第50話 暗黒砦に近づく者達

 勇者ガイルの陰謀から逃れて暗黒大陸を目指している魔導師マックス・フレッチャー、そして弟子のビアンカとルッツの姉弟は暗黒砦の西方十キロ付近を馬で移動していた。


 途中で天空族とのトラブルがあったものの、フレッチャー達からすれば雑魚だったし、解体までして天空族のデータを収集できたことは不幸中の幸いだといえよう。


 問題は彼らを追っているフレッチャー捕縛部隊である。

 捕縛部隊を振り切ること自体は簡単だとフレッチャーは思っている。

 千人規模の軍隊が軽装で魔法使いのフレッチャー達に追いつけるわけがない。

 勇者ガイルが編成した捕縛隊もそれが判っているから暗黒砦防衛隊を使って足止めしようとしているのだ。

 幸いにもフレッチャーは伝令の使い魔を撃ち落として勇者ガイルの作戦を知ることになった。

 もし、フレッチャーが戦闘を避けるなら、進路を北に変えて帝国へ逃げ込むことが一番の安全策だろう。捕縛隊は帝国との国境に近づくことができないからだ。

 捕縛隊としても下手に国境へ近づき帝国から敵対行為とみなされたら堪ったものではない。

 今、王国は帝国と事を構える準備ができていないのだ。


 経験の少ないルッツは暗黒砦を突破することに多少なりとも不安を感じていた。

 突破できないと考えているわけではない。相手は同じ王国の臣民なのだ。なるべくならば戦闘は避けたい。


「お師匠様、このまま暗黒砦を突破するんですよね?」

 当然だが、フレッチャーは帝国への逃亡など眼中にない。


「そうだ。そして東のブレーメン海峡を渡り、暗黒大陸に上陸する」

「戦いにはなりませんよね」

「ああ、戦闘はしない。今はギガース魔法師団が駐屯しているからな。奴らと戦うのは一苦労だ」

「良かった」

 ルッツが胸を撫で下ろす。

 意味もなく馬の首筋を撫でてやると、馬は気持ちよさそうに首を上下に振る。


「まさかルッツさん。ギガース魔法師団が怖いのかしら?」

 姉のビアンカがニヤリと笑う。


「そ、そんなことはないぞ。王国の人間と戦いたくないだけだ。後味が悪いだろ」

「勝つことが前提の発言ですわね。まあ、当然のことだけれど」


 王国との戦闘が避けられることを知り、安心したせいかルッツの口がいつになく軽い。


「お師匠様」

「どうした、ルッツ。今日は口数が多いな」

「あ、え~と、そうですね」

「悩みがあるならお姉さんが聞いてあげますわよ」

「姉ちゃんは黙ってて。俺はお師匠様に聞きたいんだ」

 ビアンカが膨れるが、ルッツはお構いなしに質問した。

「お師匠様、ツバサ兄ちゃんは……大丈夫ですよね」

 ビアンカがルッツを睨む。

 彼女の前では口にすべき話題ではないことにルッツは気がついたが、すでに遅かった。

「ルッツ……覚悟は良いわね」

 ルッツの顔から血の気が引く――


「ツバサは必ず生きている」

 いつもクールなフレッチャーが力強く言葉を発した。

 フレッチャーはカーライル男爵の息子であるツバサ・フリューゲルを暗黒大陸から救い出すと心に決めていた。


 師匠がツバサの生存を革新している。

 それを聞いたビアンカの顔から怒りの色がみるみる失せてきた。


「ツバサさまを暗黒大陸から救い出しますわよ。それが婚約者の務めですもの」

「姉ちゃん、喋り方がキモいし、そのネタはもういいよ」

 その後、弟のルッツはビアンカに半ボッコにされた――

「痛い……酷い……」


「二人ともいい加減にしろ。魔獣らしき反応があるぞ」

 だが、フレッチャーが探知したのは魔獣だけではなかった――


 ルッツが回復魔法を自分に施しながらフレッチャーに聞いた。

「お師匠様、俺には探知できません。どんな魔法を使っているんですか?」

「私にも探知できませんわ」


 ビアンカ姉弟は探知魔法の上級者でもある。

 フレッチャーが探知魔法の達人だと言ってしまえばそれまでだが、彼は魔法で探知したのではなかった。


「二人には秘密を明かしておくか……」

「お師匠様は秘密をたくさん持っているんですね」

 ルッツはフレッチャーの底の知れない知識と魔力に畏怖の念を感じずに居られなかった。


「それは精霊紋だ……」




    ◇ ◇ ◇




 ビアンカ姉弟がじゃれ合っている頃、二台の馬車が暗黒砦の近くを通過していた。

 フレッチャー達とは若干距離がある。

 使い古された箱馬車が先頭を走り、その後に幌馬車が追従する。

 いかにも行商中の商人が乗っていそうな感じの馬車隊だ。

 だがその実体は商隊に偽装した帝国の密偵だった。


「ヴィル様、大変でございます!」

 御者が慌てた様子で箱馬車の中に向かって叫んだ。


「どうしたオルテガ。王国兵でも居たのか?」

 ヴィルと呼ばれた商人風の男が呑気に応える。

 彼が心配しているのは魔獣ではなく、王国の兵士だ。


「もっと悪いものでございます」

「レオン! 戦闘態勢に入れ!」

 御者の言葉ですべてを悟ったヴィルは、後ろの幌馬車に向かって指示を出した。

 幌馬車の中からは冒険者風の男が四人出てきて、箱馬車の周りを囲んだ。


「ヴィル様、ちょっと不味いことになりました。はじめから全力を出さないと全滅するかも知れません」

 レオンが見つめる先には巨大な魔獣の影があった。

 その姿を見てヴィルは驚愕した。レオンが言ったとおりの大物が目の前に居た。


「まいったな、銀牙狼シルバーファングではないか……」

 銀牙狼シルバーファングとは馬よりも二回りほど大きな銀毛の魔狼だ。その巨体からは想像もつかないほど動きが速い。

 そして厄介なことに、この銀牙狼シルバーファング魔狂狼ワーウルフを十数頭引き連れている。


 魔獣達は三十メートルほど先でこちらの様子を伺っている。

 魔狂狼ワーウルフ達がすぐに襲ってこないのは銀牙狼シルバーファングの統率が取れているからだろう。


 ――いずれにせよアイツらからは逃げ切れない。


「まだ王都に潜入もしていないのに……」

 ヴィルは無傷で生き残ることはできないと直感した。


「お兄様……」

 ヴィルに声をかけたのは十二歳くらいの少女だった。

 ゆるふわな金髪に瞳は青く、まるで北欧のドールのようだ。

 町娘に変装しているのだろうが、高貴な身分であることが丸わかりだ。


「アーデル、状況はかなり悪い。銀牙狼シルバーファングの周りにいる魔狂狼ワーウルフの殲滅を頼む」

「任せてください、お兄様」

 それを横で聞いていたレオンは従者達と一緒にアーデルを囲んだ。

 全員が自分達の役目を理解している。


 アーデルは魔法の杖を前に翳した。

「守護精霊たる焔の化身イフリータよ、顕現せよ!」

 その瞬間、アーデルの前の空間が歪み、赤く染まりだした。

 それは炎へと変化して徐々に人の姿を構築していく。


「アーデル、お呼びかしら?」

 そして現れたのは真っ赤な衣装を纏った美女だった。


「イフリータ、久しぶりね。早速だけど、あの魔獣達を焼失させてくれる」

「お安い御用よ……。でもあれって神獣じゃないの?」

「「ええっ!?」」

 アーデルとヴィルは驚愕した。

 彼らは神獣を見たことがなかったからだ。


「間違いないわ。あれは神獣フェンリルよ」

 よく見ると、巨大な魔獣の額には立派な角が生えている。銀牙狼シルバーファングに角はないはずだ。


 イフリータは苦笑いをして言った。

「ちょっと苦戦しそうだけどいいかしら?」

「「戦わないで!!」」


 様子を見ていた神獣フェンリルは、敵対する意志がないことを示すためか魔狂狼ワーウルフ達をその場に待機させ、ゆっくりと近づいてきた。


 ヴィルは左手を胸に置き、軽く会釈する。

 アーデルはスカートを両手で摘み、膝を軽く折った。

 貴族の略式挨拶であるが、ヴィルはどことなくぎこちない。


「神獣フェンリル様、はじめてお目にかかります。私はローデシア帝国の第四皇子ヴィルフリート・リゲル・ローデシアと申します」

「同じく私は第五皇女アーデルハイト・リゲル・ローデシアです」


 神獣はアーデルをしばらく見つめて話し始めた。

『私の名はラグナ。人族は私を神獣フェンリルと呼ぶが、それが何を意味するのか我には解らない』

 神獣の声が頭の中に直接響いた。


 ――頭の中に声が?


 初めて経験する念話にヴィル達全員が驚愕した。


「みんな落ち着け! おそらくこれは念話テレパシーだ。神獣様の話に集中せよ」

 ヴィルは自分自身に言い聞かせた。そして意識を切り替える。


「それでは勝手ながらラグナ様とお呼びいたします」

『それで良い』

「ラグナ様、我々一行は帝国からアルフェラッツ王国の王都へ向かっているところでございます。なにか不都合が御座いましたらお詫び致します」

『いや、不都合などない。気になることがあっただけだ』

「気になることと申しますと?」

 ヴィルもアーデルも首を傾げている。

 本気で理由がわからない。


『そこの娘……アーデルハイトと申したか? そなたから魔力放射が漏れている』

「はいっ? えっ? ど、どうしましょ……」

 アーデルが両手で頬を抑えてアワアワとしだす。

 緊張していた従者達の間をホンワカした空気が流れた。

 おそらくアーデルハイトはこの隊の中のムードメーカーなのだろう。


「アーデル、落ち着け」

「だって、お兄様……」

「おい、レオン! ぽわ〜んとするな!」

「も、申し訳ありません。ヴィル様」


 神獣はアーデルを見て首を傾げる。


『アーデル、貴女の保持している魔素量は人間離れしている。人間なのか?』

 ヴィルもアーデルもぎょっとする。

 神獣に聞かれたくない核心を突かれたようだ。


「はい、アーデルは紛れもなく人間でございます。ただ、ちょっと……」

 ヴィルが言い淀む。


『精霊紋の保持者か?』

「はい、仰る通りでございます」

『それは難儀なことよな。そうは思わないかイフリータ?』

「あら、バレちゃったみたいね。上手く隠れたと思ったんだけど」

 ラグナが近づいてきたとき、イフリータは透明化した上に気配も消していた。


『バレぬはずがあるまい』

「どうして判ったのか教えてほしいな〜」

『秘密じゃ』

「神獣フェンリルのくせにケチね」

『精霊は悪戯好きだからの。我の魔技マギを教えるわけにはいかぬ』

「それは妖精の間違いよ。一緒にしないで……」

 イフリータが膨れっ面をする。


『妖精か……なるほどな。それは失礼したが、秘密は秘密じゃ』

「むぅ……、でも、魔技マギなのね」

『しまった』

 ラグナが初めて動揺する。


「横から申し訳ありません、ラグナ様」

 二人が睨み合っているところにアーデルが割り込む。


『なんじゃ、アーデルよ』

「魔力放射を抑える方法をご存知でしたら教えて頂けないでしょうか?」

「ちょっと待てアーデル!」

 ヴィルはアーデルの無理な願いを窘めようとしたところ『うむ、よかろう』と、あっさり承認された。


「いいのかよっ!」


 アーデルは祈るように神獣を見つめる。

「どうすれば良いのでしょうか! 神獣様」

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