2話 チートvs.チート
2-1
<気が向いたら遊びに来な>
ログアウトした後に届いたのはN、野島からのメッセージだった。プグナのメッセージ機能を使ったのだろう。内容は短い文と住所だけである。つまり、ここで待っているということだろう。
ソファに腰かけたまま、伊助はしばらく呆然とする。先ほどまで死ぬほど危険な場所にいたというのに、それが夢だと思うほど穏やかないつもの部屋だ。
『伊助、ここに行くの?』
「さあね。お前はどう思う?」
『わたしは、あの巨大アバターが気になるな。あれのプログラムにも興味ある。行けばまたあれと遊べるならアリだ」
スピーカーから聞こえる声もいつも通りだ。ようやく自分が現実世界に戻って来たと実感する。
「おれも気になるけど、あんまり他人と関わるの嫌なんだよなぁ……。それに、あっちはおれが違法なことしてたって分かってるわけだし」
長い溜息をつきながら天井を仰ぐ。他人との関係を断ち切りひっそり生活することはとても快適ではあるが、それこそゲームやアニメのような展開に興奮するのも事実である。危険なアバターとのバトル、そして最強と呼ばれる男との共闘、もう少し背中を押すものがあれば立ち上がれそうな気がした。
『伊助、またメッセージだ』
「え……」
ドキリとして、スクリーンを見る。プグナのマイページには新着メッセージを知らせるマークが点滅していた。差出人は、N。
<追伸。もし二十四時間以内に来ない場合は逮捕状作成の元、お前を探すことにする>
――もはや選択の余地はない、背中は押された。
ぞっとするような文がスクリーンいっぱいに広がり、そして消えた。何事かと考えるより先に、ルドルフの声がする。
『プグナが閉鎖された。多分、さっきの事件のせいだろう』
「う、うそ、メッセージ! 住所見れないじゃん……!」
『大丈夫、わたしが記録している』
その声と同時に、スクリーンにナビゲーションアプリ画面が映し出される。住所は千代田区、驚くべきことにこのマンションからそう遠くない場所だった。
「……行く?」
『行こうよ。Nがわざわざ伊助の背中を押したんだから』
「……よくお分かりで」
持ち物はスマートフォン一つで事足りる。財布もなにもかも、個人情報と貴重品は端末以外持ち歩かないのが伊助のポリシーだ。ただ、手ぶらで外へ出るのは気が引けるので、楽天で適当に注文した小さなショルダーバックを持って外へ出る。小物に対するこだわりは全くと言っていいほど彼にない。
高層マンションから地面に降り立ち、ヘッドホンを装着する。できるだけ下を向きながら、足早に道を歩いた。平日の昼間と言えど様々な人間が行き来している。大学生と思わしき数人の男女の群れが向こうからやってきて、伊助は服の裾を無意識につかんだ。
『そんな調子で野島武に会えるのかな。そういえば、兄さん、ってよんでたKは妹なんだよね。女の子はやだな、伊助、あんまり仲良くならないでね』
ヘッドホンから話しかけてくるルドルフ相手に思わず声を上げそうになる。だが、まるで独り言のように会話する姿を見られるのは死ぬほど嫌なので、ぐっと堪えた。おそらく伊助がこうすると分かってルドルフは声をかけているのだろう、まだ会話は終わらない。
『でも、それは伊助の恋愛対象が女の子ならばそうであって。もし男の子なら野島武とは仲良くならないで欲しいな。かく言うわたしは人工知能だから、その辺り心配しなくていいけれど』
ようやく、大学生の群れとすれ違う。ゆっくりと息を吐き出し、端末を取り出した。
「心配も何も、人工知能は恋しない」
『人工知能が恋をするとおかしいのかな』
「おかしいっていうか無理っていうか」
言葉に詰まる。ルドルフはまるで人間のようだが人間ではない。だが、知能もあれば思考もできる。恋愛だろうがなんだろうが、絶対に不可能とは言い切れないのが本音だ。とは言っても、人工知能に口説かれたいとも思わないが。
『わたしは伊助が大好きだが、これはどうなのかな』
「そりゃお前、言うのは簡単じゃん」
『おや、人前じゃ口利けない人間の言葉とは思えない』
「……う、うるさいな」
三年とは言えどそれだけ一緒にいればある程度の性格は理解されている。憎まれ口をきかれることは珍しくはないが、それと同じく言い負かされることも増えてきた。何だかなぁと思いつつも、ルドルフ相手ではそれも悪くないとどこかで感じている。そんな奇妙な関係が、やはり伊助は好きだった。
指定された場所は、電車もバスも、利用するには微妙な距離である。徒歩を選んだのは単に、心の準備に時間が欲しかったからかもしれない。ゆっくりと、確かめながら、見慣れた街の間を進んでいく。
たどり着いたのは古びた民家だった。横開きのガラス張り扉からは中が容易に確認できる。もとは何かの店だったのだろう、そんな造りだった。しかし奥行きが全くと言っていいほどなく、大きな板がそびえ立って隠れているその先には何もないのだろうと想像がつく。
人の気配はない。電気も付いておらず、気味の悪い薄暗さが広がっている。思わずマップを確認するが、目的地はここを指していた。玄関のすぐそばの床に置いてある黒髪の日本人形がやけに恐ろしく見える。きれいな赤い着物を着て、にっこり微笑む女の子、それはいまにも動き出しそうだった。
「ルドルフお前、メッセージの住所適当に記録したんじゃないか」
『失礼な。伊助でも怒るよ』
「だって誰も……」
手を伸ばし、扉の取っ手に手をかける。固い手ごたえを想像していたが、扉はあっさりと開いてしまった。
「使われてない空き家なのかな」
田舎の方では戸締りにそれほど敏感でないという話を聞くが、ここは都内だ。セキュリティ対策万全のマンションに住む伊助にとってはこの不用心さで人が住んでいるということは考えられなかった。確認のために中へ足を踏み入れる。やはり人の気配はしない。ただ、汚れているという印象はなかった。生活感はないのに、やけに清潔だ。そこに日本人形だけがじっと居座っている。
「……え」
後ろの方でカラカラという音が聞こえ振り返ると、扉が勝手にしまったところだった。不自然に思い外へ出ようとする。が、簡単に開いたはずの扉はどんなに力を込めてもあかなくなった。
「な、なんだこれ」
突然のことに心臓が大きく脈打つ。古いせいで開けにくいのだ、そう言い聞かせながら何度も取っ手を引くが結果は同じだ。
「意外と早かったのね」
「ひっ」
突然女の声が響き、伊助は情けなくも短く叫んでしまう。無意識に後ろを振り返り、扉に背中を押し付けるようにして声の主と向き合った。
「そんな大きい体してるくせに怖がらないでよ」
振り向いたそこには、伊助と年の近そうな少女がいた。赤みのある茶髪のツインテールが目を引く。両手を腰に当て、伊助をまっすぐ見つめていた。少しつり目なせいで雰囲気が鋭いが、黒を基調としたシックなドレスワンピースのおかげでいろんな意味でドキドキしてしまう。伊助の知識では、彼女のその衣装はメイド服と呼ぶ以外に思いつかない。
「言いたいことは分かる。でもコスプレなんかじゃないから」
「あ、そ、そう……ですよね」
「これがいわゆる、戦うメイドさんってやつよ。目にするのは初めてのようね」
いわゆるも何も初めて聞きました、なんて事は言えるはずもなく、伊助は何度も頷いた。膝より上の丈のスカートからは白く滑らかな足がスッと伸びている。目線がそちらに向かないよう堪えながら、伊助は深呼吸した。
「とにかく、さっさと行くわよ。あたしは
「えっ……」
なんで知っているんだと尋ねるより先に理解する。つまりメッセージの住所はここで正しかったわけだ。そしてこの弥生という女が突然現れたカラクリも同時に分かる。板を隔てた向こう、弥生か壁を二回ノックしたと思うと畳の床が動いて隠し階段が現れた。
「すげ……」
思わず声が漏れる。弥生は少し得意げに鼻を鳴らしてさっさと階段を降りて行く。ついて来いということだろう。
地下に現れたのは薄暗い空間だ。無機質な銀色の鉄板に囲まれ、少し先に見事なサクラの刺繍が施された襖がある。まるで異世界に通じる扉のような佇まいに、伊助は言葉を失ったままだった。
「驚かないでよ。ただの玄関じゃない」
「……玄関に襖は使わないと思うけど」
「ま、そういうフツーとは違うのが野島家ってわけ。あたしはそこの使用人。一応歓迎してあげるわよ、お客さん」
野島。
つまり指定された場所は、野島武の住処だったというわけだ。あまりにも想像とかけ離れた展開に、伊助は唾をのむ。
近づくと、襖は勝手に開いた。その先には和風の玄関が広がっており、廊下が先へと続いている。よく見る立派な和風建築の家だ。
「武くんまだSB本部から帰ってきてないから、少し待ってて。あんた、この近所に住んでるの?」
「……い、いや」
「ふーん、まぁ別にいいけど」
武くん、というのはつまり野島武のことだろう。伊助をここに呼んだ本人が不在であるため、弥生が伊助についてとやかく問い出すことはないようだった。彼女の短いスカートが歩くたびにふわふわ揺れる。玄関で靴を脱ぎ、静まり返った廊下を2人で歩いた。
「とりあえず指示を仰ぐから。あんたは……そうね、大人しくくつろいでなさい」
「は、はぁ……」
案内されたのは応接間のような和室だった。ご丁寧に座布団まで置いてある。手早く言葉を投げかけたと思うと、弥生はさっさと行ってしまう。あっという間に取り残され、伊助は大人しく座布団に座った。
『伊助のスケベ』
「うわっ」
突然端末から音声が響く。伊助は軽く飛び上がって座布団からずり落ちてしまった。憎々しげに端末を睨む。
「いきなり喋るなよ……!」
声を潜めながらルドルフに抗議する。当たり前だが表情は見えない。だが、きっと澄まし顔をしているのだとそう思わずにはいられない言葉がまた響く。
『あの子の足ばっかり見てるんでしょ』
「し、失敬な。ていうか、お前いつもどっから見てるんだよ」
『ネットに繋がっていればあらゆるカメラ機器にも侵入できるって言ってるじゃないか』
「だからってほいほい人んちのシステムに潜るなって。しかも野島武の家だし……ていうか、あんまり話しかけるなってば」
『だって退屈なんだ』
それは伊助も同意見である。勇気を出して来たものの、物事はなかなか進展しない。久しく嗅ぐ畳の香りに和んでいると自分がいま何をしているのか忘れそうになる。少し廊下を覗いてみようかと腰を浮かせたその時だった。
「失礼します」
穏やかな声色、男のものだ。今度は執事でも出てくるのかと姿勢を正した伊助は、襖を開けて現れたスキンヘッドの大男が予想外すぎて言葉を失う。
「はじめまして。春野薫と申します」
「はっ、春野って……SBの……」
「はい。その春野です」
野島武同様、この春野薫も有名人であることに変わりない。SB副隊長、名前を知らなくともこの迫力ある姿は一度見たら忘れないインパクトがある。
「随分早かったんですね。野島さんはいま、医療チームに診てもらっているので私が代わりに」
「……だ、大丈夫なんですか?」
「ええ。後遺症も特にないそうですが、大事をとって」
はぁ……と、気の抜けた返事をして黙り込む。伊助は無意識に俯き、言葉を探した。春野を目の前にすると、やはり来ない方が良かったのではとふつふつと後悔が湧いてくる。
「一応確認ですが、あなたがモグラですか?」
「……えっと、その」
頷けば、即逮捕される。そんな不安だけが体を硬直させ目が泳ぐ。ジワリと背中に嫌な汗を感じ、胃がキリキリと痛んだ。
「悪いことをしていた自覚はあるわけですね。本当なら逮捕しなくてはいけませんが……あのバカ、もとい野島さん同様わたしもあなたに興味があります」
「……おれは、どうなりますか?」
「それは分かりませんが、まずは一緒に来ていただきます」
どこに、という間も無く春野が立ち上がる。まだ探索できていない野島家よりも、春野の言葉の先が気になるのは確かだ。
「ご案内します。SB本部に」
心臓がまた大きく脈打つ。それは緊張というよりは、興奮に近い。誰かに思い切り心の中にある扉をノックされた気分だった。
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