3-2
例えば、ファンタジー映画でそこが魔法の世界だとする。扉が自動に開いたら、それは自動ドアではなく魔法か何かが扉にかかっているのだと思う。では現実世界ではどうか。扉がひとりでに勝手に開いたらそれは自動ドアである。まごうことなき自動ドアである。心霊現象でも魔法でもなくそれは自動ドアである。
野島もそう思った。自動ドアだった。伊助が軟禁されている会議室の扉の前に立つと、扉は勝手に開いた。自動ドアだった。そのドアが開かれるために、小さな勇気たちが力を合わせて紡いだドラマなど、彼は知る由もない。ただの自動ドアだった。
「え、フツーに開いたんだけど」
かなり拍子抜けで中に入ると、そこには目を丸くしてこちらを見つめる伊助がいた。合流できたのだと確信し、野島は胸をなで下ろす。
「よ、無事か? てか、お前伊助なの?」
「なんで、扉……」
「え? さぁ、なんか自動ドアだったぜ」
伊助が無事なのを確認できて安心した野島の顔は緩かった。口元をほころばせ、のんびり椅子に腰掛ける。
「よくわかんねーけど、お前、とにかくここから逃げたほうがいい。SSOって組織もよく知っているわけじゃねぇが、危険なのは確かだ。何の目的があってお前をここに連れてきたのかはわからねぇが……」
穏やかな表情から一変、野島の鋭い目が伊助をとらえる。刃物のようなそれに、いすけ、いや、ウォンは唾を飲んだ。
「伊助の体を勝手に動かしたやつが関係しているのか? もう一度訊くが、お前は伊助か?」
嫌な沈黙だった。だが、こうしている場合ではない。ウォンは唇を舐め、野島をまっすぐ見つめた。
「いや。ぼくはウォン。伊助の友人で、自分の精神を彼の体に飛ばして生きながらえている。君たちとは以前会ったことがあるんだけど、覚えているかな。君と高尾に試したあの実験の考案者。ここまで言えば信じてもらえるかい」
「……ウォーレン・ワイマーク? お前、死んだんじゃなかったのか? ……ったく、だからオレはネットって嫌いなんだ。わけわかんねーよ。別人が知り合いの体の中にいたり、無感情な人間作ったり……」
「体はもうない。伊助の体を借りてるって言っただろ。死んだのとは、少し違う」
「余計わかんねぇっつの。まぁ、これでここに伊助が連れてこられた理由がわかったけどな」
とは言っても、どう反応していいのかわからないようだった。春野も口をぽかんと開け、言葉を失っている。だが、目の前のこの男こそが証明だ。
「ぼくからも頼む、伊助をここから逃がして欲しい。彼は何も関係ないし、何も悪くない。……それから、きみらも伊助が話したみたいだから知っているだろうけど、ルドルフと彼をふたりにしないで欲しい。一番危険なのはあれだから」
「ルドルフちゃん? なんでだよ」
「あれがピースメーカーの一部だから。それも、善悪もわからないまま暴走する部分」
沈黙が再び訪れる。彼らがすぐに理解できないことはウォンもわかっていた。すぐに言葉を続ける。
「ピースメーカーはぼくと伊助で作った人工知能だ。伊助はとても優秀な子だよ。教えれば何だって覚えたし、すごい発想もできた。だからこそピースメーカーが完成したんだ。ぼくひとりだけじゃ無理だった」
「……どういうことです? 井村さんはピースメーカーについてよく知っているようには見えませんでしたが。あれが演技だったとは到底思えませんし」
「それはそうだ。ぼくが、ぼくとピースメーカーに関する記憶を彼から一時的に封じ込めていたからね。記憶がなければ彼に危険が及ぶ可能性は低くなると思ったからそうしていた。事態が変わってしまって結局はぼくを思い出したし、巻き込んでしまってこの有様だけど」
「そんなことが出来るわけ……」
そこまで言って、春野は言葉を飲み込む。いや、そもそも伊助の体の中に別人格があること、それが元は実在していた人間であること、それ自体が想像を超えたものであるのだ。彼の言葉が真実と証明はできないが、嘘だということも証明はできない。
黙り込んだふたりを交互に見つめ、ウォンは口を開く。
「ピースメーカーは伊助とぼくの言わば分身でもある。だからこそ……ピースメーカーの一部であるルドルフが危険なんだ」
考え方も価値観も似ていたし、同じレベルで会話ができた。ウォンにとっても、伊助にとっても、互が初めての友人、初めての親友だったのだ。
ウォンが昔を懐かしんでいるわけではないことは、野島にも分かった。ウォンの表情は苦々しい。
「……オレは、いや、ほかの人間もだろうけど、危ないのはピースメーカーそのものだと思うがな」
「そうじゃない。ピースメーカーが危険ならもうとっくに人類の半数くらいは死んでるよ。でもルドルフは違う。ルドルフは……伊助が生んだ人工知能、だから」
ウォンの声は次第に小さくなり、消えていく。野島は少し苛立ちを覚えた。そしてその感情を彼は隠しもしない。
「は? そんだけ伊助のこと慕ってます風に言っといて、最後は自分は悪くないってか? 伊助のせいで危なくなりましたって?」
「違う! そんなこと言ってないだろ……! 伊助は悪くない、彼は何も悪くない。知らなかっただけなんだ。だって、いじめっ子を晒した時だって、それが誰かを傷つけるとかそんなことは思ってなかった!」
「落ち着けよ……なんの話ししてるか分かんねぇぞ」
肩で息をし始めるウォンをなだめるが、彼の興奮は冷めないようだった。目を見開き、眉根を寄せ、泣き出しそうな顔で続ける。
「ぼくは何もしてやれなかった。あの子はずっと学校でいじめられてて、誰にも言い出せなくて、最終的に、ネットに相手の個人情報をばらまいて仕返ししたんだ」
――おれ、父さんがなんで死んだのか分かった気がする。
あの、そう言った伊助の、空虚な目が痛々しくて仕方なかった。ウォンは自分の無力さを思い知り、本当に言うべきことではなく、当時思ったことをそのまま口にした。誰にも話せなかったことだ。ずっと心の奥底にしまっていた。こんな状況になって、よくも知らない相手にぼろぼろと本音が出ていく。いや、よく知らないからなのかも知れない。
「ぼくは、伊助は悪くないと思った。正しい事をしたって。だって、そうだろ。伊助を苦しめていたんだ。それくらいの仕返しを受けてしかるべきだ。だから言った。ぼくは彼に、『きみは悪くない、きみが正しい、何も間違ってない』って……! だから、その正義を守るためにあれをふたりでつくった。だから、彼の部分であるルドルフが危険なんだ。彼の歪んだ正しさが、それだから……」
そう、だからこそピースメーカーには欠点があった。伊助の思う正しさが混ざり合った、自分もそれを黙認した、価値観が。生み出してはいけない怪物になった。
物がぶつかり合う大きな音が響く。野島がウォンの胸ぐらをつかんで立ち上がったせいだ。春野が慌てて止めようと手を伸ばすが、それを野島は許さない。
「ふざけんな! 何も知らない子どもをたぶらかして利用したんだろ!」
「違う!! ぼくはただ、伊助と友達になりたかっただけだ! 大好きな友達と、遊びたかっただけだ!」
それだけでよかった。でも、それだけでは駄目だった。彼は善悪をある程度知るおとなであり伊助はこどもだったのだ。
ウォンの瞳から光が消える。さっきの勢いも消え去り、ただ顔を伏せる。野島は何も言わないまま彼を放し、背を向けた。
「……とにかく、ここでごちゃごちゃやってる場合じゃない。さっさと抜け出そう。てめぇもしっかりしろよ。責任を少しでも感じてるならな」
息を吸う。息を吐く。ウォンはゆっくりと顔を上げた。いつの間にか野島がこちらを振り返っており、その瞳に映る伊助の姿に唇を噛んだ。そうだ、弱音を吐いている暇はない。もう一度深呼吸し、今の状況を考え出す。ヘレナの顔がふと浮かんだ。
「……分かった。ところで、ヘレナはどうなったんだ。てっきりあんたはあの女にやられたと思ったけど……」
「あ? ああ、あいつな。さぁね。ダイブ先でなんかやろうとしてたみたいだけど失敗したみたいだぜ。いきなり腕掴んでくるわ、刺さってもどうもならないナイフ投げてくるわ、意味不明だったぜ」
「……なにも効かなかった?」
「おお」
どうも引っかかる。あの女が失敗などするだろうか。ということはまだどこからか仕掛けてくる可能性があるということだ。だが、それ以上に引っかかる。この野島武にはプログラムが作用しなかった。高尾と違い、野島は感覚が無いわけではない。では一体何故?
ウォンは考える。何か、見落としている気がしたのだ。とても、とても大切なことを。必死に伊助の記憶をたどっていく。そしてある記憶と結びついた。
――自分が目覚める少し前の記憶、野島はピースメーカーの戦士に攻撃を受けた。その時はどうだった? 即死ではなかったが、確かに死にかけていた。攻撃のプログラムは作用していたのだ。ではなぜ、今回は作用しなかった。
「……まさか」
つぶやく。そして、胸が痛くなる。
「ぼくらが、本当に作ろうとしたのは……」
こうしている場合ではない。ウォンは立ち上がり、野島たちとともに部屋を出た。
*
正直、自分がやったことに対して後悔はない。すっかり変わり果てた、落ちるとこまで落ちた篠田を見ても、伊助は何も思わなかった。
「防衛省に、おれの友達が連れて行かれたんだ。助けるのを手伝って欲しい」
声変わり前の高い声はまだ慣れない。伊助の頼みで、部屋には二人きりだった。やっと落ち着きを取り戻したらしい篠田は疲れきったその目で伊助を見つめている。
「……いいぜ。その代わり、俺の頭を直せ。お前のせいで精神病患者扱いだ。いや、違うか。井村じゃなかった。そう、お前、似てんだよアレに。手伝えば呪いが解けそうな気がする……」
まだ少し取り乱しているのだろうか。篠田はもう、この少年を伊助だとは思っていないようだった。それもそうだろう、最初の最初で井村伊助だと感づいたことこそがおかしいのだ。だが、精神的に相当参っているのだろう、藁にもすがりたいという気持ちがひしひし伝わってくる。
「頼むぜ、ガキ。お前には分かりっこねぇだろ。毎日、ビクビクして生きてる俺の苦しみが」
そこまで言われてもなお、何も思わない。少し歪んでいるのかもしれないと不安になるが、この男が同情に値しない人間だということは伊助がよく分かっている。お互い様だ。苦しませて、苦しまされた。だから後悔はない。
防衛省の警備員を大人数で振り切り、SB本部の入口で抗議の声を上げる集団に、伊助は紛れ込んでいた。篠田とのやり取りを思い返し、そして高くそびえ立つ建物を見上げる。
防衛省への殴り込みを頼んだあと、篠田は団体メンバーを再び招集した。そして声高らかに演説を行ったのだ。
「みなさん、とんでもないことが起きました。この、ピースメーカーに選ばれた奇跡の少年は彼だけではなかったのです。もうひとりいたのです。それが、彼の親友。彼の親友は今、政府が秘密裏に拉致し防衛省にて監禁しているという! こんなことが許されるのでしょうか! いえ、許されません! これは、ピースメーカーを滅ぼそうとする愚かな人類の陰謀なのです!」
なんだ、立派に教祖やれてんじゃないか。伊助は鼻で笑ってやった。もともと篠田は適応能力がずば抜けていた。コイツならどこでも生きていけるだろ、と。
団体メンバーはあっという間に火が付いた。誰もが罵倒という罵倒を吐き出し、怒りのままここまでやってきた。
「扉が開いた!」
わっと一気に場が騒がしくなる。一体何だと背伸びして前方を見ると、驚くべきことに固く閉ざされていた入口の扉が開き始めたのだ。警備員たちは慌てふためき、団体たちはさらに加熱し、一気に中へとなだれ込む。
「ぼく、こっち!」
逞しい腕の峰崎に引っ張られ、関節が外れそうな感覚にヒヤリとする。
「あっちに廊下が続いているでしょ。あんたならきっとバレないからさっさと行っちゃいなさい。いい? 捕まったら何も知らないふりをするのよ」
励ますように大きな手のひらで頭を軽く叩かれる。見た目とは裏腹の優しさに、少し後ろめたくなった。その近くにいた篠田と目が合う。彼は何も言わずすぐに目をそらし、近くの警備員に掴みかかっていった。
「ちょっとぉ! アタシのダーリンに乱暴してんじゃないわよぉ!」
それに峰崎が続く。ひときわ図太いその声に視線が集まり、その隙に伊助は駆け出した。
「あ、おい、そこの子ども……」
しかし、サポート虚しく一人の警備員にすぐ気づかれてしまう。必死に駆けるが歩幅が小さすぎた。これでは逃げ切れない。
「あ、だいじょうぶ。俺が何とかしときますんで」
「え、あ、高尾さん! それに野島さんまで! 加勢に来てくれたんですね!」
「はい。あの子は私たちに任せてください」
なんともいいタイミングで集団からひょっこり現れた高尾と要が警備員を制する。状況が状況だからか何も怪しまれなかったようだった。高尾は目だけで伊助に合図し、三人はそのまま駆け出した。
――役者は揃いつつある、舞台もある。あとは待つだけ。
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