第6章 異世界へGO(2)


「――お前、俺と同じように、異世界に行こうとしているんじゃ、ないだろうな?」


 俺が、そう聞いた瞬間。

 隼瀬の手による拘束が、一気に緩んだ。


 だがそれは、俺を引き留めることを、諦めたからではない。


「ッ!!」


 自分が、自分こそが目の前で光魔法陣に向けて、飛び出して行ったからだった。


 まるで疾風のような素早さで、俺を放置して駆け出す隼瀬。

 まるで一匹の獣のように一直線に魔法陣を目掛けて掛けていく。

 

 だが、勿論そんな真似を許す訳にはいかない。


「こら待て!!!」

「ぐえー」


 俺を尻目に駆け出そうとした隼瀬の服を、すんでのところで捕まえた。

 それで首が締まってしまったらしく、カエルが潰れたような声を上げる。


「は、離して下さい!」

「待て待て待て。お前、今、何をしようとした?」

「何もしていません!」

「嘘言うな。明らかに魔法陣に向かって全力で走っていたじゃないか、なあ?」

「気のせいです離して下さい!」

「…………」

「離して」

「…………」


 試しに、一瞬だけ離してみる。

 その瞬間、隼瀬は再び、前方の魔法陣に向けて走り出した。


「やっぱりじゃねぇか!!」

「ぐえー」


 慌てて首根っこをとっ捕まえると、隼瀬は変な声を出して、怒りに満ちた視線を向けて来る。


 その顔には、もう涙なんて浮かんでいない。

 悲しさなんて微塵もない。


 むしろ、普段の隼瀬が俺に向けて来るのと近い表情。

 それは、完全なる怒りの表情であった。


「何するんですか、離して下さい!」

「いや離すと思ってんのかよ。絶対に離さねぇからな?」

「セクハラです! 訴えますよ!」

「お前だって似たようなことしていたじゃねぇかよ!!!」


 男は駄目で女はOKとか、そんなことが許されるか!!


 とにかく、今ここで手を離せば、隼瀬は魔法陣へ飛び込もうとするに決まってる。

 流華が、俺の為に用意してくれた魔法陣へ、だ。

 絶対に離すわけにはいかない。


「ええ、そりゃ、私だって異世界に行きたいですよ! こんな絶好のチャンスがあるんでしたら、やりますとも!!」

「それが本心か……」


 「離して下さい」「離さねえよ」と、数分前とは真逆のやり取りがしばい続き。

 そして、しばらくして隼瀬は、観念したように喋り始める。


「でも、何だって異世界に行きたいって言うんだ? 今まで、そんな素振り、見せなかっただろうが」

「そんなの、決まっています!!」


 言って、隼瀬は懐から、数枚の紙を取り出す。

 それはびっしりと細かく文字が書き込まれたもの……つまりは手紙で。


「兄が! 異世界から!! 手紙を送って来るんです!!!」

「お、おう」


 え、手紙なんて送れるの?

 何それ、どこの郵便局の人が配達してくれるの?

  

 まあ、流華が言っていた通り、異世界召喚のハードルがグングンと下がって来ているというのなら、手紙を送ることくらいはまあ、可能なのかも知れない。

 

 命ある人間を送るよりは簡単だろう。

 それだって、随分なブレイクスルーが起こりそうだけどな。


「で、でも良かったじゃないか。いなくなったと思っていたお兄さんの無事が分かったのならさ」

「良くありません!!」

「えええええ」


 何、何で怒られたの、俺?

 

「何だよ、手紙に酷いことでも書いてあったのか? お兄さんが、異世界で酷い目に遭っていて、一刻も早く助けが必要、みたいな……」

「いいえ、違います……」

「はぁ? じゃあ、何で」

「楽しそう……なんです」

「は?」

「ですから、楽しそうなんですよ!!」


 隼瀬は、我慢ならないというように叫ぶ。


「あの兄が! 何だか周りに美女を侍らせて! 何だか風光明媚などっかの浜辺で! 何だか美味しそうな飲み物をなんか片手に! 何だか愉快そうに笑っている!! そんな写真が、写真なのか魔法なのか知りませんけど、とにかく送られて来るんですよ手紙と一緒に!! 楽しそうな兄が!! 兄が!!!!」


 隼瀬は、大声で叫び続ける。

 今まで、全く聞いた事がないような大声で。


「ええ異世界で大変エンジョイしていらっしゃるようですねうちの兄は! こっちは急にいなくなったことを心配していたのに! 手紙が来たことは最初は喜んでたけど、そんなエンジョイライフを見せつけられるばかりのこっちはどうしたら良いんですか!! どっかに旅行でも行けって言うんですか!? いいえ違いますよね、そんなことしても虚しいだけですよね。一旦上のランクを知ってしまったのに、手近なところで妥協するとか絶対に無理ですよね、無理ですもんね!!」

「お、おいおい、落ち着けって」

「文句を言おうにも、こっちからは手紙を出す方法も分からない。だったら、もうやることは決まってます!」

「な、何を?」

「私も! 異世界に行くしか!! ないじゃないですか!!!」


 隼瀬は。

 爛々と目を輝かせて、言う。


「もう、それしか私を満たす術はありません。異世界に行って、兄のことを一発ぶん殴って、兄に負けないくらい、私も異世界をエンジョイすることでしか、この不満は解消されないんです。もう死ぬほど楽しみまくってやらないと、このモヤモヤは決して晴れない。だから、その為に、この組織に入ったんですよ。いつか、異世界に行くチャンスが来るかと思って!!」


 ついに明かされた隼瀬の心の内。

 そして、異世界への正直なる想い。


 それを聞いて、しかし俺は困る。

 何故なら。


(俺と動機が丸被りしている……!?) 


 いや、隼瀬の方がより欲望に塗れているだろうか。

 だって異世界でハーレムでも作ってそうな兄よりも、もっとエンジョイしようとしているんだからな。 


 ということは、

 これまで俺の異世界行きをしばしば止めていたのも、偶然ではなく故意。

 自分が行くチャンスを潰されたくはなかったが故、ということなのか。

 隼瀬の方も、俺から邪魔をされているように思っていたということか。

 

 要するに俺達は、

 互いに余計な勘繰りをして、牽制して、邪魔をし合っていたのか。

 

「2人して無駄なことをしていたんじゃないか……?」

「無駄ぁ!? 先輩が邪魔をしなければそれで済んでいたことじゃないですか!!」

「そうしたらお前が異世界に行っちまうだろうが」

「ええ、それが何か問題でも?」

「俺の目の前で、俺より先に異世界に行くとか、許される訳ないだろ!?」

「こっちの台詞です!!」


 しかし、俺にだって意地がある!

 意地汚い意地だが、自分勝手さでは負けていられない!!


「俺の方が先に組織に入ったんだから、チームのリーダーとして頑張っていたんだから、俺の方が先に異世界に行くのが筋だろ!?」

「知ったこっちゃないですよ! って言うか先輩、当の幼馴染に再会出来たじゃないですか! もうそれで良いじゃないですか!」

「いやお前だって流華の話を聞いていただろ。アイツは、俺の為に魔法陣を用意してくれたんだよ。あれは俺の使うべきものなんだ。お前が横から出しゃばって来たら駄目だろうが!」

「それは、確かにそうかも知れませんが……」

「分かったか? 分かったんなら、大人しく」

「隙アリッ!!!」

「だから行かせねえって!!!!」

「ぐえー」


 油断も隙も無いな!!

 再びの言い争い。もつれ合いながら、ぎゃあぎゃあと言い合う。


 それにしても、

 隼瀬がまさか、俺と同じ目的で動いていたなんて、思いもしなかった。


 しかも、俺は一応、周囲を欺いていることをそれなりに悔いているつもりだったけど、どうやら隼瀬にはそんなのはない。

 俺以上に本気で、俺以上になりふり構わず、異世界に行こうとしていやがる。

 

 こうなると、隼瀬の立ち位置は俺の中で定まった。

 もう、後輩と先輩なんていう、単純な関係ではない。

 

 俺にとって唯一無二で、何よりも意識すべき相手。

 そう、隼瀬歩理は。

 

 異世界召喚のチャンスを奪い合う、ライバルなのだ!!


「ええ、もう最初っからおかしいと思っていたんですよ。今考えると同族嫌悪なんでしょうけど、油断ならない人だって。何だか企んでいるような雰囲気だったので、警戒していたんですけど、まさかこういうことだったとは!!」

「お前の態度が悪いのは、そんな理由があったのかよ」

「いえ、これは元々です」

「あ、そう」


 それじゃあ仕方がない。

 敵として、心置きなく潰せるな!!


 そう心に決めて、ホルスターからマジカルスタンガンを抜こうとした、その時。

 隼瀬が急に、神妙な顔つきになる。


「……あ、あの、先輩」

「何だよ」

「落ち着いて、聞いて下さい」

「ふん。そう言って油断を誘おうったって、そうはいかんぞ」

「違います! お互いに、大事なことなんです!」

「しつこい! 俺はお前を倒して異世界へ行くと決めたんだからな!」

「いいから聞いて下さい。あの、その魔法陣が、何だか小さくなっているんです」

「はぁ? だから、その手には乗らないって……」

 

 誤魔化そうったって、そうはいかないんだ。

 それでも気になって、隼瀬への注意を怠らないまま、そっと魔法陣を見てみれば。


「……おい、小さくなってないか?」

「だから言いましたよね!?」

「だったら、こんなことしている場合じゃないだろ!?」

「ええそうですね、ですからこの手を離して下さい!!」


 小さくなっているということは、もう時間が残されていないということだ。

 もう、なりふり構っていられない!


「くそっ、こうなったら!! どぅえりゃあぁぁぁぁ!!!!」

「え、えええええ!?」


 強引に身体を捻り、隼瀬の身体を思い切り投げ飛ばす。

 単純に大人の男の暴力を活かした、強引な一手をここで決める!

 

 隼瀬の身体が投げ飛ばされ、工場の床に思い切り叩き付けられ、そのままゴロゴロと転がっていく。

 

「お、女の子になんてことを!?」

「うるせぇ! じゃあな!!」

「あ、ちょっと!!」


 もう事態がここに至っては、女の子とか気にしていられるかよ!

 俺は異世界に行くんだ!!

 

 悲鳴を上げて転がって行く隼瀬のことなど、もう一切気にすることなく。

 躊躇いも、戸惑いも、過去も現在も、全部投げ捨てて。

 

 感慨もなく、感動もなく。

 追い立てられるようにして、小さくなっている魔法陣の中へと、


 俺は、飛び込んだ。


   ◆    ◆    ◆         


 そこは。

 見たこともない、感じたこともない、未体験の空間だった。


「……中は、こんな風になっていたのか」


 思えば、魔法陣に入るのは、初めてだ。

 いつでも夢に見ていた、妄想もしたけれど。

 現実は、こうもあっさり、想像を凌駕する。


「凄いな……」


 ただ、感嘆のため息を漏らすばかりだ。


 極彩色に染まる視界。

 上下左右、前後の感覚も消え果ててしまっている。


 自分の身体を支えるものは、何一つない。

 見覚えのある景色など、どこにもない。


 それでも、自分がどこかに向かっていることだけは、何となく理解している。


 どれほどの時間、そうしていただろうか。

 やがて、光が見えた。


 俺が入って来た魔法陣と同じ形をした、光。

 恐らくはそこが、この空間からの出口なのだろう。


 その先にあるのは、俺の求め続けていた場所だ。

 抵抗する間もなく、覚悟する間もなく、俺の身体はそこへと吸い込まれる。

 

「うあ……」


 視界が真っ白に染まる。

 強い光が、俺の視界を覆う。

 あまりの明るさに、思わず目を閉じてしまうが、それでも光は俺の眼に届く。


 その光が収まるまで、時間にして数秒程度だろう。

 しかし、俺にとって、その数秒は、何よりも長く感じられた。


 段々と、光が収まっていく。

 俺は、光にならすようにして、ゆっくりと眼を開ける。


 そうして。


 異世界を見た。


「………………………………………………………………」

 

 何を、言うべきだろうか。

 考えても、答えは出ない。


 いや、そんなものは、必要ない。


 あれこれ考えていたこと、悩んでいたこと、全ての感情を吹き飛ばすほどの衝撃。

 初めて見る、世界の風景が、そこにある。


 草木が生えている。

 岩場がある。

 鳥のような生物が飛んでいる。

 

 何処かで見たような、見慣れたモノたち。

 しかし、それら全てが、俺の常識とはかけ離れていた。

 

 妙な色をした草木。

 おかしな形の岩場。

 あり得ない動きで飛行する生物。

 

 全てが、俺の知識を遥かに超えたもので構成されている。

 どれ一つ取っても、説明が追いつかない程の、徹底的な未知。

 今まで俺が積み重ねてきたものが、一切通用しない。

 

 ここが異世界。

 

 こここそが、異世界。


 ずっと焦がれていた、未知の可能性の至る場所だ。


「…………………………………………」


 本当に、言葉が出ない。

 自分の常識が、いかに脆弱な物であったかを思い知らされる。

 

 当たり前のように吸っていた空気も、ここには無いかもしれない。

 それどころか、向こうの世界の人間にとっては有害なものであるかもしれない。

 吸っただけで即死してしまう、なんて話、絶対に無いとは言い切れない。

 

 そう、頭では分かっていても。それでも。

 俺は、その場で大きく深呼吸をして、異世界の空気を思い切り吸いこんだ。


 たちまち、全く嗅いだことのない、体験したことのない、異世界の空気の匂いが、頭の中に満たされる。

 それで、俺はハッキリと理解した。


「……来たんだ」


 夢の果て。

 ずっとずっと、願い続けてきたことが、ようやく叶った。


 俺は、異世界に来たんだ。


「あぁ……」


 心は多幸感に満たされている。

 長年、願い続けてきた夢がついに叶ったのだ。

 幸せで胸がいっぱいとは、まさに、今この時のことを指すのだろう。 


 本当ならば、このまま異世界の空気と幸せの中で眠りに落ちたい。

 しかし、そんなことは出来ない。


 何故なら、これは始まりに過ぎないのだから。

 ここは、まだ出発点なのだから。


 何も知らない冒険の旅を、ここから始めよう。


 望むべき場所は、まだまだこの先に待ち構えている。

 見知らぬ世界へ向けて駆け出して行こう。

 そして、全ての未知を幸せに変えようじゃないか。


 そう。 

 俺の物語は、今、始まるのだ!!


「行くぞッ!!」


 そう、気合いを入れて叫んだ時。

 今まさに、異世界への一歩を踏み出そうとしたその時に。 


 ガシリと。

 背後から、顔面を掴まれた。

 

 俺を決して逃がすまいとする、あるいは絶対に行かせまいとする、そんな強固で怒りに満ちた手が。

 俺の頭を、握り潰さんばかりの強さで締め付けてくる。


「あ、あああ、あああ」


 全身が恐怖で震えている。

 根源的な破滅の予感に、理性も本能も白旗を上げている。


「せーんーぱーいー?」

「お前……!?」

「行かせませんよぉ」

「ど、どうして!?」


 怨嗟を込めて告げられる声。

 それは、聞き慣れた少女のもの。


 向こうの世界での俺の後輩にして、

 そして異世界召喚をかけたライバル、


 そう、隼瀬歩理のものだった。

 

「せーーんーーぱーーいーーーー!!!」


 まだ背後に顕現したままの魔法陣、

 そこから、とんでもない形相で俺を睨み、手だけを出して、俺の頭を掴んでいる。


「は、離せ!!」

「離しませんよぉ」

「ちょっと待て。ほら、お前も来たがっていた異世界が、ここにあるんだぞ? 一緒に楽しもうじゃないか、なあ」

「それよりも、私をブン投げた先輩を撃滅する方が、先ですよぉ」

「お前性格変わってないか!?」


 すっごく粘着質な感じになっているけども!!

 

 しかし今は、こんな妖怪みたいな奴に構っている場合ではない。

 新たな俺の物語、異世界スローライフが、ここから始まろうとしているのだ!

 

「待て! 話し合おう!」

「先輩を散々撃滅した後で、聞きますよぉぉぉぉぉ」

「何こいつ怖い!?」


 駄目だこの妖怪。

 まるで話を聞こうとしない。


 強引にふりほどこうにも、前へと踏み出そうとしたところを、思いっきり頭を掴まれたので、上手く重心が保てない。足の踏ん張りも効かない。

 隼瀬のされるがままだ。  


 ああもう!

 こいつ、どうしたら離れるんだよ、全く!! 

 

 今までの任務の中で、異世界出身の厄介な連中と何度もやり合って来たけれど、こいつ、一番厄介でどうにかしているんじゃないか!?

 

 だって、魔法陣の中から攻撃してくる奴なんて今までいなかったぞ?

 一番の厄介者が身内ってどういうことだよ。神聖な魔法陣を何だと思ってるんだ。

 

「……ん?」


 あれ?

 ちょっと待てよ。


「あのな、隼瀬……」

「命乞いですかぁ」

「いや、そうじゃなくって……お前、俺の後を追いかけて、魔法陣の中に入って来たんだよな?」

「そうですけどぉ、それがどうかしましたかぁ」

「それって……マズいんじゃないのか?」

「何がですかぁ」

「だって今、魔法陣の中に、2人、入っているっていうことだよな。先に行った流華を加えたら、3人だ。そうなった時に、どうなるかって言ったら」

「あ」


 魔法陣に入ることが出来るのは、2人まで。

 それは厳格に決められたルールだ。


 それを破った場合、どういうことになるのか、俺と隼瀬は、同時に気が付く。


 しかし、

 気付いた時には既に遅かった。

 俺達の目の前、魔法陣が異様な光を放つ。

 

 そして、抗えない力が全身に掛かる。


「あ」

「ああ」

「あああ!」

「ああああ!!」

「「ああああああああ!!!!」」


 俺と隼瀬、二人仲良く、身体が引き戻される。

 魔法陣の中、恐らくは、俺達の世界の方へと。

 

「「あああああああああああああああああ!!!!!」」


 2人分の叫びが、極彩色の空間の中に響き渡る。


 つい先程、感慨を持って通過した謎の空間が、今度は一気に流れて行く。

 その勢いは余りにも激しく、止まらない。

 

 視線の先、異世界への光も、遠く離れて行く。

 行って、しまう。


「待て! 待ってくれ異世界!」


 必死で手を伸ばすも、既に出口は遠く。

 その場に踏みとどまることも出来ず。


「俺の異世界! 俺の為の異世界がぁぁぁ!!!!」


 俺達は。

 抗えない力に従って、吹き飛ばされるしかなかった。


   ◆    ◆    ◆         


「う、うう……」


 目を醒ましてみれば。

 さっきまでいた工場の光景が拡がっていた。

 

 魔法陣は、既にない。

 何もかも、夢のように消えてしまっていた。

 

 届く筈だった異世界。

 すぐそこにあった、知らない場所。

 それも、今はもう、どこにもない。

 

 俺の手から、すり抜けてしまった。

 あと一歩の所にあったのに。

 もう少しで、夢は叶う筈だったのに。


「あ」


 知らず知らずのうちに、目から涙が溢れていた。

 自分の力では抑えきれない。

 ただ、口から漏れる情けない声。


「ああああああああ!!!!!」


 到着したらしい史雄や上月さんに説明することもなく。

 同じように呆然と倒れ伏す隼瀬に、掛ける言葉もなく。

 

 ただ、俺の泣き声だけが、俺のよく知った世界の中で響きわたる。


 こうして。

 異世界に行くという、俺の夢は、寸前で潰えて。


 今回の全ての騒動は、幕を閉じたのだった。

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