project3 ダーリン争奪戦

1話 お使いの精神はウイルスに感染しているおそれがあります。

1-1


 サイラスが息を引き取ったと部下から報告を受け、彼女は空を仰いだ。

 彼の人生はお世辞にも良いとは言い難かったけれど、痛みのない最後を迎えられたことだけはひとつの救いだったかもしれない。もっとも、彼自身は穏やかな死など望んでもいなかったようだったが。ろくな死に方をしないだろうなとは彼女も思っていたから、人工知能に手を下されたことはそれはそれで特殊な最期であるし、彼に相応しいとも思った。

 同じ志を持つ仲間の死を悼み、ヘレナ・ジャービスはそれでも歩みをやめない。もう少し、あと少しで理想が現実となるのだ。


『他者を理解する上で、言語というのはまず大きな障壁となる。国によって教育水準の異なるこの世界では、言葉の通じない世界中の人々が手を取り合う平和など、実現し得ないのだ』


 名前はすでに忘れたが、どこかの学者が何かの講演会で熱弁していた。内容は彼女の興味を引くものではなかったが、声高らかに叫んだその言葉だけは今でもはっきり思い出せる。隣に座っている学生が目を輝かせながら頷いていたのも、その学者が歓声と拍手を送られていたことも、はっきり思い出せる。


 ――なにこの茶番。


 その時彼女はそうこぼした。


『言語とは、理解の障壁ではない』


 だからこそ翻訳ソフトを開発したのだ。その学者の言う理解の障壁とやらを無くしたかったわけでは決してない。彼女はただ、証明したかったのだ。全世界がひとつの言語で統一されようとも、互いにコミュニケーションが取れようとも、平和などこの世界にはないということを。そしてそれはやはり正しかった。翻訳ソフトを開発して数年、世界から争いごとは消えていない。


『いいかい。人間というのは、価値観というそんな不確かなもので、同じ人間を殺すんだ。そのことに対してボクはこう考える。他人を殺す価値観なんて必要ないと。非常に簡単な答えだ。誰もがその答えにたどり着くことができる』


 彼女は、優秀な技術者として唯一認めたひとりの男にそう話した。彼、ウォーレン・ウォン・ワイマークは返事こそしなかったが、それはおそらく彼が彼女の言葉に少なからず同意していたからだろう。


『精神が可視化できるようになった現代、今こそ必要な技術はなんだと思う? だよ。人の思考を、価値観を、矯正するんだ。人を殺す思想なんて需要はないから消し去ってしまっても問題はないはずだよね』


 精神をクラッキングして、破壊的な思考をはじめ、否定的な思考を全て制圧する。そうすればこの世界に戦争も差別もテロもなくなるはずだと。

 精神支配の技術はほぼ完成した。そのタイミングでピースメーカーとその創造主が再び現れた。これは確かに何かの意思である。彼女は歩みをやめない。ピースメーカーが三年ぶりに現れてすぐ、彼女は日本へ向かった。ウォンが贔屓にしていた国だから何かしらヒントがあるのではないか、と。そして見つけた。


「さぁ、もうすぐ実現するね。これぞまさに、世界平和」


 あの少年のダイブ機器位置情報から探し当てたその場所に、彼女は颯爽と現れた。突然現れた彼女と大勢の人間たちに、家主である男とスキンヘッドの男は目を大きく見開きお手本通りの驚きを露わにしていた。その向こうの椅子に、目を閉じた少年が座っている。ヘレナは、まるで愛しい人にそうするように目を細め、部屋の中へと一歩踏み出した。


「ここは今から我々SSOの管理下となる。ボクはヘレナ・ジャービス。ヨロシクね」




 しかしながら、誰しもがそんな大きな目的を持っているわけでなく。


 そんな彼女とは正反対に、平和だとかなんとか全くもって興味のないシノは、団体から得た今月の稼ぎを確認していた。二階建ての民間施設跡を買い取って団体の拠点にしているその場所には、一階部分が丸々一部屋、二階部分に小さな会議室が3つある。その二階の部屋は、1つが事務所で残り2つはシノ含めた仲間たちの部屋として使っている。事務所でひとり札束を数えるこの時間が、彼のお気に入りの時間だ。

 そんなとき扉の向こうから、センパイ、センパイ、と、耳障りな声がする。一気に苛立ちが溢れはじめ、大きく舌打ちした。古瀬こせというあの女の本名を、シノは知らない。自分もふざけた偽名を使っているのだからそれについて深く尋ねる気はないが、妙に耳に残る甲高いその声は毎日シノの神経を逆なでする。


「うるせぇぞ古瀬ぇ! 次騒いだら頭吹き飛ばすからな!」

「ええっ、そんな物騒なセンパイ……かっこよすぎ!」


 事務所の扉が開けられた瞬間、シノは怒鳴った。思った通り、現れたのは暗い赤毛の髪をした古瀬である。ショートボブのヘアスタイルと黒のパーカーに黄色の短パン姿は、こんな古びた木造建築より渋谷のほうがしっくりくる。両手を合わせ、うっとりとする古瀬は、どこかは分からないが、何かしらオカシイのは確かだ。シノは隠そうともせず舌打ちし、今月の稼ぎの確認を再開する。


「はっ、それどころじゃないんですよぉ、センパイ! 今日の集会で、昨日から第二世界から戻らなくなった信者の息子さんを復活させる儀式みたいなのやる予定だったでしょ? なんと、その息子さん、さっき意識戻っちゃったんですよぉ! すごぉい!」


 一階が騒がしかったのはそのせいか、と、シノは鼻で笑う。定期的に行っている団体による集会の規模はどんどん大きくなっていて、今では入り口で抽選を行って入る人数を制限するほどだ。今日の集会は今までよりずば抜けて特殊だったから、そのせいで余計に多くの人数が集まったのかもしれない。見事に染め上げた銀髪をかきあげ、シノは眉間に皺を寄せる。


「は? どうせタイミングよく意識戻っただけだろ。ま、こっちにとっちゃ奇跡体験どーたらでまたがっぽり稼げそうだしラッキーだな」

「でもでも、すぐに意識なくしちゃったんで、センパイの部屋に運びましたぁ」

「いや、運びましたじゃねぇよ! なに勝手に人の部屋使ってんだ」


 ぎょっとして叫ぶシノに、古瀬は楽しげに笑うだけだ。彼女にはどんな罵倒も通じないと知っているシノはそれ以上言葉を投げることはなく、金を金庫に戻すと渋々立ち上がる。


「集会は一応無事に終わったんですけどぉ、今日のおかげでまたがっぽり稼げましたからぁ」

「そりゃなにより。じゃあそのガキにもさっさと起きてもらってさっさとお引き取り願おうじゃねえか」

「ええ~、センパイ乱暴するつもりですかぁ? そんなセンパイ…ちょーステキ!」


 このテンションが全く理解できない。見た目の雰囲気から考えるに古瀬はシノより年下だろう。行くあてもなくそのひぐらしをしていた時に出会ったゴロツキ集団、そこにいたのが古瀬だった。メンバーは互の過去を知らないし詮索もしない。そこにシノが加わり彼のアイデアでピースメーカーを神と崇める団体を作った。そのは成功したといえよう。

 シノは自分専用の個室へ向かい、扉を開ける。そこには自分のベッドに横になっている黒髪の少年と、それを囲むようにして少年の母親、ゴロツキ集団の一応の長である峰崎、その腰巾着の真中が、それぞれ途方にくれた様子で椅子に腰掛けていた。


「ああ、先生……! 私の息子はどうなったんでしょう? また意識をなくしてしまって……」


 シノの姿を見るなり母親は涙声でそう言った。ほかの仲間が頼りないということで、この集団の指揮は主にシノが取っている。団員は畏敬の念を込めて彼を先生と呼んでいた。


「落ち着いてください。彼はもう大丈夫です。ピースメーカーに選ばれし少年だったのですから。さぁ、ここにいるよりも早く病院に連れて行ってあげましょう。残念ながら、ぼくには医療的な知識がありませんから、彼の健康状態を確認できません」


 眉間にシワを寄せた不良のような顔は消え去り、穏やかな微笑みを浮かべるシノは安心感を与える。母親は自分の信じる人物の言葉にほっとしたのだろう、鼻をすすって、小さく頷く。


「お帰りの準備を。ここはぼくに任せてください。さ、峰崎さん、お母様をご案内して」

「ええ、分かったわ」


 この中で誰よりも体格がよく、ツーブロックの黒髪をワックスで固めた強面の男がそう言って母親の手を優しく引く。彼はいわゆる『オネェ』で、黙っていれば筋肉質でスタイルの良い体と彫りの深い端正な顔はさぞ女に人気があっただろう。すれ違う瞬間に送られるその熱い視線を、シノは難なく躱す。その後ろに真中がついていき、残されたのはシノと古瀬だった。


「ちっ、クソめんどくせぇな。おら、さっさと起きろクソガキ」


 先程とは打って変わって低い声でそう言い、シノは目を閉じている少年の頬を手の平で叩く。癖のない黒髪と不健康そうな白い肌、あまり焼けない体質なのか外に出ないだけなのか。腕も肩も細く、とても華奢な少年だった。


「おい……」 


 今度はもっと強めに叩こうと手を上げたとき、少年の瞼が痙攣する。小さく呻き声を上げ息を大きく吸うと、ゆっくり目を開けた。


「やぁ、気分はどうかな」


 瞬時にシノの表情が穏やかなものへと変わる。少年はしばらく呆然として辺りを見渡していたが、意識がはっきりしてきたのだろう、目の焦点があってくる。そしてゆっくりとシノの方を見て、目が、あった瞬間。


「しっ…篠田……?!」


 少年は目を大きく見開き血色の悪い顔を更に青くした。ベッドの上でずるずると後ずさり、壁ぎりぎりまでシノから距離を置く。


「シノダ? こらこらぁ、センパイのこと呼び捨てにしちゃダメだよぉ」

「古瀬」

「はぁい! なんでしょう。この子殴りますか?」

「うるせぇ。黙ってこいつの母親のところに行け。そんで、息子さんはしばらくこちらで預かるって言ってこい。ピースメーカーの意思とかなんとか言っときゃ納得すんだろ」

「へ? はぁ、まぁ、センパイの頼みなら」


 急に雰囲気の変わったシノが気になりはしたが、古瀬は言われた通り部屋から出て行く。その後で訪れたのは、重苦しい沈黙だった。


「なんで俺の名前を知ってる? お前誰だ?」


 シノ、もとい、篠田は、黒々とした瞳で少年をとらえて離さない。人間味のないそれに、少年は唾を飲んだ。


「おい、答えろよ。いまお前、確かに篠田って言ったよな? パッと見で俺と分かったのはなんでだ? なぁ、教えろよ」

「……ぇ、しら、ない」

「いやいや! とぼけんなって! 今! 言ったじゃん! 言ったよなぁ?! やばい、スゲェ興奮してきた。なんかお前見てるとアイツ思い出すよ。ホントに? まさか? なんで?」


 篠田の大きな手が少年の細い首を掴む。じわじわと力が込められていくそれを、少年は無意識に両手で掴んだ。だか、力は全く緩まない。


「言えよ? じゃなきゃ殺すぞ? 言えって、怒らないから、言えって! いや、じゃあ言わなくていいよ! 殺す、殺してやる、いま殺す! 次会ったら絶対殺すって決めてたし、ちょうどいいや! お前のせいで俺がどんな目にあったか知ってるか? 死んだほうがマシだって思うぐらいの日々だった!」


 息苦しい。血がぐるぐると脳をめぐり脈打たせる。血走った篠田の瞳を見ながら、少年は、驚くべきことに笑ったのだ。


「はぁ?」


 死が迫るこの状況で笑みを浮かべて声を放つる少年は気味が悪かった。篠田も少し怯んだのか、手の力が弱まる。その手を少年が力を込めて握り、また笑った。息を吸い、絞り出すように声を出す。


「なに被害者ヅラしてんだ? おれが死ぬときはあんたも道連れだよ篠田くん……! 死んだほうがましなら勝手にひとりで死ね!」


 手を離していた。篠田はゆっくり後ずさり、咳き込む少年を見つめた。無意識に笑みがひきつる。


「ヤベェこいつ、イカれてるわ」


 呼吸が次第に整い、少年は落ち着いたように見える。首を片手でさすりながら、篠田に視線を向けた。


「お前、井村伊助だろ? 何してんだ? 全身整形でもしたのかよ、あ? わざわざ俺に殺されにきたわけか?」

「……」

「シカトしてんじゃねぇよ、井村よぉ。今更とぼけんなって! また仲良くしようぜ? な?」


 少年は何も言わない。華奢な姿には不釣り合いな意志の強い瞳だけが篠田を向いている。何を考えているのか、篠田には分かるはずもない。


「……ここは? 東京?」

「は、東京に決まってんだろ! 新宿って知ってるか? 井村くんはどこから来たんでちゅかねぇ」


 先ほどの怒りと興奮は跡形もなく消え去った様子の篠田はヘラヘラと笑う。少年の目にも彼は精神的に何かしら問題を抱えているように見えた。自分の言葉に反応がない時間が続くと、篠田から笑が消え眉根が寄っていく。よろめきつつも近くの椅子に腰掛け、彼はせわしなく太ももをさすり始めた。


「ああ、くそ、くそ、馬鹿か俺は。くそ、井村なわけねぇだろが。なぁ? お前井村なのか? これ以上に俺に痛い目見させたいのか? お前のせいでこの有様だぞ。社会でまともに生きていけないんだぞ?」


 篠田は混乱しているようだった。少年に訴えるようではなく、独り言のように、呪文を唱えるように、ブツブツと語り続ける。その声が聞き取れないほど小さくなった時、少年の持っていた端末から電子音が鳴り響いた。その瞬間、篠田は短く悲鳴を上げる。


「おい! お前! 俺の前じゃ電源を切れってあれほど言ってるだろうが! 消せ! 消せ! 今すぐ消せよ! あああああ、くそ、最悪だ、こんな……。くそ、なんで薬……、どこやった、アイツ…っ」


 錯乱状態の篠田に驚き、少年は慌てて端末の電子音を消す。それでも篠田は落ち着きなく目をキョロキョロさせ、体を揺らしていた。


「センパイ? どうしたんですかそんなに怒鳴ってぇ。お母さん簡単に説得できて帰っちゃいましたよぉ」


 そんな時現れたのは先ほど出て行った古瀬だった。こんな状況の篠田に驚きもせず涼しい顔の彼女は何事もなかったように彼に笑いかける。


「古瀬ぇ、テメェ俺の薬またどっかやっただろうが……! 渡せ!」

「ありゃ、また発作ですねぇ。だめだめ! ウチのセンパイはぁ、お薬なんかに頼る弱っちい男じゃあありませんからぁ。センパイがんば!」

「くそが! くそ、お前、殺してやる……」


 肩で息をしながらも怒鳴るのをやめた篠田に、ようやく彼が落ち着きを取り戻したと思った少年はぎょっとする。呆然とした篠田の両目から涙が溢れ出していたのだ。それを拭いもせず呻きながら頭をかきむしる彼を、古瀬はうっとりしながら眺めている。異様な光景だった。


「ちょっと古瀬ちゃん! シノくんいじめちゃダメでしょ!」

「あ、ボス来ちゃった。だってぇ、センパイの泣き顔可愛いもん」

「それは同意するけどシノくんがかわいそうじゃない」


 声を聞きつけたのだろう、峰崎が慌てて部屋に入ってきた。迷わず篠田に駆け寄り、水と錠剤を手渡してやる。


「ほらシノくん、もう大丈夫よ」


 ガタイのいいオネェと性格が歪みきっている少女と情緒不安定な不良、そんな人間に囲まれた少年、いや、井村伊助は、今までにない怒りをウォンに抱いた。


 ――とんでもないところに飛ばしやがったな、あのヤロウ……

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