1-3


 金髪は好きじゃない。黒髪がいい。もちろん、身長は自分より低い方がいい。それくらいでいい。

 野島武の好きな女性のタイプなどはこの際どうでもよいことではあるけれど、たとえば突然彼の元へ現れたヘレナ・ジャービスの容姿を説明することにおいては実に有効だ。とどのつまり何が言いたいのか、ヘレナ・ジャービスはその野島の好みに全く当てはまらない女性だった、ということである。短く切った金髪のショートヘアーに、グレーのパンツスタイルがよく映える長い脚、身長は見たところ170センチはあるだろうか、少し離れていても野島との身長差は明らかだった。つり目の、微笑みを絶やさないその顔は、油断ならない雰囲気がある。

 彼女の背がもう少し低ければ、せめて茶髪だったなら……この軟禁状態も少しはマシだと思えたかもしれない。


「ったく、何が悲しくて自分らの職場で軟禁されなきゃいけないんだっての」

「……同感ですね」


 SB本部の休憩室、そこに野島と春野はいた。SSOと名乗る集団が現れ、何の説明もないまま連れてこられたのがここだった。要と高尾、そして佐渡の姿はまだ見ていない。彼らがどこにいるのか、自分たち同様やつらの監視下にあるのか、端末を取り上げられた状態では確認しようがなかった。


「気がかりなのは、伊助の方だな……。あいつは大丈夫なのか……」


 野島の呟きに、春野は黙って頷く。確かに監視下にはあるが危害を加えられたわけではない。他の仲間たちもおそらくまだ危険な状況ではないと予想がつく。だからこそ余計に、第二世界から戻ってきた後から様子のおかしかった伊助への不安が募る。SBとは関係のない彼はヘレナに連れていかれてしまった。そして彼女らのそもそもの目的が彼にあるような、そんな雰囲気を感じたのだ。


「信じがたいことですが、井村さん以外の何者かが、彼の体を操る、とでも言うのか…そんな感じでしたね。強制的に飛ばされたあのURLの中で何かあったのは確かでしょう」

「くそ……オレが巻き込んだせいだよな。どうにかしてやらないと……」


 伊助が電脳誘拐される前に放った、ピースメーカーの戦士に槍で貫かれてからなにかがおかしい、という言葉。それが嫌でも引っかかっている。優れた技術をもっていたとはいえ、彼はまだ子供だ。そんな子供を巻き込んだ罪悪感が今になって野島を襲う。


「いいえ。今起きていることはおそらく、様々な人間や思惑が絡み合った結果じゃないでしょうか。おれたちの知らないところで、なにか大きなことが動いている。SSOが出てきた時点でそうじゃないですか? やつらに関わるとロクなことがない」

「……確かに、ここへ来てやつらの登場は引っかかるな。オレたちと同じアレを伊助にもやろうとしてるとかだったらマジで笑えねぇぞ」


 唇を噛んで壁を睨みつける野島を、春野は黙って見つめた。

 表には一切出てこない多国籍な技術者組織、それがSSOである。だが、野島を始めSBのメンバーはその存在を数年前から知っていた。彼らだけではなく、全世界の第二世界を守る治安維持部隊は浅いなりSSOとの交流があるはずだ。SSOの目的はその名の由来の通り、第二世界を守るための組織である。だが、事実はそれとは違う。法に縛られることなく自由に様々な技術を開発することが許された組織、それがSSOの実態だ。それを知るのは政府の上層部と第二世界の治安維持部隊のみ。そして数年前、日本政府にやってきたSSOのメンバーである男が野島たちに提案してきた実験があった。ダイブ機器を利用し、実験対象の人間からあらゆる感覚を抹消させる、というものである。


「正直、やつらは行き過ぎた狂人集団だと思うね。存在を表に出さないってところから考えるに、第二世界の平和なんてこれっぽっちも考えてないだろうよ」

「……それは間違いないですね。結果的におれたち…いえ、野島さんと高尾さんが参加させられた実験は、成功と呼ぶには余りにも犠牲の多いものでしたから」

「ま、そのおかげで死なずに済んだこともあるがな」

「それはそれです。あなたは途中で放棄したから良かったものの、高尾さんはあの状態ですから。やはり人間が手を出すべき技術ではなかったんですよ」


 いついかなる時でも微笑みを絶やさない高尾の顔がふたりの脳裏に浮かぶ。実験を完遂した高尾は痛みや快感といったすべての感覚を失い、第二世界であらゆる攻撃にも耐えられる不死身の戦士となった。そして同時に、人としての感情まで失った。


「……過ぎたことはどうしようもねぇさ。まずは伊助の無事を確認しないとな。やつらと同じ空間にいること自体危険すぎる」

「そうですね。ただ、ここに連れてこられた時点で主導権は相手に握られているようなものですが」

「お前はさぁ……打開策を出す気があるのかないのか。現実主義なとこはホントムカつくぜ」

「うるさい」


 苛立ちが募っているのだろう、野島の声には棘がある。吐き捨てるようなその言葉に、春野もまた苛立ちを隠そうともしない。


「最後まで話が聞けないんですね。いいですか、おれが言いたいのはこの状況がどれだけ不利なのかってことじゃないんですよ。んなこた言わなくても分かるでしょうが。おれたちはでは何もできないでしょう。では第二世界ではどうか」

「……それだって不可能に近いぜ、薫」

「ええ。ですが、第二世界に入れればネットワークから井村さんを探すことができる。こっちより自由に動き回れるのは確かですよ」

「へぇ。じゃあお前は、第二世界に行くまでの過程をクリア出来る自信があるわけか。この軟禁状態の中」


 珍しく突っかかるなと、春野は思った。その理由も、なんとなくだが分かった。彼との付き合いは彼の家族の次に長いのだから。


「はい。おれが援護しますよ。なんたって、現実世界じゃおれは、野島さんより強いですから」

「……ぬぅ」


 野島は唇を噛んで顔を伏せる。まったく、負けず嫌いもいいとこだ。春野は小さく息を吐き出して、ゆっくりと立ち上がった。



 そんな中、彼らに自分の話をされていたことは知らない高尾は、突然出たくしゃみの理由を風邪か何かと推測していた。彼は今、要と二人で新宿区須賀町を歩いている。なぜここへやってきたのか、理由は高尾自身にもよくわからない。第二世界で伊助と弥生と知らない少女と物騒な男に出会い、気づいたら現実世界に戻ってきていて、戸惑う要をそのままに防衛省を飛び出してきた。彼を心配して、ひたすら要も付いてくる。歩いている理由は分からないが、目的地ははっきりしていた。以前は民間施設として使われていた建物、そこへ向かっている。


「ごめん、要。もしかすると変なことに巻き込んでいるかもしれない」


 目的地は近い。隣を歩く要の不安そうな表情を横目で見ながら、高尾は言う。要はハッとして顔を上げた。


「いえ。わたしが勝手についてきたことですから」


 そう言いつつも、内心不安で押しつぶされそうである。高尾の様子は明らかにおかしい。見えない何かに操られているようで、自我ははっきりしている。一体この先に何が待っているのか、要には分からない。


「そっか。ならいいんだけど。……あ、多分、あそこだ」


 指で示されたその先を、要の視線が追う。古い二階建ての建物が見える。距離が縮まると、壁に設置された『ピースメーカーの会』というプレートがはっきり見えた。


「……ここに何があるんでしょうか」

「さぁね。入ってみれば分かるよ」


 高尾は微笑みながらそういい、ガラス扉を押し開ける。中は静まり返っていた。人の気配もない。いや、耳を澄ますと階段の方から人の声らしきものがかすかに聞こえてくる。ためらいもなく階段を上がっていく高尾の後ろを、要がついていく。二階に上がると、話し声はある一つの部屋から聞こえてくるようだった。高尾の歩みはそちらへ向かい、要が声をかけるより前に扉を開いた。


「……は、た、高尾俊介?」


 部屋には複数の人間がいた。突然現れた高尾に驚いて全員が彼を見ている。そのなかのひとり、一番ガタイのいい男が早々と高尾の正体に気づいたようだった。


「高尾さん! それに、野島さんまで……」


 次に声を上げたのはベッドに腰掛けていた黒髪の少年だった。目を見開き、そしてどこか嬉しそうだ。まるで知り合いのようなその反応に、要は戸惑う。


「……もしかして、伊助くん?」

「え?」


 表情を変えないまま問いかけた高尾に、要は思わず声を上げる。少年と高尾の顔を交互に見るが分かることはない。


「え、ええと、その、詳しい話はまた後で……。どうしてここに?」


 少年は決まり悪そうに、銀髪の男の顔をチラチラと確認しながら返事する。高尾が伊助だと問いかけた少年は、要の知る伊助とは別人だった。似てもにつかない。だが、少年は否定も肯定もしなかった。そしてこちらに語りかけるその様子は、やはり知り合いのそれである。


「さぁ。どうやら俺は、きみを守るようにプログラムされてるらしい。意思とは関係なしに体が動くし、なんとなくだけど、きみが伊助くんだと分かる。さっき第二世界できみの中にいた人物が大きく関わっているような気がするけど、まぁ、それは後でいいか」


 彼らの話を理解するものはおそらく彼ら以外にはいないだろう。ただ、銀髪の男が呆然とした様子で少年を穴が開くほど見つめているさまは不気味だった。


「ど、どういうことか分からないんだけど……。SBの高尾ちゃんとそこの可愛こちゃんも、この子の味方ってわけ?」


 ガタイのいい男が首をかしげる。問われても、要にはどうすることもできない。だが、高尾は迷わず頷いた。


「ふぅん……じゃあこれから防衛省に抗議デモで殴り込みに行く作戦に参加してくれるのかしら」

「抗議デモ?」

「ええ。まぁ、デモというのは少し大げさかもね。このネット記事、見てない? SB本部でSSOとかいう危ない集団が一般人の少年を人質にして立てこもってるってやつ。その少年が、この子のお友達なんですって」


 高尾と要は顔を見合わせる。要がいち早く端末を取り出し検索をかけるとすぐにそれはヒットした。


『犯罪集団SSO、一般人の少年を人質にSB本部にて籠城』


 大手のネットニュースサイトからマイナーなものまで、全てその記事を取り扱っている。投稿時間は数分前であるから、おそらく高尾たちが出て行ったあとで何かがあったのだろう。


「まぁ、アタシたちもよく理解できてないんだけど……。ウチの事実上の長であるシノくんがこの子に手を貸すと言ったから、やるだけ」

「へぇ、おもしろそうだ」


 そう言って高尾は笑う。少年に向かって、彼は首をかしげた。


「自分の体だからなんとなくわかるんだけど、俺はきみを守るためなら死ぬことも惜しまないっぽい。つまりきみに手を貸すためにここへ来たのか」


その言葉に、要は息をのむ。一体何が始まろうとしているのか、理解は追いつかないがただ一つこれだけは分かった。


――あまりよろしくない展開。



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