2-2


 野島家からSB本部のある防衛省までは車で5分ほどで到着する。短い時間ではあったが、春野と車内に2人きりはひどく疲れた。

 厳かな門をくぐり、それ以上に立派な高層ビルを毎日見ているというのにそびえ立つ建物をしげしげと見上げてしまう。春野に声をかけられ、やっと車から降りられるのだと気付いた。


「念のため、お持ちの端末全てお預かりさせてもらいます」

「えっ……」

「当然でしょう? ここをどこだと思っているんですか。もちろん、身体検査も受けてもらいますよ」


 そういうことは先に言えと文句の1つでも言いたいところだが、もちろんそんな度胸もないし納得もできた。防衛省の門の前は何度か通ったことはあるが、その先はもう日常とは別の世界になっていることを理解できないわけではない。

 伊助は渋々頷いて、端末を手渡す。どうせ、重要な情報はロックをかけてあるしもしもの時はルドルフがなんとかしてくれる。調べられても困るようなことにはならない自信が彼にはあった。


「こっちです」


 一方、素直に端末を渡した伊助が意外だった春野は瞳を鋭くさせる。得体が知れないのはお互い同じだ。

 そんな彼の警戒を知ったか知らずか、伊助はますます居心地悪い。中に案内され、身体検査をされ、それでも2人の間に会話が生まれることはなかった。



「よぉ、ご苦労さん。早くて助かるよ」


 最初に通されたのは医務室だった。扉を開けると独特な薬品の匂いが鼻をかすめ、同時に聞き覚えのある声が響く。


「ほんもの……」


 思わず言葉が伊助の口から漏れる。それほど、春野とはまた違った感動があった。現実世界では初対面の野島武は、体は小さいが迫力はこれまで会ってきた誰よりも大きい。


「そ、本物。あっちでは世話になったな」

「い、いや……」


 ちょうど診察が終わったのか、野島は紺色の上着を羽織ったところだった。春野の着ているものと同じデザインで、それがSBの制服なのだとすぐに理解する。野島が立ち上がっても彼と伊助の身長差はなかなか縮まらなかった。


「……動いて大丈夫なんですか?」


 先ほどまで無言だった春野がようやく口を開く。敬語のスタンスは伊助相手の時と同じだが、声の調子が明らかに違う。初めて2人を目の前にした伊助でも、彼らが親しい仲だということはすぐに分かった。


「もちろん。なんなら今からでも再戦したい気分」

「まったく……。死にかけてたっていう自覚くらいして下さい」


 専属の医者なのだろう、白衣を着た女性が横で苦笑している。伊助自身、野島がそれなりに常識を外れた人間であるのだということはここへ来る以前から薄々感じていたことだ。ただ、それも含め、惹きつけられてしまう。彼は他の誰からも感じられないオーラがある。


「佐渡さんと高尾は先に司令室に行ってる。そっちに向かいながらお前の自己紹介でも聞かせてもらおうか」


 佐渡、高尾、どちらも名前を聞いただけで顔が一致する有名人だ。だが伊助にとっては、SB全員とこれから対面することよりももっと別のことが息苦しくさせる。野島は笑ってはいるが、その目は春野と同じく鋭い。

 促されるまま廊下に出る。春野と野島の間に挟まれながら歩く伊助はすでに逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「……プグナの登録情報は偽物、要さんからはそう聞いてます。本名は田中太郎、住所は海外、もちろん違いますよね」


 伊助の不安など知るかと言うように、春野は穏やかな声で攻めてくる。当の本人は猫背がさらに酷くなるばかりだ。要、と言う単語であの時のアバターが思い返されるが、彼女が今どこにいて何をしているのか知るすべは無い。報告があったと言うことは無事なのだろう。だが他人の心配をしている場合ではない。


「な、名前は……偽物じゃないです。住所は確かに、違いますけど……」

「ハル、こいつの所持品からなにか分からねぇのか」

「はい。個人情報にはアクセス出来ないよう自作のセキュリティプログラムを入れてますね」


 取り上げられた端末に別の端末を接続して何食わぬ顔で操作している春野を横目で見てぎょっとする。だが、やはり重要なデータにはアクセス出来てないようだった。その様子に伊助は胸をなでおろす。


 ――いや、そもそも、何もかもが杞憂なのかもしれない。なぜなら彼は、ことになっているのだから。


「まぁ、詳しいことは後で教えてもらうってことでもいいが、とりあえず名前だけでも教えてくれないと。命の恩人を、なんて呼べばいいんだ?」


 視線。顔を上げると、伊助の視界に野島のふて腐れたような顔が飛び込んでくる。怖くはないし、なぜか親しみを感じた。伊助はすぐに目をそらし、乾いた唇を無意識に舐める。


「い、井村……伊助です」


 どうしてあっさり本名を答えたのか。その理由は伊助自身分からなかったが、とにかく嘘をつくのが心苦しかったのだ。野島はまっすぐ自分と向き合おうとしている、その感覚は彼にとって随分と久しぶりで、気づけば名乗っていた。


「伊助、改めて礼を言う。助けてくれてありがとう。そしてよろしく」

「よ、よろしくお願いします……」


 新鮮だった。今となっては伊助の名前を呼ぶのはルドルフだけである。野島は白い歯を見せ少年のように笑っていて、思わずその顔をまじまじと見つめてしまう。


「ま、そう緊張しなさんな。取って食おうってわけじゃあるまいし。オレたち組織の説明はしておいた方がいいか?」

「いえ、知ってます。詳しい活動は知りませんけど……第二世界の警察組織って認識でいいんですよね」

「平たく言えばそうだな。ちなみに今は、さっきプグナに現れたあの巨大アバターを調査中だ。しかもピースメーカー絡みときた」

「えっ」


 思わず声が漏れる。この男がSB現場隊長であるせいで、どんな言葉も真実にしか聞こえない。それがたとえあのピースメーカーが再び現れたというとんでもない話でもだ。


「ちょっと野島さん……! 彼にその話をするのはいくら何でも軽率すぎますよ! まだ政府の限られた人間しか知らない話なのに……」

「つってもな、ネットは今や奴の庭だろ。どうせあっという間に情報をばらまくさ」

「だからって……」


 ポン、と、軽い電子音が響く。伊助の端末から響いた音だった。普段からマナーモードにしているので、ルドルフが何かしたのかと不安になる。案の定、その音を春野が聞き逃すわけがなく、彼の視線はすぐさま伊助の端末に注がれた。


「ツイッターの通知ですね。フォロー相手の呟き通知みたいですが……。ユーザー名がピースメーカー、どういうことです?」

「は、なにそれ……」


 思わず身を乗り出して自分の端末を確認しようとする。そんな伊助に警戒しながらも、春野は端末の画面を見せてやった。

 春野の言う通り、画面にはツイッターからの通知が表示されていた。だが、色々とおかしい。そもそも伊助はツイッターには登録しているが通知はオフ、ピースメーカーというユーザーのフォローもしていない。それなのに、そのピースメーカーを名乗るユーザーの呟き通知が次々と表示されてくるのだ。


「開いてもらえますか」


 ツイッターの内容が気になる伊助は春野の言葉に素直に従った。指紋認証で端末のホーム画面を開く。すぐにツイッターを起動し、タイムラインを確認した。

 そこはピースメーカーというユーザーの呟きで埋め尽くされていた。次から次に投稿され、そして勝手に拡散されていく。


「このやろ……! 人のページ勝手にいじりやがって……!」


 かっと頭に血がのぼる。自分のプログラミング技術に少なからず自負している伊助にとって他人からの攻撃は屈辱でしかない。ここがどこなのかを忘れ、思わず悪態をついてしまう。


『こんにちは、世界』

『わたしは帰ってきた』

『わたしの戦士は平和を壊すものたちを葬る』


 短い呟きが数秒単位で投稿され、どの投稿にもピースメーカーという単語のハッシュタグがつけられていた。タイムラインはもうピースメーカー一色である。


「ほらな。どこのユーザーもおそらくこの状態なんだろうよ。隠す必要はもうないな」

「そのようですね。全く、なんてやつだ。こんな簡単にシステムを乗っ取るなんて……」


 春野はコードを外し、伊助の端末を彼に返してやる。それが意外だったのか、伊助は何度か瞬いて春野を見つめた。


「あなたの素性がどうとか言っている場合ではないみたいです。急ぎましょう」

「は、はい」


 一層早足になったふたりを伊助が必死に追う。あのピースメーカーが再び現れた、それはまるで映画のような展開であり、他人事のように感じながらもどこか興奮していた。

 ふわふわとした感覚のまま廊下を歩き、そしてたどり着いたのは指令室という札が設置された扉である。心の準備を整える間もなく、近づくとあっさりそこは開いた。


「……やっとそろったな。そいつが例のモグラか」


 先に待っていたであろう佐渡が穏やかに言う。

 伊助にとって信じられない光景がそこにある。SB指揮官の佐渡、そしてSB隊員の高尾、日本を守るヒーロー的存在がすぐそばに立って喋っているのだ。室内には彼らともう一人、小柄な女が壁際に立っている。彼女の雰囲気で、伊助はなんとなくその正体が分かった。


「要さん、立っていて平気なんですか?」


 春野の問いかけに、彼女、要はうなずいた。やはり、バトルルームであったKなのだと伊助は確信する。


「わたしは何も攻撃は受けていませんから。すみません、ご迷惑おかけしました」

「いや、今回はオレの軽率な判断のせいだ。悪かった」


 それが野島の声だということに一瞬気づかなかった。先ほどとは全く別の声色に伊助は驚く。彼は妹の顔すら見ないまま部屋の奥へと進んだ。


「詳しいことは後々聞くとして、だ。まず情報を共有する。ピースメーカーが現れたのはもう知っての通りだろうが、今回の奴の標的はどうやら俺たちみたいな第二世界治安維持部隊らしい」

「オレたち?」


 淡々と話を始める佐渡に、自己紹介を改めてする必要がないのだと分かった伊助はほっとする。だが、緊張感は変わらずそこにあり、加えて彼の言葉が物騒なことでさらに強まるばかりだ。


「ああ。3年ぶりの犯行声明、次は異物を取り除くんだと。その異物が、俺たちのことってわけだ」

「まぁ……アメリカの部隊なんかは核兵器発射システム奪還のために訓練受けてますし。ピースメーカーにとっちゃそういう動きはやっぱり目障りだったわけっすね」


 佐渡と野島の会話は短いながらも今の状況を把握するには十分だった。つまりあの甲冑アバターは、ピースメーカーがそうした治安部隊の人間を倒すために放たれた、言わばヤツの分身なのだ。


「前回と違うのは、アバターという、こちらから手出し可能な分身がいるということだな」

「へえ、いいねぇ。今度は力でねじ伏せられるってわけ」


物騒な笑みを浮かべながらそう言う野島に、春野は遠慮なく嫌な顔をした。小さく咳払いをして、2人の会話に割って入る。


「しかし、プグナは閉鎖。圧倒的なユーザー数を誇るゲームが使えないのは大きな損害にはなるでしょうが、とりあえずそれ以上の被害者は増えないでしょう」

「それでヤツが止められると本当に思うのか?」


 春野の言葉に、意味深な佐渡の言葉が続く。緊張感が増したと思ったのは伊助だけではないはずだ。


「プグナ閉鎖後、現在分かっている被害者は十二人。全員の死亡が確認されている」

「そんな……」


 死人が出ている。その事実に伊助は足がすくむ。人工知能が人間を殺す、そんなSFみたいな出来事が現実になったのだ。

 そして相手はこちらが手出し不可能な高度すぎる人工知能である。ヤツは三年前から大人しくしていて、きっと自分には関係ないことだと知らぬふりをしていたツケが今になってやってきたのだ。


「ピースメーカーはプグナのバトルルームをし、ターゲットをその中に閉じ込めてから戦士を使って攻撃を仕掛ける。第二世界にダイブした瞬間、治安部隊の人間の空間をジャックしてくるのさ」

「つまり、オレたちみたいな人間がダイブした瞬間、殺されるようになっているってわけか」


 言いながら、野島は笑っている。佐渡がそれを咎めることはなかった。


「だが、まあ、戦士は一体だけ。一人が戦士に捕まっている間、他の人間は自由に行動できる。それでも、どの隊員も一瞬で倒されているから、軽率にダイブするのは危険だ。他国の部隊も現在待機中だと」


 佐渡の話はそこで終わる。つまりそれが今現在の状況ということだ。

 標的は第二世界の治安部隊、今のところそれ以外被害がないのは幸いだが、彼らへのダイブ封じは政府たちにとって戦力の大幅ダウンと言える。ピースメーカーが何を考えているかは誰にも分からないが、ヤツのこの一手は自身に対する脅威を人間から除くことに成功している。

 まるで戦争だ。伊助はその事実に唾を飲む。ピースメーカーは人間から抑止力の核を奪い、それを取り戻そうとする動きや自身への抵抗勢力を許さない。三年の月日が経ったせいで忘れかけていたが、人類はたったの人工知能に支配されているのだ。


「それで?これからどうするんです?」


 穏やかなその野島の声に、伊助ははっとする。凛としたそれは空間へと広がり、確かな力強さがあった。


「政府は俺たち組織が全滅するのだけは何としても阻止したいらしく、今のところ解決策は待機以外出ていない。だが、俺たちだって策くらい練れる。そこでそのモグラが登場だ」


 存在を忘れられているのかと思ったがそうではなかったらしい。突然名指しされ、視線が注がれ、伊助は無意識に俯いた。


「俺たちときみ、手を組めばそこそこやれるんじゃないのかって思うんだが、モグラくんはその辺どう考える?」


 心臓が激しく脈打っている。緊張か、興奮か、そのどちらともだろう。伊助は、野島のデータへダイブしたときのことを思い出し、ゆっくり顔を上げた。


「……あいつのプログラミングを盗めば、勝てるんじゃないかって思います」


 伊助の言葉に答えるものはいなかった。誰もが予想外だったであろうその台詞に反応できないのだ。だが、伊助は怯まない。遠足が待ち遠しくてたまらない子どもみたいにはしゃいでいる。


「ヤツよりチートになればいいんだ」


ゲーム好きなルドルフの気持ちがいま分かった気がする。先程から黙っているルドルフの存在を確かめるように、端末にそっと触れた。

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