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ようやく解放されたときには午前8時を過ぎていた。戦士についての報告と、そのあとでピースメーカー対策会議と立て続け、一睡もしないままこの時間だ。うんざりする。
佐渡たちSBは、勝手な行動をしたということはやはりかなりの批判を受けたが、実際うまくいったということと、日本国民がそれどころではないことが重なって意外と話はすぐに終わった。佐渡は結局伊助のことについては何も報告せず、それにどんな意図があるのか野島には分からない。だが、やはり野島にとっても、伊助の身の保証がどうとか言っているどころではないのかもしれない。
「なんでいきなりワイマーク病が流行り始めるんだ? 絶対ピースメーカーの仕業だろ」
外の空気を吸って、背伸びして、野島は空気と共に言葉を吐き出す。政府のお偉い方たちとのピースメーカー対策会議の内容は、やつの次の動きについてと、突然多くの発症者が出始めたというワイマーク病についてがほとんどだった。
「わたしも思います。だから、一刻も早くピースメーカーの呟きの真意を解かないと」
同じく長い会議にうんざりした様子の春野がそう言う。心なしか声が低い。
日本政府がSBと共に出した結論は、ピースメーカーによる電脳誘拐説だった。彼らが都市伝説信者なのかというとそうではなく、ただ、今までに上がっているワイマーク病発症の報告が、何時間も精神が戻らないままであると使用者の家族や友人たちから通報があったというもので、ワイマーク病と決定づけるまでに至らないということだったからだ。本人の意思で帰ってこないのか、帰れないのか、この経過時間だけではなんとも言えない。そして同時にかなり多くの発症報告というのも初めてのことだ。何か裏があると考えるのが当然だろう。
「それに、野島さん……これ見てください。ピースメーカの言っていた千代田区七番町を検索するとこれが。この投稿者、怪しいと思いませんか」
「お、このサイト見たことあるぜ」
春野の持つ端末に表示されていたのは、都市伝説まとめサイト。一番上の投稿がリアルタイムなネタを扱っていて二人の目を引いた。
「昨日から短時間で、ネットワークから戻らない人間が大勢でていて、そいつらみんなピースメーカーの呟きにあった千代田区七番町に行ってしまったってワケか?」
「この投稿者はそれと結びつけさせたいみたいですね。検索エンジンの一番最初にヒットしていますし、かなりのアクセス数があるんでしょう。信じがたい話ではありますが、もしこれが本当ならば興味本位でその場所を探す人間が大勢出てきて被害は増えるばかりですよ」
「ちっ、次から次へと忙しいな! この投稿者、調べてみたら何か分かるんじゃねえか?」
白い歯を見せて笑う野島に緊張感がないのはいつものことだ。戦士との戦闘で受けた影響は全くなさそうなことに春野はほっとした。
「そうですね。ただ、わたしたちはまた待機命令が出ています。昨日の件に引き続き勝手な行動は避けた方がいいでしょう。それに、この程度の情報、すでに政府は調べて始めているんじゃないでしょうか」
「それもそうか。じゃあオレらは伊助に調べてもらってみようか?あいつの方がなんか色々掴んでくれそうだ」
「……正直、わたしは彼を信用したわけではないのでなんとも言えませんが」
「警戒しすぎだろ。フツーの子どもじゃねぇか。とりあえず電話してみる」
伊助と別れる前、何かあればと連絡先を聞いていた。登録時に目の前で電話をかけたので、偽物の番号ではないことは確認している。野島は手早く端末を操作し、春野にも通話が聞こえるようにして電話をかけた。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』
「……あれ」
無機質なアナウンスに二人は顔を見合わせる。もう一度かけるも結果は同じだった。
「逃げたんじゃないでしょうか」
「バカ言え。今更だろ。あいつは頭がいいだろうからそれはないって」
「それは分かりませんよ」
そっけない態度の春野を横目で見上げ、野島は肩をすくめる。会議は一旦終了していて、昨日から休めていない野島たちは休息を与えられていた。防衛省を離れることにはなんら問題はない。
「じゃあお前も一緒にオレん家来る?」
「ご一緒します」
野島はもう一度肩をすくめ、先に帰っていると妹にメールを送信する。それを横でじっと見ている春野を野島が睨んだ。
「なんだよ」
「いえ。ほんと過保護だなぁと」
「フツーだろ」
ふんと鼻をならして端末をポケットに突っ込む。行くぞ、と短い言葉を合図に二人は歩き出した。
*
うまくいっただろうか? 彼は考える。確認をするにはなにかしらコンピュータを操作しなければならない。彼は室内を確認し、誰かの個人的な部屋へとたどり着く。綺麗に整頓された、可愛い動物のキャラクターぬいぐるみが飾ってある一人部屋だ。そこにある机に、小型のノートパソコンが置いてある。しばらく使われていない古いものだったが、電源は入った。運の良いことにパスワード設定されておらず簡単にデスクトップ画面が表示される。
『驚いたよ伊助。あのURLなんだったのかな』
パソコンのスピーカーから声がした。音声システムを使って誰かが語りかけてくる。
――くそ。
少し眩暈がした。空気を深く吸って、目を開ける。
『伊助、どうしたの』
「……え、あれ、ここどこ?」
『さあ。コンピュータの内蔵カメラから確認するに、あの要と呼ばれていた子の部屋じゃないかな。野島武がウサギみたいなそのぬいぐるみを飾っていたら少し引いちゃうから』
しばらく呆然としていた伊助だが、すぐに点と点が繋がる。ここは野島家の一室。先程突然起きた出来事に動転してコンピュータを探しに来た、のだろう。あまりの動揺で、ここへ移動した記憶がない。
「と、とにかく。お前が無事でよかったよ。けどおれの端末は死んだな。ダウンロードしたアプリケーションどころか電話もメールも、全機能が消された」
『あのURLがマルウェアだったんだ。伊助、どうやって仕込んだの』
「だから……おれは知らないんだって。あの記事投稿したのも、あのサイトに変なURL仕組んだのも、おれじゃない」
『けど、わたしはしっかり見ていたよ。あのサイトに行って書き込みしたのは伊助だ』
沈黙が訪れる。ルドルフが嘘をついていると思う他にないのに、それはないとどこかで思っている伊助は困惑する以外の方法が見つからない。
千代田区七番町夕日坂、都市伝説。どれもピンとくるフレーズではないのに、あの不気味な記事は伊助が投稿したものだという。どんなに記憶を辿っても、そんな行動には心当たりがないのだ。
「……とにかく、何かおかしい。だってさっきもそうだ。おれ、この部屋に入った記憶がなかったし……」
『落ち着いて伊助。そこまで言われるとわたしも昨日の投稿は何かの見間違いだったのかもしれない。それか、誰かが伊助の投稿をいじったとか』
「いや、おかしいって絶対…! そう、あれ…あの戦士の槍で貫かれてから何か……」
――きみのともだちだよ。
気持ちが悪い。戦士に刺された腹部あたりを触ってみるが当然穴などない。だが、相手はあのピースメーカーだ。何かされたのだと、嫌でも考えてしまう。
「伊助ー、いるかー?」
「……っ」
聞き覚えのある声だ。間違いない、野島武の声。伊助はコンピュータ画面を見つめ、眉根を寄せた。
「ルドルフ……これは、おれたち二人じゃどうしようもないかもしれない」
『わたしは伊助が大丈夫ならなんでもいいよ。野島武にわたしのことを話すんだね』
「必要なら。もしそれで政府に突き出されそうになったらお前だけ逃げろよ」
『伊助が大丈夫なら、ね』
さすがと言うべきか、ルドルフには余裕がある。そもそも、ルドルフの存在を口止めされていたわけでもない。単にそれを打ち明ける人間が周りにいなかったというだけである。伊助は唇を舐め、コンピュータの電源をそのままにして玄関へと向かった。
「お、ちゃんと居たな。悪いな、一人で留守任せてて。お前の端末、電話繋がらなかったけど充電切れ?」
向かう途中の廊下で野島とばったり会う。その気さくな笑みを見るとホッとするものの、後ろに控えていた春野の姿に息が詰まった。何だかんだ警戒されている彼にルドルフのことを言うのはあまり気がすすまないが、そんな場合ではない。
「充電切れとかではなくて……話すと色々長くなるんですが、昨日のピースメーカーの呟きを調べてて見つけたサイトがあるんですけど…」
「お! 都市伝説サイトだろ。話が早いね」
まあ、座ろうぜと、野島は居間へと二人を促す。それぞれ座布団に座り、伊助はそこに置きっ放しにしていた端末を手に取った。
「野島さんたちも見たのなら分かると思いますが、あそこの最新投稿記事が気になったので少し調べてみたんです」
自分がそれを投稿したらしいというのはまず伏せておいた。野島は伊助の顔色が良くないことに気づいたようで、最初と打って変わって眉根が寄った顔になっている。
「あの記事のデータを解析したところ、ソースコードのコメントにURLが書き込まれてるのを見つけて……」
「ソースコードのコメント……」
「プログラム自体には何の影響もない、プログラマーが残したメモのようなものです」
すぐさま野島の浮かべたハテナに春野が解説する。なるほど、と返事した彼がちゃんと理解したのかは分からないが、伊助は話を続けた。
「で、そのURL、そのままだとどこにもアクセスできないただの文字列だったんですけど…。最後の小文字vが四つ並んだ部分をw二つに変えてみたんです。そしたらかなりデータ量の多いサイトにリンクして、しばらくしたら、この状態に」
言いながら、自分の端末を手渡す。それを覗き込んだ野島と春野はそれぞれ首を傾げた。伊助の端末は、電源こそついてはいるものの、何のアプリケーションも入ってない単なるハードウェアと化していたのだ。
「初期化……とは違いますね。全てのデータが消された、そういうことでしょうか」
春野の真剣な視線に負けないよう、伊助は大きく頷いた。
「えっと、つまり、そのURLってのにウイルスかなにかが仕掛けられていたってことか?」
「おれはそう思ってます。クリックしたら最後、そのURLにアクセスした端末やコンピュータの全てのデータが破壊されるみたいです」
「おい、まさかそれって……」
野島が引きつった笑みを浮かべ独り言のように言う。彼の言いたいことは伊助も分かった。だが、違う。
「昨日から発症報告が増えたワイマーク病は、このURLに安易にダイブしてしまった精神データが消された結果……確かにそう思うかもしれないですが、多分違います。そもそもマルウェアのようなウイルスは精神データに作用するものとは別ですから」
伊助の言う通り、精神データに影響を与えるウイルスは存在しない。第二世界において精神の脅威とは、それに対する直接的、つまりは物理的攻撃である。ウイルスに侵されたソフトウェアを修復するため、ダイブを使って適切な処理をするのが現在の主な解決方法とされているくらいだ。たかだかURLに仕込まれたマルウェアで精神データが破壊されるとは考えにくい。
だが、それも少し違う。
黙り込んだ伊助の言いたいことが分かったのだろう、春野は彼の代わりに口を開く。
「ですが、もしこのURLを仕掛けたのがピースメーカーなら話は別、と井村さんは考えているみたいですね。わたし自身、精神を破壊するウイルスの存在は信じ難いですが、確かにあの人知を超えた化物ならばそれも可能かもしれません」
「……はい。ただ、その」
ピースメーカー絡みならば可能だと思える現象。伊助もそう思うのに、簡単に頷けない。切り出すならこのタイミングだろう、伊助は顔を上げ、自身を奮い立たせるように拳を握る。
「そのURLが仕掛けられていた投稿……、おれが書き込みをしたもの、らしいです」
「は? らしいって、なんだよ?」
「おれにはそんな書き込みした記憶がないからです。昨日からおかしくて…さっきも移動した記憶がないのに別の部屋に居たり……。野島さん、おれ、ピースメーカーに何かされたのかもしれないです。昨日、攻撃を受けたときに精神データをいじられたのかも」
言っていて鳥肌が立つ。だが、不安も限界だったのだろう、伊助の口からはぼろぼろと言葉がこぼれていく。彼の話を聞いた二人はお互い困惑の表情を浮かべていた。ただそれ以上に伊助が途方に暮れていて、野島は慌てて彼の肩に手を添える。
「落ち着けよ伊助。お前には記憶がないんだろ? じゃあお前は何もしてないはずだ」
「違うんです、勘違いとかそういうのじゃなくて……その、あいつも、書き込みするところを見てたって言ってたから…」
「あいつって…弥生か?」
「違います。み、見てもらえばすぐに分かるから……」
ここまできてまだ迷っていた。ルドルフのことを話すのはもちろん初めてで、どう切り出していいのかも分からない。伊助の緊張が移ったのか、二人とも黙って伊助を見つめていた。その、静まり返った空間に、無機質な声がしたのはそんな時だ。
『こんにちは、野島武、春野薫。わたしはルドルフ』
名前を呼ばれた二人は驚いて辺りを確認する。おそらく彼らのどちらかの端末に侵入したルドルフが音声データを使って話しかけたのだ。
「な、なに」
『あなたの端末から話しかけているんだ。わたしは伊助の友人。見ていたのはわたしのことだ』
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