第49話 風呂に入りたい

 グラン邸セブンスの部屋で、メイド兼セブンス補佐のクラウはベッドでうなされている主と、そこに寄り添うセレスティーを心配そうに見ていた。


「う~ん、誰かが追いかけてくる……助けてくれ……」

 セブンスの枕元でエルフの巫女セレスティーが彼の手を握って心配そうに見つめている。


「お兄ちゃんからいい匂いがする」

 そしてフェルはというと、なぜかセブンスの焦げた匂いが気に入ったらしく、ベッドに寝かした後もスンスンと匂いを嗅いでいた。

 ――この子はいつもマイペースでいいわね。

 クラウはフェルのことを羨ましく思った。


 暗黒魔境に突入してから一週間目のことである。

 魔族少女のアイルが〈真祖の剣〉の影響を受けて暴走し――まあ、魔獣の生命力を吸い取ったせいで欲情してしまったのだが――それを見たセレスティーがアイルとセブンスの浮気を疑ってセブンスに電撃を食らわせたわけだ。

 このときセレスティーは冷静な判断力を持っていたわけではない。事の真相は、アイルの乱れ様に、初めて見る女の欲情に驚いてしまったからだろう。

 クラウはセレスティーが何百年生きているのか知らないが、心は純真な乙女のままなのだと改めて理解した。

 ようするにセブンスは冤罪だったのだが、セブンスが〈真祖の剣〉をアイルに使わせたことが原因なので、多少の責任はある。もっとも、セブンスからしてみれば不可抗力なのだろうが……。

 とはいえ、アイルが軽症で済んだことは不幸中の幸いである。もし、セブンスと同じレベルの電撃を受けていたら即死の可能性があったし、一命を取り留めた場合でも治癒のスペシャリストであるセブンスも気絶しているのだ。それに加えて水の精霊ミスティーもセブンスでないと召喚できない。

 つまり、かなり危険な状況に陥る可能性があったことは確かである。


 そしてアイルの方だが、セレスティーの電撃で気絶しただけだった。おそらく女の子なので手加減したのだろう。しかし、なぜかセブンスは半分黒焦げになっていた。

 落雷による火傷は結構エグい。普通の人間が落雷にあうとリヒテンベルク図形という稲妻に似た形状の火傷後が残ってしまう。しかし、セブンスは自動超回復というスキルを持っているので、即死しなければ今まで以上に耐性が上がるし、勝手に怪我は治癒する。正確にいうと戦闘レベルも上がる。


 電撃で二人を気絶させたセレスティー自身は、しばらく茫然自失の状態だったが、今は復活している。

「わたし、謝らないからね」セレスティーはそう言いながらもセブンスの枕元を離れない。


「セブンスさまはチートですから心配しなくてもすぐに回復しますよ」とクラウはセレスティーを慰めるが「チート」という言葉を彼女が知る由もない。


「でも、こんなにうなされている。わたしが怖いのかしら?」セブンスがうなされているのは自分のせいだとセレスティーは思っているようだ。

「それは違うんじゃないかな~」クラウが曖昧な返事をする。


 この時、クラウは恐怖に慄いた。

 もし、セブンスがうなされているのは別の女絡みだと知ったら、セレスティーが再び癇癪を起こす可能性があるからだ。

 クラウがその原因と考えているのは龍神族の戦姫であるシャルロットのことだ。

 セブンスはシャルロットたちに断りもなくエルフの里を脱出した。ようするに、彼らを置き去りにしたのである。

 そのことにセブンスは罪悪感があるのだとクラウは考えている。


 実はセブンスがうなされるのは今回が初めてではない。

 暗黒魔境に入った頃から毎晩うなされていたのだが、本人は誰にも話していない。だが、いつもセブンスの世話をしているクラウが知らないはずはないし、いつも一緒に寝ているフェルも気がついている。


「フェルちゃん、セブンスさまがうなされているようですが、何か心当たりありますか?」

 セレスティ―はセブンスの怪我だけでなく、うなされていることも気にしている。

 その原因がもしかしたら自分の責任ではないかと思い始めているからだ。


「お兄ちゃんは龍のお姉ちゃんを怖がっているんだよ」

 クラウの心配をよそに、フェルがあっさりとばらしてしまう。


「龍のお姉ちゃん?」

 セレスティーがエルフの里から救出されてたとき、シャルロットたちはそこに居なかったので、セレスティーは彼女たちのことを知らないのだ。


「そうだよ。龍のお姉ちゃんを置き去りにしたから怖いんじゃないかな」

 セブンスは龍神族の姫であるシャルロット、その従者であり人族のオリヴィエ、そして戦闘メイドのノエルの三人を〈エルフの里〉に置き去りにした。


 何故そうしたのか? セブンスの真意はわからないが、その行為を後悔しているのは間違いないだろう。そうでなければ誰かに追われる悪夢を見る理由はなさそうだ。


「その話は聞いていません。詳しく教えて下さい、クラウさん」

 追求の矛先がクラウに向かい、セレスティ―の眉間に皺が寄る。雲行きが怪しくなってきたが、いつかバレることだ。

 しかし、それはセブンスの口から説明されるべきないようなので、クラウは話をごまかそうとした。


「そろそろ夕食の支度をしないと。フェルちゃん、今晩は何を食べたい?」

「焼き肉~!」




    ◇ ◆ ◇




 龍神族の戦姫シャルロットの瞳からは怒りの炎が吹き出しそうだった。

 自分たちが護衛しようとしていた男に逃げられて、従者たちの前で恥をかかされたのだ。龍神族の戦姫としての矜持が許さないし、怒り心頭なのは当然のことだろう。

 それにツバサを護衛するミッションは、偉大なる龍神族の長であり、尊敬すべき父親からの勅命なのだ。シャルロットにとって失敗はありえない。


 しかし、それは建前であって本当の理由ではないのかもしれない。

 龍神族の戦姫シャルロットは自分よりも強い男との婚姻を切望していた。逃げた男は人族にもかかわらず、明らかに自分よりも強く謎に満ちた男だった。


 シャルロットの人生ではじめて好意を持った男性――


 戦闘に明け暮れて恋愛沙汰とは無縁だった戦姫に、恋愛に対する耐性は皆無である。

 そんな彼女の初恋はエンシェント・ドラゴンの体重よりもよりも重いのだ。




 シャルロットたちはセブンスの後を追って暗黒魔境へと突入していた。


「シャルロットさま! 前に出すぎでございます!」


 戦闘メイドのノエルが叫ぶ。

 シャルロットが相手にしているのは、オーガの中位種であるオーガ・ゼネラルの軍団だ。

 オーガ・ゼネラルは暗黒魔境において他大陸のゴブリンに相当する。つまり、数が異常に多いのだ。

 他の大陸ではオーガ・ゼネラルが一つのコロニーに多数存在することは少ない。それでも、都市近郊で発見されたら一体であっても討伐部隊が編成されるほどの危険な存在なのだ。


「オリヴィエさん! シャルロットさまの援護を!」

「判っている。心配し過ぎだぞノエル!」

 魔法障壁のスペシャリストであるオリヴィエは、シャルロットの側面に扇状の魔法障壁を張り続けて、常にオーガ・ゼネラルの二~三体だけがシャルロットと対峙するように調整している。


 ところがそこで、シャルロットのスイッチが入ったらしい。

 龍神王国の姫君は魔剣〈黒龍〉を片手にオーガ・ゼネラルの中に単独で突入した――


「ツバサのやつ! わたしの気も知らないで!」


 オーガ・ゼネラルは三メートルを超える巨体であるが、魔獣の中ではかなり動きが速い方だ。しかし、それでもシャルロットのスピードについて行ける程ではなく、次々とオーガ・ゼネラルの首が落ちていく。

 それはシャルロットの尋常ではない剣技、スピード、膂力だけが為せることではなかった。魔剣黒龍の剣先から伸びる黒い帯が自由自在に動き、勝手にオーガ・ゼネラルの首を落としていくのだ。


「こ、こいつは凄い……」オリヴィエが絶句する。

「シャルロットさまはどうされたのでしょう?」今まで見たことのないシャルロットの戦い様に、ノエルは動揺を隠せない。


 オリヴィエもノエルもシャルロットの猛攻を呆然として見つめるしかない。

 おそらく、二人がこの戦いの中に入っても、シャルロットの足を引っ張ることしかできないだろう。


「なあ、ノエル。シャルロットさまどうしてこうも怒っているんだと思う?」

「決まっているではありませんか。ツバサが逃亡したからではありませんか」

「それは判っているんだけどな。もともと奴は護衛の必要がないほど強い。だから、追いつけば任務のリカバリはできたことになる」

「ええ、たしかにそうかも知れませんが……」

「そうだ、あれほど荒れる必要はないと思うんだがな」


 そして、一方的な虐殺は半時間ほどであっけなく終了した。

 戦いの後にはオーガ・ゼネラル五十体ほどの首が転がっていたのは言うまでもない。

 そして、そこには血塗れになって仁王立ちするシャルロットの姿があった。


「風呂に入りたい……」


 もちろん、シャルロットが入りたい風呂とは、グラン邸の大浴場のことだろう。

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