桜の下に、私が埋まる

三津凛

第1話

前世であなたを殺しました。


隣に座った一年生に、不意に言われる。私は驚いて相手の子と目を合わせた。彼女は野うさぎのような瞳をこちらを見上げている。邪気のない、あるがままのものが私を見ている。

「冗談にしても、物騒だよ」

やんわりと距離を置きながら、私は冷たいブルーシートにもう一度座り直した。桜の木の根元に敷かれたそれは、所々波打っている。ふと手をついたら、突き出た桜の根に掌が押される。

「冗談じゃないですよ。思い出しただけです」

変な子が来たものだ、と私は無視する。不思議ちゃんを気取るにしては少し不気味で、不躾だと思った。

それに媚を売る相手を間違えている。

無理やり誘われた新歓の花見の雰囲気に、私は早くも帰りたくなっていた。寒いし、怠い。タダ飯を食べれるだけ、マシか。まだお酒を飲めないのがもどかしかった。このムカつきと虚しさは、ちょうど上手く靴紐が結べない時のものと似ている。

「だりーなぁ」

ぼんやり呟くと、あの変な一年生はまた滑るように近づいて来て隣に落ち着く。

「江戸時代に入ってから初めての心中事件起こしたのって、ゲイカップルだったんですよ」

「それがなに?」

私は視線を合わさないようにする。

「私たちも前世で心中したみたいです…」

「ふうん」

まともに相手はするまい、と決める。水のように聞いている振り、浮かべている振りをしてやるしかない。

「初めて見た時から、分かってしまったんです。あぁ、あの人だって」

風がそよぐたびに桜が散る。それは長い時間をかけて裸身に剥かれていく様を思わせた。前世なんて、あるわけがない。でも女の子って占いとか前世とかそういうの好きだよな。

「なんで心中したの?」

半分試してやるような気持ちで聞いてみる。

「あなたが、私のことを捨てたからです。思いあまって殺しました。その後、私の前世も後を追ったんです。それであなたの遺体を…」

彼女はするっと立ち上がる。まるで死んだばかりの人の口から、魂が立ち昇るように揺らぎながら。

私のすぐ後ろの桜の根元を指差す。

「そこの、桜の下にあなたを埋めてから私の前世も死にました」

いくらなんでも冗談だろうと、私は嗤った。

「なあに、小説家志望なの?物語としては面白いかもだけど…」

「冗談なんかじゃ、ないですよ」

「へぇ」

彼女は少し軽蔑したように私を見下ろす。

「私は今世でも、報われそうにはないですね。でもいいですよ。あなたに出会えたから、あの時死んだ甲斐がありました」

彼女は笑わない。不意に、私はもしかすると全て本当のことなのではないかと直感した。嘘を飲んだ人間の軽さが、彼女にはない。真実は鉛のように重い。そして、人を暗くする。

彼女は笑わない。

「まだ信じられませんか?」

「…そうだね」

彼女は不意に嗤った。

「なら、今日の夜あなたの前世を掘り出しませんか?それを見たらあなたも信じてくれるでしょう?」

死体なんて出てくるものか、と私は唇を舐める。

「いいよ。本当に死体が出て来たら信じてあげる」

「約束ですよ」

彼女は自分の指を私に絡める。この子は淫猥な蛇のようだ。生暖かい指と関節の柔らかさが一層不気味だった。


私は生煮えの確信を抱いたまま、約束した通り桜の根元にやって来た。

彼女は既にそこに佇んでいた。

「ちゃんと来てくれましたね」

「うん…」

私は視線を合わさないようにして、聞く。

「それで、どこに私が…じゃなくて私の前世が埋まってるの?」

「ちょうど、私が立ってる所の真下です」

彼女は微笑みさえ浮かべて指を指す。

私は顔をしかめてしゃがんだ。しばらく二人で一心不乱に土を掘り返す。はたから見ると、どんな風に思われるだろう。私は自分でも奇妙な熱心さで湿り気を帯びた土を延々と掘り返し続けた。

「前世なんて、信じられないけど」

「ふふ、じゃあどうしてわざわざ来たんですか?信じてるから、信じたいから来たんですよ」

彼女は嬉しそうに土を掘る。

正しさは彼女の方にあるようだった。

そのすぐ後で、本当に人骨が見つかった。

「ほら、言った通りでしょう?あなたの前世はちゃんとここに埋まってましたよ」

なんてものを掘り返したのだろう、と私は唇を噛んだ。彼女はまだ何か言っていたが、無視した。

私はあの暗い眼窩に引き寄せられる。

向こうも私の方を見ている。

自分そっくりの眼窩がこちらを見ている。

逃げろ。

そんな風に言われている気がした。そっと彼女の横顔を見る。向こうも私の方をじっと、眺めていた。

「私も、あなたのことが好きです」

因縁、とはこういうことを言うんじゃないだろうか。

「愛してます」

私は避ける暇もなく彼女に唇を塞がれる。冷たい唾液が流し込まれた。彼女は目を閉じることなく私を見据えている。何度追い払っても足元に纏わり付いてくる仔犬のように、舌が絡みつく。体温がない。冷たい延べ棒のような舌が私を舐める。

私も目を開けたまま、彼女を見つめた。

そのうち、彼女は恍惚として目を閉じる。呪いが解けたように、何かが背中を突いてくる。


この女は誰だ。私を、私の前世を殺した女だ!逃げろ!


大声で叫ばれたような気がした。

唇を離される。彼女は笑った。

「もう二度と、離しません。ふふ」

人間じゃない。私は後ずさった。彼女の瞳はガラス玉のように透けている。遠い時間の堆積まで透かすようだった。そこに輪廻転生の輪が見える。彼女は本当に私の前世を殺した。この桜は私の前世を養分に花を咲かせ、謝るように散らし続けた。

慄然とする。彼女は前世で私を殺すだけでは飽き足らない。今世まで追いかけて、自分のものにしようとしている。

「私は何も見てない。何も知らない」

彼女はその瞬間、物凄い形相になった。この瞳に私の前世は惨殺されたのだ。彼女の瞳は全てを透かす。

あぁ、やっと思い出した。

私の前世は彼女を捨てて結婚した。女の肌の柔らかさを捨てた。あの炎のような繋がりを裏切った。

そうして、同じ場所で言い放った。

「私は何も見てない。何も知らない」

その瞬間に殺されたのだ。手に持っていた提灯が私の前世の手を離れて破れる。彼女の前世の怒りが乗り移ったように、火柱ができる。提灯は燃える。次第に火が消えていく様を眺めながら私の前世は死んでいった。生命の灯火が消えるように、提灯は破れて灰になった。

あとには魂の行く末を導くように、寄る辺ない煙だけが細く立ち昇るだけだった。


そこまで思い出して、私はもう一度目の前の彼女を見つめた。

彼女が唇を開きかける。


みなまで聞くな、殺される。


土に埋もれた前世が、私の背中を蹴飛ばした。私はもうずっと振り返らずに走り続けた。


あの桜の根元は掘り返されたことすら、知らないように綺麗になっていた。あそこをもう一度掘り返す勇気はもうない。

あの女は誰だ。私の前世を殺した女だ。今世で会うことはもうないかもしれない。それでもまた来世、そのまた来世へと私と彼女はどこかで会うだろうか。どこかで会わずにはいられないだろう。

ガラス玉のような瞳に、輪廻転生の輪が見える……。私の前世も今世も来世も、彼女の中にあった。


もう、死んでも逃れることはできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の下に、私が埋まる 三津凛 @mitsurin12

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ