第5章 異世界に一番近い男(3)
光が僅かに差し込んでいる、潰れた工場の内部。
そこに、俺の幼馴染、天花寺流華は立っていた。
工場に入って来た俺を見ても、逃げるような様子は見られない。
観念したのか、と一瞬安堵しそうになるが、しかし、そんな期待はすぐに裏切られることになる。
流華の表情が、何か、覚悟を決めたものになっていたから。
流華もまた、俺と同じく、ここで決着をつけようとしているのだ。
「待っていたのか」
「待っていたよ、ずっとね」
俺の言葉に、流華は軽く返してくる。
それはまるで、幼い頃の流華、そのままのように思えて。
別れたあの時の続きをそのまま体験しているようで。
つい、心が緩んでしまいそうになるも。
「…………」
背後から浴びせられるプレッシャーに、すぐさま正気に戻った。
隼瀬だ。
変なことをしたら槍で刺されそうなくらいに、鋭い圧力が掛かっている。
良かった、この恐ろしげな後輩がいることで、俺は冷静になれている。
「待っていたって、どういうことだ。お前は、逃げるつもりじゃなかったのか」
「逃げるよ。だけど、その前に、君と話をしたいんだ」
「俺と?」
「この場所なら、邪魔は入らないと思ってさ」
ちらりと隼瀬の方を見る流華、しかし隼瀬が特に動きを見せないことを確認する……というか、隼瀬の敵意が俺に向いていることを理解すると、改めて俺の方に向き直った。
「改めて言うけど、久しぶりだ」
「ああ。色んな意味で、久しぶりだよ」
別れの時から、10年以上が経過している。
その間に、色々なことがあったが、それは、流華も同じことだろう。
何しろ、異世界なんて所に行ってしまったのだから。
こちらとは、何もかもが違う異世界。俺とは比べ物にならないくらいに、様々なことを経験し、良いことも悪いことも、抱え込んで来たのだろう。
こんな立場でなかったら。
思い出話を交わして、昔のように、笑い合うことが出来たのかも知れない。
「再会を喜びたいのは山々だけど、私もここで捕まる訳にはいかない。だから、お暇させてもらおうか」
「逃げられると、思っているのか?」
ここは、逃げ場のない工場内。
異世界に逃げようにも、逃走の為の魔法陣は用意されていない。
先程までいた仲間も既にいない。上月さん達がしっかり確保している。
逃げ道は完全に封じられている。
それなのに、流華の顔に浮かぶ笑みが、消えることはない。
そのことが、俺を不安にする。
「どうして、そんなに余裕なんだよ、お前は」
「ああ、それはね」
言って、不敵に微笑む流華。
嫌な予感が際限なく膨らんでいく。
「しまった……!?」
「おっと、動かない方が良い」
流華の言葉と共に、俺の足が重みを増す。
ホテルで使っていた異世界の技術を、再び使ったのだ。
どうやら隼瀬も同じものを食らっているようで、悔しそうに呻いている。
油断した。有無を言わさず、自由を奪うべきだった。
「すぐに終わるから、少しだけ待っていて欲しいな」
「待てるかよ!!」
ここまで追い詰めておいて、逃げられるなんて、あってはならない。
最早、幼馴染とはいえ容赦する気もない。
むしろ幼馴染だからこそ出来る、とびきり遠慮の無い奴を、お見舞いしてやろうじゃないか。覚悟しろ
ホルスターから抜いたマジカルスタンガンを向けようとしても。
それでも、流華の表情は変わることがない。
自らの行動に、一片も疑いを持ってはいないのだ。
俺が、異世界に行くという目的を、決してぶれさせないように。
流華もまた、何か確固たる目的の為に動いている。
「待っていろと言ったろ。これは、君にとっても、プラスになることなんだから」
「……はぁ?」
何を言っているか。
ここまで俺をコケにしておいて、何がプラスなのか。
動きの鈍った身体を引きずるようにして、怒りのまま、流華に接近していく。
しかし、もう時間稼ぎは終わったのか。
流華は、俺を真っ直ぐに見つめると、パチンと、指を一つ鳴らす。
「……こういうことだよ」
瞬間、彼女の背後に、巨大な魔法陣が出現した。
その大きさは、これまでのものとは比較にならない。
「何……だと?」
流華の合図一つでいきなり現れた、異世界に行くための魔法陣。
おかしい。魔法陣とは、こうも簡単に展開出来るものではなかった筈だ。
何しろ、人を一人、別の世界に送り届けるという、大掛かりな仕掛けである。
世界を越えるという大事を成し遂げる為の、反則行為なのだ。
だからこそ、その準備には多大な労力と時間が掛かる。
その手間と時間がかかると知っているからこそ、一旦は連れ去られてしまった上月さんを、どうにか取り戻せたのだ。
その、筈だったのに。
「どうして、そんな簡単に……」
「簡単な事さ」
流華は、何故だか優しげに微笑んで、言う。
「使い続けていれば、その原理が解明されていく。何だってそうだろう? どんな愚か者だろうと、繰り返し続ければ、少しずつ成長していく。技術もまたしかり」
「成長……だと……?」
「これも元々は、真剣に世界を救う為のものだった。その為なら、どんなに労力を費やしても惜しくはなかっただろう。異なる世界から、自分の世界を救う存在を召喚するという結果の為には、どんな犠牲だって払えた。でも、そうして続けている内に、段々とハードルが下がって行ったんだよ。それこそ、下らない目的の為に、適当な召喚をすることを許される程度には」
「……じゃあ、最近の異世界召喚は」
「単に、理由が軽くなったからじゃない。根本的に、異世界召喚というシステムそのものの難易度が、下がったということだよ」
どうでも良いことで、適当に召喚される若者たち。
あっさりと異世界から呼び戻されるという事実。
その根源が、技術の革新による、異世界召喚システムの簡易化にあったとしたら。
この先、どうなるのか。
本来、異世界召喚とは難事だった。
それこそ世界の危機に瀕した時にしか使用出来ないような、禁忌の技術だった。
それが、アルバイトを雇うかのような感覚で可能となれば。
流華が、瞬時あっさりと魔法陣を現出させたように。
誰もが、簡単に、異世界との扉を繋げられるのなら。
変わってはいけないものが、変わってしまうのではないか。
「そんな魔法陣で、お前は、お前たちは、何をしようとしているんだ」
「革命だよ」
俺の必死の言葉に。
帰って来たのは、単純な言葉だ。
革命。
その言葉の意味は、現状の関係性を、変化させるということに他ならない。
流華の口調には、陶酔が混じり始めていた。
「もうすぐ、異世界なんていう概念は、消えてなくなる。何もかもが、自由に移動出来る、そんな世界になる。1人1人を選んで連れて来なくても、もっと大掛かりに、大胆に、世界と世界の間を行き来する、そんな自由なものに変わるのさ」
熱に浮かされたように、流華は告げる。
「手軽な魔法陣の開発、異世界召喚の簡易化は、その発端に過ぎない。
本題は、その向こうにある。
それは、異世界の廃絶。
異世界という枠組みの、撤廃。
何もかもを繋げて、世界と世界を隔たりのない、一つにする。
世界と世界の壁を取り払い、一つの世界として生まれ変わらせる。
異なる世界などなく。ただ、同じ世界にする。
それが、私の目的だよ」
流華の口から明かされた、衝撃の事実。
スケールの大きさに呆然としながらも、俺の口は、勝手に疑問を紡ぐ。
「……何で、そんなことを」
流華が語った話の壮大さ、あるいは荒唐無稽さにクラクラする。
それ程に、突飛な話だった。
誰もが、どの世界にでも行くことが出来る世界。
最早、異なる世界などではなく、只の一続きの世界となって、何処までも行くことが出来る世界。
それは、他人事として聞けば、夢のような話ではあるものの。
しかし、世界を壊す行為に他ならない。
こと世界が関わって来るとなれば、誰も彼も、無関係ではいられない。
突然、自分の知らない他の世界と、どんな壁も関係なしに繋がってしまう。
誰もが否応なしに、巻き込まれるしかない話だ。
何故、俺の幼馴染の流華が、そんなスケールの大きな、そして破壊的な計画に身を置いているのか。
分からない。
分からない。
こんな、どうかしている話を、どうして俺にしているのかが、分からない。
「何で、お前が、よりにもよってお前が、そんなことをしているんだ?」
「だって……」
流華は答える。
あっさりと。
当たり前のことを、ただ告げるように。
「異世界に行きたいって、そういう顔をしていたからさ、君が」
「え?」
思考が、止まった。
完全に、止まるしかなかった。
「……俺?」
だって、あまりにも話が飛躍したから。
世界規模に拡がっていた問題に、いきなり自分という存在をぶち込まれる意味が分からないのだから。
だから、呆けたように聞き返すことしか出来ない。
「俺の……顔が……何だって?」
「そういう顔をしていたじゃないか」
「誰が」
「君が」
「いつ!?」
「私が、異世界に今まさに連れて行かれようとしていた、その時に」
「あー」
それを言われると。
そうだな、ちょっと否定出来ないところが、あるよな?
思い出す、自分の過去。
目の前で流華が、異世界行きの魔法陣に吸い込まれて行った時。
消える幼馴染を前にして、何も出来ずに立ち竦んでいた時。
良く覚えている。忘れる筈が無い。
何せ、身を焼くような焦燥感に焼かれていたのだから。
あの時に、俺が何を思っていたのかと言えば。
(俺だって異世界に行きたい!
流華じゃなくて俺が連れ去られたかったのに!
つーか何で流華なんだよ。俺だろそこは!
俺こそが一番相応しいだろ!
俺を連れて行くべきだし。いますぐに流華と交代するべきだし!
いや、しよう!!!)
ああ、はい。そうですね。
そんなようなことを考えていましたね、俺。
割と緊急事態だっていうのに、非常に自分勝手な思考回路である。
だから、流華の指摘は、完全に正解だ。
確かに俺は、幼馴染が連れ去られようとしているその時に、自分の事だけを考えていました。
どうしよう、嫌な汗が止まらない。
こんな時、どんな顔をすれば良いのだろうか。笑えば良いのか?
「その顔は、心当たりがあるっていう顔だ」
「ううううるせえ!!!」
何だよいじめかよ。
いや俺が悪いとしか言えないよな、これ。
冷静になって考えるに、幼馴染が消えようとしている時に考えるこっちゃない。
「すっごい異世界に行きたがっていたよね?」
「いや、それはな……?」
「私が今まさに攫われようとしている、その時に。私が、強制的にどこかに連れ去られようとしている、そんな非常時に。君はさ、私の事よりも、自分が異世界に行くことを考えていた訳だ」
「だから、その、な?」
「別に責めている訳じゃないから。そういう奴だって知っていたし。まあ、あんなに分かりやすい顔をしていることなんてないからね、そんなの誰だって分かったけどね。結構なピンチだっていうのに、目の前でそんな分かりやすい不満を浮かべている奴がいたら、そりゃ気になるよね」
「ぐぅ……」
言われたい放題である。
甘んじてサンドバッグになるしかないのだが。
だって、流華の言葉には、その通りなんだもの。
「いや、待て待て待て」
冷静になろう、俺。
流華の主張していることは単純だ。
俺が異世界に行きたいと願っている。
だから、誰でも異世界に行けるように、流華は、世界の仕組みを変えるという。
ということは、だ。
ひょっとしたら、だ。
もう冷や汗が止まらないけど、俺が訊かなければいけないこと。
「お前、まさか……俺が異世界に行けるように。その為に、俺の為に、こんなことをしているって言うのか?」
「そうだよ」
「そうなの!?」
言い切られた!!
ちょっとくらい言い澱んでもよかろうなのに!!
せめて隠された真の目的があるとか、秘密の計画のためのカモフラージュだとか、そういうことにはならないだろうか!!
「もうちょっと他にないの!?」
「いや、鷹広を異世界に行かせる為だけに、全部やったよ」
「この正直者!!」
弁解の余地が一切残されていない!!
いや、だって、これは大変な話じゃないか。
最近世間を賑わせている無差別異世界召喚事件。
若者の世界離れ。異世界召喚の簡略化。
その先にある、とんでもない革命。
現世界と異世界、全てを巻き込んだ騒動の、その根底にあるのが、俺という個人の為だとしたら。
それ、俺の責任になるよな?
俺メインの動機だもんな?
いくら無関係だって主張しても通らないくらい、ガッツリ関わってしまっているもんな?
「いや、それにしたって、どうしてそこまでのことを……」
「鷹広はさ、どうにも、異世界に嫌われているようだったから」
「え、嫌われているの?」
何だそのショックな新事実!?
いや、冷静になって考えれば、そうかも知れない。
俺は、幾度となく異世界に行こうとして、その度に失敗してきた。
努力を積み重ねて、いつでも異世界に呼ばれても良いように準備を続けてきた。
やがては、対異世界の組織に所属してまで、異世界に関わろうとしたのに。
それなのに、俺は異世界に行けなかった。
行けないままで、悶々とした日々を過ごす他なかったのだ。
それが、流華の言うように、異世界に嫌われていたからという理由なのなら。
じゃあ最初っから詰んでたんじゃねえか!
どんなに頑張っても、どうしようもないってことじゃないか!
「そんな、異世界に徹底的に縁のない鷹広でも、ちゃんと異世界に行けるように、今回の計画はあったってこと。いくら鷹広でも、異世界との境界が全部無くなれば、好きなように異世界に行くことが出来るんじゃないかって」
「え、そこまでしないと駄目なの?」
俺、どれだけ異世界に嫌われているんだよ。
とにかく、俺はどうしようもない運命にあって。
流華なりに、俺が嫌われているということを、どうにかしようとして。
こんな大規模な。
世界全てを巻き込むような真似をして、ようやく俺の願いは叶うと。
ここまでの大それたことをしなければ駄目だったと。
「お前は、何で俺のために、ここまで……」
「愛だね」
「愛と来た!!」
何故そこで愛!?
そんな世界全てを巻き込むような愛があるのか!?
「私としても、知らない世界に連れて来られた訳だから、何かしら目的が必要でさ。丁度、物欲しそうな顔をしていた親友がいたから、その為に嫌がらせ……じゃなくて手助けをしようと思っただけ。気にしないで欲しい」
「気にするだろ!?」
だから、重い話を気軽にしないでくれるか!!
いや、もしかしたら俺を慰める為にこういうことを言っているのかも知れない……という期待は、流華の顔を見ることであっさりと消えた。
笑ってるし。
ニッコニコ笑っているもの。
そうだった、冗談交じりで、割と大変なことを仕出かす奴だった。
幼馴染の事だから、良く分かっている。
きっと、流華が俺の事を、分かっているくらいには。
「とにかく、お膳立ては済んだ訳だ」
「済んじゃったのか……」
「だから、行こうじゃないか、異世界に」
言って流華は、背後の魔法陣を指差し、
そして、魔法陣の中へと進んで行く。
もう話すことなどない。
自分の役目は、もうこれで終わったというように。
「止まらないと撃つぞ!!」
止まらないので撃った。
しかし流華は、マジカルスタンガンから放たれた電撃をあっさり回避する。
歩みは止まらない。
それでも必死に叫ぶ。
「待て!!」
「待たない。この魔法陣は、君を招き入れる為に作られたものだ。後は鷹広、君がどうするべきかを決めればいいんだ」
「俺が……?」
「この魔法陣を越えれば、そこは異世界だ。君がずっと恋焦がれていただろう、夢の異世界が待っているよ」
「異世界が、この先に?」
「それに。無数の異世界には、無数の問題を抱えている。いつだって、異世界は助けを必要としている。未だ世界は別たれている。異世界は、鷹広の事を待っているよ」
異世界に嫌われ続けて。
どうしても、行くことが出来なくて。
だけど、今は、すぐそこにある。
目指していた場所が、手の届くところに、待っている。
「手段は用意した。理由もある。だから」
流華は、振り返って一礼し、微笑む。
それは、久しぶりに見たような。
何の邪気も含んでいない、俺の大切な幼馴染が浮かべる笑みで。
「どうか、一歩を踏み出して、私の世界を救って下さい」
最後に、それだけ言い残して。
流華は、あっさりと姿を消してしまった。
本当に流華がそこにいたのか、全く実感が無い。
幼い頃からの夢の続きを見ているかのようで、全てが曖昧だった。
しかし、確かなものもある。
俺の目の前には、巨大な魔法陣。
流華の言葉によれば、それは異世界に繋がっている。
しかもそれは、わざわざ俺の為に用意されたもの。
俺が、異世界に行くための、魔法陣。
俺を、異世界に招き入れる為の、入り口。
ずっと待ち望んでいたものが、そこにあった。
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