2話 虎と馬

2-1


 漫画やアニメの中で陰キャラ、として位置付けされている存在がいる。彼らの見た目はどれも似たようなもので、誰が見てもそれは十中八九陰キャラなのである。そして彼らを擬人化……というのはいささか言葉が違う気もするが、意味的にはつまり擬人化したような人間、それが弥生の隣の席の四月一日わたぬきさんだ。黒縁の分厚いレンズのメガネにセミロングの黒髪、そして猫背で人見知りで一言も発さないその少女は、苗字を除いてクラスメイトから陰キャラと位置付けられている。


「や、や、弥生ちゃん。の、野島さん、昨日すごかったね……」


 と、そんな彼女にもクラスに唯一話のできる友人がいる。それが隣の席の神城弥生である。長いポニーテールを揺らして颯爽と現れた彼女に、四月一日さんはボソボソと声をかけた。カバンを肩に担ぐその姿はさながらガキ大将である。


「あ?  ふふ、そうね。実はもうひとりの助っ人がいたんだけど、四月一日には教えない」

「た、高尾さん……でしょ?  知ってるもん」

「ぶっぶー、不正解」


 前髪も長くて眼鏡もかけていて、四月一日さんの表情は読みづらい。しかし、口をまん丸に開けて頬を赤くしている様で、興奮しているのはすぐ分かる。


「だ、だれ……! 新しいSBのひと?」

「だから教えないって言ってんじゃん。企業秘密ってやつ。ふふ、あんたに少し似てるかも」

「え、え、えーっ?」


 慌てふためく四月一日さんのリアクションに、弥生はにっと笑う。


「ワタヌキ氏! お話があるであります……っ」


 そんな眩しい彼女の後ろから現れたのは、四月一日さんとよく似た黒髪セミロングの眼鏡の少年。隣のクラスの……彼の名前を弥生は知らない。ただ、四月一日さんと同じプログラミング部の人間ということだけは覚えていた。フィーリングで『もっさん』というあだ名を密かにつけているのは四月一日さんにも内緒だ。

 突然現れた彼に驚いた四月一日さんは、ふと考えるように顎に手を当て、そしてまた口をまん丸くして弥生を見た。彼女の言わんとしていることに気づいた弥生はとりあえず首を左右に振っておく。


「コイツじゃない」

「だ、だよねぇ……」


 ほっとしたようにはにかむ四月一日さん。だがそんな和やかな雰囲気をぶち壊すように、もっさんは四月一日さんの手を引いてきた。


「授業始まるまえに少し見ていただきたいものが……! さぁ、急ぐのだワタヌキ氏」

「ほ、ほほぉ……」


 なすがまま連れていかれる四月一日さんともっさんを見送って、弥生は肩をすくめた。四月一日さんが嫌がっていないと分かるので、おそらくもっさんは悪い人ではないのだろう。同志にしか分からないなにか面白いネタがあったのかもしれない。


 だが、それ以降、授業が始まっても四月一日さんは戻ってこなかった。



「おい、四月一日どこやった。言わないと埋めるわよ」

「ひっ、ひぃぃ……」


 一時限目が終わってすぐ、弥生は隣のクラスのもっさんの元へ文字通り殴り込みに行った。ちょうど青い顔で廊下に出てきたもっさんの肩を後ろから鷲掴みにして問い詰める。


「そ、その……、ぼ、ぼくも誰に言えばいいのか分からなくてぇ……!」

「なに? なんか知ってるなら言うのがアンタのためだと思うけど」

「と、とにかく……付いてきてくださいお願いします……っ」


 顔色は悪く、額には汗が滲んでいる。眼鏡の向こうにある涙目が何かを強く訴えていて、弥生はなにも言えなかった。早足で歩き出すもっさんの後に大人しく付いていく。

 四月一日さんはとても真面目な生徒であり、授業をサボることなど弥生には考えられなかった。これはもっさんが何かしたに違いないと決めつけ怒りのままにやっていたまでは良かったが、どうやら弥生の思っている以上に何か深刻なことが起きているらしい。

 連れていかれたのはプログラミング部の部室だった。微かに震えるその手で、もっさんが扉を開け、そして弥生は息をのむ。そこには、椅子型のダイブ機器に座ったまま目を閉じている四月一日さんが居たのだ。


「きっ、昨日、ぼくが見つけた、マルウェアの仕掛けられたURLがありまして……その、興味本位でワタヌキ氏にダイブしてもらったんです……」


 危うい足取りで四月一日さんの元へ近寄る弥生の耳にぼんやりと、もっさんの声が滲んでいく。


「そ、そしたら、ワタヌキ氏……戻ってこなく、なって……」

「あたしが連れて帰る」

「えっ、カミシロ氏、えっ」


 なぜちゃっかり名前を知っているのだということはこの際どうでもよい。弥生は、四月一日さんの横に置いてあるもう一台の椅子型ダイブ機器に腰かけた。


「カミシロ氏、き、危険ですよ? こっちからどう操作しても戻ってこないし、まるでワイマーク病ですよ?」

「うっさいわね。さっさとそのURLとやらを設定しなさいよ。これでもわたしは自称野島武の弟子なんだから」

「かっ、カミ氏……!」


 弥生の気迫に負けたのか、もっさんは素直に指示に従った。ふと野島や要の顔が浮かんだが、ダイブ機器はすでに作動を始めていた。もしかして一人じゃ手に負えないのかもしれない、そう思った直後、意識は第二世界へとダイブした。



 *


 ルドルフの声が聞こえない。どうやら、ひとりだけこの空間へ飛ばされてしまったらしい。

 目的もないまま歩き続けながら、伊助は辺りを観察する。住宅が並んでいるというのに人の気配はない。これから帰ってくる家主たちをそっと待っているようだ。どこか、懐かしい気分になる。おそらくあまりよろしくない場所に迷い込んだことに間違いはないだろうが、不思議と恐怖はなかった。


【塔の上に隠された宝?】


 家と家とを遮る塀に、チラシのようなものが何枚も貼ってある。そのうちの一つには、新聞の見出しを切り取ったものもあった。塔、というのは奥にそびえ立つあれを指しているのだろうか、伊助はオレンジ色の光に目を細めながらその塔を眺める。いくらか歩いたと思ったのに、塔との距離は全く縮まっていないようだった。


【秘密結社の陰謀とは】

【切り裂き魔に注意!】

【帰ってきた◼︎◼︎◼︎◼︎】


 それ以外にも新聞記事や赤い字で書かれた注意書きなど無造作に貼られている。無機質な文字が、置き去りにされたような街が、いつまで経っても沈まない夕日が、不気味だ。ここが第二世界であることには間違いだろう。だが、いったい誰がなんのために作った仮想空間なのかが全く理解できない。個人的に作ったとはとても思えないほど広大な空間で、だからといってプグナやネットショッピングなど何かを目的とした行為ができるわけでもないようだった。そして一番気がかりなのは、現実世界へということ。あらゆる操作を試したが、伊助の精神は自分の意志で現実に戻ることができなくなっていた。この場所がそれを妨害しているのか、なんなのか、はっきりしないままこの世界をさまよっている。


「――ぇ」


 ぎくりとした。無意識に歩みを止める。伊助の目線の先に、こちらに背を向けてうずくまる黒髪の少女がいたのだ。伊助よりも小柄で、高校の制服だと思われる格好をしている。


 ――まさか、幽霊?


 直感的にそう思った。ゆっくり後ずさるつもりだったのに、それより先に少女が伊助に気づく。凄まじい勢いで振り返り、その動きに伊助は声を上げそうになった。


「ひ、ひえぇぇ……! の、呪わないでぇ……!」


 しかし、幽霊は予想に反して怖がりだった。伊助の姿を見るや否やしりもちをついて両手で顔をかばうようにして覆う。その手の隙間から、長い前髪と、分厚いレンズの眼鏡が見えた。幽霊ではない。彼女は人間だ。


「お、落ち着いて……呪わないし……」

「はっ、しゃ、喋っ……も、もしかして人間の方、ですか……?」

「……もしかしなくても人間の方です」


 そこでようやく彼女は落ち着いたようだった。どこにそんな空気を溜めていたんだと尋ねたくなるほど長く息を吐き出し、そのあとでようやく笑顔になる。


「よ、よかったぁ……。と、友達が見つけた謎のURLにダイブしたらこんなところに来たまま戻れなくなっちゃって……あ、はは……」

「URL? もしかして、都市伝説サイトの書き込みにあったやつ?」

「へ? え、えっと、その、サイト名は忘れましたけど、たしかそんな感じなこと言ってた、気がします……」


 彼女の言葉で、伊助は自分がどこへ飛ばされたのか確信した。あのマルウェアの仕掛けられていたURL、それにダイブしたのだ。ダイブした瞬間精神データが消去されるようなことにはならなかったが、まさかこんな広大な仮想現実空間が存在していたことに驚きを隠せない。ここへ来た経緯は分からないが、やはり自分の中で何か把握しきれていないことが起きているようだ。だがそれよりも、まずは今はここにいる状況をなんとかしなければならない。せわしなく髪をいじる少女に視線を戻す。

 人のことを言えたものではないが、彼女は挙動不審だった。分厚いレンズの下にある瞳はよく見えないが、きょろきょろと伊助とは違うところを見ているようだ。人の目を見るのが苦手なのだろうと察しがつく。伊助にとってそれは親近感が湧いた。


「あの、おれは井村伊助。おれも、そのURLにダイブしてここをさまよってたところで……。とにかく、一緒に出口を探しません?」

「わっ、ワタヌキと申します……。お、おねがい、します。わたしもひとりじゃ心細くて……」


 全く同じ気持ちだった。彼女に手を貸して立ち上がらせる。ワタヌキは思ったよりも小柄だった。立ち上がっても、伊助の胸あたりにちょうど頭がある。野島さんの妹より少し高いくらいかなと、伊助はあの無表情な少女を思い出す。それと同時に、弥生の顔も思い浮かんだ。なぜか、というのはすぐに分かる。ワタヌキが来ている制服は、今朝弥生が着ていたものと同じだったからだ。


「おれの知り合いも、ワタヌキさんと同じ高校行ってるよ」

「えっ、ほ、ほんとに? な、なまえ、なんですか? わたし、友達少ないから分からないかもですけど……」

「神城弥生ってひと」

「やっ、弥生ちゃん、ですかぁ……! すごいっ、わたしの隣の席ですよっ」


 初対面の緊張をどうにかしようと共通点を探ってみたが、どうやらその結果は想像以上によいものだったようだ。挙動不審な動きがぴたりと治り、ワタヌキは嬉しそうに口を丸くして伊助を見上げた。


「ほんとに? なんか世間狭いな」

「ビックリした……。そういうことも、あるんだぁ……」


 昨日からSBの中心人物たちと会話をしていたおかげだろうか、ワタヌキとの会話は今までのどの会話よりスムーズだ。伊助の顔には自然と笑みが浮かぶ。


「ワタヌキさん、どれくらいここにいる?」

「え、えっと……1時間はたぶん、経ったかなぁ……。ここ、仮想現実空間なんだよね……? すごく凝った作りになってて、ほんとすごいの。その、そう、それで気づいたことがあって…」


 先程までの穏やかな表情が消える。立ち上がるために伸ばされた伊助の手を未だに離さないのは、何かを恐れているのだろう。ワタヌキの雰囲気はそう伝えていた。


「この空間、ここにいる人たちの行動とかでなにかしら変化してるみたい、なんだけど……。あの、ほら、張り紙みたいなアレ……」


 ワタヌキの視線を追ってたどり着くのは、伊助も何度も目にしていたあの張り紙である。ぞっとしたのは、その内容が最初見たものと変わっていたからだ。


【8人やってきて、3人やられました。そのあと2人がやってきたので、1マイナス】

【塔の宝は誰の手に。殺人鬼優勢】


 一つ一つの記事は本物の新聞と何ら変わり無い。言われてみると伊助にもなんとなくわかってきた。この記事はいわば、この仮想世界の新聞記事なのだ。いま、ここで、何が起きているか。リアルタイムで知らせてくれるツール。


「それが本当だとするなら、あまりよくないことが起きてるっぽいな……。8人やってきて3人やられたっていうのは…おれたちの他にもここに誰かいて、そのうち3人に何かあったってこと、かな」

「わっ、わたしも、そう思っちゃって…それで、一人で歩くのが怖くなって、そこにいたんだけど……」


 ワタヌキの気持ちは痛いほどわかる。伊助自身、ワタヌキと一緒にいてもまだ不安だった。塔の宝というフレーズもなにか手がかりのような気がするが、それ以上に気がかりなのは殺人鬼という単語である。さきほど伊助が見つけた切り裂き魔の単語も重なって、不安は募るばかりだ。それでも、お互い言葉にはしなかった。確信がないから、ではなく、ただひたすらに恐ろしいからだ。


「分かりやすく言うと、RPGのダンジョンみたい、なんだぁ。えっと、この辺にある家は、中に入ろうとすると違う場所へワープするの。たぶん、それぞれの入口に指定座標への移動がプログラムされてるんじゃないかな……」

「なるほどね。おれも何度か、個人が作った仮想現実ダンジョンで遊んだことあるけど…ここはその巨大バージョンって感じか」


 個人の作成する仮想現実空間は、自由度が高い。だが伊助の言う仮想現実ダンジョン、いや、そもそも自作の仮想現実空間は正直自己満足レベルの代物である。世間にはプグナ然り、名作と言われる仮想現実ゲームが多く存在しているのだ。わざわざ個人の素人が作った仮想現実で遊ばなくとも、それ以上の感動と興奮が得られるコンテンツは世界中に溢れている。


「ここを作ったやつは相当な変態だな……」


 全く未知の空間に対する恐怖心はあったが、それと同時に関心もする。伊助の思う変態とは褒め言葉である。それはワタヌキにも通ずるところがあったのだろう、彼女もまた興奮気味に何度も頷いていた。


「ここがダンジョンとするならつまり、敵もいるってことかな。あんまり考えたくないけど、その、張り紙の情報も気になるし……」

「そ、そうだね……。い、伊助くん、移動してみる?」


 ここに留まっていても何も始まらないのは確かだ。伊助は頷いて、歩き出そうとして、まだ手が握られたままであることに戸惑う。


「あっ、ごめ、ごめんなさい……。こっ、怖くてその……繋いでても、いいですか……?」

「ええっ?! あ、いや、おれは別に……」


 数年前から異性どころか他人と一切関わりを持たなかった伊助にとって同い年の女子と手をつないだまま行動を共にするというのは正直なところ無理ゲーではあるが、贅沢は言ってられない、というよりその時点で贅沢と言っていいのではあるがそこは男子の威厳よろしく平然を装いたい井村伊助。


「と、とりあえずまずはその辺の家に入ってみようか?」

「は、はいぃ……」


 自分以上に怖がっているワタヌキのおかげで、幾分力が湧いた。男の自分がしっかりしなくてはと、柄にもなく意気込んで彼女の手を引く。まず開けたのは、左手にある二階建ての住宅の扉だ。片付けられた玄関が見えたと思ったら目の前が一瞬真っ白になり、気づけば小さな公園にいた。


「ほんとだ……こうして違う場所に移動できるのか」

「いっ、伊助くん、伊助くん、伊助くん!」

「えっ、なに、なに?」


 突然悲鳴のような声を上げたワタヌキに伊助は情けなく身構えてしまう。彼女を見ると、真っ青になりながら前方を指差していた。その手も、大きく開けた口も、震えている。


「……主よ、今から私の犯す罪をどうかお赦しください。そして哀れなあのこどもたちにどうか安らかな眠りをお与えください」


 ブツブツと何かを唱えながらこちらにやってくる人影があった。輪郭が固く、身長も高い、金髪の男だ。彫りの深いその顔立ちから考えるに、日本人ではないようだった。黒色のスーツを身にまとい、死人のように光のない灰色の瞳が伊助たちを捕らえて動かない。そしてなによりふたりを震え上がらせたのは、その男の後ろに倒れた女性と、男が手にしている刃物だった。


「悲しい日だ……。きみたちで、4人目。おお、主よ。彼らに苦しみのない最期を与え給え」


眉根を寄せて哀愁漂うその言葉と声色と表情は、全て男の瞳が台無しにする。間違いなくあの目は堅気ではない。伊助は文字通り頭を抱えた。くじ運が悪い、というのにも程がある。最初の扉の選択肢がバットエンドフラグだったとは。


「ま、まさか、そ、そんな……」


 ワタヌキは震えながら、やっとのことで言葉を絞り出す。横目で見ると、どうやら先ほどと様子が少し違っていた。口元が緩み、頬が赤い。息を大きく吸って、彼女は叫ぶ。


「ほっ、翻訳ソフトにも対応しているなんて……!」


 そう。そうなのだ。それは伊助も同じことを思った。思ったけれど、ふさわしくないと思って言葉を飲み込んだ。その点において感動するということは、やはりワタヌキは同志らしい。だからといって見過ごすわけにはいかない井村伊助。そんな彼女に一言、この場に最もふさわしい言葉を。


「ンなこと言ってる場合か!!」


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