
『伊助、もう時間かもしれない』
「……ああ」
覚悟はしていた。ピースメーカーとひとつになりセキュリティプログラムを完成させることこそがルドルフの役目であり伊助の望みでもある。だが、それは同時に、彼もしくは彼女との別れを意味していた。
ルドルフは、ピースメーカーは、あらゆるデータにそのプログラムを書き込み、そして消える。そうなるようつくられた。
『伊助、大好きだ、ほんとうに』
「分かってるよ」
以前からずっと聞いていた。
「人工知能は恋しないって言って、ごめんな」
『いいよ。人工知能に恋をしてしまったきみに免じて許してあげる』
ルドルフが笑っている。最後の最後まで笑い声は聞こえなかったけれど、確かに笑っていたのだ。
『でも伊助、わたしは人間でなくてよかったと思えることがひとつある。わたしは人工知能、きみがわたしを忘れない限り、ネットワークでわたしたちは永遠に一緒だ』
また、風が吹いた。静かになった。伊助は空中を眺め、そして微笑む。
「それもそうだな。なぁ、ルドルフ」
返事はもう聞こえなかった。
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