1-3

 野島は慌ててポケットから端末を取り出す。そこにはいつもと変わらない画面が表示されているだけだ。声がしてくるのはそのスピーカーからだ。


「……驚かせてすみません。そいつはルドルフ。数年前から一緒にいる、人工知能です」

「じ、人工知能? 会話ができるのか?」

『そう。あなたより多い言語が使える。わたしは彼といつも一緒だ。だから伊助の行動もちゃんと見ていた。つまりわたしが証人だ』


 二人とも目を見開いて端末を凝視している。その驚きように少し得意になったが、優れた友人を自慢する時間ではない。


「すごい、完璧な対話ができるんですね……。あなたが作ったんですか?」

『そう。伊助がわたしを作った。わたしの役割は彼のサポート。一緒にプログラムも作るし、助言だってできる』

「信じられない……あなたはもっと違う場所でその能力を使うべきですよ。自分の戸籍情報なんていじっている場合じゃないでしょうに」


 春野の反応は意外なものだった。スキンヘッドの強面は相変わらずだが目が輝いて見える。それに少し安心したものの、ルドルフがあっさりと嘘をついたことに対して動揺していた。ルドルフは突然現れた製作者不明の人工知能だ。ルドルフ自身も製作者を知らない。意識を持ったときすでに、井村伊助というユーザー登録のされた端末にいたということだった。確かに今の時点では話がややこしくなるためルドルフの誕生について触れるのは避けた方がいいのかもしれない。


「と、とにかく。ルドルフのことを黙っていたのは謝ります。言ったら回収されると思ったから……」

「まぁ、オレもお前だったら同じことをしたかもな。人工知能ってだけでやたら警戒されるご時世だしよ。で、そのお友達が伊助の行動を見ていたわけか……」


 野島も春野と同じように、興味深そうに端末を眺めている。ルドルフの助けのおかげで話は思った以上にスムーズに進んでいた。


「このURLを安易にクリックする人間が増えればとんでもない損害になってくるかもしれません…。おれのせいだ……」

「お前のせいだとかそういうのはまだ決めつけちゃいけねぇとこだろう。ピースメーカーどうこう言う前にまずはこのサイトを閉鎖してもらうのが先決だ」

『それか、わたしがこの記事を消してこようか』

「それだ! 早く言えよルドルフちゃん!」


 端末に指をさして叫ぶ野島は見ていて滑稽だが確かに彼の言うことは的を射ている。伊助もハッとしたのもつかの間。ルドルフが無機質な声で、終わった、と言い放つ。慌てて確認するとあの投稿は消えていた。


「……こんなあっさりと」

『わたしは第二世界のどんな精神よりも自由だ。人ではないから。ある程度のデータなら簡単にいじれる。ちなみにURLはコピーしたから安心して』


 確かにルドルフにとってこの作業は造作もない。動揺しすぎて次の一手を見失っていた伊助は、ルドルフがいつもより活き活きしている様子にようやく笑みがこぼれる。


「とにかく……井村さんの言う異変とやらは、わたしか野島さんか、誰かがそばにいれば確認できるでしょう。井村さんさえ構わなければしばらくここに居たらいいんじゃないでしょうか」

「まるで自分の家みたいに言うなよ」

「わたしの家でも構いませんけど、わたしは気の利いた会話が出来ませんし井村さんが息苦しいかと…」


 真面目な顔で言うものだから、春野のそれが冗談なのか本気なのかよく分からない。伊助よりも彼を知る野島は何も言わず肩をすくめた。


「ま、ここなら要も弥生も居るしな。お前が不安ならしばらく泊まってもらって構わないぜ」

「え、でも……」

「また今回みたいにお前が変な負い目感じるよかマシだろ?URLの解析は上の連中に任せれば何かしら分かるだろうし、今は難しいことは考えないでいようぜ」


 内心、心強くて涙が出そうなくらいだった。今までルドルフ以外の存在と関わってこなかっただけあって、新鮮な感覚だ。初めて野島からのメッセージが届いたとき、一歩踏み出したことに間違いはなかった、そう思える。


「と……にかく、まずはこのURLが一番の手がかりだ。ウイルスについての報告も、もしかしたら既に上がっているかもだが今回は待機が先決だろ。ダイブしなきゃワイマーク病も関係ないからな。伊助もしばらくはやめておけよ」

「……分かりました」

「というわけで…一旦仮眠とってもいいか?伊助に何かあればルドルフが知らせてくれるだろ?」


 帰って来たときからげっそりしているなとは伊助も思っていたので、むしろ早くそうしてもらいたいほどである。同じ場所に自分以外の誰かがいればあとはどうとでもなる。伊助は迷わず頷いて苦笑した。


「じゃあ野島さん、おれ先にお風呂借りてきますね」

「は? 帰らねぇの?」

「とりあえずは。井村さんも不安定でしょうし、人数は多い方がいいんじゃないですか、今のところ」


 それも一理あるなと呟き、だが野島の返事を待たずに春野はさっさと部屋を出て行く。風呂場に向かったのだろう。言葉遣いや一人称、雰囲気、全てが第一印象と違う彼に伊助は少し驚いたが、おそらくあれがプライベートでの春野なのだろう。


「遠慮なさすぎだろ。オレより先に風呂行くか?いつもあんなだから今更どうでもいいけど」

「なんか…意外です」


 野島の言葉に伊助は笑う。苦手意識のあった春野ではあるが、彼なりに伊助を気遣っているのだろう、それはしっかり伝わったので気づけば体の力が抜けていた。


「はー、あいつ戻ってきたら教えて。あと家にあるのはなんでも自由に使ってくれていいから」


 そう言って野島は畳の上に横になる。すぐに寝息が聞こえそうな彼の様子に、心が落ち着いていった。最強の男も同じ人間なんだなと、当たり前のことを思う。


 そのあとは穏やかな時間が流れた。春野と入れ替わりで野島が風呂へと向かい、春野との会話を探しながらしどろもどろで会話をしているとあっという間に野島が戻ってくる。

 退屈しのぎに…と居間にあるブルーレイプレイヤーで最近流行りのアメコミ実写映画を再生してくれたりと至れり尽くせりだった。野島もヒーロー物が好きなのかと伊助自身そわそわとしたが、このディスクは高尾が持ってきたまま忘れて帰ったものらしい。なんだかんだで仲が良いのかもしれない。


『ふたりとも寝てしまったね』


 ふたりの寝息が聞こえたのだろう。ルドルフがそう声をかけ、伊助は笑う。


「人と関わるとロクなことがないってさっきまでは思ってたけど……。これもこれで悪くないなって思ってきた」

『わたしも伊助以外の人間と会話するのは初めてだったけど、まるでわたしも現実にいる仲間のひとりみたいで楽しかったよ』

「そっか。お前はいつもそっちでひとりだもんな」


 ふと、ルドルフを思って切なくなる。なんだかんだで、彼もしくは彼女には実態がない。それは当たり前のことではあるが、伊助にとってルドルフは誰がなんと言おうと一番の親友である。会ったことも触れたこともない。本当の声も知らない、それは大した問題ではない。ただ、現実世界には決して出てくることのないルドルフがそのことをどう考えているか、伊助には知る由もない。


『心配してくれているんだ、嬉しいね。けど、わたしは伊助と一緒に居られれば十分だから』

「……安上がりなやつ」

『照れている』

「照れてない」


 人工知能に言い負かされている。伊助は無意識に首後ろを撫でた。


「……おれとお前は別として、正直、人間同士はさ、現実世界でしか本当の繋がりっていうのはないのかもしれないな。今ならなんか、よく分かる気がする」

『話をそらしたな』

「だからそんなんじゃ……」


 時間はあっという間に過ぎて行く。お気に入りの映画が流れていることも良かったのかもしれない。気づけば物語は終盤だ。

 ピースメーカーの存在も、自分の行動に関する不安も、全て忘れ去ってここにいたい。ここには第二世界にはない何かが確かにある、そう哲学的なことを考えながら、伊助は目を閉じた。


『伊助、どこに行くの』


 机に置いた野島の端末のカメラで見ていたのだろう、突然立ち上がった彼にルドルフは呼びかける。


「じっとしてるのも飽きてきたから、少し探検してみようかなって」

『なるほど、野島家はわたしも興味あるよ』

「だろ。野島さんも寝てるしちょうどいい」


 ルドルフの返事はない。しばらく沈黙が続く中、伊助は端末の画面に向かって首をかしげる。


「どうした?」

『お前、伊助じゃない。誰だ』

「は、ちょ、ちょっと待ってよ? 今は何もおかしくないんだけど……」

『ふざけるな。わたしの知っている伊助はそんなんじゃない。わたしはごまかせない』


 眉根を寄せて戸惑いの表情を浮かべていた伊助の顔が、一瞬で変化した。瞳に感情がなく、冷ややかなそれで端末を見下ろしている。


「お前の知っている伊助? 調子にのるなよ、単なるデータのくせに。音声、表情を分析して異変を判断しているだけだろう。何が、だ」

『野島武、起きろ。誰か違うやつがいる』

「たった数年、一緒に居ただけのくせに…知ったふりするなよ。伊助を一番理解してるのは……だ!」


 瞬間、けたましい音が野島の端末から鳴り響く。ルドルフが目覚まし機能を作動させたのだ。その音に野島と春野は飛び起きる。だが、それより先に伊助が駆け出した。


「伊助は?!」

『早く、追って。伊助が連れていかれる』

「くそ、マジかよ…、どうなってんだ?!」


 最初は半信半疑だった二人もこの状況下では信じるほかない。寝起きだというのにさすがというべきか動きは素早かった。


「おい! 止まれ伊助! ここはオレの家だしどこへも行けないぞ!」

「いや……まずいですよ野島さん! 狙いは現実じゃない、第二世界だ……! 彼を電脳誘拐するつもりです!」


 システムに疎い野島でも春野の言葉はすぐに理解した。つまり、伊助を動かしている何者かは、ダイブ機器を探しているのだ。そして向かっている先にある自分の部屋には椅子型のそれがある。


「くそ、くそ、クソッタレ!」


 野島の自室へ入る伊助、その数秒遅れで野島と春野が部屋に飛び込む。彼らが目にしたのは、ダイブ機器に座った伊助の姿だった。


「伊助!」


 呼ぶ声虚しく、伊助の意識はなくなった。第二世界へとダイブしたのだ。


「行き先は……」


 呼吸を整えながら野島は春野を見上げる。春野の長い指がダイブ機器の入力画面を指し示した。


「井村さんが見つけた、あのURLです。……完全にやられました」


 野島は唇を噛み、すぐ横の壁に拳を叩きつけた。



 *


「……冗談きつい」


 また、記憶がないうちにどこかへ移動していた。だが、今回は野島の家とは全く違う場所だと分かる。

 伊助の目の前には緩やかな下り坂がまっすぐ伸びていて、その横には転々と家が建っている。都心の喧騒と離れた閑静な住宅地だ。そんな景観に明らかにふさわしくない廃墟のような塔が奥にそびえ立ち、夕日が淡いオレンジ色の光でこの不可解な世界を照らしている。

 伊助は引きつった笑みを浮かべ、ふらふらと歩き出した。そうする他になかった。そして電柱に記されている住所を見て息をのむ。


【千代田区七番町夕日坂】


 どうやら、とんでもないところへ来てしまったらしい。どうか夢であってほしいと願いながら、ゆっくりと歩き出した。

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