3話 勧善体
3-1
仮想現実演出選手権って知ってる? え、なにそれ、しらなーい。私も知らないんだけどぉ、なんか第二世界にダイブした状態で、その空間をリアルタイムで自分のプログラム技術を駆使して演出する大会なんだってぇ。へぇ、そういえば、ウチのプログラミング部がなんか優勝したって学校のツイッターが言ってたけどぉ、関係あんの? そう、それそれ、たぶんそれ。へぇ、やっばぁーい、オタクやるじゃーん。
という同級生の女子の話を、つい最近、百坂は聞いた。オタクと呼ばれることに異論はないし、よく分からないなりにもすごいと思ってもらえることは正直嬉しい。心の底から自信が沸いた。僕も誰かに認めてもらえるのだと。
――ぼくはやれる!!
百坂は足の震えをどうにかしようと踏ん張ってみたがダメだった。この間の大会、決勝戦よりもずっと緊張している。だが、自信はあった。あのヘレナ・ジャービスが相手だ、不足はない。
「百坂くん! あの人の持ってるナイフに気をつけて! あれに刺さると本当に怪我するから!」
「え、うそ? いや、さすがというべきか……そんな物騒な代物も作ってしまうマッドサイエンティストとかいうやつでありますな……! 承知!」
一瞬怯んだもののなんとか持ちこたえる。百坂は両手のひらを広げ、ヘレナに向かって突き出した。
「閉じ込めれば関係ないでしょう! 天才といえどヘレナジャービスも女子! ホラーハウス百坂スペシャルには敵うまい!」
百坂の手のひらの前に黒のキーボードが現れる。両手をそこに沿え、プログラムを入力する。
変化が現れたのはすぐだった。突然ヘレナを囲むように四本の柱が下から突き出してきたかと思うと、そこから板が四方に伸びヘレナをすっぽり覆うようにしてあっという間に平屋が出来上がった。木製の壁という壁は痛み、腐り、いかにもなにかが出てきそうなおどろおどろしい雰囲気が漂っている。
「ちょ……なにこれ…!」
「ふふ、カミシロ氏、まだ驚くのは早いですよ。深夜零時、肌寒い風が吹く」
カタン、と、エンターを押す子気味いい音が響く。瞬間、空間は漆黒の闇に包まれた。肌をなでる冷えた風を感じ、弥生は肩を震わせた。
「うそ、こんなことできるの……?」
真っ暗な空間を、気持ちの悪い静寂が満たす。弥生は少なからず不安を感じていた。風の冷たさが肌にまとわりつく感覚は現実よりもリアルで、この空間に見えない何かが存在しているようだった。
「仮想現実空間はプログラムでいろいろ演出できるのは弥生ちゃんも知っているよね? 難しいんだけど、五感を刺激するプログラミングを利用すればここまでできるんだ」
「もっさん、実はすごいやつだったの?」
「うん、百坂くんは大会の優勝者だからねぇ」
まるで自分のことのように嬉しそうに言う四月一日だったが、すぐに表情を固くする。
「ヘレナさんが使ってるあのナイフは、そういった技術の更に先の応用なんじゃないかって思うよ。たしかに、突き詰めれば精神データを破壊する技術が出来上がってもおかしくないもん」
――つまり、実力はヘレナが上。
弥生はホラーハウスを睨みつける。中で何が起きているのか、ここからでは確認できなかった。
「いやああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
瞬間、凄まじい叫び声が響き渡る。間違いなくヘレナのものだった。廃墟から響くそれは暗闇も加わって恐怖心を煽るには十分である。
「いや、なにこれ、出して! 出せよ! ここから出せ!!」
建物からは誰かが走り回る音や、何かが倒れる音が絶えず響き渡る。しかし、どうもおかしかった。発している音の数はひとりのものにしては多すぎる。ひそひそ声や、呻き声、子どもの笑い声、耳を澄ますといくつもの音が地の底から湧いてくるように響いている。
『やるじゃないか』
どうやらルドルフもおとなしく観戦しているらしい。ちょうど同じ事を思っていた弥生は小さく笑った。
音はしばらくすると静かになった。叫び声も聞こえない。百坂は警戒しながらもゆっくりと一軒家に近づき、演出を解いた。
「や、やりましたよ……!」
ぱっと空間が明るくなり、ヘレナは元いた場所に倒れていた。ピクリとも動かないところを見ると、どうやら気絶しているようだ。左手からこぼれ落ちた時計が少し離れた所に転がっている。
「ふふ、カミシロ氏の出番はなかったでありますな。さ、目を覚ます前にさっさと扉の解除を――」
「ねぇ、百坂くん……違うよ、ヘレナさん、気絶してるんじゃない、これ……」
「え?」
――あれ?
百坂は拾い上げた時計から視線をヘレナに戻す。そこには四月一日がしゃがみこんでいて、ヘレナの様子を確認していた。心臓が大きく跳ねる。なぜか、嫌な予感がした。
「い、息してないよ、ヘレナさん……。し、死んじゃった……」
ヘレナの顔を見る。彼女は白目をむいて、口の端からは泡が吹き出していた。吐き気がこみ上げる。思わず両手で口を押さえ、情けなくその場に腰を抜かした。
「え、う、うそ……ぼくが、殺した……?」
「そうだよ、百坂君のせいだよ…! 人殺し……人殺し!」
「ま、まって、違うよ、そんな、違うって……」
白目をむいたヘレナの顔が真正面に見える。最後の最後まで恐怖に顔を歪めていたのだろう。口は大きく開けられ、固まっている。大きく見開かれた白目は百坂を確かに見つめていた。
「ひっ―――」
百坂は息をのむ。
「百坂くん! ど、どうしちゃったの? 百坂くん!」
突然膝から崩れ落ちて動かなくなった百坂の肩を、四月一日が必死に揺する。慌てて駆け寄った弥生にもわけがわからなかった。ホラーハウスを解除して一歩踏み出したかと思うと、百坂は動かなくなってしまったのだ。目は虚ろで何も見てはいない。口元に耳を寄せると、彼はいくつもの謝罪の言葉を呪文のようにこぼしていた。その異様な光景に、弥生は恐ろしくなる。
「あは! 傑作! あれくらいでボクをどうにかできるとでも思ったわけ? きみ、才能ないよ。やめたほうがいいんじゃない? ちょっと聞こえたけどその実力で大会優勝? うわぁ、ヒドイ。これくらいのやつしかいないんだ、今時の子って」
ヘレナは元いた場所にしっかり立っていた。腹を抱えて笑っている。四月一日と弥生は何が起きたのか理解できなかったが、あの女が何かやったということだけはわかった。
「ほんっと、すっごい笑えるよ。演出も稚拙だし、なにより五感作用のプログラムがゴミだよ。うん、ゴミ。むしろ教えてもらいたいね!」
耳にこびりつくその笑い声に、弥生の目が鋭くなる。歯を食いしばり、怒りのまま立ち上がろうとした時だった。彼女より先に四月一日が立ち上がり、その小さな背中が目の前を塞いだ。
「バカにするな。百坂くんを、バカにするな!!」
聞いたことのない力強く大きな声だった。弥生は目を見開き、四月一日を黙って見上げる。
「バカにしてないよ。びっくりしただけ。で、次は君? その子が優勝者なら君はもっと実力ないってことでしょ。やるだけ無駄だと思うけど」
「わたしは大会には出てない。わたしの得意分野は、それじゃなかったから。わたしが得意なのは五感作用のプログラム」
「ふーん。で?」
四月一日はそれ以上何も言わなかった。目を見開いて、ヘレナを凝視している。何もしてこない彼女にだんだんとヘレナは焦れてくる。
「なに? 何もしないならもう終わらせ――」
ズルリ。
嫌な擬音語だ。いや、それだけでは表現しようがない。ズルリ、ヘレナの敏感な唇の薄い皮から顎にかけ、なにか長いものがつたっていった。
――え、なに?
そう言いたかったのに、ヘレナは声が出せない。本当はそれが何か、分かっていたのだ。だが理解してしまえばおしまいだ。文字通り、のまれる。
ズル、ズル、ソワソワソワ、ズル、ズル、ズル、
今度は舌先に感じた。思わず口を開け、手でそこに触れる。瞬間、その手を伝って大量の多足類と呼ばれる虫という虫が溢れ出てきたのだ。いいや、この際だからはっきり言おう。ムカデだ。大小関係なく赤やら緑やら見るからにおぞましい色合いをしたムカデが口から、服から、髪から、次から次に溢れ出してくる。
「い、い、あ、」
ヘレナはかすかに震えながらその光景から目をそらした。これは現実ではない、現実ではない、自分には何も起こっていない。そう言い聞かせ精神を保とうとする。
「くそ……! 調子に乗るなよぉ……!」
なんとか意識を集中させ、ナイフを握り直し、思い切り四月一日に向けて投げる。突然のことに四月一日は反応できない。当たってしまう、彼女はそう思った。
「わた……!」
弥生の声虚しくナイフは顔をかばった四月一日の右手に刺さる。やってくるであろう痛みを覚悟し息を止め、四月一日は目を閉じた。
「……え?」
まるで何も感じない。ナイフは確かに深々と刺さっている。前回は耐え難い痛みが走りデータが損傷していた。だが今回は何も起きなかったのだ。驚いたのは四月一日だけではない。再び自分のプログラムが作用しなかったことに対しヘレナは動揺した。瞳が揺れ、足元がふらつく。
「な、なんなんだよお前ら……! なんでボクの攻撃が効かないんだよぉ……!!」
四月一日ははっとしてまた集中する。彼女は手を抜かなかった。ヘレナの爪の間、耳の穴、鼻の穴、あらゆる場所からズルズルとムカデが落ちてくる。その、何百、何千という足が肌をすべる感覚はやけにリアルで、それに一瞬でも気をやってしまえば、現実で感じたことのある感覚とリンクしてあらゆる想像が膨らんでいく。もはや動揺していたヘレナに立て直しはきかなかった。
生き物の死んだあの生臭い匂い濡れた地面の匂い潰したあとのじゃりじゃりとしたあの音と感覚あしあし脚足脚足脚足足足足アシアシアシ………
「オラァぁぁぁ!!」
弥生の美しい右足が、ヘレナの顔面にめり込んだ。その焼きつくような痛みが脳天を突き抜け、ヘレナは意識を飛ばす。倒れていく彼女の手から時計を奪い、それを手で握りつぶした。
「四月一日の足ともっさんの分よ! しっかり味わえクソったれ!」
後ろに倒れたヘレナは動かなかった。弥生は空中に向かって声を放つ。
「ルドルフ、やって!」
『分かった』
変更が止まった暗証番号を当てるのは簡単だった。もう一度映し出されたカメラの映像を確認すると、伊助のいる部屋の扉が開いたところが映っていた。
ちょうどそのタイミングで、野島と春野がその場所にたどり着いたところだった。
「ガキなめんなよ、おばさん!」
親指を立て、そのままそれを下に向ける。四月一日は大きく頷き、弥生の声にハッとした百坂がようやく正気に戻ったところだった。
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