終章 異世界よ永遠に
あの事件から、しばしの時が経った。
「……はぁ」
俺は溜め息を吐きながら、あの事件の報告書をまとめていた。
報告書というか、どちらかと言えば、始末書の面が強いのかも知れない。
勝手に魔法陣を越えて、異世界に行こうとしたことに対する始末書だ。
一応、流華による異世界からの攻撃を防いだという功績は認められて、これでも寛大な処分だということらしい。
ただ、いくら寛大と言われても。
目の前で、異世界行きを邪魔されたことに対する喪失感は、あまりにも大きくて。
なかなか立ち直ることが出来ない。
いや、一生こうして引きずるかも知れない。
それくらいに凹んでいるのだ。
「ほ、ほら鷹広、元気出して」
「元気なんか出るかよ」
「そんなこと言っていても、仕事は待ってはくれないよ。幸い、今は僕でも何とかなるような仕事ばかりだから、鷹広は休んでいて良いけどさ。ほら、ライラ様の新曲持って来たよ? 借りるでしょ?」
「……借りる」
史雄から、上月ライラの新曲を受け取り、また机に突っ伏す。
「全く、すっかりやられちゃって。まあ、しばらくはゆっくりしていればいいさ。行こう、ポチ。リーダーが凹んでいる間は、僕達が頑張ろう」
『……』
呆れたように肩を竦めると、史雄は、ポチを連れて部屋を出て行く。
俺なんかいなくても仕事をやってくれる、頼りになる男じゃないか。
ポチに至っては正直、男なのか女なのかが不明のままなんだけど。
とにかく、頼りになる男達は去り、部屋には俺だけが残された。
溜め息を吐く機械と化した、無様な俺だけが。
「はぁ……」
とはいえ、一応進展もあるにはあった。
生き別れになった幼馴染、天花寺流華と再会することが出来たのだ。
生きているか死んでいるか分からなかった流華とまた会えたことは嬉しくて。
しかし、だからといって俺のテンションは戻らない。
そんなことを言ったら、アイツは怒るだろうけど。
異世界に行けなかったという事実の前では、本気でどうでも良いことだ。
と言っても、委員会の上層部連中にとっては、流華の存在と、語っていたことはどうでも良いことではないらしく、色々としつこく話を聞かれる羽目にはなった。
流華の語った計画……既存の価値観を破壊する革命。
世界間の壁を取り払い、異世界召喚というシステムすら過去のものとする、壮大な計画。
気にならないと言えば、嘘になるが。
しかし、そういった難しい話については、上の方でやってくれればそれで良い。
末端にいる俺達には、後で説明してくれれば、それで構わない。
異世界召喚のハードルはどんどん低くなっているという。
しかし、それで都合よく異世界に行ける……なんていうことは、今の所、気配すら皆無だが。
何せ、流華の言葉を信じるならば、俺は異世界に行くことの出来ない運命の下にあるという。
冗談じゃない。
冗談じゃないぞ。
まあ、その辺りの問題も、上の連中がなんとか筋道を付けてくれることを祈ろう。
頼むぞ。高い給料を貰ってる分、ちゃんと働いてくれよ?
そうそう、上の方と言えば。
あの事件以来、時々上月さんが俺達の部屋に話をしに来るようになった。
異世界召喚にまつわる様々な夢物語、逸話などを楽しそうに話してくれるのだ。
元より、そういったものは嫌いではないので、こっちも楽しく聞いていたりする。
そう言えば、上月さんが冗談交じりに言っていたか。
「私、異世界にツテがあるようなものですからね」
「ツテですか。そりゃ、まあ、あるでしょうね」
故郷ですもんね。
「ですからタカヒロさん、異世界に行く際は、是非相談して下さいね」
「はぁ」
「きっと、役に立ちますよ、ワタシ」
「まあ、その時はお願いします」
「ええ、ジモティーであるワタシに任せていいんですよ。よーしよーし」
「田舎みたいに言うな!? ってか、頭を撫でないでぇ!?」
そんな風にして、妙に俺に構ってくる上月さん。
何だか良く分からないが、貰える親切は、有り難く受け取ろうと思う。
まあ、部屋の隅っこで恨みがましい視線を向けて来る史雄は気になるけれど。
ついでに上月さんの親父ことタヌキ委員長も、若干殺意を込めた視線を向けて来るようになった。何なんだろうか。おい、仕事しろよ上の者。
今度チャンスがあった時には、遠慮なく上月さんの力を借りることにしよう。
そんなチャンスがあればの話だけどな!
実際、今回の件以上のチャンスとか、まずない気がするけどな!!
でも一応な、期待だけは捨てないようにしないとな!!
頑張れ俺! 負けるな俺!!
と、そんな風に自分自身を全力で奮い立てていると、誰かが部屋に入って来た。
机に突っ伏している俺には、それが誰だか分からないが、足音からして、随分と元気が無いご様子だ。
「……隼瀬か?」
「……はい」
若干、億劫ながら顔を上げると、申し訳なさそうな顔の隼瀬が眼に入った。
何か、俺に言いたいことがあるのだろうか?。
異世界を巡って争った仲だ。
何というか、骨肉の争いって感じの、醜いやり取りを繰りひろげた間柄で。
互いに異世界に行きたくて仕方がない、そんな関係。
だけど。
「…………疲れたな」
「…………そうですね」
それについて、何かを言おうという気概がすっかり欠けてしまっている。
それぞれ、異世界に行きたいという願いは共通していて。
しかしそれを寸前で奪われたとなれば、こうして生きる屍状態となるのも無理なからぬことである。
今回は、隼瀬のせいで異世界に行けなかったとしか言いようがない。
しかし、それを言うならば、隼瀬の方だって同じ気持ちだろう。
俺のせいで、自分の異世界行きが妨害されたと、そう思っているだろう。
だからこそ、これ以上無為な争いを続けたところでどうにもならない。
まして、あんな申し訳なさそうな顔を見てしまっては……。
まあ、何かを言うべきでもない。
2人仲良く異世界に行けるのであれば敵対する必要もないが、現状は違う。
だからこそ、今はこうして微妙な関係が続いているのだ。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
ただ、居心地が悪いのは事実で。
正直、隼瀬と同じ部屋にいるだけでも若干しんどい。
よし、適当な理由を付けて、部屋から出ていくことにしよう。
そう考え、音を立てないようにそっと立ち上がったところ、隼瀬は表情を鋭いものに戻して、こちらを向く。
「何処に行くんですか先輩」
「別に……トイレだよ」
「私も一緒に行きます」
「何で!?」
何を言っているんだコイツ!? 一緒には出来ないだろ!?
男女間のハードルは何よりも高いぞ!? 下手したら異世界よりも!!
しかし隼瀬は真面目な顔で、俺の後ろをトコトコついて来る。
え、本気で一緒に行こうとしているのか? マジかよ。
「だから、ついて来るなよ!」
「先輩を1人にはしておけません」
「1人で出来るわ!!」
子供じゃないんだぞ!?
この年になってシモの世話をしてもらうとか、自己嫌悪で死にたくなるわ!!
まして年頃の娘に!!
「何を勘違いしているんですか」
「あん?」
「私は、先輩が勝手に何処かに行かないように、見張っているだけです。別に先輩のトイレ事情を気にしている訳ではありません」
「そうかよ」
良かった。まあ、そりゃそうだろうけど。
あやうく、今後の関係がより複雑なモノになるところだったぞ。
「つーか、何処かって……まさか、俺が勝手に異世界に行こうとしているとでも思っているのか?」
「あ! ほらやっぱり! 行こうとしているんですね!」
「行けないだろ!?」
よし行こう、って思ってどうにかなる場所じゃない!!
そんな簡単に行けるような場所だったら、もうとっくに行ってるだろ!!
行きたくても行けない、だから今の俺があるんじゃないか。
しかし隼瀬は、あくまでも真剣に。
「幼馴染の人とか、上月さんとか、すっかり異世界へのコネを作っているようで絶好調ですよね、先輩は」
「いやコネって言うか、むしろ因縁って言うか……」
「同じです!! どんなことがあっても、異世界に1人で勝手に行くなんて、絶対に許しません!!」
「俺の勝手だろ!?」
「後輩として、先輩を一人にはさせません」
「都合の良い時だけ後輩ぶるな!!」
後輩ではあるものの、同時にライバルなんだからな、お前は!!
それに、それを言うなら、俺の方だって同じだ。
隼瀬が勝手に異世界に行ってしまうことのないように、監視をするしかない。
ここまで俺のことを妨害しておいて、自分だけ異世界に行こうなんて、そんなふざけた真似、許される筈ないじゃないか。
「お前も、何処かに行く時は、ちゃんと俺に報告しろよ。トイレとか嘘つくなよ」
「セクハラです」
「お前、それはズルいぞ!?」
全く、気が合わないんだか、合うんだか。
「つーか、お前だって、兄っていうコネがあるじゃないか」
「あの愚兄、またもや楽しそうな手紙を送って来るんですよね……また女の人が増えていましたし、更に別の異世界に渡っていましたし。ええ、それはもう、大変愉快な笑顔で笑っていまして。こっちとしては大変不愉快です」
「しまった。地雷だった」
隼瀬の顔に、怒りが満ちて行く。
やばい、このままだとろくでもないことになりそうだ。
余計な怒りが俺に振りかかる前に、さっさとずらかることにしよう。
「じゃあ、じゃあそういうことで!!」
「あ、待って下さいってば!!」
「待てるか!!!」
「分かりました! そっちに異世界があるんですね!?」
「ねぇよ!?」
隼瀬を追いて、部屋を駆け出す。
まあ、とにかく、今は前へ。
少しでも、何かを得るために、前へと進むしかないのだ。
当てはないけれど、それでも、前へと進むことで、目的の場所へと近づけると、そう思いながら。
こうして、俺、池中鷹広は。
異世界からの侵略を、食い止めながら。
異世界への旅路を、いつでも画策する。
一度は、途絶えてしまった夢。
目の前で消えてしまった希望。
それでも、一度は辿り着くことは出来たから、自信がある。
目指すべき異世界の姿を、確かに目で捉えた。
夢や幻ではなく、確実に存在するものであるということを、確認した。
諦めない限りは、必ず手の届くものだっていうことを、俺は知ったのだ。
遠い夢ではなく。
いつか手に入れることが出来るものだって、分かったのだ。
だから、諦めない。
だから、先に進める。
異世界を追っている限り。
いつか、再び、あの場所に辿り着けると信じて。
我が愛しき異世界を目指して。
異世界に行けない俺の挑戦は、終わらない。
異世界行けない委員会 更伊俊介/ファミ通文庫 @famitsu
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