2-3
道すがら、彼らの話はルドルフという人工知能についてで実に盛り上がっていた。いや、正しく言うなら、そこに弥生は加わらなかった。加われなかったというべきか。学校を抜け出し、電車にゆられながら、防衛省へ向かっている。
「伊助くんがあなたを作ったなんて……本当にすごいなぁ…!」
ひとしきり質問を終えたところで四月一日が感嘆のため息をもらす。ルドルフはまだ事実を知らないから、彼もしくは彼女は自分が伊助に作られたのだと嘘をついたつもりでいる。ただそんなことよりもルドルフの関心は、四月一日が伊助を知っているようだということである。
『そこのきみも伊助を知っている?』
「うん。助けてもらったんだよ。第二世界で怪我したときなんかは、一瞬でデータ修復してくれたし。伊助くんてほんと凄いんだねぇ」
『ああ、ええと、ちなみにだけどそれはわたしが伊助と一緒に作ったんだ。わたしと彼はいつも一緒だからね。きみよりわたしの方が彼を知ってる』
「すごぉい、相棒なんだね!」
短い時間ではあるが、この得体の知れない人工知能のことを弥生は少し気に入り始めていた。まるで人間そのものだ。そして、どうやらこの子は伊助が好きらしい。たまに張り合うような言葉を出してくるのが可愛らしいとさえ思った。
「はい。そろそろいい? あっちについてからどうするか決めないと」
とは言えこれから向かう先はキャンプ場や海とはまるで違う。自分たちの日常とは壁一枚隔てた先にある非日常である。防衛省、SB本部、向かったところで一体何ができるのかは見当もつかないが、だからこそ何をやるのかはっきりさせておきたかった。
『まずは入口を開けさせる。わたしがセキュリティシステムに侵入してあなたたちを伊助の元へ誘導する』
「……簡単に言うわね。言っとくけど、警備員相手にどうこうできる武術の達人なんてここにはいないから」
『なるほど。現実では人間はあまり強くないからね。配慮を忘れていた。じゃあ、全員で第二世界から攻めよう』
「と、言うと?」
弥生を真ん中に、両サイドから四月一日と百坂が端末を覗き込んでくる。ふと、向かい側に座っている旅行者らしい女の何か言いたげな目と弥生の目が合い、彼女は声のボリュームを少し下げた。
『ダイブ機器をつかってあなたたちをセキュリティシステムに案内する』
「……それから先は?」
『ええと、そうだな。野島武もSB本部に連れて行かれていたから、彼に何かしらコンタクトを取れば現実世界の方で動いてくれるんじゃないかな』
人工知能、なんのことはない。弥生は額を片手で押さえた。秘策なんて何もない。この人工知能も自分たちと同じ、何から始めれば良いか分かっていないのだ。
「それならあんたひとりでもできそうじゃない」
『それはそうだけど、ヘレナとかいうあの女はよくわからないプログラムを使うみたいだったから。ないとはおもうけれどわたしが制圧されたら元も子もない。人数は多いほうがいいと判断したというわけ』
「ふぅん、あたしたちは駒ってわけ?」
『そうとも言う。お互い信頼しているわけではなさそうだしね。でも、そういうわけではなくて、ええと、伊助がよく観ている映画でなんといっていたかな。そう、チームだ』
表情は見えない。声に抑揚はない。だが、ルドルフの言葉は三人の心に響いた。ひとではないが、ひとのように考え、必死に言葉を繋いでいく。気づけば弥生は口元に笑みを浮かべていた。
「悪くないわね」
その言葉に、残りの二人も大きく頷いた。
「い、市ヶ谷駅の目の前にダイブカフェがありましたから、そこを使うのはどうでありますか?」
「ナイスもっさん。そこに行くわよ」
「も、もっさん……?」
ダイブカフェとは一昔前のインターネットカフェのようなものだ。ダイブ機器を手頃な価格で利用できる場所である。
自分のあだ名に百坂が戸惑ったところで電車が市ヶ谷に到着する。三人は早足でホームに降りたち、改札を出た。異変に気づいたのはすぐだった。明らかに人が多い。どの人間も手に持ったスマートフォンを眺めており、それは異様な光景でもあった。
「なに? なんかあってるの?」
「カミシロ氏、恐らくこれですよ。さっきぼくも見つけたんですけど、SSOとかいう組織が一般人の少年を人質に防衛省に立て籠もってるっていうニュース」
「えっ」
弥生と四月一日が同時に声をあげるものだから、百坂は情けなく体を小さくする。恐る恐る手を伸ばして自分の端末を弥生に手渡した。
「どういうこと? 秘密組織じゃないの? 情報ダダ漏れじゃん」
「少年って、やっぱり伊助くんのことなのかな……?」
2人は顔を見合わせ首をかしげる。そんなふたりをからかうような抑揚のないルドルフの声がスピーカーからとんできた。
『わたしがやったんだ。どうしてあの女が伊助を連れて行ったかは分からないけれど、彼を危険な目にあわせるというのならこちらも手段を選ばないということを知らしめないと』
「え、えぇーっ、ルドルフさん、SSOのデータベースに侵入できるの…?!」
『もちろん』
腰に手を当て誇らしげに胸を張る子どもの姿が目に浮かぶ。興奮気味に目を見開く四月一日と百坂とは違い、弥生の胸には少しの不安がよぎった。話し方のせいか重みが全く感じられないものの、ルドルフのやったことは普通ならばどんな理由があろうとやってはいけないことである。他人の情報を盗み、ばらまく。さも当然だと言うように、ルドルフはそれを行動に移した。まるで善悪を知らない子どものように。
「うわ……、たぶんそのせいでマスコミとか野次馬とかが集まってるのか…。防衛省前なんか、すごい騒ぎみたいでありますよ」
奪われた自分の端末を指差して、百坂は言う。ネットニュースには、防衛省の門前に集まる大勢の人間たちの写真が掲載されていた。
「おおごとになってきてるってわけね。でもこの騒ぎ、逆に利用できそう」
気がかりではあるが、ルドルフの行動をとやかく言っている場合ではない。弥生は端末を百坂に返し、2人を促すように歩き出した。
「た、たしかに、騒ぎが起きていれば伊助くんも助け出しやすくなるかも」
「うん。あたしたちはあたしたちの出来ることをやるわよ」
3人は駆け足で市ヶ谷駅を抜け出す。百坂の言う通り、駅前の総合ビルの二階にダイブカフェがあった。店に入った瞬間弥生は制服のまま来てしまったことに気づくが、店員は無気力な顔のまま3人を案内した。とりあえず第一関門は難なく突破らしい。
「よし、じゃあ頼むわよルドルフ」
それぞれ個室に入り、ダイブ機器にてスタンバイする。インターネットとはいつの時代でもお手軽だ。何を発言しようが、誰を攻撃しようが、どんな嘘をつこうが、責任を問われるリスクは現実よりもずっと小さい。こうしてどこかのシステムに許可なく侵入することも、法では禁じられているとはいえ、どこかフィクションのように感じている。果たしてこれでいいのだろうかと不安にはなるが、知り合いのピンチなのだ。彼は身を呈して弥生の友人を守ろうとした、ならば自分も恩を返さなければならない。
「いい? こっから先は自己責任ってやつよ」
少年のように笑い、彼女は目を閉じた。
白い空間だ。もともとセキュリティシステムなんて他人に見せる場所ではないからこれくらいシンプルなのが当たり前なのだろう。弥生は見渡す限り白い空間に立っていた。遅れて百坂と四月一日が現れる。
『監視カメラにアクセスできた。ついでに伊助も見つけてきた』
ルドルフの声が直接頭に響く。不思議な感覚だった。だがやはり姿は見えない。彼もしくは彼女には実体がないのだとようやく信じることができた。
ルドルフの声を合図に空間にカメラの映像が表示される。どこかの部屋に一人、伊助が椅子に腰掛けていた。弥生と四月一日にはその中身が本人である確信が持てなかったが、体は間違いなく伊助だ。
『驚いたな。伊助の部屋の扉だけ、違うプログラムになってる。解除には10桁の番号が必要で、2秒ごとに変わってる』
「ふぅん。解除できないの?」
『10桁くらいの暗証番号くらい楽勝だけど、わたしの処理能力では2秒じゃ足りない。そのランダム変更を止められない限りはね』
言われている意味の全てを理解できないが、早速行き詰まったことは弥生でもわかった。
『野島武と春野薫は一緒なのか。彼らは伊助の場所を知っているみたいだね? 彼のところに向かっているようだけど』
またカメラの映像が映し出される。ふたりの歩みは確実に伊助の場所へと向かっていた。
「待って、向こうから武くんたちの方に厳つい奴らがやって来てんだけど。やばいんじゃない?」
『おっと。じゃあこうする』
弥生の言ういかつい男たちの向かう先、その廊下に突然防災扉のシャッターが下りてくる。四月一日と百坂から感嘆の声が漏れたのは言うまでもない。弥生も驚いていた。まるでアクション映画ではないか、お決まりではないか、と。
「すっごいですよルドルフ氏! あなたは天才だ! ぼくらはさっそく扉の解除に取り掛かるでありますよ!」
「そうね、でも先にSB本部の入口の方開けちゃおうよ。外の騒ぎが大きくなれば中で動きやすいんじゃない」
「ほほぉ! さすが弥生ちゃん、乱暴だねぇ」
「うっさい四月一日」
『もうやった』
ルドルフの声に一瞬きょとんとする三人だったが、真面目な顔で四月一日は言った。
「ルドルフさんと弥生ちゃんてなんか少し似てるよね、いい相棒になりそう」
「なんでよ。怒るわよ」
『わたしの相棒は伊助ただひとりだけだ』
ルドルフと同時に言い返す弥生に微笑む四月一日だったが、その笑顔が余りにも天使で弥生は何も言えない。
「とにかく、さっさと――」
「誰かと思えば、さっきの子たちじゃないか! うまく抜け出せたんだね」
聞き覚えのない声だ。だが、喋り方でなんとなく予想が付いてしまう。恐る恐る声のほうを向くと、そこにはスタイルのいい金髪の女が立っていた。ヘレナ・ジャービス。訊ねなくともわかる。彼女の姿や顔はあらゆるメディアで目にしているのだから。
「へ、ヘレナジャービス?! ほ、ほんもの……っ!」
腰を抜かしたのは百坂だ。四月一日と弥生は驚かない。こうなると少しは予想していたからだ。この女が好き勝手にセキュリティをいじらせるわけがない。
「新しい子もいるみたいだね。すごいじゃないか、こんなところまで入ってこられるんだね。いやぁ、こんな優秀な子どもたちがいるなんて、技術者の未来は明るいや」
ヘレナの笑顔は不気味だった。目を細め、それは蛇を連想させる。
「伊助くんの部屋を開けたいんだろ? 残念、無理。あ、でも、少し遊んであげようか、せっかくだし。少しイライラしているし。なによりきみたちにも敬意を払わないと」
組んでいた腕を解き、ヘレナが左手に持っていたものを彼らに突きつけた。
「この時計が扉の暗証番号を変えているプログラムだよ。これを壊せばなんとかなるかもね。どう、やってみる?」
正直不快だった。不安でも、恐れでもない。不快、だった。ヘレナは明らかに彼らを見下していた。だが、こんなガキどもにここまで来られたことが気に食わないらしい。見下して、自分のいらだちを大人気なくぶつけてきている。不快だった。不快だったが、実力差は明らかだ。
「無理ゲーでありますな……。四月一日氏、カミシロ氏、ここは引くであります」
「はぁ? んなこと言ったって、ここやんなきゃ先進まないでしょ」
「そうです。でも、そのまま向かって行ったって勝機はないですぞ。だから、ぼくがヘレナ・ジャービスの動きを止めるであります……! その隙にカミシロ氏が時計を破壊するのだ……!」
えっ、と、ふたりの女子に見つめられ、百坂は胸を張る。彼は立ち上がっていた。まるでアニメのようにガクガク震える両足をゆっくり動かし、最前線に立つ。
「天才プログラマーと勝負できるなんて最高でありますな……! も、百坂、行くであります!」
「あはっ! いいねぇ、かかっておいでよエンジニアの金の卵ちゃん。ボクが相手になろう、なんちゃって。ひねり潰してあげるよ」
ヘレナは腰に巻いてあるベルトからナイフを一本取り出す。精神データに影響を与えるプログラムだ。四月一日は無意識に自分の足に触れる。
『あの女、嫌いだ。わたしがダイブ機器との接続を切ればすぐに勝てるよ』
ふと、弥生の頭の中に声が響く。ルドルフだ。その提案は確かに一番楽で必勝法ではあった。倫理観を除けば。ヘレナのダイブ機器の接続を切れば、体から切り離されたヘレナの精神はいずれ消える。だがそれは彼女の死を意味する。
なんて危ない思想なんだ、しかし、弥生はもうそんなことは思わなかった。彼もしくは彼女は知らないだけなのだ。
「ルドルフ、そんなことを伊助は望んでない」
人間はやろうと思えば他人の命を奪うなんて簡単にできる。今まさに、あの女だってこちらを殺す気だ。人殺しでも何もかも、それを実現できる力があるにも関わらずやってはいけないと、そこに確固たる理由を与えられないように、人工知能も同様だ。考えることができるかできないか、やるかやらないか、それだけ。
『そうかもしれない』
相変わらず色のない声だ。どんな顔をしているのかもわからない。だが、ヘレナが倒れることはなかった。託された、のかは不明だが、この場は自分たちの出番である。
3人は今度こそ、世界一のプログラマーと向き合った。
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