project2 ここは千代田区七番町夕日坂
1話 トシデンセツ
1-1
星の名前しかり発明の名前しかりスポーツの技名しかり、それぞれ人名が多いというのは周知のこと。
という前置きを踏まえ、ワイマーク病というのがある。なにが言いたいのか、そう、つまりワイマークさんが……とその後に続く説明は[以下略]で事足りる。
ウォーレン・ワイマークという青年がいた。元々プログラマーの彼は、現実世界に居場所を見出せずいつしか第二世界に引きこもってしまう。彼のリアルは現実ではなく、誰にも邪魔をされない自分だけの世界があるネットワークだった。他人に迷惑をかけないというのもあり、それはそれで人生の選択肢の一つとも言えたのかもしれない。だが、ワイマークの生活はそう長く続かなかった。なにが起きたのか、戻れなくなったのである。ダイブ機器は正常に作動しているのにも関わらず、ワイマークは現実世界に精神を戻せなくなったのだ。
ある一定の時間ダイブをしているとそうなるのか、体調や環境などが関係するのか、原因は未だにはっきりしていないが、第二世界にダイブしたまま本人の意思に反して現実に戻れなくなる現象がある。それが後にワイマーク病と名付けられ、今に至る。現実世界に対する嫌悪感が大きな要因だという仮説が最も有力だとされているが、事実はまだ誰も知らない。予防対策として現在のダイブ機器は、数時間に一回は現実世界に精神が戻るような設定になっている。それでも、年に一人二人というごく稀な割合で発症報告が上がっていた。
という前置きを更に踏まえ、こんな都市伝説がある。
三年前に現れて消えたピースメーカーの子どもたちが、人間の子どもたちを攫っていく、というものである。おそらくワイマーク病から想像して誰かが考えたのだろう。現実世界に戻れなくなった原因、それはかつてピースメーカーが八人の首相をネットワークへ誘拐したように、精神が連れていかれたからだ、と。
確かに辻褄の合うそれは、不気味で、謎めいていて、人々の心を惹きつける都市伝説だ。実を言うとワイマーク病はピースメーカーが現れる前から発症例が認められており、やはり噂話の域でしかない。それでも、その話は今日も今日とてどこかで語られる。信じるか信じないかは……と、得意げな顔で締めたいところではあるが、ここ最近事情が変わってきているらしい、んだよね。
「わたしの友達の友達が、昨日から戻ってこないんだって」
それは明らかに、噂話の域を超えていた。ダイブのユーザーが第二世界から戻れなくなった、つまりワイマーク病の発症報告が次々と上がったのである。
そうは言っても、昨日の夜からダイブどころかネットに触れていない伊助はその事件をまだ知らない。世間がざわつき始めているころ、彼は、なぜか野島家の居間で朝食をとっていた。
「……の、野島さんは、帰ってきてないんですね」
向かい側に正座して姿勢良く白米を口に運んでいる弥生に、伊助は恐る恐る声をかける。昨日初めて出会った時とは違い彼女は高校の制服姿で、がらりと雰囲気が変わっていた。ちなみに髪型はツインテールからポニーテールになっている。
「そうね。武くんも要も昨日の一件で対応に追われてるみたいだし」
「そ、そうですか……」
「ていうか、なんで敬語? あたしとアンタって年変わらないでしょ」
「まぁ、多分……」
会話が途切れた後に訪れる沈黙が苦しい。どんぶりいっぱいに盛られた白米があっという間になくなっていく様子に驚きを隠せないが、それをうまい具合に会話に持っていくスキルは伊助にない。
早く逃げ出したかったが、なかなかそうもいかない。伊助が今までやってきたいわゆる犯罪行為があっさり露見してしまい、佐渡に指示されたのはとにかく待機とのことだった。ピースメーカーの呟きで、戦士が倒された情報はあっという間に世界中に知れ渡った。もちろん日本政府も例外ではない。うまく戦士を倒せたといっても、やはり勝手な行動をした佐渡たちは咎められる。だが、約束通り佐渡は伊助を逮捕したり政府のお偉いさんに引き渡したりはしなかった。関係者に話を聞かれる前に伊助を野島の家に匿ったのだ。
「伊助は高校生?」
「え、いや、高校には行ってない……」
「ふぅん。じゃあ仕事してんだ?」
「……仕事っていうか、なんというか。それっぽいのはやってるけど」
世間一般でいう社会人ではないのは確かだ。伊助の主な稼ぎははっきり言って合法ではない。それが出来てしまう仕組みが悪いのだと開き直ることは簡単だが、同い年の女の子に胸を張れるようなことではないのは明らかである。
「か、神代さんは、野島さんの家に住んでるの?」
あまり自分のことを訊かれるのは都合が悪いので、意を決して質問してみた。だが、弥生は隠そうともせず嫌な顔をする。誰もが認める美人なのだが鼻にシワをよせるその表情は残念としか言いようがない。
「苗字で呼ばれるのあんまり好きじゃない」
「や、弥生さん」
「さん付けされるの好きじゃない」
「や、弥生……ちゃん」
冷や汗かきながら必死に言葉をつなぐ伊助に、弥生はまだ不細工な顔を向けている。しばらくして肩をすくめ、鼻を鳴らした。
「ま、いいや。そうね、色々事情があって住ませてもらってる。タダ飯ぐらいなのもヤだから自称使用人として家事やらなんやら手伝わせてもらってるの」
「そ、そうなんだ……すごいね」
「すごくないよ。要の両親たちが親切なだけ。高校にも行かせてくれたし」
少しだけ弱々しくなった弥生の声に戸惑い、そこでふと、弥生の両親は?と疑問に思う。だが、伊助はそれを尋ねようとはしなかった。弥生の言う色々な事情とは、彼女の家庭の事情も含まれるのだろう。
「じゃ、あたしは学校行くから。片付けよろしく」
「えっ、え?」
「ちゃんと留守番しててね」
空になった食器を運んでいき、弥生の姿は消える。離れたところで足音や水の流れる音が響いて、スクールバックを持った彼女が廊下を通り過ぎていくのが見えた。
「あ、あの、おれはどうすれば……」
「あたしも分からないわよ。とりあえず、ここにいたほうがいいんじゃない?」
「いや、おれひとりだけで? そんな無用心な」
野島も、野島の両親も、家にはいないようだった。よく知らない人間に留守を任せるなど正気だろうかと伊助は困惑するが、弥生が足を止めることはない。
「いってきます」
伊助が初めてここへやって来たときと同じ玄関で、振り向いて弥生はそう言った。
「いってらっしゃい……」
彼女を呼び止める術はない。伊助はほぼ無意識にそう返事し、にっと少年のような笑顔をお見舞いした弥生を見送った。いってらっしゃいという言葉を誰かに発したのが久々過ぎて、少し感動している。だが、それに浸っている場合でもない。
「ルドルフ、どうしようか……」
途方にくれ、独り言のように言葉がこぼれる。返事がすぐにないところをみると、昨日から弥生と会話していたことに拗ねているのかもしれない。
「ルドルフ。いるんだろ。無視するなよ」
『無視、じゃない。黙っているだけ。伊助の真似』
「……それが無視とどう違うのか説明して欲しいんだけど」
やっと端末から返事があった。声に抑揚がないのはいつものことだが、そっけないと感じてしまう。
『そんなことより、だ。わたしは迂闊に動かないほうがいいと思う。伊助の顔はもう見られているわけだし、逃げたところであちらの追跡の方が上だろうから。第二世界に逃げるのなら別だけど』
「精神だけ逃げてどうするんだ。ダイブ機器の安全装置をはずして長時間ダイブしてワイマーク病、とか笑えないからな」
『ワイマーク病は、病というより突発的に起こる現象だ。長時間ダイブで精神が戻れないなんてわたしは思わない。放置された現実の体の機能が停止すれば話は別だけど。第二世界においての精神破壊と、現実世界に残された体の死は繋がっている。そして体の死を迎えて残された精神はいずれデータの波に飲まれて消えると言われている。実際のところどうなのか気になるところだけど、伊助が消えたら嫌だから第二世界の逃避行はおすすめではないね。どうかな、伊助。わたしがいつにもなく真面目な事を言うなと思っただろう。実は面白そうな情報を見つけた』
いつにもなく真面目な事を言うな、より、よく喋るな、というのが実際の感想ではあるが、あまり構ってやれなかった罪悪感も少なからずあるので伊助は黙ってルドルフの話を聞いた。
『ワイマーク病の発症報告が昨日から驚くほど増えているらしい。これもピースメーカーの仕業かな』
「……笑えなさすぎ」
もしそれがピースメーカーの仕業だとするなら、状況は昨日の戦士よりも悪い。今度は無作為に被害が出ているのだ。伊助自身、ワイマーク病がピースメーカーによる電脳誘拐だという都市伝説は聞いたことがある。ピースメーカーの再来のせいで、嫌でもそれが現実味を帯びてきている。
『そういえばピースメーカーのつぶやき、あれと関係あるかな。伊助は何かあると思っているみたいだけど』
「おれ? いや、千代田区七番町なんて地名ないし、ネットで検索してもヒットする情報はなかったじゃん。日本の、しかもピンポイントでおれたちの住んでる千代田区を言ってたから、おれたちが次の標的になったのかとびびったけど……」
意味深なピースメーカーのつぶやきは、大した情報も得られないままだった。まだ何かする気なのだとは思ったが、それ以降ツイッターは更新されていない。何も変わらないだろうと思いつつ、伊助はもう一度千代田区七番町を検索する。
【都市伝説まとめ】
しかし、前回とは違うことが起きたのだ。一番最初に表示されたサイトは都市伝説をまとめたサイトらしいものだった。だが、前に検索をかけたときはこんなサイト、ヒットしなかったのだ。
「……おれ、このサイト見たことある。全世界の都市伝説を誰でも投稿できる大きなサイトだ」
『ん』
変な返事をするルドルフを無視してサイトを開く。真っ黒な背景に白色のフォントが並ぶシンプルだが気味の悪いデザインは相変わらずだった。その一番上に新しい投稿がある。
【絶対に検索するな! ピースメーカーに連れて行かれる秘密の場所】
その文字を目で追って、つばを飲む。背中を這い上がってくる寒気に負けそうになりながらも、伊助は投稿を読んだ。
【ピースメーカーがツイッター上に投稿したある地名。現実には存在しないその場所は、実は第二世界のある場所を指している。第二世界には多くのプログラマーが作った仮想現実空間があるのはご存知だろうか。プログラマーが自分だけの空間としてまるで現実世界のように作成したそれは、作った本人しかそこへのアクセス方法を知らない。そしてその内の一つに、日本のサーバーを介して作られた巨大な仮想現実空間がある。そこがピースメーカーの示す場所なのだ】
仮想現実空間は伊助も知っている。そもそも、その仮想現実空間がダイブの醍醐味ともされるのだから、全世界の人間が知っていることだろう。例えば大手通販サイトは、端末上ではただの画面に商品が表示されるだけだが、ダイブするとまるでショッピングセンターにいるような空間になる。ダイブが普及した現代では、その仮想空間の出来がビジネス成功の鍵とも言われている。
そして仮想空間は誰でも作ることができる。昔でいう自作サイトのようなものだ。プログラムを少しかじっているものならば、ワンルームくらいの空間を好きなように演出することが出来る。伊助もルドルフと共に何度か作成したことがある。この投稿の主が書いているのは、そうした個人が作った仮想現実空間のことだろう。
【だが、ここは非常に危険な場所である。なんとかたどり着けることは出来るかもしれないが、問題は帰りだ。帰る方法は、その空間を作ったものにしか分からない。帰り方のヒントらしいものはなく、それを知ることは不可能だ。これを読んでいるあなた、興味本位でその場所を探すのは絶対にやってはいけない。まだ現実に未練があるのなら。――投稿者W ・W】
投稿時間は昨日の午後11時過ぎだ。そのせいで伊助が検索した時にはヒットしなかったのだろう。ただ、そんなことはどうでもいい。この投稿のタイトル、連れて行かれる、という部分が先ほど連想していた都市伝説にぴたりと一致する。
「……この投稿者、何者なんだ?」
呟いて、そして、息をのむ。
――W・W
――ウォーレン・ワイマーク
瞬間、鳥肌が立つのが分かった。笑おうとしたのに頰の端が引きつるだけである。
「……はは、ワイマーク病と結びつけたイタズラ投稿か何かだろ。ルドルフ、このサイトに潜ってこいつの投稿記録を探ってみよう。何か分かるかも」
『アルツハイマー』
「……なんだって?」
アルツハイマー、その名の通りアルツハイマーさんが[以下略]。
『伊助が真面目な声で冗談を言うから、わたしは困惑している』
「はぁ? どの辺りが冗談ぽいんだよ……」
こんなときに何を言い出すのか。先ほど感じた寒気も忘れるほどルドルフの言動にがっくりと肩を落とす。だが、次の言葉は、再び伊助が冷や汗をかくには十分すぎるほどのものだった。
『だってその投稿は、伊助が昨日、自分で投稿したものじゃないか』
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