人工知能が眠るとき
ふるやまさ
プロローグ
Hello world!
それは実に唐突だった。主要国首脳会議のためインターネット上、通称『第二世界』に集まった八人の首脳がそろって誘拐された。
「なんでも、首脳たち全員の『ダイブ』機器がクラックされてて、予定とは全く別の第二世界に飛ばされたらしいです」
とはいえこんな状況下でも、
「場所の特定はどの国でもまだ出来てないみたいで。……佐渡さん、再就職どこにしますか? オレたち『
「そんなにサラッというなよ……。所帯持ちなんだ、こっちは」
「ンなこと言ったって。大将取られてんですよ、こっちは。潔く負けを認めねえと」
非常事態でもいつものスタンスを崩さない野島に少なからず佐渡は落ち着きを取り戻していく。泣きぼくろが特徴的なすまし顔は生意気だが、それに助けられたのは今が初めてではない。佐渡は微笑み、もう一度大型モニターに向き合った。
白を基調とした部屋、ここは国会議事堂の一室である。前代未聞の大事件で、少人数用のその部屋は人でごった返していた。警察、政治家……権力者ばかりの顔揃えにも関わらず、誰一人として手出しできるものはいない。
部屋の中心にある皮づくりの椅子に腰かけ目を閉じているのは現在の総理大臣、
佐渡の見上げるモニター、そこに映し出されているのが、会議が予定されていた第二世界においての会議室である。茶色の円卓に、並べられた八つの椅子。そこに首脳たちがいるはずだった。だが、今はもぬけの殻である。
「守る要人がいなければ、俺たちSBの存在意味もなし、か」
「そりゃあ、第二世界においての要人警護が、オレらの仕事ですからね」
気づくと、野島が隣に立っていた。並ぶと身長差が際立つ。もともと長身な180センチの佐渡に比べ、野島の身長は165センチとやや低めである。だが、その体格差など彼にとってはあってないようなものだ。24歳という若さでSBの現場副隊長に抜擢された実力は誰も疑う余地もない。
「……俺たちのダイブは正常に機能していた。奴さんは総理のダイブだけを的確にクラックしてきたわけだ」
桐生総理の後ろには、木造りの椅子が二つ、配置してある。予定ならばその二つに佐渡と野島が腰かけているはずだった。
「オレはネットなんかには詳しくないですが、可能なんですかね。ダイブのクラッキングなんて」
「さあな。今までに一度もこうした誘拐が起きなかったってのは確かだけどな。出来たんだから、可能だったんだろ」
「これ、オレたち責任問われますかね?」
「びみょーだよなぁ……。問われないことを祈るが。けど、機械不良は管轄外だろ。第二世界において目の前で誘拐されたわけじゃないしな」
「はぁ、セコイっすね。誘拐なら目の前で向かってこいってんだ」
喧嘩っ早い野島らしい発言に、佐渡は笑った。警察から事件発覚後すぐに事情聴取されてから、彼らはずっと部屋に放置されている。責任が誰にあるのか、そんなことよりも国のトップ8人の所在が重要なのは明らかだ。
「することもないし、適当にダイブしてみます? 偶然総理のいる場所にダイブできるかも」
「やらないよりかはいいだろうが……こんな大事件、もう俺たちの管轄外だろ」
「じゃあせめて帰らせてほしい……うわ」
キン、と、耳鳴りのような電子音が響く。それと同時にモニターの映像が消え、画面いっぱいに黒が広がる。突然のことに場はざわめき、全員の視線がモニターに注がれた。
「……なんだ? 不具合か?」
佐渡は目を細め、成り行きを見守る。事件が起きているのはもうこちらの世界ではなく、インターネット上の第二世界。誰も手出しはできない。
『H』
その時だった。真黒な画面に現れたのは白色のアルファベット、『H』である。左端に現れ、あれが何かと疑問の声をあげるより早く、次の反応はすぐだった。
『Hello,World』
まるでコンピュータ画面のようだった。キーボードで入力した文字が画面に現れる、そんな現象だ。いつの間にか部屋は静寂が満たし、誰もが画面を凝視している。
「こんにちは、みなさん。わたしはぴーすめーかー」
その、気持ちの悪い静寂の中響いたのは、無機質な音声だった。
「……なに?」
無意識に声が出る。佐渡は部屋を見渡し、声の主を探した。スピーカーだ。第二世界での会議、その音声を飛ばすために用意されているスピーカー、声はそこから響いている。
「ここに、はんこうせいめいなるものをていじする。はちにんのしゅのうをゆうかいしたのは、わたしだ」
息をのむ音がそこらじゅうで上がる。そのうちの一人であった佐渡は、背筋から冷たいものが這いあがっていくのを感じていた。横目で野島を見ると、驚くべきことに彼の口元は笑っている。悪い癖だ。物事が悪かろうが良かろうが、非日常的なものに出くわすと野島は無意識に口角が上がる。
「……どこからの通信なのか、まったく特定できません。おそらく大量のサーバーを介してるんでしょう」
サイバーテロ対策チームだろう、この部屋にやって来た時からコンピュータを操作するばかりだった彼らがようやくそこで口を開いた。また部屋がざわつき始める。
「ピースメーカー……平和を作るもの?」
状況は急変したが、手が出せないことに変わりはない。佐渡はただ画面を睨み付けたまま、声の言う『ピースメーカー』の意味を考えていた。
「テロリストの間違いだろ。でもこれ、いたずらって線もありますよね。勝手なこと言ってるだけだし」
やはり落ち着いている野島の声に佐渡は次第に平常心を取り戻していく。確かに彼の言うとおりだ。この声の主が誘拐犯だという証拠はどこにもない。
「しんじられないのはよくわかる。いま、しょうこをみせよう」
まるで野島の声が聞こえているかのような反応だった。スピーカーの声がそう言い、それと同時に悲鳴のような声が上がった。
「総理! いま、総理がこちらに戻って……」
だが、言い終えないうちに声は消える。全員の視線が桐生総理を向き、ちょうどその真横に立っている男が目に入った。彼は口を大きく開けたまま桐生総理を凝視している。そして腰を抜かしたようにその場に座り込み、絶望したその目で言った。
「さっき、総理の意識が戻って……。でも一瞬でまたあちらへ……」
「どういうことだ?」
男の言っている意味が分からず、佐渡は眉を顰める。勘の鋭い野島は、その一瞬で状況を把握したようだった。また、笑っている。
「つまり、証拠を見せたんですよ。首相の精神をこちらに返すのも『わたし』の意のままだと」
「まさか、本当に……?」
「驚いたな。こうしたことが出来るなんて」
その凄みのある笑みを浮かべたまま、野島は黒い画面を見上げた。『Hello,World』の文字は変わらずそこに表示されている。
「誰なんだこいつ」
野島の問いに答える者はいない。また、静寂だ。見えない敵の重圧がじりじりと部屋をつぶしていくかのようである。
「しんじてくれただろうか。では、つぎはわたしのようきゅうをていじする。いまおきていることをせかいにはっしんしてほしい。わたしのそんざいをせかいにしらせてほしい」
「……なんだそれ、ピースメーカーさんはツイッターを利用していません、ってか」
「こんな時くらいその野島節をなんとかしろ」
何はともあれ野島は部下だ。躾がなっていないと非難されるのは上司である佐渡であるので、小声で彼を牽制する。すんません、と、気の抜けた謝罪がとんでくるが、周りの人間たちは野島の失言など耳に入っていないようだった。
「いちじかんいないになにもうごきがないばあい、はちにんのうちひとりをさつがいする。ようきゅうはいじょうだ」
空気の漏れるような、力のない笑い声が出た。慌ただしく動き出した人々の中、佐渡と野島だけがその場に立ち尽くしている。彼らの仕事は要人警護であり、守るべき人間はここにいない。
「お前の言う通り、こいつはただのテロリストだな」
目を閉じたままの桐生総理はピクリとも動かない。背もたれのちょうど首後ろ当たり、そこにある突起物から軽い電流を脊髄に向けて流すことでネットワークと精神を結ぶ。それが『ダイブ』。ネットワークからの接続を切るのは簡単だ。体と電流を切り離せばそれでよい。しかしネットワークに流したままの精神が勝手に戻ることはなく、その場合残るのは廃人と化した『人だったもの』である。桐生総理の場合も同じだ。この椅子から彼を離すことは簡単だが、廃人の総理には用がない。
「殺すって、つまり第二世界においての精神破壊、ってことすかね」
「だな。ダイブによって第二世界に流した精神は感覚もある。第二世界での行為で、脳がそれを『死』だと認識した場合、こちらにある体も機能を停止する。つまり、首脳たちの精神を誘拐したこのピースメーカーなら簡単にそのうちの誰かを殺せるわけだ」
「笑えない展開になってきましたね」
そう言いつつも涼しい顔をしている野島に佐渡は呆れる。
「それはもっともだが、俺たちは成り行きを見守ることしかできないよ」
たったの数分で世界は大混乱の渦に巻き込まれた。首謀者の情報は一切不明のまま時間は過ぎ、SNS、ネット、ニュース番組、あらゆるメディアを通してこの事件は世界中に知れ渡ることとなった。
どうやらピースメーカーは翻訳機能を使っているらしく、主要国首脳会議の参加国にそれぞれその国の言語で犯行声明があったようだ。そのままの音声も報道され、世界は重苦しい空気に包まれた。
――かのように思えた。
情報という情報が世界に流れ、誰もが『ピースメーカー』の名前を認知したころ、そいつは突然消えた。情報の流れるスピードは速い。それは二時間もしないうちだったかもしれない。誘拐されていた首脳たちの精神は何も攻撃されることなく自分の体へと戻された。そしてピースメーカーを名乗った何者かは、忘れがたい衝撃だけを残して消え去った。
第二世界から解放された首脳たちは、それぞれ別の場所に閉じ込められていたらしい。何もない空間に放置され、現実世界に出された犯行声明を同じく聞いていたとのことだ。もちろん、犯人の姿は見ていない。
ピースメーカーの正体はどの国のプログラマーでも掴めなかった。この誘拐事件はのちに『平和の災厄』と名付けられ、幕を下ろす。第二世界へのダイブが厳しく取り締まられるであろうことを見かね、佐渡と野島は再就職先を慌てて探していた。だが、それから数日たたないうちに、彼らは職に困ることはなくなったのである。
世界に向け発表された内容は、こうだ。
「全世界の核ミサイル発射システムがピースメーカーにより制圧された。人類滅亡のスイッチは今、彼が握っている」
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