project1 ラスボス推参

1話 孤高の戦士

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 もうすでにご存知の方もいるだろうが、人類は数十年前に精神をインターネット上にて可視化する技術、ダイブを開発した。精神、というのは大げさかもしれないし、それを語る上では様々な哲学的な論争が付きまとうわけだが、分かりやすくいうとインターネット上に現実世界と同じように感覚を持ったまま入ることができるという技術である。劇的な仮想現実体験、というわけだ。インターネットは今やもうひとつの世界となった。人々はそれを、第二世界と呼ぶ。


 と、いうわけで。


 『平和の災厄』から三年が経った。核ミサイルが得体の知らないかに奪われ抑止力の消えた現実世界、世界大戦はいまだ起こらず。それは、他国の脅威よりも明らかに、核ミサイル全てを支配するピースメーカーのそれが大きすぎるからだろう。全世界から有能なプログラマーがダイブ機器を介して発射システムに送り込まれたが、未だにアクセスできたものはいない。かと言って消え失せたピースメーカーが再び現れることもなかった。

 日本は、今日も今日とて平和だ。



 さて。


 話を変えよう。女子の理想とする長身だけが取り柄な冴えない少年、井村伊助はだいたいタワレコにいる。

 7部丈のシャツにチノパンというラフな格好は、4月下旬において妥当な服装と言えよう。もっとも、彼のスタイルは年中これと似たようなものだ。ブランドはグラニフをこよなく愛す、というか他はよく知らない。自信なさげな猫背がチャームポイント、それが彼である。


『なぜ伊助は、CDを買うのかな。配信版も買っているのに』

「……っ」


 ヘッドホンでお気に入りのバンドの曲を聴いていると突如、そこから声が響いてきた。伊助は軽く息をのみ、その繋がっている先である端末をじっと睨んだ。どこかに電話をかけるようにしてそれを口元に寄せる。


「いきなり話しかけるなって言ってるだろ。せっかくサビだったのに」

『こうでもしないと構ってくれない』

「出かける時くらいおとなしくできないのかよ」

『わたしは人ではないからできないよ』


 何を言っても無駄だと知っている伊助は、ため息をついて再び曲に集中する。お気に入りのサビはすでに終わっていて、余計にがっかりだ。


『観賞用、保存用って分けている?』

「あーもう……」


 またヘッドホンを通して話しかけてくるそれにため息をつく。やっぱり電話をかけるようにして彼はその声に応えた。


「帰ったら遊ぶから」

『そう? なら先に準備する』

「はい、お願い」


 それ以降、声は聞こえなくなった。やれやれと肩をすくめ、お気に入りのバンドCDを漁る。人よりも曲と向き合っているほうが彼は落ち着くのだった。

 気のすむまで店内を徘徊し、住処へ戻る。千代田区二番町にある高級マンション、その一室が彼の家だ。今年で18歳になる彼はそこで一人暮らしをしている。

 ――いや。一人暮らし、というのは、少々語弊があるかもしれない。


『伊助、おかえり。準備はできている』


 部屋に入るや否やまたヘッドホンから声が響く。見えない同居人、彼、もしくは彼女は、こうして四六時中伊助について回るのだ。伊助はそれを『ルドルフ』と呼んでいる。


「今日は誰のを取る?」

『運のよいことに、今日はNエヌが来てる』

「いいね。大物だ」


 早足でリビングに向かう伊助は不敵な笑みを浮かべていた。なんだかんだで、この見えない同居人との奇妙な生活は、彼にとって心地の良いものである。同居人、とは言っても人ではない。人でないからこそ、伊助は彼、もしくは彼女とうまく付き合えるのだ。

 リビングには壁一面を覆うほど大きなスクリーンがあり、その目の前にソファが置かれている。皮づくりのそれはつい数日前にネットで購入したものだ。ヘッドホンを机の上に投げ出し、ソファに腰かける。


『それじゃあ、行こう』


 今度は部屋に設置してあるスピーカーを通して声が響く。ちくりと、首後ろにかすかな刺激を受け、伊助の意識は第二世界、ネットワークへとダイブした。



 ――モグラさんより挑戦状が届きました。受けますか?

 ――イエス。


 伊助が再び目を開けたとき、そこは白い空間だった。目の前には狐のお面をした小柄なアバターが空中に仁王立ちしている。着物姿で、腰にはその体と同じ長さほどの太刀を下げていた。

 ここは第二世界に作られたバトルルームである。ダイブを用いたバトルゲーム、『プグナ』専用に用意されたこの場所は、毎日のように世界中から参加してくる人々でにぎわっている。参加者たちはそれぞれ好きな装備で戦うことが出来、勝ち進めればスポンサーもついて金も稼げるといった人気の高いゲームだ。バトルの様子は現実世界へ配信されており、鑑賞可能になっている。スポンサーのついたユーザーはゲーム上でも優遇され、彼らと戦うには挑戦を申し込み了承を得なければならない。挑戦者が勝利すると賞金がもらえるようなシステムになっている。視聴者のほとんどはその防衛戦目当てだ。参加者も視聴者も多く、ダイブゲームの中では一番人気と言っていい。


「……割込み処理早すぎ」


 思わず呟いてしまった。ここ最近人気のスポンサー付きプレイヤー『N』、今目の前にいるアバターがそれである。挑戦者は数知れず。そのため、人気プレイヤーと対戦できるのはシステムが先着順なおかつ実力順で選んだユーザーのみになっている。

 伊助が挑戦状を出したのはついさっきであり、彼の使うアバター『モグラ』は戦闘成績も高くない。普通ならこうして人気プレイヤーと対決など出来るはずはないのだ。


『これくらいの処理なら簡単だ』

「そうじゃなくてさ。少し準備時間とか欲しいじゃん」

『早く遊びたかったんだ』


 現実世界と違って、ルドルフの声は直接伊助の耳に届く。この空間で響いているというより、直接脳に響いている感覚だ。

 他の挑戦者に割込み、いち早くNに挑戦状を送りつける処理をしたのはルドルフである。第二世界においてあらゆるシステムに侵入し処理をする、それがルドルフには出来た。


「ま、いいや」


 伊助は乾いた笑い声とともに、コマンド表示を行う。数ある中から選んだのは拳銃型の武器だ。最高ランクSの二丁拳銃、手に入れるのに大金を使ったものである。Nの装備は太刀であり、対抗するならば飛び道具がベストだというのは誰にでも理解できるだろう。

 伊助のアバター、モグラは男性型アバターである。身長は伊助と同じくらいで顔には黒の面をつけている。面は、装備している人間以外に認知され、当人は透けて見ることができるので視界は良好だ。黒のベストに黒のパンツ、そして黒のロングコート、モグラらしからぬその装備は伊助のお気に入りである。


 ――カウントします。


 パッと、目の前に赤色で文字が表示された。すぐに数字の5が表れ、カウントダウンが始まる。


 ――戦闘開始。


 その文字が表示された瞬間、Nが突進してきた。腰の太刀に両手を添え、一気に間合いを詰めてくる。


「きた……!」


 これまで何度かNの戦闘は目にしてきた。毎回同じ戦法で、この突進もそうである。


「ほんとにアナログなんだな」


 感心しながら、伊助は迫ってくるNの目の前から姿を消す。再び現れた場所はNが最初にいた位置だ。

 瞬間移動、誰が呼び始めたか今となっては定かではないが通称ソニックと呼ばれるその技はアバターを操作するプレイヤーの身体能力ではなくプログラミング能力によるものである。第二世界においてプレイヤーはネット上のデータでもあり、それを利用すれば伊助のような瞬間移動も可能なのだ。だが、技術的にはかなり難しく、ユーザーでこの技を使うものは実力者でも一握り程度だ。しかし、実力者の中で群を抜いているにも関わらずNにはそれが出来ない。敢えてしないのかもしれないが、伊助が見てきたバトルでは一度も使っていない。


『Nが驚いてる』


 こちらを振り返るNは面をつけているせいで表情は見えない。だが、彼が驚いているらしいというのは伊助にも分かった。無機質なルドルフの声も、心なしか嬉しそうだ。


「そりゃ、挑戦者の類にこれができるやつなんていないだろうからね」

『でも伊助、攻撃を受けなきゃ取れないよ』

「分かってる。今からやるって」


 この次の動作はあまり好きじゃない。伊助は攻撃に備えるように体に力を入れる。


『来る』


 ルドルフの声と同時にNがまた突進してきた。さっきよりも段違いに速い。予想を上回るそれに伊助は息をのんだ。


『Nお得意の抜刀術だ』

「見りゃわかる!」


 目の前にNが迫る。鞘から滑らかな刃が覗いたと思ったのは一瞬で、刀身が斜め一直線に下から上へと振られた。


「いってぇ……っ!」


 すんでのところで拳銃を盾に直撃を凌ぐ。甲高い金属音を響かせながら、あっさりと真っ二つに割れた。そのまま刀が手のひらを掠め、痛みが脳に伝わる。出血しないのは生身の体ではないからで、しかし脳が損傷と認知するせいである程度痛みを感じるのだ。負傷した部分はデータ修復しない限り使い物にならない。


「……ひっ」


 次の瞬間、伊助は残った方の銃で無意識に発砲していた。威力が選択できる武器ではあったが、最大威力でNの顔面向けて撃ったのだ。人に向けて最大威力の発砲をしたのはこれが初めてである。衝撃というより爆発に近かった。目が眩む閃光がパッと瞬き、その反動で伊助は後ろに飛ばされる。


『伊助、大丈夫?』


 慌てて態勢を整えるのと同時に声が響く。さすがのNも、先ほどの攻撃はあっさり避けたようだった。伊助から距離を置いたところでじっと彼を観察している。


「……手のひら切られただけ。まだ使えそう」

『よかった。でも突然撃ったりして、そんなに怖かった?』


 思わず黙り込む。ルドルフの問いかけの通り、怖かったのだ。ただそれは実力差を見せつけられたからではない。

 今まで実力差の大きいプレイヤーとバトルしたことはたくさんある。彼にとって強敵を相手にするのは確かに恐ろしくはあるが、危険ならばネットの接続を切ればよい。これは逃げ道の確保されているゲームだ。


「さっき一瞬Nにリンクできたからプレイヤーの方に潜ったんだ。そのおかげで面が一瞬透けて顔が見えたんだけど……」


 思わず身震いする。どんな顔だったかは一瞬だから分からなかったが、その口元が異様に歪んでいたのは記憶に焼き付けられるほどの衝撃があった。


「あいつ、おれを切るときすごく楽しそうに笑ってた」

『それはまた……』


 軽い気持ちで挑戦したものの、とんでもない人間を相手にしたのかもしれないという後悔はあったが、そもそも実力のあるプレイヤーはそれなりに特殊なのは伊助自身よく分かっている。今まで相手にしたプレイヤーも普通の枠には収まりきれなかったやつらだ。


『伊助、見て。Nが構えてる』

「……でた、キチガイ剣術」


 顔の横で刀を持ち構える。ネットの掲示板で彼の剣術が示現流であると話題になっていたが、実際に彼がその流派を習得しているのか趣味で真似ているのかははっきりしていない。だが、この一撃を凌ぐことができず敗北していくものがほとんどであり実力は本物だ。


「あれは避けていいよね」

『もちろん』


 伊助はまたコマンドを表示し、小太刀を選択する。バトル中に壊れた武器はそのバトルが終わるまでは使えないのだ。だが、それでも余るほどの武器を彼は持っている。


『来る』


 Nの右足が一歩前に出た。一瞬だけ気をそらせてしまえばもう敗北は決まったものだ。はっと殺気を感じた頃には、目の前にNが迫っていた。


「ルドルフ!」


 思わず叫び、同時にNの真後ろへ瞬間移動する。小太刀をNの首めがけて横一線に降ったが手応えはない。しゃがむようにして避けたのだと脳が反応した頃、下から顎に向かって蹴りが飛んできた。

 できる限り腰を反らせ攻撃を避ける。だがそれだけではない。片足を地面に着地させるその力をバネに、太刀を思い切り振ってきた。


「うっ……!」


 とっさに反応した右手が小太刀でその太刀筋を防ぐ。その衝撃は手がしびれるほどのものであったが小太刀だけは手を離さなかった。必死に目だけでNを追えば、彼は両手で太刀を持ち次の攻撃を繰り出すところだった。息をのみ、瞬時にガントレットを両手に装備する。

 金属がぶつかり合う音を響かせながら伊助はNの太刀を腕で防いだ。切り落とせなかったのが意外だったのだろう、Nは一瞬動きを止めるがそのまま連打を始める。


「ルドルフ……早く……!」


 闇雲に攻撃するというより、伊助がどこまで耐えるか試しているようだった。何度も何度も腕めがけて太刀を振り下ろし、ガントレットは砕けていく。


『伊助、取った」

「よし!」


 その声と同時にガントレットが弾け飛ぶ。よろめきながらも態勢を整え、伊助は最後の一撃を与えんとするNをまっすぐ見た。


「退場しようか」


 太刀が頭めがけて振り下ろされる。同時に突進した伊助の肩に刃がめり込んだ。鈍い痛みがそこから広がり、それでも最後の力を絞って小太刀をNめがけて突き出す。刃先がNの脇をかすめ、伊助は不敵に笑った。

 視界が暗転する。そこに光る一筋の線が伸び、縦横無尽に駆け巡った後であるデータに結びついた。


 ――野島武。


 伊助がネットから接続を切る直前にその人名が現れ、次に目を開けた時にはリビングだった。


 ――Nさんに敗北しました。


 スクリーンにはそっけない文字だけが表示されている。最後に感じた痛みのせいで脈拍が早かった。切られた手のひらと肩を確かめるように指でなぞって、深呼吸する。


『Nの戦闘パターン、ちゃんと取れたよ。次からは勝てるかな』

「やったな。けど、通りでNに誰も敵わないわけだ」

『と、言うと』


 伊助は端末を起動し、あるワードを検索する。部屋で端末を利用するときは自動的に画面がスクリーンに表示されるようになっており、そのスクリーン一面にある男の顔が表示された。


「Nのプレイヤーは野島武。現役のSB隊長。日本最強の男に挑んでたってわけ」

『それは、セコイ』

「だろ、勝てっこない。けど、貴重な戦闘データが取れてよかったな。クラックしたのがバレたら逮捕されそうだからしばらく使わないけど」


 少し、興奮している。それほどまでに野島武は有名人だ。生涯絶対関わることのない人物とゲームができた、これは貴重な体験である。


『じゃあ伊助、次に行こう』

「今度は勝ちにな。小遣い稼がないと」


 ルドルフは笑わない。彼、もしくは彼女は第二世界に生きる人工知能だ。それでもときたま、今みたいにルドルフが笑うように感じる時がある。ルドルフとの生活は伊助にとってやはり心地よいものなのだ。そんな奇妙な同居生活を、彼は三年前から続けている。


 ピースメーカーが現れ、そして消えた、三年前から。


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