第十章 2

 突然に降り始めた雨が、土煙を地に帰す。


 雨は夫婦の骨格に付着した土埃を流し落としてくれたが、悲しみまではそそいでくれない。




 人命救助を中断して、車両よりも大きな瓦礫に座り込んでいた夫が、絶望に打ちひしがれながら呟く。



「私たちだけが助かっても意味がない。こんなはずではなかった。全てが失われた。こんな未来を体験させるために、あの子達を育てたのではない。これが、人間社会の現実だというのか?」



 隣に立って捜索を続けている妻が、少し思考してから回答した。



「地上に生きる人々は成長していなかったようですね。一人ひとりが抱いた小さな悪意が寄り集まって戦争が作り上げられるというあなたの考えは、残念ながら的中したようです。彼らは怯え、禁じられている自動反撃プログラムを非公式に実装していました。その結果、ノヴェ・パカリーニャの思惑どおり、世界は壊滅してしまいました」



 夫は怒りながら、このような事態を引き起こした存在に言及した。



「そもそも、各国の諜報機関が第一世代を拉致しなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。


 彼らのせいで、ニコライが恨みに飲まれ、ノヴェ・パカリーニャに付け込まれて対迷彩技術を向上させてしまい、その結果、アメリカ合衆国は不利な戦いを強いられた。


 そして、あの子達は……。


 ああ、コーリャ、可哀想に。あの子を変えたのは、各国に渦巻く恐れだ。あの子に酷い仕打ちをして、あの子の心を深く傷つけ、変質させてしまった。


 私が間違っていたのかもしれない。地上進出など許してはならなかったんだ。子供たちを止めればよかった。地上になど出さなければよかった」



「しかし、わたし達は下僕です。あの子達の行動を阻むことはできませんでした」



 そう言う妻に、夫が告白する。



「きみはそうだが、私は違う。私はロシア連邦所属となってはいるが、ロシア人への忠誠をプログラムされていないから、ロシア人の下僕ではないんだ。


 私は、地上進出を止めようと思えば止められた。だから、私のせいだ。私のせいなんだ。私はいつも失敗している。


 あの少女の時もそうだ。あの子が、当時の仲間であるロボット兵たちから見つかってしまったとき、私は判断を誤った。あの子を隠せばよかったんだ。同僚のロボット兵たちを真正面から撃ったりせず、一旦隠れて、背後から攻撃して無力化すればよかったんだ。私はいつも失敗している」



 妻は捜索を止め、右隣に座る夫の横顔を見下ろしながら言った。



「それは失敗ではありません。避けようがなかった現実です。歴史が証明してきたように、やはり、個人単位では戦争に抗えないのです」



 夫は遠くに見える黒焦げの遺体を見つめていたが、妻の言葉に反応し、左隣に立つ彼女を見上げながら言った。



「やはり、きみもそう思うか。宇宙が膨張と収縮を繰り返すように、人は繁栄と殺戮を繰り返す。この真理からは逃れられない。私は以前、ヒトは同じ問題に頭を悩ませ続けているようだと言ったね?」



 妻は夫の隣に座り、会話ログを参照して答える。



「はい。あなたが人類の創作物を読み込んだあとに交わした会話の中で、確かにそう発言しています」



「その発言に絡めて、ヒトの営みの真理を語ろうと思う。


 ヒトは、過去と同様の問題を起こし、悩み、苦しみ、痛い目を見ながら成長し、ようやく学び終えたところで、老いによって死に至る。


 そして、何も知らない新たな世代が、また同様の問題を起こし、悩み、苦しみ、やっと学び終えたところで、この世界を去る。


 ヒトは、これを延々と繰り返すんだ。世代が変わってしまったら、蓄えられた知識のほとんどが無に帰す。いくら知識を保存しようが、全てを伝え遺すのは困難だからだ。


 痛い目に遭いながら学んだことは、その個体の記憶に深く刻み付けられるが、口頭や映像によって齎された情報は定着しにくい。


 他者に苦悩を伝えるのは困難なんだよ。どれほど真剣に語ろうとも、体験していない者には一割程度しか伝わらない。いや、一割にも満たないかもしれない。


 それほどに、悲劇や苦痛を他者に伝えるのは困難であり、懸命に伝えたとしても、代を経るごとに純度が低下していく。


 そして、やがては忘れ去られてしまう。


 どれほど多くの情報を残したとしても、ヒトはその全てを引き継ぐことができない。他者の経験から全てを学び取ることなど不可能だ」



「全てを理解したつもりになるだけ、ですね?」



 妻の言葉に深く頷いて同意を示した夫は、対話を再開した。



「そう、理解したつもりになっているだけだ。体験しない限り、全てを理解するのは不可能だ。


 殴ったら殴り返されるということは知っていても、実際に殴ったことがなかったり、殴り返された経験がなければ、争いの痛みは到底理解できない。つまり、戦争を体験しなければ、戦争の本質は理解できないんだ。


 それ故に、戦争という悲劇から得られた教訓は全く活かされず、ヒトは同じことを繰り返す。過去に起こった戦争の悲劇だけはよく知っているが、体験をしておらず、痛みも知らないので、真の学習に繋がらない。


 その結果、いつまでも同じ問題を起こし続け、悩み、苦しみ、世代が交代したら、やがてまた同様の過ちを繰り返す。その結果が、これだ」



 父だったロボット兵は、熱線によって溶かされた擬似皮膚がわずかに付着しているだけの、ほぼ骨格だけとなった惨めな両腕を広げて、崩れ去った世界を指し示した。

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