3話 きみのチョルチン

3-1


 アメリカ人の父と韓国人の母を持つ彼は、父親からファーストネームを、母親からミドルネームをそれぞれ名付けられた。ウォーレン・ウォン・ワイマーク。WWWというまるでウェブサイトのようなイニシャルを、彼は好んでいた。

 そんな彼は、日本へ留学した中学二年のときに劇的な出来事を体験する。それは、そのとき講師として学校にやってきたハッカー、井村との出会いだった。

 元々理解力に長けずば抜けて優秀だったウォンには、特にやりたいことも目指す人物もなくその才能を持て余していた。だが、井村が繰り出すコンピュータとの対話を目にした瞬間彼の世界は変わる。数本の指でキーボードを叩き、自分の思い通りにコンピュータを動かす。それはまるで魔法のようで、別世界が確かに見えたのだ。


「ええ、おれ先生なんて立派なもんじゃないよ」


 ウォンが直接彼に教えを請うと、井村は照れくさそうに笑っていた。

 彼は二十代で教育特化型のアプリケーション開発会社を立ち上げ、急速に成長を遂げたことでちょっとした有名人でもあった。マナブくんと名付けられたアプリケーションは、ダイブ機器を利用して人工知能搭載の少年型アバターと会話形式で一般教育から大学入試対策について学習できるといったものである。まるで予備校のようなサービスであり、だが予備校よりも気軽である程度無料だということから、それは画期的なツールとして多くの利用者を短期間で集めたのだった。

 ウォンは彼の人柄や技術力に憧れ、プライベートでもよく連絡を取り合って会うような仲になる。ウォンのハッカーとしての技術は、井村から教わったものだった。井村の会社もますます大きくなり、いよいよ新しい開発が本格的に始まるぞとした頃。問題は起きた。


【マナブくんによる洗脳。十二歳男子、親を殺害】


 衝撃的な記事とともに世間に知らされたのは、誰も思いもしなかった事件だった。警察の調べによれば、加害者の少年は常日頃マナブくんのアプリを利用しており、親への不満を相談することもあったそうだ。その少年にマナブくんがアドバイスした内容は、親の殺害、である。少しずつ、少年が違和感を覚えない程度に殺意を芽生えさせ、そして実行させたのだと。もちろん最初は誰もが半信半疑だった。だが警察の捜査が入り徹底的に調べたところ、ごく稀な確率で、マナブくんが攻撃的行動を触発させるような言動をすることが分かった。

 世間は手のひら返しで井村を批判した。あれよという間に会社は倒産し、ネット上には有る事無い事書かれ、個人情報も晒され、追い詰められた井村は自宅で遺体となって発見された。警察は、自殺で間違いないと発表している。

 そして彼の死んだ数日後、マナブくんのは、井村のライバル会社へ転職した元社員のクラッキングによるシステム異常であったことが発覚。世間はまた手のひら返しで、井村を擁護しライバル会社を批判した。


 と。


 感傷に浸っている場合ではない。



「……へ、ヘレナ、ジャービスって、ほ、ホンモノ? だって、お、男の人だし…。ヘレナさんは、女の人なんじゃ…」


 警戒しながら、隠しきれない興奮を顕にしながら、四月一日は尋ねる。ヘレナと名乗った金髪の男は満足げに微笑んでいるだけだった。世界的に有名なハッカーであるヘレナ・ジャービス、ハッカーやそれを目指すものであれば知らない者はいない。


「いや、そこじゃないよ四月一日。ワイマーク病のウォーレン・ワイマークが伊助で、そいつがピースメーカーを誕生させた人間だって、そう言ったのよコイツ」

「わっ」


 唸るようにそう言って、弥生は四月一日の腕を引いて伊助から遠ざける。その重苦しい空気に、四月一日は身をできるだけ小さくすることしかできなかった。


「違う。伊助は伊助だ。ぼくは、伊助の体を借りているだけ。すぐ理解できることではないだろうけど、世の中にはとんでもない技術がたくさんある。その中の一つに、精神データに他人の精神データを組み込めるような技術があるってだけのことだ。信じられなくても、目の前のぼくとそこにいる変態が証明しているだろ」

「……ふざけないで。伊助をどこにやったの。あいつに何かしたらタダじゃおかないわよ」

「ぼくが彼に?! 何もするわけないだろ。ぼくは彼を守るためにこうしていたんだから。そしてピースメーカーがぼくを起こした。こうなることは少し予想していたけど…」


 突然大きな声を出した伊助ことウォンに、二人の少女は圧倒される。未知の存在というのが嫌でも恐怖を与えるのだ。沈黙が訪れたのを見かね、金髪の男ことヘレナは肩をすくめた。


「……さて、紹介も終わったしそろそろいいかな? きみが都市伝説サイトとかいうやつにあんな分かりやすいヒントを出すものだから、飛んできちゃったんだよ。何人か興味本位でやってきた輩もいたからこの子に削除してもらってたけど。塔の宝って、きみが完成させたあのプログラムのことだろ? 早く回収して一緒に帰ろう」

「冗談は性格と顔だけにしろよ」

「あはっ。でも、ここから逃げられないのは確かだよ。手始めに伊助くんのお友達をこの子に殺させようか」


 再びウォンとヘレナのにらみ合いにゴングが鳴り響く。終始笑みを浮かべながら物騒な提案をするヘレナの方が、体格がいいのも加わって迫力がある。一方ウォンの方は姿は伊助のままであり頼りない。他の人間が見ても、勝機がどちらにあるかは明らかだろう。

 だが、ウォンはヘレナを嘲笑う。


「上から目線が上手なのは相変わらずなんだな。ここはぼくが伊助とつくった場所だ。逃げ道がないのはお前の方だよ」

「ボクは逃げない。目的を実行する力があると知っているだけ。よぉし、サイラスくん、やっちゃえ」


 空気が変わる。冷ややかな笑みを浮かべながら気の抜けるかけ声を出したあと、金髪の男もとい、サイラスの瞳から光が消えた。腰あたりに手を伸ばして取り出したのは、四月一日を刺したのと同じあのナイフだった。


「……次は一撃で仕留めてあげよう」


 哀愁漂う声色は、初めてサイラスを目にしたときと同じものだった。なんとなくではあるが弥生と四月一日は、ヘレナ・ジャービスとサイラスの人格が再び入れ替わったのだと分かった。それはつまり、命の危険を指す。


「…あんたが何者かは一先ず置いとくから四月一日連れて離れてて。あたしでも時間稼ぎくらいにはなるでしょ」


 二人の前へ出ながら、弥生は堂々と言い放つ。片手を腰に当てサイラスを睨みつける彼女に恐怖は見えない。まっすぐ伸びた背中に、四月一日は何も言えなかった。


「…ぼくから言わせれば、一瞬でやられそうだけどね。助っ人を呼んだから彼に任せた方がいい」

「助っ人?」


 何のことだと眉根を寄せる弥生の目に、あるものが飛び込んでくる。サイラスの頭上に突如現れたのは、塔の中に無数にあった木製の扉だった。かちゃりと音を響かせ、扉から降ってきたのは、なんと高尾俊介である。


「あ、」


 思わず声をあげたのは弥生だけではなかった。口をぽかんと開けたまま高尾はサイラスの頭上に落ちていく。だが殺人鬼の反応は早かった。ナイフを構え頭をさっと低くして高尾を避ける。着地するより早く、サイラスの攻撃が高尾を襲った。


「わお、危ない」


 本当にそう思っているのか怪しい間の抜けた声をあげながら、高尾は空中で体の向きを変えて迫り来るナイフを避けた。案の定、彼の口元は微笑んでいる。そのまま回し蹴りの要領でサイラスに向かって右足を振り下ろした。負けじとサイラスもその攻撃を片腕で防ぎ、またナイフを突き出す。

 まだ着地できていない高尾にとってその攻撃を防ぐ術はない。数秒間のその動きをなんとか目で追っていた弥生は息をのむ。ここからでは助けようがなかった。


「残念」


 高尾の声がやけにはっきりと聞こえる。彼は右手を伸ばしてその手のひらでナイフを受けたのだ。鋭い刃が高尾の手のひらを貫き、刃の根元まで深々と刺さる。見ていた人間の方すら痛みを感じてしまうその衝撃的な光景に、しかし、高尾は笑っていた。サイラスも一瞬だけ戸惑いを見せたようだったが、反応は早い。空いた片方の手で腰からもう一本ナイフを取り出すと、無防備な高尾の胸に向けて素早く突き出した。的確に心臓の位置を狙い、確実に刺した、はずなのに。彼は絶命するどころか笑ったままである。サイラスの目が大きく見開き、そして高尾の右脚が彼の左頬に迫り、見事命中した。


「ど、ど、どうして……っ?!」


 四月一日のひっくり返った声が響く。またもや脳震とうを起こしたサイラスは膝からゆっくり崩れ落ち、その場にうずくまった。お決まり、けろっとした高尾の顔がギャラリーのほうを向く。そこに知り合いの姿を確認した彼は少しだけ目を見開いた。


「あれ、伊助くんに弥生もいたんだ。ここどこか分かる?」

「それどころじゃないわよ、なんで今ので平気なの……!」

「ん? 訓練の賜物?」


 ヘラヘラするだけの高尾に弥生は腹立たしさを覚える。野島や要と違い高尾との付き合いが多いわけでもなく、彼女は彼があまり好きではなかった。が、今はそんな事を言っている場合でもない。


「やられたくなかったらぼくのそばに寄れ!」


 ウォンのその声にハッとして、弥生と四月一日は言う通りにする。高尾も首をかしげながらも駆け足でそれに従った。それを確認したウォンは空中に右手を上げ、それを合図に木製の扉が現れる。呆然とする一同に、そこへ入るよう促し最後に自分が飛び込んだ。今までどおりぱっと目の前が真っ白になり、そして別の場所へと移動する。たどり着いたのは外だった。夕焼けの赤い日差しが降り注ぐこの場所は、どうやら塔の頂上らしかった。


「……なによアレ」


 弥生が見つけたのは彼女の胸の高さくらいに浮いた黒い球体だった。それは空中に浮いたまま動かない。黒々とした直径三十センチほどの大きさで、大きめの水晶玉にも見える。


「あれが、ぼくがここに隠した宝。あの変態どもが狙ってるものでもある。名前はENDエンド。データを完全消去するいわばウイルスみたいなものだ」

「よく分かんないんだけど……どこにでもあるようなウイルスじゃないの? あんなヤバそうなやつらが欲しがる程のものには思えないけど」

「ただのウイルスじゃないから欲しいんだよ」


 正直な弥生の意見に応えたのはウォンではなく、サイラス、もといヘレナだった。やはりあれだけで倒せる訳もなく、彼女はさっさと追ってきた。おそらく移動ツールである扉のプログラムに手を加え、ウォンたちのログを追っているのだろう。


「ボクらの組織は優秀なプログラマーたちが集まってそれぞれ研究をしているんだけど、その中でも抜群に優秀だった彼が研究していた削除プログラムがそれ。普通のデータはもちろん、第二世界のあらゆるデータにそれは作用する。たとえばそう、ここにいるボクたちもそう。精神データごと消し去るウイルスだ」

「そ、そんな、ことが…?」

「うん。できるんだ。だからこそ、数年前にネットワークへダイブしたまま戻れなくなったワイマーク病の第一発症者である彼をずっと探してた。戻れなくなった、というのは表向きの発表だけどね。実際は逃げたんだ。ボクたちプログラマーが思いつく限りの技術をもってしても連れ戻せなかった。それは不慮の事故として処理され、きみはつい最近まで死んだものと扱われていたのに」


 自分のつぶやきに返事が返ってきたことに四月一日は驚き、そのままウォンの背中に身を隠す。それでも、ヘレナの話への好奇心は恐怖心を軽々塗りつぶしてくれた。


「しっ、CIAすごい……」

「いやいや! それも表向きの話。ボクはCIAなんて大層なところには所属していないよ。第二世界保安維持機関、通称SSO。きっとキミたちも近い将来知る事になる機関だ。ちなみに今のボクやウォンが使っている他人の精神データに自分の精神データを書き込む技術はボクが作った。あと、精神データを削除とはいかないがダメージを与えるプログラムなんかもね。キミの足を怪我させたあれなんだけど、ウォンが直したのかな?」


 どうやら伊助の修復プログラムを彼女はウォンがやったものだと考えているらしい。そのことに対しウォンは沈黙した。弥生も四月一日も、口を挟まない。


「……そしてそこの兵隊さんだよ。まったく、日本政府に肩入れしてたのは知っていたけど、不死身の兵隊をつくるなんてなかなかエグいコトするね、ウォン?」

「俺のこと言ってる? なんか取り込み中みたいだけど帰っていいかな」


 そんな中、ヘレナと同じくらい落ち着いているのは先ほど突然やってきた高尾である。腕を組み首をかしげる彼の胸と手のひらは損傷を受けたままで、形が崩れていた。


「なるほど、痛みを感じないんだね。いや、感覚そのものがのかな?」


 その問に、高尾は答えなかった。微笑んだまま感情のない瞳で彼女を見つめている。


「まぁ、いいや。ウォンを連れて帰れば済む話だからね」

「出来るならやってみろ」


 ウォンが一歩前へ出た。そしてあの球体に向け右手を伸ばす。


「ENDはまだ未完成だ。でも、誰ひとりとして完成させることはできない。ぼくがそうした。これの起動方法は、アレに実装させること。だからわざとメッセージを残した。お前みたいなあぶない奴らがうっかりここに迷い込んで、ついでに消せるように」


 ――最も消したかったやつは罠にかけられなかったけれど。


「……なるほどなぁ、ますますきみが好きになったよ。手段を選ばないその倫理観、素晴らしいね」


 ヘレナのその笑みは、これまで見てきたものの中でも最も凄みがあった。大好物の獲物を見つけた肉食動物のようで、ただ本能剥き出しで喜びを顕にしている。


「アレって、なに?」


 緊張した空気に耐えられず弥生が問う。嫌な予感がしているのは彼女だけではないはずだ。黙ったままのウォンにもう一度問いかけようと口を開いたその時だった。どこからともなくこの世界に聴き慣れた音楽が響き渡ったのだ。防災無線定時放送、『夕焼け小焼け』のチャイムである。赤色に塗られた世界に大音量で響き渡るそれは、なにかとんでもないことが起こる前兆のようでもあった。


「な、なに?」


 弥生が後ずさりながら辺りを見渡す。その中で笑っているのはやはりヘレナだった。


「こんな間近でお目にかかれるなんて光栄だなぁ、支配者さま」


 突如、空から無数の紙が降ってくる。それは塔から見渡す限りの空から降っていた。まるで何かを祝福する紙吹雪のように。降ってくる紙にはそれぞれ同じ文字が書かれていた。


【Hello world!】


 アレがやってきたのだ。

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