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――で。
失礼、閑話休題。
井村伊助はなんとなくではあるが理解した。精神だけが第二世界を伝って、この見ず知らずの少年の中に入ったのだと。
『利用できそうな集団を見つけたからそこでしばらく匿ってもらったらいい』
ウォンの言葉を思い出す。方法は分からないが、今度は自分がウォンの立場となったらしい。他人の精神データにほかの精神データを書き込む。信じがたい技術ではあるが、この状況に陥っている以上疑うほうが無理だといえた。聞く所によると、ここはピースメーカーを称える集団の本部らしい。確かにこの集団は敵ではないのだろうが、ここに因縁の相手である篠田がいたことまでウォンが知っていたかどうかは不明である。いや、彼の性格から考えるにそれはないだろうと伊助は思う。つまり、とんでもない偶然があったというわけだ。期せずして。
最初に感じた拒否反応のような症状はすっかり治まり、伊助は両手を確かめるように握ったり開いたりする。精神と体が同調したとでも言うのだろうか、ふと、自分の体に戻れなくなるのではという不安がよぎってぞっとした。
――そう、おれの体……。
「どう? 少しは思い出してきたかしら? ここがどこで、どんな団体か。あなた、昨日から精神が第二世界から戻らなくなってたのよ。それで、あなたのお母様がなんとかしてほしいって今日の集会に連れてきたわけ。ダメもとでダイブ機器を操作してみてたけど……何がよかったのかアタシたちにはさっぱり」
太い腕を組んで首をかしげながら峰崎が経緯を説明してくれる。篠田は団体のメンバーである真中と古瀬に連れて行かれたのでここにはいない。眉根を寄せたままの伊助に、峰崎はため息をついた。
「アタシたちがいない間になにがあったの? シノくんが急にあなたを預かると言い出したみたいだけど」
その理由ははっきりしている。この少年の中身が井村伊助であると篠田が勘付いたからだ。だが、それを説明するとさらにこの場がややこしくなるだろう。伊助は黙り込み、そして先程から新たに感じる違和感に息を詰める。
『母さん、その変な集会に行くのもうやめなよ』
声が頭の中で響く。少年の声だ。伊助ははっとして目を閉じると集中する。この子の名前は小野勇真、十四歳、母親と姉の三人暮らし。次々に溢れてくるこれは、紛れもなくこの少年の記憶だった。そして納得する。ウォンもこうやって伊助の記憶を共有していたのだ、と。それの応用で、記憶操作も可能なのかもしれない。
「あの……助けてくださってありがとうございます」
とにかくあまり怪しまれるのは避けたいと考え、伊助は必死に言葉を探す。ようやく口を開いた伊助にほっとしたのだろう、峰崎は体格に見合わない優しい微笑みを浮かべた。さてどうしたものかと考える伊助は、先程突然響いた電子音のことを思い出す。
――端末がある……!
血がめぐり、体が熱くなる。慌てて端末を手に取ってネットにつなげようと試み、ようとした瞬間、伊助の顔から血の気が引く。
『こんにちは、伊助。わたしはピースメーカー』
通知欄に表示されたメールの内容が絶望を連れてくる。ここに飛んできたのは伊助の精神だけではなかったのだ。世界の支配者が今この手のひらの中にいる。吐き気を催すほどの緊張が走った。監視されているのだ。この端末でルドルフへ何かしら信号を送ってしまえば最後、ピースメーカーはルドルフを見つけるだろう。
『きみはわたしに、わたしの一部を差し出すべきだ』
そんな伊助の心情を読んだかのようにメッセージを再び受信する。愕然とした。やはりルドルフはピースメーカーの一部だったのだと、ホンモノから告げられたのだ。
『それが最善であると判断し、提案している。アレがきみを救うため手段を選ばなくなる状況になる前に、回収しなくてはならない』
淡々とした文章だった。親友が危険であると、無機質な人工知能にまで言われたような気分である。いいしれようのない怒りが湧き、同時に動揺した。自分はどうすればいいのか、全くわからない。
『伊助、きみは勘違いをしているとわたしは考える。きみも考えるべきだ。本当は、何を作りたかったのか。わたしたちはその意思を継いだのだ。思い出して』
打って変わって意味深なそのメッセージに、伊助はさらに混乱するばかりだ。自分が望んだもの、それは人以外の断罪者。父親が見えなに何かに殺されたように、自分に襲いかかる理不尽を誰からも救ってもらえなかったように、そんな人々を救うものが欲しかった。
――でも、本当は?
次々と送られてくるメッセージに変化があった。今度送られてきたのは何かのURLである。恐る恐るタッチして、リンク先へ飛ぶ。
【秘密結社 SSOの実態】
リンク先はシンプルなホームページだった。でかでかとタイトルがあり、その下に長ったらしい文章と画像が並んでいる。
SSO、ウォンの言っていた組織だ。伊助は黙ったまま視線を走らせる。
【恐ろしく危険な組織のメンバーは以下の通り】
無意識に口が開く。そこには事細かに研究内容やメンバーの個人情報が記載されていた。顔写真までもれなく。伊助は自分の心臓が早くなっていくのを嫌でも感じた。嫌な汗が滲み、唾を飲む。
――晒しだ。
『アレが動き出した。伊助、時間は限られている』
そのメッセージを見なくとも、このホームページを作ったのがルドルフであると、伊助はなんとなく気づいていた。ルドルフはひとりでサーバーに潜り込み、データを盗んだのだろう。何の為に、決まっている、伊助のためだ。今現在、彼の体はおそらくウォンが支配している。その状況を打開すべくルドルフなりに考えて動き出した結果がこれなのだ。かつて自分のやったことと同じ方法で、悪人を退治しようとしている。
――本当に望んだもの。
伊助の唇がかすかに動く。そしてようやく顔を上げた。
「シノさんと話をしてもいいでしょうか」
突然響いた力強い声に、峰崎は驚く。断る理由はなかった。ええ、と、戸惑いながらも返事をし、彼を呼ぶため部屋を出ていく。
「ウォンとおれの体を取り返しにいく」
ピースメーカーがその声を拾ったのかどうかは分からなかったが、メッセージはもう受信されなかった。さて、どう話をするのか、伊助は考える。味方は多い方がいい。
そんなときふと、また新しい記憶が湧き出してきた。これは小野少年の記憶だろう。
『早く! こっち! こっちに来て!』
聞き覚えのあるその声に伊助は息をのむ。目を閉じると映像が浮かんできた。ミニスカートのメイド服、見間違えるはずない、神代弥生の姿だ。
『帰り方、あの数字はこのバス停の順番だったのね。ほら、早くみんな乗って!』
少年視点の映像なのだろう。走っているのかブレが酷い。視界の中には弥生の他に四月一日、そして見知らぬ人間たちが数人いた。瞬時に気づく。ここは夕日坂だ。おそらくこの少年も夕日坂に迷い込んだ人間の一人だったのだろう。彼らは弥生の指示に従ってバスに乗り、そしてその空間が崩れる前に現実世界へと消えた。彼女や他の人々の無事が分かってほっとする。
「じゃあ、この子も精神は無事なのか…よかった……」
安堵感と、そして罪悪感。伊助がここに入ったせいで、小野少年は自由を失っている。彼のためを思っても、早くこの状況をなんとかしなくてはならない。
伊助は唇を噛み、そして再び開いた扉を睨みつけた。
*
うまくいった。最初にそう思った。弥生は立ち上がり、自分の体の感触を確かめる。なんともない。無事に現実世界へと戻ったのだ。
「カミシロ氏! ワタヌキ氏!! よ、よくぞ無事で…!」
興奮気味のもっさんの声にハッとして隣を見ると、四月一日が目を覚ましたところだった。お互い無事だと分かって胸をなでおろす。
しかし。のんびりしている暇はない。
「四月一日、あんたは早退して病院でちゃんと足を診てもらいなさいね。あたしは伊助が気になるから一旦帰るわ」
「え、え、や、弥生ちゃん…! わたしも行く!」
「ばか、だめ。あの危ないやつらがいるかもしれないし」
「でも! わたし、弥生ちゃんよりシステム関係には詳しいし…。い、一緒に行った方がきっと助けになれるよ…! 伊助くんに助けてもらったんだもん。わたしも力になりたい!」
いつもよりハキハキとしている四月一日に、弥生は圧倒される。言われたことも確かにそうだ。弥生だけ行ったところで伝説のプログラマー相手に対抗できるとはとても思えない。それは四月一日が増えたところで変わりはないかもしれないが、彼女の気持ちは弥生にも伝わった。しっかりと立ち上がっているし、足に問題はないように見える。その力強い瞳を見つめ、弥生はため息をついた。
「いいよ、分かった。でも、危なそうだったらすぐに引くからね」
「うん!」
頬を染め、大きく頷く四月一日を見ていると心が落ち着く。ただ、一緒に連れて行くのならこの子を危険にさらすわけにはいかない。顔はお互い割れている。さて、このまま野島家に行っていいものかと考えていると、恐る恐る左手を上げたもっさんが視界の隅に入った。
「あのぅ……な、何事かわからないのでありますが、システム関係ならばぼくもお手伝いできないですかな?」
「は? あんたが?」
「こ、こう見えてもプログラミング部ナンバーツーの実力者でありますからね!」
へぇ、やるじゃない、素直にそう思った弥生のとなりで、四月一日が天使のような笑顔で「部員はふたりだけだけど」と悪気なしに言う。もっさんは呻いた。
「でも弥生ちゃん、
「百坂……」
百坂、もっさん。フィーリングでつけたあだ名ではあったが、結果的にぴったりだったようだ。
「ったく、遠足じゃないんだけど……」
そう言いながらも、システム関係の知識はやはりこの二人よりもずっと浅い。殴り込みに行くわけではないし、数は多い方が後々知恵を出し合うのにも何かと都合がいいような気がした。
「まぁ、いいわ。所詮あたしたちができることなんて限られてるんだから。まずは野島家……」
いいかけて、端末の着信音に言葉を遮られる。見ると弥生の端末から響いているようだった。
「なに……」
『こんにちは神代弥生、わたしはルドルフ。人工知能であり、伊助の友人』
「ごあっ!」
端末から無機質な音声が響いたとたん、四月一日ともっさんが同時に叫ぶ。一体何なのよと肩を震わせ、弥生は二人と端末を交互に見やる。
「ちょ、いま、ちょ……! じ、人工知能って言った? うそ、ほんとに?」
「落ち着いてよ四月一日。一体どうなってんのよこれ。というか伊助の友人?」
『わたしは人工知能。あなたの端末に侵入して話をしている。詳しい話はあとでいいかな。伊助を助けて欲しい』
沈黙が訪れる。いたずらにしては仕組みが理解不能だし、なにより【伊助】というワードが彼女の注意をぐっと引いた。
「どういうこと? あんた伊助を知ってるの?」
『もちろん。つい最近会ったばかりの君よりずっと親しい。いや、そうではなくて。伊助が危ない。彼は今SB本部に連れて行かれている。SSOとかいう変な集団が彼を利用しようとしている』
「SSOって……あの危ない女が言ってたアレ?」
心拍数が上がる。弥生は四月一日と目を合わせると、彼女もまた緊張した面持ちで唇を噛んでいた。
「やっぱりあのあと何かあったのね。作戦変更。目的地は防衛省、SB本部」
『早く、急いで』
「うるっさいわね。いきなり現れて指図するんじゃない。というかあんた何者よ」
『人工知能。伊助が作った人工知能。だからわたしは第二世界を好きに移動できる。伊助の知り合いであるきみの端末を見つけたからこうしてやってきたんだ』
と、言われても、弥生にはさっぱりだ。打って変わって四月一日ともっさんはルドルフが発言するたびに感動の声を上げている。やはり仕組みはさっぱりだが、どうやらこの人工知能とやらは伊助の状況を知っているらしい。この先の一手を見つけられずにいた弥生たちにとって、これはかなり心強い助っ人だった。
「ま、いいや。詳しいことは向かいながらで。作戦はあるんでしょうね?」
『防衛省のシステムに侵入する。彼をあの危険な女から引き離す』
あの女というのがヘレナであると、弥生はなんとなくではあるがそう思った。防衛省のシステムに侵入、その大犯罪級の作戦に、やはり首を突っ込むべきではなかったなと思ったがもう遅い。四月一日ともっさんはそれぞれ小型PCやUSBや様々な道具をバックに放り込んでいた。
「ピースメーカー以外にもこんな高度な人工知能が存在したのでありますか……! 感動! ところでイスケって誰?」
興奮気味に喋るもっさんに、返事をする者はいなかった。そのとき、学校のチャイムが鳴り響く。ゴングが鳴った、弥生は頭の中でつぶやいた。
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