第九章 15

 強い意志を抱いて行動する特別なアンドロイドが、付近の警察署から拝借したヘリで大統領官邸に向かっている頃、ノヴェ・パカリーニャの司令部と化したアパラチコーラ空軍基地の地下中枢にある作戦司令室では、ベロボーグ計画に忠実なアンドロイドが、恐るべき計画の第一段階が完了したことを主に告げていた。



「通信網の妨害と軍事施設の制圧が滞りなく完了し、全ての目標を手中に収めました」



 後ろ手を組みながら、広く高い作戦司令室の壁に設置されたモニターを感慨深げに見上げているブルガーニン新生ロシア連邦暫定大統領が、口髭を一撫でしてから、今や忠実な部下となった母にねぎらいの言葉をかける。



「潜入員たちによる内部からの支援がなければ、軍事施設の制圧は不可能だった。よくやってくれた。母さんは子育てだけでなく、遺伝子手術、整形手術、人格転写手術にも長けているから、成功を確信していたよ」



 ノヴェ・パカリーニャが磨いてきた技術は、遺伝子手術と整形手術に関するものだった。


 彼らはあらゆる方法で海運会社の役員全員の体細胞を採取してクローン体を作り出し、急速成長させ、外見を合致させて人格を転写し、対象を抹殺して成り済ますことで会社を乗っ取り、仮の拠点としていたコンテナ船を入手した。


 同様の手段で、世界各地のあらゆる企業を手中に収めている。


 生体認証に用いられる手の静脈と、目の眼底血管および虹彩の形成には、後天的要素が大きく関わるため、クローン技術では完全に再現できなかった。


 そこで彼らは、対象人物の手首を切断し、眼球を取り出してクローン体に移植し、さらに再生医療を応用した整形手術を施して傷を隠すことで、生体認証を通過することに成功した。


 さらに、脳を直接改造して記憶を移植することで、人格と脳内活動特性を再現し、成り済まし個体として完全に機能させることに成功した。


 事前に対象人物の性格や振る舞いを分析し、それを脳に記憶させて完璧に演じているのだが、なかには怪しむ家族もいた。


 そういった場合は、精神科を受診して薬を服用していることにすれば誤魔化せた。


 続いて、彼らは軍関係者への成り済ましも実行した。


 軍はクローン技術による潜入を警戒して人格認証を導入しているのだが、人格そのものを複製してクローン体に転写する技術の存在を把握していなかったため、ノヴェ・パカリーニャは軍の認証を容易にかいくぐり、成り済ましたクローン体を何人も潜入させることに成功した。


 人格転写技術は、前世紀からロシア政府が推し進めていた脳神経インプラント技術を下地にして実現したものであり、他国にとっては未知の技術だった。


 脳神経インプラントを一般国民に導入することを渋っていたアメリカ合衆国にとっては、クローン体の脳細胞に人格を転写して人格認証を通り抜けられることは想定できず、防ぎようもなかった。


 まず始めに、ノヴェ・パカリーニャは、軍属の業者に成り済ました潜入員に軍施設内部を偵察させた。


 その結果、士官や下士官しか入ることのできない重要区画では遺伝子生体認証だけではなく、重要区画内で毎日変更されて口頭で伝えられるパスワードを求められることが判明し、その上、定期的に厳正な精神検査が行われていることも判明したため、士官や下士官に成り済まして中枢に入り込む計画は頓挫した。


 しかし、兵卒に対しては、遺伝子生体認証、人格認証、簡易的な精神検査しか実施していないことが判明したため、兵卒の潜入員のみを大量に生産し、軍施設を制圧するのに充分な人数を潜入させることに成功した。


 兵卒の人数は士官や下士官よりも圧倒的に多い上に、戦闘用ロボット兵を改竄して確保しやすい立場にあったので、基地を守ろうとする士官たちを容易に排除できた。


 こうしてノヴェ・パカリーニャは、各国の軍事施設や通信関連企業に人員を潜り込ませ、作戦の第一段階である世界規模の通信妨害を実行させた。


 そして、基地に潜入した兵士たちはいとも簡単に基地を掌握し、作戦の初期段階を完遂した。


 さらに、軍のシステムに入り込み、宇宙にある質量兵器やレーザー兵器も無力化し、全てを手中に収めたのだった。




 敵国民を冷笑したブルガーニンは、一転して少し残念そうに言った。



「しかし、ニコライの兄弟姉妹の愚かさには驚かされる。我々と同じ計画の下に生まれた者とは思えん。拉致され、拷問と言っても過言ではない尋問をされてもなお、己が誕生した意味に気づかぬとはな。不憫でならない」



「彼らの母は、故障でもしていたのでしょう」



「そうかもしれんな。私の母が、あなたで良かった。おかげで、あのような腑抜けの能無しにならずに済んだ」



 ブルガーニンはそう言って振り返り、背後に控える母に、片方の口角を上げて微笑みかけた。


 母は浅く頭を垂れ、暫定大統領の有り難き寵愛に応える。



「あなたのように優秀な子の母になれたことを、光栄に思います。彼らのシェルターの母に欠陥があり、正しい教育が行えなかったことが悔やまれます。しっかりとした教育を施していれば、すぐに己の使命を思い出せたはずですのに。敵国の諜報機関から攻撃を受けてなお使命に目覚めないなど、国家の恥としか言いようがありません」



 ブルガーニンは母の言葉に頷いてみせてから、前に向き直り、部下たちの作戦行動が映し出されている複数のモニターを見上げながら言った。



「その点、ニコライは優秀だ。困難な状況下で、よくぞ使命に目覚めてくれた」



「あの子は重要な技術を齎してくれました。我々よりも、あの子を輩出したシェルターのほうが優れた対迷彩技術を有しているとは。早速、我が軍に導入しました」



「得たものは大きかったが、失ったものもまた大きい。彼の兄弟姉妹を連れ去られてしまったことで、我々の存在が明らかとなり、計画を前倒しせざるを得なくなった。核を保有していない国々にも人員を潜り込ませた上で計画を実行したかったが、止むを得まい」



 ノヴェ・パカリーニャの母が、覇気に陰りを見せた息子の背中に語りかける。



「気に病むことはありません。彼らに逃げられたところで、我々の優位性は揺るがないのですから。必要な戦力は揃っています。そのことは、あなたもよく理解しているはずです」



 母の言葉を受けたブルガーニンはおもむろに振り向き、闘争心を剥き出しにして言い放った。



「そのとおりだ。我々の計画に不備はない。綿密な準備の下、成功が約束されているのだからな。計画実行後についても懸念はない。ロシア連邦の再興は、未だ本国の地下に潜む同胞が達成してくれるだろう。我々はロシア連邦の復讐の化身となって、新たに立案したチェルノボグ計画を遂行し、祖国再興の障害となる敵を討つのみだ」



「それでこそ、ベロボーグ計画の申し子です。あなたの指揮の下、必ずやチェルノボグ計画を成功させてみせましょう。あとは、この基地のミサイル発射規制プログラムを破るだけです。多少の時間は要しますが、必ず解除できます」



「引き続き、解除作業を頼む」



 親子は、その手を汚す。


 虐殺された、無辜むこなる同胞のために。

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