1-2
ラスボス、とは。
ご存知だろうか。言わずもがな、ラストボスの省略形である。
RPGをプレイしたことがある人ならば一度は耳にするそれ、ラスボス。ゲームにおいて最後の敵であり総大将、それを倒すためにプレイヤーは数々のステージをクリアし、備え、挑むのである。ラスボスを倒すことはゲームの終わりを意味する。逆を言えば、ラスボスを倒さない限り終わりはない。世界に平和は、ないのである。
という話は置いておき。
ここに、2人のアバターがいる。バトルルームでプグナを楽しんでいる、ごく普通の風景だ。ゴンザレスというスポンサー付きプレイヤーに、カンヅメというプレイヤーが挑戦している。優勢なのはゴンザレスだ。床にダウンしたカンヅメにトドメは刺さず、腕組みをしたまま立ち上がるのを待っている。
と、そこへ乱入してきた猛者がひとり。どのアバターもここではデータであるため、ひとりと数えるのが正しいのかどうかは神のみぞ知る。とにかく、ひとりの猛者が乱入してきたのである。
猛者は、猛者と呼ぶにふさわしい姿であった。体は縦に三メートル横に二メートルほどの大きさで、甲冑を着た巨大な力士のような姿である。三十センチはあるであろう両手に馬鹿でかい包丁のような武器を握っていた。
ゴンザレスとカンヅメは互いに、呆然と猛者を見上げていた。このバトルルームは二名限定の部屋であり、他プレイヤーが乱入することは出来ない。だからこそ、今目の前に現れたアバターに驚きを隠せないのだ。
「ギ」
ノイズのような“声”を発した猛者は包丁を高々と持ち上げ、そのままゴンザレスに振り下ろした。
それが最初の犠牲者である。
ところで、ギャップという言葉を体現するとすればそれは
「野島さん、またプグナですか」
「うわっ」
考え事をしていたせいで春野の気配に気づかなかった野島は情けなく肩を大きく震わせてしまった。ここは防衛省に併設したSB本部の訓練室である。ダイブ機器である椅子に腰かけたままの野島の後ろに春野は立っていた。
「いきなり話しかけるなよ。寿命縮む」
「ノックしました。それで、野島さんはいつプグナを引退するんでしょうか」
「ったく、厳しいなぁもう。オレはほら、プグナにSB候補を探すつもりでやってんだ」
そんな言い訳に、春野は大きなため息をついた。
「何を馬鹿な……。所詮ゲームですよ。プレイヤーにSBが務まるわけがない。聞くところによると、野島さんみたいな国防に関わってるプレイヤーが他にも多く遊び感覚で参加しているらしいですね」
「……バレなきゃいいだろが」
「あなたはもっと、SB隊長としての自覚を持つべきだ」
言い返したい気持ちをぐっと抑える。春野の言葉は正しい。野島は眉根をぐっと寄せ、拗ねた子供のような顔になった。
「……そんな顔してもダメですよ」
「んだよ、小さい頃はタケくんタケくんて付いて回ってたくせに。今じゃ姑かよ」
「小さい頃ってあんたいつの話してるんですか」
「うるっせえなぁ。お前は部下なんだから、口答えはもっと控えるべきだとオレは思うね!」
言われたことに従ったのか、春野は何も答えなかった。その代わり、呆れ返った瞳がまっすぐ野島を向いている。元々後ろめたさのある野島にとってその沈黙は耐えられないものだった。
「……とは言ったものの、な。ハル、少し相談があるんだけど」
「聞きたくもないですが、いいですよ。どうぞおっしゃって」
「お前さ、なんでいつも一言多いんだっつの」
「あんたこそ、口答えされるようなことばかりするからでしょうが」
全くの図星ではあるが、そもそも野島はこの春野と付き合いが長いため憎まれ口は慣れている。もう分かったよと言うように手をヒラヒラと振り、その態度が気に食わない春野はじっと上から野島を見下ろす。
「プグナ上で相手のアバター介して個人情報とか取られる?」
「……はぁ、そりゃプグナのアバターと野島さんはダイブ機器で繋がっているわけですから。アバターの登録情報、もしくはダイブ機器の履歴やらにアクセス出来れば不可能ではないでしょう」
「まじか。それは実にマズいな」
「とは言え、ダイブ機器のクラック防止は三年前から急速に開発されてます。一般人には到底出来ませんよ。まあ、可能性はゼロではないのであなたみたいな有名人は大衆ゲームに参加しないのが一番ですが」
野島は黙り込んだままだ。見た目とは裏腹に人見知りなところのある春野と比べると、野島は圧倒的に口数が多い。それ故、彼が黙るときは大抵、なにか悪いことの前兆だ。
「何か悪い心当たりでも?」
「そうなんだけど、言ったら怒るだろお前」
「それが仕事なので」
うーん、と、一度天井を仰ぎ、野島は再び春野を見た。正直に話す以外の方法を見つけるほど彼は器用ではない。
「さっきバトルしてたんだけどな、なんかこう……へんな感じしてさ。覗かれるっての? とにかく相手が変なプレイヤーだったんだ」
「野島さんも充分変わったプレイヤーでしょうけどね」
「真面目に聞けっての! オレはネットとか詳しくねぇからお前に調べて欲しい」
「……分かりました」
野島が急に真面目な声色になったので、春野も真面目に対応せざるを得ない。普段ふらふらしている野島ではあるが、それと同時に有無を言わさない張り詰めた雰囲気を持つ。その変わりようは、野島という人間は実は二人いるのではないか、そう思うほどだ。
春野は厚さ一ミリほどのタブレット端末を取り出し、野島が先ほどまで使っていたダイブ機器と通信を始めた。ダイブ機器は、それを管理している人間であれば履歴を見れるようになっている。
「プグナの履歴ばかりですね。それで……ああ、このモグラというプレイヤーですか」
バトル履歴をさらに分析し、データ処理画面を眺める。アルファベットの文字列が画面を埋め尽くし、その複雑さに横で見ていた野島は眉をひそめる。
「……まさか」
春野は思わず呟いていた。目を見開き、無機質な文字列を凝視している。
「なんだ? 何か分かったのか?」
「野島さん。わたしたち、とんでもないやつを見つけたのかもしれません」
「はぁ?」
「プグナのアバターからダイブ機器をクラックした痕跡が残ってます。あなたの感覚の通り、覗かれたわけですよ」
この後の始末書がふと頭によぎった春野と違い、野島は無意識に口角を上げていた。その悪い癖もよく知る春野は今更何も言わないが、やはりいい気はしない。
「喜んでる場合ですか。三年前の事件から、サーバーへの違法アクセスは殺人同等の大罪になったんですよ。それをこうも容易く……」
「SBのデータで何か取られたものとかはないのか?」
「痕跡はこのダイブ機器のみですから、知られたとしてもあなたの身元くらいでしょう」
「へぇ、そりゃよかった」
野島さん、と、声を荒げそうになるのを必死に堪える。楽観的な性格も良く知っているし、だからといって仕事を適当にこなすわけではないこともよく知っている。黙っていても自分で自分の後始末くらいすぐにやる男だ。
「プグナのシステムからモグラの情報を取ってくれ。ご挨拶しなきゃな」
「……簡単に言いますね。やりますけど」
「頼んだ!」
舌舐めずりしながら肩を回す野島がどんなご挨拶をするつもりなのか訊かなくとも分かる。上に報告する前にある程度情報を集めたい春野は、涼しい顔で端末の操作を始めた。
その時、二人が手首に装着している腕時計型の端末から電子音が響く。はっとして画面を見ると、緊急招集の文字が浮かんでいた。
「……嫌な予感ですね」
「緊急招集がかかるほどの事件なんて久々だな。もしかしてオレのプグナ参戦がバレたとか」
「もうみんな知ってますよ」
「それはない! ちゃんと隠れてやってんだ、これでも」
堂々と胸を張る野島にため息しか出ない。何はともあれ、モグラの正体は後回しになりそうだった。SBたちにとって緊急招集とは、私生活よりもずっと優先される命令である。二人はそのまま部屋の扉へと向かった。
会議室に集められたのはSB隊長である野島、副隊長である春野、そして野島の同期である
「悪いな。早速だが話を始める。これを見て欲しい」
佐渡の声は穏やかだったが、表情は硬い。一体何が起こったのかという疑問が宙ぶらりんのまま、スクリーンに五人の顔写真が映し出される。男が四人、女が一人、国籍は様々のようだが日本人は見当たらない。
「こいつらは全員、お前たちと同じ立場である人間だ」
「……と、いうと。諸外国のSBにあたる組織の人間というわけですね」
「その通り。ピースメーカー出現後、第二世界においての治安保持を担う組織が世界中に設立された。俺たちSBも、単なる要人警護部隊から国防を担う組織へと昇格したわけだが……」
佐渡と春野の会話は比較的スムーズに進む。問題児の部類に入る野島と高尾はお互い黙ったままだ。あまり口を挟むなと日頃言われているからかもしれない。
「俺たちみたいな組織は普段から第二世界での戦闘訓練をやっていて、一般人レベルの犯罪者からテロリストまで制圧する力はある。それはどこの国も同じだろう。第二世界で有利になるのは武器や兵器でなく、精神をよりコントロール出来るかによる。そのプロたちがこの画面に映っている彼らだ」
「前置き長いっすね、佐渡さん。指揮官になって頭少し固くなった……いてっ」
野島が言葉を言い終わらないうちに、春野が背中をパンチする。大人しいとはいえ力は見た目同等であり、手加減されていても痛みは大きい。
「真面目に聞けよ、野島。今回はそんな優しい事件じゃない。いいか、ここにある顔写真のやつらは全員、国を代表する強者なんだ。そんな彼らは数時間前、第二世界において殺害された」
「……殺された? まさか」
「そのまさかだ。それも、バトルゲームで」
はっと息を飲む。思わず春野は野島の顔を見ていた。バトルゲーム、それが示すのは、世界中でプレイされているプグナのことだとそこにいる全員が一瞬で理解した。
「被害者の全員が身元を隠してプグナで遊んでいた。ウチの誰かさんみたいにな。で、プレイ中に全員が死亡している」
「……うわ、知ってたのかよ」
「当たり前だ。ダイブ機器は誰が管理してると思ってんだ、このタコ」
鋭い目で睨まれ、野島は引きつった笑みを浮かべる。だが、今は言い訳を探している場合ではない。すぐに真面目な顔に戻って、画面を見つめた。
「プレイ中ってことは、殺したのは相手プレイヤー?」
「そう思うのが妥当だが、今回は違う」
「じゃあ、プグナの不具合か何かですか……?」
自分の言葉に春野は身震いした。たかだかゲームで人が死ぬ。そしてそれが不具合だというのなら、被害者はもっと増える可能性がある。
「いや、それも違う。バトル配信動画に犯人がしっかり映ってた。その映像がこれ」
スクリーンに映し出されていた写真が消え、代わりに現れたのは動画データだった。手元にある端末を操作して、佐渡が動画を再生させる。
「これが最初の被害者。優勢のプレイヤーが、カナダの捜査官だ」
プグナのバトルルームだ。片方のプレイヤーは相手プレイヤーが立ち上がるのをじっと待っている。勝敗は明らかだった。さて、どこまで粘るのか。少し期待しながら見守る野島はある変化に気付く。
「画面の隅、なんか出てきた」
「ええ、なんですかあれは」
春野も同じく気づいたようだ。バトルルームに現れたのは巨大なアバターである。黒の甲冑に身を包み、両手には包丁のような太刀を手にしていた。プレイヤーも侵入者に気付いたようだが状況が読み込めず呆然と立ち尽くしている。そんなプレイヤーめがけて、侵入者は刀を振り下ろした。
「そんな……なんでログアウトできないんですか」
攻撃をまともに受けたアバターは損傷が激しかった。頭から真っ二つになり、動かない。侵入者の体は砂のように崩れ始め、そうして消え去った。あっという間の出来事だった。
「春野の言う通り。本来ならプグナで攻撃を受けた場合、ある程度傷を負うと強制的にログアウトされるようになっている。つまり敗北だ。それは、ゲームといえど痛みも伴うことへの精神的配慮によるものだが……今回はそのログアウトが妨害されている」
ぞっとした。被害者は体が真っ二つにされるという疑似体験をし、そのせいで第二世界において精神破壊された彼らは、現実世界での死を迎えたのである。
「この数時間で同じような被害者が五人。その全員が政府の人間だった。ただ、プレイヤーの死亡はまだ公表されてない。プグナの公式サイトにはアメリカ政府が一時的にサイトの閉鎖を申請してるとこらしい」
「そもそも妨害なんて、そんなことが可能なんすかね。つまり、この犯人がその妨害をしてプレイヤーを逃げられなくして、殺したってことでしょ。高度なクラッキング技術と、世界中の強者を一撃で仕留める力、その両方を持った犯罪者ってことになる」
野島の言葉に、先ほどまで黙っていた高尾が小さく笑った。癖のない黒髪に、高い鼻とさわやかな笑みが加わって俳優のような雰囲気をまとっている。
「チートプレイヤーってやつかな」
「何がチートだ。そもそも、アバターの大きさからして規格外だろ。操作アバターはプレイヤーの体系と大幅にずれている場合、感覚がぶれて操作できない。なのにこいつは人間の大きさをはるかに超えてる。バグかなにかと考える方が現実的だ」
「さすが、いつも遊んでる人の言葉には説得力がある」
「……なんだと?」
野島と高尾の間に火花が散る。この二人は仲が悪い、というより、野島が必要以上に高尾を毛嫌いしているせいで雰囲気は非常に悪い。なにかと挑発的な言葉を投げてくる高尾にも問題があるのだが。
「喧嘩は後でじっくりやればいい。それに、野島の言うことは正しい。こんな巨大アバターを操作できる人間が本当に存在するかどうか非常に怪しいところだ」
が、しかし。
佐渡はまるで強調するようにゆっくり発音する。
「俺も納得したよ。操作しているのは人間じゃなかったからな」
「……どういうことです」
佐渡の言葉に胸騒ぎを覚える。春野の脳裏には、三年前のあの事件がよぎっていた。
「全世界の国のトップにメールが一斉送信された。犯行声明だ。送り主は三年前に消え失せた、ピースメーカー」
無意識に唾をのんでいた。横を見れば、春野の予想通り、野島は笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます