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 三年前に現れたピースメーカーと名乗る得体の知れないものについて、様々な専門家や研究機関において議論が繰り返された。そして導き出された答えが一つある。それは、ピースメーカーは人間ではないということだった。

 ならば一体なんなのか。第二世界でのみ生きられる存在、人工知能。それが人間の導き出した答えである。どのようにして生まれたのかは明らかになってはいない。だが、全くの痕跡を残さず消えたこと、あらゆるシステムへ自由自在に侵入出来たこと、それらのことから、人間が操作しているとは考えられなかった。

 人工知能は核ミサイルを奪ったまま消えている。これまで世界中のエンジニアが核ミサイルの管理システムを取り戻さんとしてきたが成功することはなく三年が経過した。ピースメーカーが現れることもなく、彼がなんのために動いているのか、解明は未だされていない。

 そんな、得体の知らないものの存在すら日常と化したころ、やつは再び現れた。



『こんにちは、人類。わたしはピースメーカー。きみたちはどうしても争いたがるようだから、手遅れになる前に異物を取り除くことにした。まずは最強の戦士で迎え撃とう。気をつけて、わたしの戦士は最後の一人を倒すまで止まらない』


 全世界の首脳に送られてきたメールの内容は、言語は違えど内容は全て同じだった。ピースメーカーは帰ってきたのだ。今度は得体の知れないと共に。



 とは言え。


 世界がひっそり危機を迎えようが、野島要のしまかなめが兄を苦手とすることに変わりはない。研修中である彼女はまだ一度も現場に出たことはないし、今日は非番ということもあって世間一般な十六歳の少女としてショッピングでも楽しもうとしていた。そこへかかってきた兄からの電話に息がつまる。


「はい」

『調べて欲しいことがある。出来るか?』

「はい」


 出来るかどうか、ではなく、やれ、という意味だ。兄の武は昔から要に対して異常なまでに厳しい。有無を言わさず、出来るまでやらせる。だからこそ要にとって兄とは恐ろしい存在ではあるが、そんな兄がいたからこそ、SB部隊への最年少入隊を可能にしたのだろう。


『プグナのプレイヤー、モグラの情報を集めてくれ。公式サイトのプロフィールデータはすぐに送る』

「分かりました」


 会話はそれだけだった。普段から必要最低限の会話しかしない。同居しているが、おそらく仕事仲間との方が会話数は多い。

 すぐにメールが届き、要はすぐさま確認する。なぜこのモグラというプレイヤーを武が知りたがっているのかは分からないが、従うほかない。そもそも、詮索する気もなかった。つい最近見つけた、新宿駅近くの古びた喫茶店に入り、カフェオレを注文した後で早速作業に取り掛かる。

 十億人を超えるユーザー数を誇るバトルゲーム、プグナ。一度興味本位で登録していたが、第二世界において戦闘を専門に仕事をしている要にとって相手プレイヤーは取るに足らない実力だった。弱い武器でも戦闘能力で簡単に勝利できてしまい、SB入隊が決まった今年から全く利用しなくなっている。

 いつも持ち歩いている端末を取り出し、ネットに接続する。流行だなんだとすぐに乗りたがる人間が多いおかげで、さびれた喫茶店はいついかなる時でも空席がある。加えてWi-Fi完備。分煙されていないことも、マスターが不愛想なのも、どこか愛しく感じるお気に入りの場所だ。


「……モグラ。これか」


 数か月ぶりにログインし、プレイヤーID検索であっさりとモグラは出てくる。

 黒の面に、黒のコスチューム、対戦成績は敗北の方が多い。特に目立つところのないプレイヤーだ。だが、バトル履歴に残っているNの名前で、なぜ兄がこのプレイヤーを気にしいるのかある程度理解できた。兄がNという名前でプグナをプレイしていることは要も知っている。本人はバレていないと思っているようだが。おそらくこのモグラとの戦闘で何か気になることがあったのだろう。


『ログイン中』


 表示された文字で、モグラはバトルルームにいることが分かる。情報を探るよりまずは本人に会う方が早い。時間はたっぷりある。カウンターの奥で自分用に設置したであろうテレビを眺めながら食器を拭くマスターをちらりと見て、要は手のひらサイズの機器を取り出す。両サイドにはゴム製のひもが伸びており、機器を首後ろにあてがうようにして装着した。

 小型のダイブ機器、非公式であり政府の人間にしか利用は許されない代物である。これを使えばどこにいてもネット接続が可能な場所ならばダイブができる。首後ろにかすかな痺れを感じ、要は目を閉じた。



 ――Kさんより挑戦状が届きました。受けますか?


「だれ、こいつ」


 バトルを終えたばかりの伊助に挑戦状が届く。相手のプロフィールを見ると、負けなしプレイヤーのようだった。だが、履歴は数か月前、加えて勝負は数回という成績記録だ。


「でたよ、N信者。装備も太刀だし」

『伊助、受けない?』

「受けるよ。おれの戦闘記録見て勝てそうとか思ったんだろ。返り討ちにしてやろう」


 ――イエス。


 挑戦を受け、一瞬でバトルルームへと移動する。目の前に現れたのは小柄なアバターだ。身長140センチくらいだろうか、プロフィール画像で見るよりずっと小さい。まさか小学生だろうかと少し心配になる。


「思ったより弱そう……。なんかイジメてるみたいじゃん。おれ子ども苦手なんだよね」

『軽くやっちゃおう』


 ルドルフの言葉に笑いそうになる。コマンドから選んだのはランクCの初心者用武器、西洋風の剣だ。目の前に数字が現れ、カウントダウンが始まる。


 ――戦闘開始。


 しかし、Kは動かない。伊助は眉をひそめ、剣を構える。


「やる気あるのかよ」


 バトルは途中で辞退可能ではあるが、やる気のない相手にわざわざ不戦勝をくれてやるのは癪だった。伊助は駆け出し、Kに向かって剣を振り下ろす。


「……え」


 だが、伊助の攻撃は易々と避けられる。片足を引くだけの簡単な動作で、だ。隙だらけの伊助に、しかしKは何もしてこなかった。初期設定である白の面がじっとこちらを向いているだけである。


「ルドルフ、こいつ面白いのかも」

『アバターに潜ってみようか』

「賛成」


 下唇を舐め、剣を握り直す。今度は少し本気を出して速めの斬撃を繰り出した。横一線、しかしそれも避けられる。繰り返し真上、斜め下、予測不能な斬撃のはずなのに、軽々と避けられる。相手に触れなければアバター情報は盗めない。


「くそ、なんだこいつムカつく……! 見てろ」

『N信者なら彼で相手してあげようよ』

「賛成!」


 相手は素人プレイヤー、このバトル映像は配信もされない。つい先ほど奪ったNの戦闘パターンを使っても問題ないだろうと伊助は判断した。

 コマンドを表示し、装備を太刀へと変更する。両足を踏ん張り、一気に間合いを詰めて鞘から刀を引き抜いた。Nの代名詞の一つ、抜刀術だ。

 しかし、タイミングが悪かったのか相手が実力者だったのか、太刀はKの頰をかすめただけで直撃はしなかった。


「なんだこいつ……っ」


 正直、避けられたことが信じられなかった。伊助は息を呑み、思わず後ずさる。Kが動いたのはその直後だった。細い腕が一瞬でこちらは伸び、伊助の腕を鷲掴みにする。


 <兄さん?>


 あまりの速さに呆然とするのと同時に、相手からメッセージが送られてくる。バトル中にもプレイヤー同士でメッセージを送ることが可能であり、Kがそれを利用したようだった。


「……は? 何言ってんの」


 突然のメッセージ、そしてその内容に戸惑い、伊助は目を瞬く。その間もKが攻撃を仕掛けてくることはなかった。


 <もしかして高尾さん?>


 またしてもメッセージが送られてくる。少し気味が悪くなり、伊助は素早く返信した。


 <人違いです>

 <今の動き、どうやって習得しましたか>

 <意味わかりません>

 <今の、Nの抜刀術ですよね。動作が完璧だった>


 ゾッとする。このKというプレイヤーは伊助の動作をNと全く同じであると信じて疑ってないようだった。


『伊助、こいつ伊助のアバターに潜ってきてる』

「まじかよ……!」


 ルドルフの声にハッとして、Kの手を振り払う。素早く距離を取り、刀を構えた。


 <あなたの登録情報、偽物ですね。ダイブ機器の位置情報もごまかしてるみたいですし。少々お話伺っても構いませんか>

 <そっちこそ、他人の情報にアクセスするのは犯罪じゃないですか。通報します>

 <わたしはSBです。逮捕されるのはあなたの方だ>

 <キモいんだよ>


 子どものような捨て台詞を残し、Kに背を向けネットの接続を切る。


 はずだった。


「……ログアウトできない」


 バトル辞退も、ログアウトも、コマンドを選択しているのに反応が全くない。伊助は呆然と立ち尽くし、そしてKを振り返る。

 何したんだお前、そうメッセージを送ろうとした。だが、何もできなかった。


「ギ」


 ノイズのような音が響く。Kにも聞こえたようだ。二人のプレイヤーは現れた巨大なアバターに目を奪われる。黒の甲冑、巨大な二つの刀。本能で感じる。こいつは危険だと。


「ちょ……っ」


 黒甲冑は持っている刀を高々と持ち上げる。その狙っている先はKだ。刃がぎらりと光ったような気がした。


「ルドルフ!」


 無意識にそう叫び、伊助はKに飛びかかる。刀が振り下ろすよりも先に伊助の手がKの腕に触れ、そしてKと共に瞬間移動した。元いた場所にはあの大きな刀が振り下ろされており、直撃した時のことを考えるとゾッとする。


「なんだよあいつ、バグか?!」

『いや、システムじゃない。アバターだ。おそらくあいつがログアウトの妨害をしてる。このわたしでも、解除に時間がかかりそうだ』

「冗談キツい……!」


 黒甲冑は頭だけをこちらに向け、動かない。まるでアニメに出てくるようなロボットのようだ。もしかして死ぬんじゃないか、脳はようやく、その絶望的事実を認識し始めた。



 *



「奴だ」


 対面は随分と早かった。SB指揮官である佐渡の元に新しい情報が入る。それは、ピースメーカーの言う戦士が再びプグナに現れたと言うことだった。


「公式サイトから映像を配信してもらってる。これだ」

「モグラ……?」


 映し出された映像に、思わず野島から声が漏れる。甲冑姿の戦士と向き合っているのは、先ほどバトルしたプレイヤー、モグラだった。


「知り合いか?」

「……ここにくる前にバトルした相手です」


 ここまできて誤魔化すことは不可能だ。野島は素直に答え、画面を凝視する。思わぬところで再会を果たしたものだと感心していた。


「狙われてるのはそのモグラくんじゃない方みたいだが。次はどこの捜査官だ」

「バトルルームの処理データにアクセスして調べてみます」


 佐渡の言う通り、戦士の狙いはモグラの相手プレイヤーのようだった。てっきり、モグラが捜査官だからこそバトル時に違和感を感じたのかと納得していた野島は戸惑うばかりである。

 春野は早速端末を操作し、プグナのサーバーにアクセスしているようだった。その間戦士に動きはなく、気持ちの悪い沈黙が流れている。


「アクセス位置は新宿駅付近。これは……無線ダイブ機器による接続です。使用者ID、野島要……そんな」

「要が?」


 告げられた事実はこの場にいる全員を凍りつかせる。次のターゲットにされたのは、まだ入隊して間もない新人SB、野島要だった。


「……野島さん、さっき要さんにモグラを調べろと電話してましたよね?それで要さん……」

「オレの責任だ。オレに行かせてください」

「どういうことだ?」


 何も知らない佐渡は苛立ちを隠そうともしない表情で野島に尋ねる。


「さっきこのモグラとバトルして気になることがあったんです。調べる前に緊急招集されたんで、代わりに調べておけと要に電話しました。おそらくそれでプグナに」


 野島の冷ややかな視線が戦士にまっすぐ向けられていた。久々に見るその瞳に、春野は唾を飲む。


「……詳しいことは知らんが、とにかくこの二人の救出が最優先だ。春野、ログアウト処理できるか?」

「やってますが全く効果なしです。ですが、こちらからあちらにプレイヤーを割り込み処理させることはなんとか出来るかもしれません」

「薫、オレを送れ」


 名前を呼ばれるときはだいたい、真面目なときだ。春野は野島の声にハッとし、頷く。


「俺も行こうか」

「いえ、一人ずつしか処理できません。まずは野島さんだけを送って、その後で増援しましょう」


 こんな時でも表情を変えない高尾に対し、仕方ないことだと分かってはいてもいい気はしない。春野は目を合わせずそう言い、野島が無線ダイブ機器を首に装着し終えたのを確認すると割り込み処理を始める。


「野島さん、行きますよ」

「早く」


 そばにある椅子に腰を下ろし、野島は目を閉じる。あんな危険なアバターに野島を向かわせるのは恐ろしかったが、今はこうする他にない。じっとりと浮かんでくる嫌な汗を感じながら、唇を噛んだ。



 ――Nさんから挑戦状が届きました。受けますか?

 ――イエス。


 伊助は、目の前の光景に息をのんだ。突然バトルルームに現れたのは、先ほど戦って敗北した相手、Nだった。


 そしてその正体は日本最強の男、野島武である。最強の助っ人が現れたのだ。

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