或る処刑人の回顧

菊花ようかん

或る処刑人の回顧

「処刑人は、罪人に等しく刃を振るわなくてはならない」


 私が十歳の時、長く病床についていた父は、ただ天井を見据え死の間際に私にそう語り始めた。


「大恩があろうと、怨恨があろうと、慈悲も憎悪も持ち込まず、罪人が一切の苦を抱かずこの世を去れるようにしなくてはならない。慈悲も憎悪も、刃を鈍らせる。無我の境地に至り、刑を為さねばならない」


 私は父の言葉をただ静かに聴いていた。死の迫る父の言葉を少しでも聞き漏らさないように、などという殊勝なものではない。

 ……ただ、どうしたら良いか分からなかっただけだ。多くを語らず、時に私が死を予期するほど過酷な訓練を積ませてきた父が、私にこんな風に語りかけてくることなど、この時を除いて一度も無かったから、私は静かに耳を傾けることしかできなかった。


「本来、人が人を裁くなどという傲慢が許されるはずがないのだ。神よりその座を賜りし王の命であろうと、それは変わらない」


 そこで父は大きく息を吐いた。正しく不敬罪にあたるようなことを言うのは、やはり緊張したのだろう。


「だが、私達は人を裁かなければならない。私達はそうでないと生きられない、そんな生き方しか知らない。それ以外の生き方など、奪ってきた数多の命が赦さない」


 そこで父は初めて私の方を見た。表情など無かった。少なくとも、私は父の表情からなんの感情も読み取れなかった。五十年近く経った今ならば、否、三十年前のあの日の後ならば、何かを読み取れたのかもしれない。

 しかし、私にも感じられることもあった。目。父の、私と同じ灰色の目に覗かせていた数多の感情。その二つを私は感じていた。

 憤怒と、憐憫だった。


「私達は誰よりも罪人の死に真摯であらねばならない。彼らが静かにこの世を去れるように、彼らの罪がほんの僅かにでも濯がれるように、死を齎さなければならない」


 ゴホッゴホッ、と父は大きく咳をした。しかしすぐにまた口を開いた。残り少ない命をすり減らしてでも、私に言葉を伝えるために。


「だが、ただ静かなだけでは駄目だ。静かすぎる死は見るものに美しさすら感じさせる。それでは意味がない。罪人とは真逆に、群衆には恐怖を与えなくてはならない。罪を犯したらこうなるのだと、己はこうはならないぞと、意図せずそう思わせるような処刑を為さなければならない。この矛盾を、実現させなければない」


 私はそこまで至らなかったが。父はそう呟き、嗤った。


「息子よ。私と同じ、濯がれぬ罪を重ねながら生きていく、我が最愛の息子よ。私が得た答えはこれだ。いや、答えではないか。私はそれを実証できなかったのだから。それでも、私の答えはこれなのだ。ああ、お前はどんな答えを出すのだろうな。私がそれを見ることは叶わない。だから私は一足先に地獄でお前を待っている。お前は、お前なりの答えを、その生涯をかけて見付け出せ。それは、我らの義務なのだから」


 そうして父はまた上を向き目を閉じた。しばらくしてかすかな寝息と共に胸を上下させていた。

 その数時間後に父はこの世を去った。父は地獄で私を待っているのだろうか。私にはまだわからない。私にわかっているのは私が答えを出すのが死の間際などではなく--二十五年前のあの処刑の後だということだけだ。


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「失礼します。貴方は処刑人様ではありませんか?」


 父の死から十年ほど経ったある舞踏会の折、喧騒と侮蔑と恐怖の目に疲れ庭園で休んでいた私に話しかける声があった。鈴の音などよりはるかに美しい声だった。声の方へと顔を向けると、従者を連れた一人の少女が立っていた。特別美しい訳ではない。けれど、思わず守ってやりたくなるような、どうしても嫌いになれないような、そんな顔立ちの少女だった。その目には、歳不相応なほどの賢さと落ち着きが感じられる。


「ええ、やっぱりそうです。三ヶ月前にお父様と見た処刑で刃を振るっていた方です。わたくし、あの日からずっと貴方にお会いしたかったのです」


 苦々しげな顔をしている従者に気づいた様子もなく、少女は私に語りかけてくる。


「貴女にそう言って頂けるとはこの卑しき処刑人の身には余る光栄です。--姫様、私に話とは一体なんでしょうか」


 少女は我が国の姫。王の末の子でこの時はまだ十歳。父が死んだ時の私と同じ年齢だった。

 姫様は一度目を閉じて、そして静かに開いて私を見た。


「処刑人様、貴方の処刑はすごく美しかった。不謹慎にも感動してしまうくらい。あそこまで静かに、慈悲すら感じさせる処刑は、貴方が刃を振るった時だけだった。だから貴方がどんな人なのか、どうしようもなく気になってしまったのです」


「……そうですか。美しいと、慈悲があるとお感じになりましたか。それは、誠に申し訳ございません」


 姫様の言葉を聞き、私は自然と膝をつき深々と頭を下げ謝罪の言葉を述べた。何という不徳だろうか。修行が足りない。恥じるばかりだ。そう思っていた。


「えっあの……か、顔を上げてください。ど、どうして急にそのような謝罪を?」


「三ヶ月前に姫様が見たのは、陛下暗殺を企てた大罪人です。あの者の死は、慈悲など感じさせぬ、見るものに恐怖を与えるものにしなければなりませんでした。陛下殺害を企てる者が現れぬよう、そうしなければなりませんでした。それが出来なかったのは、私の咎でございます。許されることでは御座いません」


 私は姫様の言葉に従い、顔を上げ己の意思を伝えた。

 十五で初めて刑を執行してから五年、この時の私は父が出した答えが正しいと思っていた。その正しき答えのとおりに出来なかった私は、どうしようもなく間違っていると感じていた。


「そんなことはありません。お父様も、あれが正しい処刑だと言っていました。罪人への慈悲なき処刑など、王が処刑人を使って行う私刑に他ならないとそうおっしゃっていました。貴方は、何も間違ってなどいません」


 姫様のありがたい言葉に、けれど私は首を横に振った。


「いいえ。いいえ、姫様。それは違います。陛下の言葉すら否定することになってしまいますが、それは違うのです。陛下や姫様が罪人が苦しまぬようにと慈悲を与えるのは良いのです。しかし、私は、処刑人はそれでは駄目なのです。慈悲も憎悪も、処刑に滲ませてはいけないのです。私たちはただ、彼らが苦しまずに斬れば良いのです。そのための技術の研鑽もします。ですがそれは、慈悲を与えるのとは別のことなのです」


 処刑人は、ただ死を齎す者でなくてはならず、恐ろしい死を、美しく飾ってはいけない。

 その言葉に姫様はかすかに息を呑んだ。呑んだ息を吐いて私を見た。その目には憐憫と尊敬が入り混じっていた。


「それが、貴方の理想なのですね。そんなこと、心ある人が為せるものではありません。人が為すことに感情を排するなど、出来ようはずがありません。まだ十の小娘に過ぎないわたくしにもそれくらいわかります。そんなものを目指しては、心が保たない」


 それは全くの正論だった。だから私はただ静かに姫様の言葉を待つことしか出来なかった。


「ですが、貴方はそこを目指すのですね?果てなき道を進む覚悟を、貴方は決めている。……わたくしには、到底真似できません。貴方は、すごい人です。わたくしが貴方に出来ることなど何一つありません。だから、願います。貴方がそこに辿り着けるよう、神に祈ります」


「ありがとうございます、姫様。その言葉だけで、私はまた歩んでいけます。いつの日か、私がそこに辿り着くのを必ずご覧に入れます」


 そんな約束を、姫様と交わした。

 ええ、と姫様は笑い、互いに別れの言葉を告げ、その日の出会いは終わった。

 この日の出会い以降、私はより一層の鍛錬を重ねた。姫様との約束を果たすために。

 しかし、それは叶わなかった。私がそこに達する前に姫様は亡くなってしまったからだ。私がこの手で殺したからだ。そして、私が出した答えは、無我などとは程遠い、酷いものになったからだ。


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 姫様との出会いから五年が経った。革命が起こった。王政は崩れ去った。今まで享楽に耽り自分達たみを苦しめた王族を処刑しろとの声が上がり、そうなった。


 嘘だ!嘘だ!嘘だ!民衆が語るほど、世間で流れるほど陛下達は国費を費やしてなどいない!赤字は先代、先先代が積み重ねて来たものだ!晩餐会や舞踏会は、やらなければ貴族に舐められるからやっていただけで、それ以外はむしろ抑えていた!晩餐会や舞踏会だって、切り詰める所は切り詰めていたのだ!享楽に耽っていたなど、反王政派が流したデマだ!

 当時の私はそのように、私としては珍しく、ひどく憤っていた。家族の前以外ではその姿を見せることはなかったが、我ながら酷いものだった。まあ、表に出さなくなっただけで、今でもその憤りは変わらず胸の内に燻っているのだが。


 私の憤りを無視して、王族処刑の日が来た。刑を執り行うのはもちろん、当時最高の処刑人などというなんとも反応に困る名前が流れていた私だった。

 そして、最初に斬首されるのは、末の子である、姫様だった。

 熱狂する民衆の声が響く中、姫様が、私の立つ処刑台へと登ってくる。その顔をひどくやつれ、美しかった髪は薄汚れていた。

 姫様は一言も発することなく、処刑台に立つ。その目はただ静かに前を見据えていた。

 罪状が読み上げられる。普段なら静かに聞き流すそれが、ひどく耳についた。

 罪状が読み終わり、姫様は膝をつかされ首を固定された。私の前に、その白い首筋が見えた。

 私は刃を振り上げた。

 この時の私の想いはただ一つ。姫様が苦しまぬように、いつも通り、苦なき死を。

 そして振り下ろした刃はしかし、彼女の首を落とせなかった。骨にあたり、途中で止まっている。

 全身から汗が噴き出した。呼吸はひどく荒れ、手が震えた。私は、絶対に失敗したくないと思っていた処刑で、失敗してしまった。

 姫様は、うめき声一つ漏らさなかった。大の大人すら泣き叫ぶようなこの痛みの中で、歯を食いしばって耐えていた。

 民衆が歓声を上げた。良いぞ、憎き王族を楽に殺すなと、叫んでいた。

 震える手を強引に動かし、もう一度振り下ろす。失敗した。もう一度。失敗した。失敗した。私の刃は姫様の首を落とすことはなく。姫様はやはりうめき声一つ漏らさなかった。

 その様子に民衆が騒つく。誰もが彼女がみっともなく泣き叫ぶ姿を期待していたのだろう。しかしそうはならなかった。刃を振り下ろすたび、場はどんどん静まり返っていく。もう、殺して良いんじゃないか。そんな声も聞こえて来た。

 そして、八回目。私はようやく姫様の首を落とせた。

 その後も、私は残りの王族、殿下に王妃、陛下に至るまでを処刑したが、その全てを一振りで終わらせることが出来た。

 全てが終わり、民衆は、ああ、終わったのか、とひどく気の抜けた様子で家路についた。

 私は、より一層の修練を積んだ。もう二度と、失敗しないために。


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 革命から十年が経った。革命の指導者だった男は国家元首となり、酷い独裁者として民衆を苦しめた。王権時代の方がマシだったと言われるほどに。

 そして再び革命が起こり、私の前に姫様のものとはまるで違う薄汚い首筋を晒している。

 あの時と同じように熱狂している民衆の中、私は刃を振り上げた。

 失敗した。そう思った。

 姫様の時とは逆に、刃に憤怒が、憎悪が乗ってしまった。これでは、一太刀で首を落とすことは叶わない。私はまた、過ちを犯した。

 この男は姫様とは違う。無様に泣き叫び、民衆はその様に歓喜するだろう。

 そう思ったのに。

 私の刃は、男の首を刎ねていた。

 ヒッ、と息を呑むのが聞こえた。民衆は皆、酷く恐ろしいものを見たような顔を浮かべ、わずかに後ずさっている。

 民衆だけではない。私以外の全てが、何かに恐怖していた。

 ああ。と私の口から思わず声が漏れた。

 これが、答えだったのだ。罪人に苦を与えることなく、されど見るものに死の恐怖を与える処刑。それの答えが、これだったのだ。

 私が果てなき鍛錬で得た技。ただ一振りで首を落とす技。それは罪人に一切の苦痛なく死を齎す。

 そこに、技にのせた、罪人への憤怒、憎悪が色をつける。それが死を、恐ろしく飾りつける。見る者に否応もなく死の恐怖を植え付ける。

 そんな、無我とは程遠い汚いものが、私の答えだった。

 その日を境に、私は剣を置いた。


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 今、私は病床につきながらこれを書いている。父と同じ、不治の病だ。

 私はなぜこれを書いているのかは、私自身にもわからない。妻にも、息子にも、孫にも、誰にも自分から見せるつもりはないのに、書いている。

 これは本棚の一番下の、埃が積もっている本に挟んでおくつもりだ。そのままいつか、本と一緒に処分されるも良し、その前に誰かに見つかる良し。何れにしても私の死んだ後のことだ。どうなったって構わない。 これをどうするかは、読んでいる君に任せる。

 だけど、もしこれを読んだ君が地獄に落ちるようなことがあったのならば、教えて欲しい。私は何百年でも、地獄で待っているから。

 そうだ。最後に私の名前を書いておこう。そうでないと、君が私を探さない。私の名前は--




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