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 正直、何かの撮影だと思った。人間離れしたアバターの出現によるピンチ、そして最強の助っ人登場。ヒーローは遅れてやって来るとはよく言ったもので、アメコミ映画的展開に伊助は少し興奮した。ちなみに彼はヴィランズファンである。


 とにかく。


 話を戻そう。



「どうして兄さんがここに……?」


 突然聞こえてきた声に、伊助は驚く。どうやらKを操作するプレイヤーの声らしい。プグナではトラブル防止のため音声会話システムがない。普通ならば相手の声は聞けないはずである。ただ、兄さんという単語がそれ以上に衝撃的で言葉が出ていかない。


「要、そのモグラを頼んだ。あれはオレが殺す」

「……はい」


 要、Kの名は要というらしい。Nこと野島は、伊助たちと戦士との間に仁王立ちしており、二人には背中を向けている。こちらを見ることなく断言するその様はヒーローそのものだ。セリフがかなり物騒なのも許せるくらいは“カッコいい”。


『多分、こっちにNを送り込んだやつが音声システムもジャックしたんだろう』


 ルドルフの声に、しかし要も野島も反応しない。どうやらルドルフの声はプグナのシステムを介したものではなく、伊助以外には聞こえないらしい。いつも側にいるが一体であるかはまだ謎に包まれているルドルフなので、伊助自身、今更それも驚かない。


「相手になろうか。お前が殺したやつらよりオレの方がずっと強いぞ」

「……ギ」


 狐の面と、甲冑がまっすぐ向き合う。野島は腰に差している太刀の柄に手を添えており、抜刀術を使うつもりだと後ろで見ている二人はすぐに分かった。

 先に動いたのは野島だ。前へ踏み込んだと思った時には一瞬で戦士の右横に回り込む。伊助と闘っていた時よりもずっと速いそれに、無意識に口がぽかんと開いた。


「……っ」


 しかし、野島の太刀は空を切る。速く動けないと誰しもが思うであろう戦士は忽然と姿を消し、それがソニックであると伊助が気づくより先に野島の後ろに奴は再び現れた。

 ――そうか、これが出来るのか。伊助はゾッとする。体の大きさからしてノロマであると思い込んでいたが、この技が使えればハンデはない。やられる、本能でそう感じ、目をつぶった。

 だが、響き渡ったのは野島の断末魔ではなかった。金属同士が激しくぶつかり合う音である。はっと見開いた伊助の目には、戦士の振り下ろす大刀を太刀で防ぐ野島の姿が飛び込んだ。


「すっげ……!」


 思わず声が漏れる。しかし、戦士は怯まない。もう片方の腕を振り上げ、真横から大刀を野島めがけて振り下ろす。体全体で攻撃を防いでいるため、さすがの野島も横からの攻撃に反応できるわけがない、というのは一般人の思考だったようだ。野島は攻撃を避けることはしなかった。それどころかさらに力を込め、戦士を力だけでなぎ払おうとしている。


「ギ」


 無機質なその声は小さな叫びだったのかもしれない。大刀を振り上げたせいで重心が後ろに傾いていた戦士はバランスを崩し、ゆっくりと倒れていく。

 それだけでは終わらない。野島は既に構えていた。刀の柄を両手で握りしめ、頭の真横に持ってくる。全てが数秒の動きだったのに、伊助にはそれがスローモーションのように見えた。それほど圧倒された。彼を纏うオーラはまさに、命を奪う者のそれである。空気が硬直したと感じるのはそのせいだ。


「キエエエエエエァァァ!!!」


 金切り声と共に野島の太刀が戦士の頭めがけて振り下ろされる。太刀はそのまま食い込み、一刀両断される戦士の姿を誰もが想像した。


 しかし、だ。

 そもそも、得体の知れない物体と闘う上で、不利なのはどう考えても野島の方だというのが前提である。例えば、一度アバターに触れた武器は二度目に触れるときに必ず砕け散るというチートスキルを戦士は持っている、という情報だけでも野島が知っていれば、違う結果があっただろう。

 戦士の頭に触れるや否や、野島の刀は見事に砕け散った。一撃で仕留めるつもりの力は簡単に制御できず、野島の体はそのまま前のめりになる。体制を整える間もなく戦士が大刀を構え、そのまま野島の小さな体に向けて振り下ろした。


「いや……!」


 要の声が真横で響くのを、伊助はぼんやり聞いていた。無意識に口がぽかんと開いて、目の前の光景を凝視する。

 野島の体は、首と腰に分けて三等分にされていた。音もなくその場に崩れ落ち、動かなくなる。


「な、なんで……ログアウトしてないんだよ。あれじゃ、死……」


 恐ろしくてその先が言えない。あれほどの損傷を受ければ強制的にゲームからは退場するはずである。それが出来ない場合、あの損傷を受ければ現実世界の野島がどうなるか、嫌でも分かってしまう。

 日本最強の男は赤子のようになす術なくやられてしまった。故に、ここにいる人間に勝ち目はない。

 次こそは自分の番だと絶望していた伊助だが、戦士はもう満足したようだった。動きを止め、しばらく沈黙したかと思うと、足元からゆっくりとデータが崩れていく。粒子のようにバラバラになりながら、空中に溶けるようにして消え去った。助かったのだ。


「そんな、兄さん……」


 先に口を開いたのは要だ。ふらふらと危うい足取りで、野島の元へ向かう。それにつられるようにして、伊助も後を追った。


「……酷い」


 狐の仮面をつけたまま、野島は動かなくなっていた。首と、分断された胴体と、野島だったものが無造作に散らばっている。現実世界ならば卒倒していただろう。思わず伊助の口から言葉が漏れ、立ち尽くすことしかできない。


『伊助』


 ルドルフの声がする。耳鳴りのようだった。返事をしないまま、時間だけが過ぎる。そうだ、ログアウト。そう思ったとき、また声がした。


『伊助、驚くべきことに、彼は生きている』

「……なんだって?」

「え?」


 ルドルフの声は伊助にしか聞こえていない。要には突然彼が独り言を言ったようにしか聞こえないだろう。彼女の白い面が伊助を向いている。その奥の瞳が戸惑っているのだと見なくとも分かる。


「いや、なんでも……」


 こんな状況下でも人見知りが治るわけではないらしい。伊助は慌てて要から目を逸らし、崩れた野島を見下ろす。そして気づいた。


「……誰かデータ修復してる?」


 そう、野島の崩れた体はゆっくりとだがデータ修復されていた。切断部のデータが粒子レベルで元に戻り始めている。


「そうか、たとえ今ので死んでなくとも、データをある程度戻さないと精神は戻せない……」


 第二世界において大きな損傷を受けた場合、重要なのがデータ修復である。プグナと違い国防を担う人間たちは第二世界で命をかけた戦闘を強いられることがあり、そしてその時にあった傷が大きいと、現実世界に戻った時に後遺症となることがある。第二世界で負った傷を修復することが出来れば脳がそれを認識し、スムーズに精神を現実に戻すことが出来るのだ。

 それはこの野島にも当てはまる。明らかに致命傷ではあったが、驚くべきことに彼は生きていた。しかし、この損傷をある程度治さなければ精神を現実に戻すことができない、そういう事だろう。


「どうして兄さんが生きていると分かるんです」


 要の声に、伊助は息をのむ。その言い方は、彼女の方も野島が生きていると確信しているようなそれだった。


「いや、別に……だって死人にデータ修復しても意味がないのにやってるってことは、そういうことなのかなって」

「ご同行願いたいのですが、応じていただけます?」

「ち、ちょっと待って!」


 無表情の白の面が恐ろしい。言葉遣いは丁寧だが威圧感があった。要の腕が伸びてきて、伊助は慌てて首を振る。


「こ、こういうことしてる場合かよ! さっき殺されかけたのに! それに、データ修復のスピードも遅い。このままじゃ崩れたあの人はネットワークデータの一部になって戻れなくなる」

「それは……」


 第二世界での死を迎えた精神は単なるデータとして消えていく。第二世界で致命傷レベルの損傷を負い、助かった場合でも、早急に修復をしなければ精神はネットワーク上のデータと一体化してしまい、ネットの海へと流されるのだ。


「たとえ生きてても、このままじゃこの人死んじゃうよ」

「……わたしの仲間は優秀です。おそらく、なんとかしてくれる」

「いや、無理だ」


 要は何も言わなかった。よく見ると、手が震えている。体格差も加わり、その姿はひどく健気だった。兄さん、と呼んでいるということは、つまりこの二人はそういう関係なのだろう。逃げ出したい気持ちはあったが、それが後ろめたい。なぜなら伊助は、野島を救う術を持っているのだから。


「……おれがやるよ」

「え……」


 戸惑う要を横目に、伊助は野島のそばにしゃがみ込む。


「ルドルフ、こいつにダイブして“リバース”を使おう」

『人助けするんだ、いいね』

「……うるさい」


 野島の頭に触れる。アバターとは言え姿形は人間そのものだ。少し抵抗はあるものの、伊助は集中する。


「何を……」


 要の声が遠くに聞こえる。目を閉じ、そして精神を野島のアバターへダイブさせた。Nにやった時とやり方は同じだが、今回はアバターのデータ奥深くに潜る必要がある。様々なデータを通り過ぎ、伊助は文字列が空中に浮かぶ空間に立っていた。モグラのアバター姿ではなく現実世界の姿なのは、今ダイブしているのが伊助の精神そのものだからだ。


「見ろよ、あの甲冑野郎の攻撃データが残ってる。あの武器、確実に相手のデータ破壊ができるようにプログラムされてるのか」

『それだけじゃない。一度触れた武器データを取り込んで、二回目に触れたとき粉砕するプログラムなんかもある』

「だからさっき、野島の刀が砕けたのか。通りであっさり壊れたと思ったらそういうこと」


 文字列の浮かぶ空間は、伊助の他に何もない。少し先に視線を向けると、まるで抉られたように空間が途切れ、暗闇が広がっている。損傷を受けた部分だ。


「損傷、思ったより大きかったな」

『関係ないよ。わたしと伊助で作ったリバースは、試作段階だけどこの程度なら造作もない』

「だね」


 伊助は笑って前を向いた。そこにふと、野島の姿が現れる。一瞬驚いたが、ここは彼の精神の中、それも当たり前かと納得する。


「本当に野島武だ」

「へえ、あんたがモグラ? オレの身元は知ってたわけか」


 野島武は直接見るとやはり小さな男だった。短髪に、泣きぼくろが特徴的な顔、思ったよりずっと穏やかな表情をしている。


「オレの体、どんな感じ?」

「首と胴体の三枚おろし」


 ほぼ初対面に関わらず自然な会話ができるのは、ここが現実世界ではないからなのかもしれない。伊助にとってはこうした空間の方が生きやすいのは確かだ。


「傑作。で、お前はこんなところまで来て何をするんだ?」

「あなたを助けようと思って」

「プグナでも思ったんだが、ほんと、お前は何者なんだよ」


 野島の乾いた笑い声が上がる。死にかけているというのに、さすがというべきか精神は図太い。瞳の輝きもまったく失われてはおらず、それがまっすぐ伊助に向けられた。


「改めて自己紹介。オレは野島武。もしあっちに無事戻れたら、ぜひとも会って話がしてみたい」

「……そりゃ、どうも」

「オレは負けず嫌いでね。お前の力を借りればあの戦士も倒せるかもしれない。どうだ、乗らないか?」


 日本最強の男に共闘を申し込まれている。それはまるで現実味がなかったが、そもそもここは現実ではない。伊助は少し感動を覚えながらも、苦笑する。


「気が向いたら」


 そう言って、伊助は片手を空中に波を描くように横切らせた。その動作を合図に、空中に浮かんでいる文字列が勝手に動き出し整列していく。青白い光を放ちながら空間いっぱいに広がり、それは崩れた向こうの暗闇まで覆いつくす。


「すごいな。あり得ない速さで修復してる」

「後数秒もあれば元通りだよ。さよなら、野島さん」

「ああ、またで会おう」


 不敵な笑みを浮かべる野島に見送られながら、伊助は野島のデータから出ていく。はっと目を開けるとバトルルームだった。バラバラだったはずの野島の体はすでに一つになっており、それを要が呆然と見つめていた。


「何をしたんです?」


 声が掠れている。今起きていることが信じられないのだろう。伊助は少し得意になったが、この機を逃すわけにはいかない。要の警戒が薄れたすきを見計らって、ログアウト操作をする。妨害はすでに消えており、伊助はバトルルームから姿を消した。

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