第2話

 高校卒業後、私は大学に進学せずにIT企業に就職した。就職と同時に実家を出て、一人暮らしを始めたんだけれど、今は事情があって再び実家に戻っている。父親がアメリカに転勤するということで、母親も一緒に着いていくことになったのだ。当然なことに、未成年の俊ちゃんを一人にしておくのは不安ということで私が実家に戻ることになった。それが丁度一年前だったと思う。


 これはそれよりも数年前の話。私が一人暮らしを始めた時のことだ。

 私が一人暮らしをする時、中学生だった俊ちゃんは今ほどスキンシップは激しくなかったけれど、立派なシスコンぶりを発揮していた。一人暮らしするって言ったら反対されると思っていたんだけれど、意外にも俊ちゃんの反応は薄かった。


「俊ちゃん、私一人暮らしするから。」

「どこで?」


 あの頃はまだ私より身長が低かった俊ちゃんが、可愛らしく上目遣いで聞いてきたのを今でも鮮明に覚えている。…もう今は悲しい事に私より20センチも大きくなってしまったけれど。


「ここから2駅ぐらい離れたところ。もう透さんと夏希さんには了承を得ているから、俊ちゃんが反対しても無…、」

「わかった。」

「だから無駄だって…。え?」

「わかったって言ったの。父さんと母さんはいいって言ったんだろ?ならいい。」

「…意外だ。俊ちゃんはお姉ちゃんの事が大好きだから反対すると思ってた。…ちょっと寂しい。」

「反対して欲しかったか?」


 まだ可愛い顔をしていた俊ちゃんが、ニヤリと嫌らしく笑った。


「うーん…もう決まったことだから反対されても困ったけど、引き止められないのもちょっと寂しいね。でも俊ちゃんも姉離れしたということで、お姉ちゃん一人暮らしを頑張ってくるね。」


 この話はあっさりと終了した。もっと駄々をこねられると思っていたから、拍子抜けした。


 ちなみに私が言っていた透さんと夏希さんというのは両親の事。何故名前で呼んでいるのかというと、私が6歳の時に彼らに引き取られたからだ。実の両親が事故で亡くなってから、私は両親の友人であった透さんと夏希さんに引き取られた。実の両親は親戚とは疎遠になっていたというから、彼らには凄く感謝している。


 成人してから聞いた話だけれど、私は養子になったわけではなかった。偶然にも苗字が一緒だったから何の疑問も持たずに生活していたけれど、戸籍は前のままだった。


真琴まことちゃんが成人してから決めてもらおうと思ってたのよ。養子になるかどうか。」

「僕たちは真琴の事を娘だと思っているから、真琴がどういう結果を出そうと変わらないんだけれどね。」

「真琴ちゃん、御両親のこと大好きでしょう?だから繋がりは残しておいた方がいいんじゃないかと思って、私達だけでは決めることができなかったのよ。」

「私は…、」


 数日悩んだ末、私は養子にならないことに決めた。透さんと夏希さんのことは大切に思っているし、両親だとも思っているけれど、やっぱり夏希さんが言ったように実の両親との繋がりをどこかで持っていたかった。私がそう泣きながら報告した時、二人は優しく抱き締めてくれた。


「真琴が決めた事を僕らは尊重するよ。これでも14年も真琴の事を見てきたんだ。」

「真琴ちゃんが私たちの事をちゃんと想ってくれていることは分かっているつもりよ。」

「…うん、ありがとう。」


 こんな事があったことを俊ちゃんは知らない。私がこの家に来た年に俊ちゃんが生まれたから、私と血が繋がっていないという事を知らないはずだ。血が繋がっていないとはいえ、私は俊ちゃんの事を大事な弟だと思っている。6歳も離れていると、可愛くて仕方がないのだ。


***


 話替わって引っ越し当日。透さんと夏希さんも手伝いに来てくれた。それから俊ちゃんも。


「娘の住むところなんだから、ちゃんと確認しておかないとね。」

「そうよ。俊ちゃんも真琴ちゃんの事が心配なんですって。何で一人暮らしを許したんだって凄い勢いで怒られちゃってね。」


 夏希さんが笑いながらサラッと言った言葉に、食器を片づけていた手が止まる。私が一人暮らしするって報告した時には余裕ぶっこいてたくせに、やっぱり寂しかったのかと思うと顔がにやけて仕方がない。俊ちゃんの横顔を盗み見ると、話が聞こえていたのか僅かに顔が赤くなっていた。


「寂しいなら寂しいって言えばいいのに!」

「寂しくない。」


 あまりの可愛さに後ろからギューギューと抱きしめる。抵抗せずに大人しく抱き締められているけれど、その顔は不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。それから無事に引っ越しは終わり、一人暮らし生活が始まった…かのように思えた。



 出社初日、事務的なことだけを済ませて帰宅の途についた。玄関を開くと、実家で見慣れた靴があり、リビングからはテレビの音が聞こえてくる。


「……はぁ…。」


 俊ちゃんが余裕ぶっこいていた理由が分かった気がした。実家に合鍵を一本渡していたけれど、それを使ったんだろうか。静かにリビングへの扉を開けると、当たり前のように俊ちゃんがソファで寛いでいた。


「おかえり。」

「……ただいま。」

「早かったな。ってか帰るときは連絡しろよ。心配するから。」

「…俊ちゃん、何故ここにいるのかな?」

「何でってマコがこっちにいるから。」

「………。」


 携帯を取り出して、実家の番号を呼び出す。数回のコールの後、夏希さんの優しい声が聞こえてきた。


「あ、夏希さん?_

「あら真琴ちゃん、もう帰ったの?お帰りなさい。」

「うん、ただいま。あのね、家に帰ったら俊ちゃんがいるんだけど。」

「やっぱり?あの子なかなか帰ってこないかと思ったら、真琴ちゃんの家に行ってたのね。でも合鍵はこっちにあるから、あの子更に鍵を作っちゃったのかしら。」

「………。俊ちゃん、鍵作ったの?」

「あぁ。」


 一体いつ作ったんだか…。姉離れしたと思っていたのに、全く違っていたらしい。


「もしもし夏希さん?鍵作ったんだって。」

「あの子の真琴ちゃんに関することの行動力は凄まじいわね。」

「でね、俊ちゃんなんだけど。」

「もう今日は泊めてあげてくれる?たぶんちゃんと着替えも持参してると思うから。ごめんね?」

「ううん。明日はちゃんと帰るように言っておくから。じゃあね。おやすみー。」

「おやすみ。明日も仕事頑張ってね。」


 それから一緒に夕食を食べ、交代でお風呂に入り、私はベットで俊ちゃんはお布団で眠り、翌日一緒に家を出た。翌日はちゃんと実家に帰った俊ちゃんだったけれど、その翌日にはまたうちに居座っていた。私が一人暮らしを始めてから、一日おきに俊ちゃんが泊りに来る事になるとはこの時はまだ思いもしていなかった。

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お姉ちゃんは君の将来が心配です コロ助 @korosuke1226

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