第6章 異世界へGO(1)
流華の手によって用意された、俺の為の魔法陣。
俺がすべきは、一歩を踏み出すのみ。
それだけで、俺の願いは、ようやく実現する。
「ああ……」
いざ、こうして、直面すると。
自分の肉体が、足が、震えているのが良く分かった。
こうなる時を、ずっと夢見ていた。
いつかは、俺の所に異世界からの使者がやって来て、
俺を異世界へ連れて行ってくれると、そう信じていた。
目の前で流華が消えた時から、その想いは変わらない決意になった。
やがて、大人になって。
世の中が、思い通りにいかないことを知って。
夢は遠く、叶えるには難しく、諦めた方が楽なのだと分かって。
それでも、初心を忘れることだけは、決してなかった。
異世界に、行きたい。
その想いを大事に抱えて生きて来た。
その過程において、手に入れてきた色々なもの。
友人であったり、
仲間であったり、
仕事であったり、
思い出であったり。
それらが一つ一つ集まって、今の俺という存在を形成している。
それを、
自分そのものともすら言えるものを、簡単に放り出すことは出来ない。
それでも、ここまでずっと願い続けてきた夢が、俺の背中を押す。
半ば無意識のままで、俺は歩を進める。
一歩ずつ。
熱に浮かされるように、歩く。
夢に向かって、歩いて行く。
あと少し。
自分の願っていた地点まで、あと少し。
それで全ては終わる。
今の俺に至るまでの総決算、人生をなげうってまで辿り着きたかった場所が、すぐ目の前にある。
だと、いうのに。
俺の手を。
背後から、掴む誰かがいた。
「離してくれ」
「離しません」
その言葉は、切実。
「俺は、行くんだ」
「行かせません」
振り返れば。
そこに、瞳いっぱいに涙を浮かべた、隼瀬の顔があった。
どうして泣いているのだろうか。
そんな悲しい顔をするようなキャラクターでは無かった筈なのに。
どうしてか、泣き顔が自然なものだと思えてしまう。
隼瀬は、流れる涙を拭おうともせずに。
ただ、俺の腕を掴んでいた。
悲壮な表情。
ただひたすらに、悲しみを背負った顔で。
いつの間にか日が登り、朝日が差しこんで来る工場の中。
その顔は、儚くも美しく見える。
「行かないで下さい」
「どうして、そんなことを言うんだ」
「もう、私の前から誰かが消えるのは、沢山なんです」
「隼瀬……」
「先輩が、異世界に行ってしまうのは、嫌です」
異世界に行こうとしている俺を見て、異世界へ行ったっきり戻ってこない兄のことを思い出したのだろうか。
兄を奪った異世界のことを憎み、組織へと所属することになった少女、隼瀬歩理。
その出自からして、隼瀬が俺に抱く感情は、怒りだと思っていた。
自分勝手に異世界へ行こうとする俺を、呆れ、嫌っているものだと思っていた。
しかし実際には、こうだ。
まるで、年頃の少女としか思えないような、そんなか弱い姿で、俺の事を引き留めている。
だけど。
そんな抵抗では、俺の歩みを止めることは叶わない。
「ア……」
隼瀬の手を振り払って、前に進む。
俺は、行かないといけないのだ。
流華が呼んでいたということは、もう関係がない。
俺が異世界対策チームのリーダーとして、仲間達と一緒に奮闘して来たことも、遠い記憶の彼方にある。
今の俺は、ただ、進むことだけを考えて、歩を進めている。
「……!」
「ッ!?」
だけど、それ以上進むことは出来なかった。
人一人分の体重が、俺の背中に掛かる。
ぎゅっと。
俺の身体が、抱き留められている。
隼瀬が。
その腕をいっぱいに広げ、俺のことを、必死で引き留めようとしている。
それが、振り返らずとも、分かってしまった。
「……頼むから、離してくれ」
「嫌です」
「俺が何をしようと、お前には関係が無いだろ」
「関係ないなんて、そんなこと、言わないで下さい」
背中越しに、隼瀬の震えた声が聞こえる。
「先輩は、ちょっと変わったところもあるけれど、それでも、大事な人です」
「隼瀬……」
「ですから、どこにも行かないで下さい。異世界になんて、行かないで下さい。だって、まだまだ、私達チームにはやることがあるじゃないですか。それを放っておくなんて、駄目じゃないですか。私を置いて行くなんて、絶対に駄目です」
「俺が、ずっと願っていたことなんだ」
「……そんなの」
「だから、行かせてくれ」
こんなに想ってくれる後輩を、俺は振り切ろうとしている。
涙を流してまで、俺を引き止めようとしてくれている後輩を、無碍に振り払おうとしているのだ。
悪いとは思っている。
隼瀬の言う通り、リーダーとして、チームに対する責任もある。
ただ、そのくらいのことで、俺は止まれないのだ。
十数年分の願い。
ずっと求め続けていた結末に至らんとする、その覚悟。
それは、誰かに止められるような重みではない。
だから、乱暴に身体を揺すって隼瀬から離れようとするけれど、
それでも、隼瀬は俺の身体にしがみ付いて離れない。
俺の背中に顔を擦りつけながらも、その手は次第に力を増して行く。
全身で、俺の存在を、ここに留めおこうとするように。
「……離せ」
「離しません!!」
「離せ!」
「絶対に離しません!!!」
「離せって!!」
「嫌ですッッッ!!!」
その言葉が、あまりにも真剣で。
あまりにも哀切に満ちていて。
つい、心が揺らいでしまいそうになるのを、必死で抑え込む。
まるで泣きじゃくる子供のように、背中にしがみついている彼女の姿。
普段の隼瀬の様子とは、全くかけ離れている。
だから。
だからこそ。
だからこそ、俺は。
「……んんん?」
今ここで。
疑問が湧く。
どうして、隼瀬は、ここまで俺の事を引き留めるのだろうか?
普通に引き留めるのであれば、まあ分かる。
しかしだ、流石にちょっと、様子がおかし過ぎやしないだろうか?
普段の俺と隼瀬の関係からして、ここまで必死に止められることがあるだろうか。
少女が泣いて、抱き締めながら引き留めるような、まるでラブコメもかくやというような深い関係性を、築けていただろうか。
(……無いな)
うん、それは無い。
悲しいことだが、それは無いぞ。
そんなラブコメ、あってたまるか!
先輩と後輩として、チームのリーダーとメンバーとして、まあ信頼関係のようなものは一応、恐らく、多分、あるかも知れない。
流石に付き合いもそこそこ長いので、あって欲しいところである。
え、あるよね?
だが、それでも、ここまでして引き留めるものではないだろう。
むしろ普段の隼瀬だったら、俺の事を蹴倒して「バカなことしていないでさっさと報告して下さい。撃滅しますよ」くらいのことを言って来るのではないだろうか。
うわ、言いそう。
とにかく、普段の隼瀬との間に、致命的なズレがある。
「……先輩?」
背中から、震える声が聞こえる。
こうして考えている間も、隼瀬の手は緩むことがない。
最終的には、隼瀬を多少強引にでも引き離すしかない。そこは譲れない。
だが、もう少し、考えるべき何かがあるのではないか。
俺が気が付いていない何かが。
隼瀬は、確かに異世界に対して、キツい発言をしていた。
異世界を憎んでいると、そう思われる言動を繰り返していた。
だが、本当に、それだけだったのだろうか。
(いや、ひょっとして、もしかすると……)
異世界を嫌っていると言っていた隼瀬。
自分の大切な人が異世界に奪われたという、過去の出来事。
それは、俺と同じような過去である。
ならば、その時、俺と同じように考えたという可能性もあるのではないか。
異世界に行ってしまった、近しい人。
そこから、悲しみではなく。
無念でもなく。
俺と同じ思いを、隼瀬もまた、抱いていたのだとしたら。
自分もそうありたかったと、そう逆に考えてしまうような、
自分勝手な感情を持ってしまったとするならば。
そう。
異世界を憎むのではなく。
むしろ逆に、異世界に対して……。
「隼瀬」
「何ですか」
「……訊きたいことがあるんだが」
「……何ですか?」
「…………お前さ、まさかと思うんだけど」
その先を訊くのが、少し怖い。
だけど、訊いておかなければ、始まらない。
こいつは、俺を引き留めているのでは、なく。
別の目的があって、俺が異世界へ行くのを妨害しているのだとしたら。
「お前、俺と同じように、異世界に行こうとしているんじゃ、ないだろうな?」
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